小台と宮城
日暮里・舎人ライナー足立小台駅で下車し、荒川と隅田川に挟まれた中洲状の町:足立区小台・宮城を歩いてきた。 帰りは豊島橋を渡り、豊島五丁目からバスで帰宅。 1万1千歩
●お客は少ない! ・・・・・・・荒川と隅田川に挟まれた、“狭い土地”と言うべきか、“広い土手上”と言うべきか、どちらにしても住宅からはチョイト離れた尾久橋の北詰(足立区小台1)に、日暮里・舎人ライナーの足立小台駅はある。 平成20年(2008)3月30日のライナー開業と同時にできた。 平成30年(2018)度の一日平均乗降人員は3,931人であり、日暮里・舎人ライナー13駅中最下位だった。、、、、朝の足立小台駅では、乗降客が少ないにもかかわらず、2名の警備員がホームにいた。 『いやに、厳しいな!』と思ったら、ライナーが超満員で入線してきた、ココ足立小台駅では乗れない人もいるようだ。 その人達のための、“尻押し”をしているらしい。 押すところ間違えないように!
・・・・・・・・・・・・ホームは、隅田川・荒川を見下ろす高い位置にある。
●車窓は絶景! ・・・・・・・足立小台駅の北側、荒川に日暮里・舎人ライナー荒川橋梁と扇大橋が架かっている。、、、、日暮里・舎人ライナー荒川橋梁は、橋長610.8m、4径間鋼箱桁の構造で、平成18年(2006)に竣工した。 何と云っても、日暮里・舎人ライナーが橋の北側で首道路中央環状線の上を跨ぐため、ライナー高架橋の最高地点で、高さは約30mあり、眺めは最高!、、、、扇大橋は、尾久橋通り(都道58号台東川口線)を通す。 こちらは、長さ445.4m、幅員26.0mの3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋。 昭和49年(1974)竣工。、、、、日暮里・舎人ライナーに乗り、ココを通過する時、いつも思うのは、絶景に感動し、電車の停止に怯えること。 もし、橋上で電車が止まったら、約30mの橋上を歩いて退避することになる、怖~~い!
●昔は台地、今は土手下! ・・・・・・・足立小台駅から西へ、足立区小台の町を歩く。、、、、小台も、隣りの宮城も、大正時代に荒川放水路開削事業で河道となるため住民が立ち退かされた町である。 それまでは、さほど高くはない台地で、畑地であったそうだ。 そこで“小さな台地”ということから「小台」と呼ばれたらしい。、、、、荒川放水路(現:荒川)ができたため、小台・宮城の町は中洲のような細長い狭い町となってしまった。 現在は工場がが多く、下町の工業地帯。
・・・・・・・・・・・・まずはブラブラ。 建設関連の、〇〇建設、〇〇工業、〇〇塗装などの会社名が多いね!
・・・・・・・・・・・・小台2丁目に曹洞宗の寺:珠明院がある。 金龍山と号し、本尊は聖観音像(浅草の浅草寺も、金龍山で本尊は聖観音像、似てるね!) 珠明院は、然室存廓(弘治元年(1555)寂)が開山となり創建した。、、、、本堂前には、板碑型庚申塔、地蔵菩薩がある。 地蔵には『六地蔵弐番目武州江戸講中 元禄十二己卯年七月十五日』の銘がある。
・・・・・・・・・・・・珠明院の北東、荒川土手の前に立派な庚申塔が七基ある。、、、、説明板には、『 小台七庚申 庚申信仰は、大陸から伝来した儒・仏・道の三教の内、道教を軸に平安時代の初め僧侶によって貴族社会に伝わり、のち次第に庶民に及んで固有の民俗信仰と習合し、広まったものである。ここ一か所に集まっているのは、大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で、立退きの対象となった地から下川家と共にここに移転安置したものである。承応三年(1654)から元文元年(1736)に造立された堂々とした造りで、江戸期庚申信仰が盛んであったことを物語っている。武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって小台の七庚申と呼ばれ、人々の信仰を集めている。多くの民俗資料が消滅していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。 平成4年3月 東京都足立区教育委員会 』と、記されている。 、、、、昔は、道端にこんな立派な庚申塔が多く祀られていたであろう。 今では、お宝だ!
●豪族の館があった町! ・・・・・・小台の隣りは足立区宮城の町、こちらもブラリ散歩、、、、三方を荒川・隅田川に囲まれ、残る一方は小台の町に隣接する。、、、、町名の由来は、豊島氏の一族で太田資正に仕えた宮城政業の居館が現在の江北橋側の氷川神社にあり、寛永の頃には宮城の村落が出来ていたとそうだ。
・・・・・・・・・・・・町をブラブラ、こちらも小台と同じで下町の工業地帯。
・・・・・・・・・・・・・・・町中にあるはずの、真言宗の福壽山地蔵院。 あまり広くない境内に墓石がポツンと残り、堂宇は一切ない。 アレ? 寺の夜逃げか? 本堂があったと思われるところは整地されジャリ・ジャリ。 どうしたのかな?、、、、残されている墓石を見ると、どの墓も「下川家」だ、一族か? チョイト、ミステリアスな寺。
・・・・・・・・・・・・・・江北橋の橋詰めに宮城氷川神社がある。 氷川神社は、豊島重信の子重中が南北朝時代に足立郡宮城の地を開発、守護神として武蔵国一宮氷川神社の分霊を勧請して創建、北條氏滅亡時に宮城氏も滅亡したものの、江戸時代初期の村落成立時に改めて村落の鎮守社として祀ったと言われている。、、、、この地には、豪族宮城氏の居館があったそうだ。 “砦”と言う程度のものか?
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