上野介の眠る寺
西武新宿線沼袋駅から中央緩行線東中野駅まで、1万歩の散歩です。
●跨線橋が無くなった! ・・・・・・・・高田馬場から西武新宿線に乗り、沼袋駅で降りてみた。 沼袋駅は、昭和2年(1927)4月16日、西武村山線(西武新宿線の前身)高田馬場~東村山間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線と中線1線の地上駅である。、、、、只今、西武新宿線(中井駅~野方駅間)連続立体交差事業の真っ最中で、当駅と隣の新井薬師前駅は地下駅となる。 その為、工事着工前には、上下別に2線あった中線が上下線共用の1線となっている。 また、跨線橋も撤去され、地下連絡通路に変わった。
●お賽銭をはずむ! ・・・・・・・沼袋駅の東側に鎮座する沼袋氷川神社。、、、、沼袋氷川神社の創建年代は不詳だが、文明9年(1477)太田道灌が、江古田ヶ原・沼袋の戦いの際に当地に陣営を置いたといい、江戸時代には下沼袋村の鎮守社だったそうだ。 正保年間(1644~1648)代官:野村彦太夫が社殿を修築し、文久4年(1864)石鳥居が建てられ、明治13年(1880)には社殿を改築、大正11年(1922)幣殿を増築。、、、、境内には、道灌が戦勝を祈願して植えた「道灌杉」があったが、昭和19年(1944)に枯れた。、、、、風格のある神社で、境内は綺麗に整備されている。 “優しい女性の神職”、“境内を掃除する美人の奥様”、“初詣に来た欅坂46”、いろいろ楽しい噂があるようだ! お賽銭をはずみ、200円入れてシマッタ!


●壊される駅、さらば! ・・・・・・・・線路脇を歩き新井薬師前駅に来た! 新井薬師前駅はまだ既存の駅舎を使用しているが、いずれ取り壊されることになる。 線路は地下へ、駅も地下駅、写真は撮りにくくなり、チョイト残念!




●歌いたくなる道! ・・・・・・・・新井薬師前駅の南東、上高田3丁目、民家を囲む竹組の垣根は、童謡『たきび』の一番の歌詞「垣根の垣根の曲がり角」のモデルとなった垣根。、、、、説明板によると、『この童謡の作詞者:巽聖歌(たつみせいか 本名野村七蔵 1905~1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した詩人で、多くの優れた児童詩を残しました。 聖歌は、この詩が作られた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでいました。朝な夕なにこのあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩情をわかせたといわれています。歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていく中で、けやきの大木がそびえ、垣根の続くこの一画は, 今もほのかに当時の面影をしのぶことができる場所といえましょう。』 、、、、かっては大きな農家であったらしい、童謡の歌詞がピッタリする情景はなんとも言えない懐かしさを感じる。 人通りは少なく、青空の下、緑に囲まれた静かな道を、ゆっくり散策できる。 いいね!


●上野介の墓 ・・・・・・・「上高田中通り」を南へ向かって歩き、「上高田交番」を過ぎた処に、曹洞宗寺院の萬昌院功運寺がある。 萬昌院功運寺は、今川氏真の第4子長得が開基となり天正2年に仏照円鑑禅師が開山した久宝山万昌院と、永井信濃守尚政が開基となり慶長3年に黙室芳誾禅師が開山した龍谷山功運寺とが、昭和23年(1948)に合併した寺院である。 お寺には、吉良家14代から17代の墓がある。 忠臣蔵の悪役:吉良上野介義央は吉良家17代目に当り、ここに墓がある。 、、、、境内には幼稚園があり、児童が本堂前で遊んでいるためか、警備が厳しく女性ガードマンが立っている。 また、園児を送迎する若いお母さんも山門前で立ち話中、よそ者の私にはチョイト入りずらい。、、、、今日は勇気を出して、『吉良家の墓を見せてもらえますか?』 女性ガードマンの応え、『いいですよ、だけど境内での写真撮影はダメです!』 残念だが了解して、吉良上野介の墓に手を合わせてきた。 (写真は2010年撮影の山門、本堂、吉良家墓所)、、、、ここには、吉良の忠臣も供養されている。 また、『放浪記』の作家:林芙美子の墓もある。


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