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外出自粛要請が出た東京都、私の散歩の多くは完全に「不要不急の散歩」である。 それ故ここ数日、家に籠もっていた。 『今日も我が家で寝てようか?』と思っていたら、昼に妻が『和泉公園のサクラが満開、見てきたら』と一言。 『そうだ!個人的な運動で我が家の近所を散歩するのはOKだ』と、自問自答する。 我が家から半径1km以内のご近所を一人で散歩してきた。
●我が母校とサクラ・・・・・・・まずは、我が家から直線距離で約200m、関東大震災後に復興公園として大正15年(1940)に開園した柳北公園(台東区浅草橋5)に咲くサクラ。 満開だ!、、、、サクラの後ろの建物は、公園と同時の大正15年に竣工した我が母校:元柳北小学校の校舎。 小学校は平成13年(2001)に、少子化により廃校となり、現在は区で使用している。、、、、サクラは、来週には散ってしまうかも?
「首都封鎖」、「ロックダウン」など、チョイトヤバイ言葉が出てくるようになった“新型コロナ”の東京、年寄りの私も不要不急の外出をしかえている。 今日は、飯田橋の循環器内科の定期検診日。 “不要不急の外出”ではないので、午後から行ってきた。 診察はスグ終わり、チョイト遠回りして帰ることにした。 飯田橋駅から、小石川善光寺坂周辺の諸寺を巡り、大江戸線春日駅までの散歩。
●とうがらし地蔵! ・・・・・・・最初に訪れた寺は、文京区小石川3、伝通院門前の浄土宗寺院の福聚院。 福聚院は、霊應山鎮護寺と号し、安永3年(1774)伝通院末として現在地に創建した。 本尊の大黒天像は、小石川七福神の一つ。、、、、本堂は木造の簡素な造り。 本堂前は付属幼稚園の運動場となっているため、チョイト参拝しずらい。
我が家の仏は、生前に自分の墓をつくって大往生。 ある山好きの仏は、都心の西の郊外、山を切り開いたひな壇型の墓地の中程に墓を建てた。 都心から電車で1時間、バスに乗り換え30分(運行本数は、2時間に1本)、霊園の下にバスは停まる。 花・線香を寺務所で買って、霊園の中を登山する。 墓参りする自分は、墓の前に到着するころ、息はゼイゼイ、肺はパカパカ(大動脈を手術し肺活量が小さくなったため)、『チョイト、墓参りする身になってくれ!』
別のしっかり者の仏は、都心から東隣の県に造成された都営霊園に墓を建てた。 都心から霊園前までは交通の便よし(片道約1時間)、ところがドッコイ、車を持たない私は広大な公営の霊園(1.5Km×1.0kmの矩形の霊園)の中を門から墓まで歩かねばならない。 これまた、墓の前に到着するころ、息はゼイゼイ、肺はパカパカ、『チョイト、墓参りする身になってくれ!』、、、、二つの霊園ともに、園内に循環バスやケーブルカーなどを整備してくれるとありがたいのだが、贅沢か?
・・・・・・・・・・・何だかんだ言いながら、この春も東の霊園に、西の霊園に、我が家の墓参りは今日で全て無事終了。
新型コロナに負けるわけにはいかず、“溺れる者は藁をも掴む”で、ここ数日、感染症・病気に強そうな寺社巡りを行っている。 訪れた寺社は多くても頼りになりそうな神様・仏様は少なく、確実に効果が期待できる神仏は今だ見つからない。 でも“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”で、いずれどこぞの神様・仏様がコロナを撲滅してくれるだろうと思う。、、、、今日は、“灯台下暗し”で、我が家の近くに、強力で物騒な神様が居ることに気がついた!
台東区浅草橋の我が家から、約140m、徒歩2分、同じ町の小さな神社に物騒な神様がいた!、、、、近すぎて散歩にならない!
