コロナ退治に素盞雄命
“新型コロナ”は感染拡大するばかり、一刻も早く終息することを願い、今日はスサノオノミコトに神頼みすべく、南千住に行ってきた。
●地獄の臭い漂う刑場跡! ・・・・・・・・まずは、東京メトロ日比谷線南千住駅南口前には、常磐線のガードを挟み、南側に延命寺、北側に回向院の二寺がある。 この二寺は、江戸時代から明治初期まであった小塚原刑場(荒川区南千住2)の跡にある。 小塚原刑場は江戸への入口に存在した、大和田刑場(八王子市大和田)、鈴ヶ森刑場(品川区南大井)とともに三大刑場といわれた。、、、、小塚原刑場の広さは60間(108m)×30間(54m)程で、現:延命寺がある辺りらしい