●神様は強盗のボス! ・・・・・・台東区浅草橋3丁目の裏通りにある「甚内神社」は、以前にも雅万歩で紹介したが、武田家の家臣高坂弾正の子で、江戸時代初期に盗賊のボスとなった人物:高坂甚内を祀っている。 高坂甚内(こうさか じんない、“こうさか”は向坂・勾坂などと書くこともある)は甲斐国:武田家の家臣:高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて、10年間弟子として剣を学び奥義を極めた。 その後、開府早々の江戸市中において治安回復の責任者として、家康から命じられ任につく。 しかし、北条氏が滅亡すると、甚内は取り締まる役から、反対の取り締まられる強盗となる。 対立する強盗の風魔小太郎の隠れ家を密告したり、江戸市中に散らばる強盗を寄せ集め、巨大な強盗集団を作り上げた。 幕府は甚内に追討の手を向けた。 それからの甚内は逃亡を続け、10年後の慶長18年(1613)に瘧(おこり、=マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕縛され、市中引き回しの上浅草鳥越の刑場で磔にされた。 死に際に「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」ということを言い残したという。 以後、甚内神社では瘧に御利益のある神として祀っている。、、、、瘧は熱帯・亜熱帯で広く分布し、高熱や頭痛を伴う感染症で、“新型コロナ”と似ているね! 「新型コロナさえなければ不安がることはなかったのに、新型コロナに苦しむ者は甚内神社に詣でれば癒してやろう」と実体験した甚内さんのお告げ! 「アビガン」、「ナファモスタット」より効くかも?、、、、8月12日が甚内の命日である。
今日は夫婦で中野の新井薬師に行ってきた。 新型コロナに勝つため、そしてついでに夫婦とも眼病予防、さらに“ぼけ封じ“もお願いしたが、こちらは産婦人科で前立腺癌の検査をしてもらうようなもので、結果は期待薄である。、、、、西武新宿線新井薬師前駅から、新井薬師に参り、中央線中野駅までの散歩。 7千歩
●完成はいつ? ・・・・・・・JR山手線高田馬場駅で西武新宿線の普通電車に乗り換えて3駅目「新井薬師前」駅で下車する。 駅は現在、中井~野方間の連続立体交差事業で地下駅化(島式1面2線)の工事中。 西武鉄道新宿線 歴史:1927年(昭和2年)4月16日 - 開業。1981年(昭和56年)10月30日 - 新駅舎使用開始。、、、、西武新宿線は、明治27年(1894)に川越鉄道川越線として国分寺~米川間が開業し、以後、都心に向かい順次開業していった。昭和2年(1927)には、村山線として高田馬場~東村山間が開業し、同時に新井薬師前駅も開業した。、、、、まだ地下駅の掘削は始まってないようだ。 地下駅の完成はいつだろう?
新型コロナ撲滅を祈願して各処の寺社に参っている。 今日は、「病気平癒」に絶大な御利益が期待できることで知られている西新井大師に行ってきた。 大師の帰りは、日暮里・舎人ライナーの舎人公園駅まで散歩。
●護摩で新型コロナをコロリと! ・・・・・・・新型コロナの撲滅祈願に、はるばる遠く浅草橋の男一匹、やって来ました西新井!
・・・・・・・・・・・・東武鉄道大師線の「大師前」駅から、早朝の人通りの少ない参道を歩く。、、、、マスク嫌いで、マスクはカバンに入れて持ち歩いている私には、人とのすれ違いも少なく安心して歩ける参道だ。 これならコロナはうつらんだろう!
朝から冷たい雨が降る土曜日。 まだ日も明けぬ午前4時、歳で近くなったため目が覚めた。 厠でチョイト用を足しながら、今日は山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅の開業日、常磐線富岡~浪江間の運行再開日、東京モノレールと京浜急行の羽田空港内の駅名変更日、京都嵐電北野線の等持院駅が日本一長い駅名「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に改名する日、など鉄道関連行事の多い日だと思いめぐらす。 まだ4時、今から出れば山手線の始発に間に合う、『高輪ゲートウェイ駅に行くか?』と迷うが、窓に雨粒が見え心は萎えた、『寒いから もう一眠りしよう』と再びベッドにもぐる。 7時のNHK(私は石橋亜紗アナのファン)で、高輪ゲートウェイ駅開業のニュースを見てると、ムズムズしてきた。 『チョイト高輪へ行って来る!』と、小雨ぱらつく中、家を飛び出す。、、、、と云うことで、高輪ゲートウェイ駅を見に行ってきた。 なお駅へ行く前に、「感染症防止」の御利益はあまり期待できそうにない、高輪神社にもお立ち寄り。
●JRへの乗換駅となった! ・・・・・・・高輪ゲートウェイ駅へ行くのに、JRで行っては面白くないので、都営浅草線泉岳寺駅から歩くことにした。、、、、泉岳寺駅は昭和43年(1968)6月21日に開業。 同時に京浜急行電鉄の品川~泉岳寺間も開業し、京急と相互乗り入れを開始。 島式ホーム2面4線の地下駅。、、、、泉岳寺駅は、今日からJRへの乗換駅となる。 高輪ゲートウェイ駅の方向を示す案内が掲げられている。 地下への出入口もリニューアルするのか(?)工事中。
とうとう“新型コロナ”は“パンデミック(=世界的な大流行)”となった。 11日のダウ平均株価は1464ドルの下落、そして今日(3/12)の日経平均も1000円超の下落。 株価の下落も“パンデミック”である。 このままだと、我が家の少ない資産にも影響が出て、食事は“パンガミッツ(パンが3つ)”となりかねない。、、、、『新型コロナの早期終息』を祈願し今日は、台東区の南端の浅草橋から、同区の北端にある橋場不動尊へ行ってきた。
●玉を秘めたる神社! ・・・・・・・・浅草橋駅前から都バスに乗って「清川二丁目」で下車する。 ここは、かつてのドヤ街“山谷”の中心。 “ドヤ”とは“宿”の逆さ言葉で、山谷には日雇労働者に向けの簡易宿泊所が立ち並んでいた。 いまでも周辺には、“ビジネスホテル”として宿泊所が多く残っている。
・・・・・・・・・・・・この町の一画に「玉姫稲荷神社」がある。 玉姫神稲荷神社は、天平宝字4年(760)伏見稲荷大社より分霊を勧請して創建された。 正慶2年(1333)新田義貞が鎌倉の北条高時を追討するに際して当社で戦勝を祈願し、弘法大師直筆という稲荷大神の像を瑠璃の宝塔に納めたことから「玉秘め(たまひめ)」の名がついたという。 “稲荷神社”と云うことから、「商売繁盛」、「諸芸上達」、「五穀豊穣」などの御利益は期待できそうだが、「病気平癒」、「感染防止」などは期待薄!
新型コロナの撲滅を願い、咳止めに効くと言われている新宿の「綿のおばば」に会ってきた。 JR信濃町駅から、四谷大木戸交差点に出て、新宿2丁目の太宗寺、正受院に参り、靖国通りを東に都営新宿線の曙橋駅まで、1万1千歩の散歩です。
●学会の聖地! ・・・・・・・信濃町駅は、明治27年(1894)10月9日に、甲武鉄道の新宿駅~牛込駅間開通と同時に開業した古い駅。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームの上に駅ビルの「JR信濃町ビル」があり、駅ビルの1階部分が改札口である。 平成5年(1993)に完成した駅ビルは、岡田新一の設計によるモダンな造りである。、、、、駅周辺は創価学会の聖地で、本部機能・聖教新聞・民音・公明党本部などがある。
“新型コロナ”は感染拡大するばかり、一刻も早く終息することを願い、今日はスサノオノミコトに神頼みすべく、南千住に行ってきた。
●地獄の臭い漂う刑場跡! ・・・・・・・・まずは、東京メトロ日比谷線南千住駅南口前には、常磐線のガードを挟み、南側に延命寺、北側に回向院の二寺がある。 この二寺は、江戸時代から明治初期まであった小塚原刑場(荒川区南千住2)の跡にある。 小塚原刑場は江戸への入口に存在した、大和田刑場(八王子市大和田)、鈴ヶ森刑場(品川区南大井)とともに三大刑場といわれた。、、、、小塚原刑場の広さは60間(108m)×30間(54m)程で、現:延命寺がある辺りらしい。 ここで延べ20万人の罪人が処刑されたそうだ。 遺体はそのまま野ざらしにされ、一帯は異臭漂う地獄のような地であったらしい。
・・・・・・・・・・・・刑場跡の延命寺境内中央には刑死者の菩提を弔うため、寛保元年(1741)に造立された「首切り地蔵」がある。 27個の花崗岩を組み合わせ、全体の高さが4m程の坐像。
・・・・・・・・・・・・刑場での刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に本所回向院の住職が隣接する場所に常行堂を創建した。これが現在の南千住回向院である。 現在でも、ここで処刑された、橋本左内・吉田松陰・鼠小僧・高橋お伝・相馬大作などの墓・供養碑がある。、、、、また明和8年(1771)に、蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢・桂川甫周らが、刑死者の腑分け(解剖)い立ち会った場所でもある。 マグロの解体ショーとは違い、立ち会うには勇気がいると思うね。 私は血を見るとダメなので、病院の採血の時は目を瞑っているのだ!
日本全土が“新型コロナ”の猛威に曝され、“不要不急の外出は控えるように”、お上のお達し。 私も、じ~っと家に籠もっていたが、そろそろストレスが溜まってきた。 私の心の中で、“至急必要な散歩に行くべし”と、お神のお告げ。 『よし、チョックラ行くか!』、感染症・伝染病に効きそうな神社に、日本国民を代表して参ることにした。、、、、我が家からも歩いて行ける上野公園の五條天神社に行ってきた。
●いよいよ花見の季節! ・・・・・・・まずは上野の山へ向かう。 上野公園はボンボリも吊るされ、お花見の準備はOK! でも、今年は“場所取りは禁止!”で、おとなしい花見になりそうだ。 既に開花した木もある、この分では月末には散ってしまうかも、4月まではモタナイネ!
“新型コロナウィルス”の拡散防止のため、不要不急の外出をひかえることになった。 私の散歩も、チョイトひかえることにした。、、、、今日は、浅草橋駅前の江戸通りがコースの一部となっている「東京マラソン」の日だ。 マラソンの結果にはあまり興味はないが、“巷の話題”であり、地元のレースであり、“一日中暇な人間”であり、“やじ馬根性”と“ひやかし気分”で、沿道の応援に行ってきた。
●・・・・・・・・・・・テレビで、マラソンがスタートしたのを見て、家を出た。 家の周囲は静かだが、江戸通りに出る処には、警察車両が配されて一般車両は進入禁止。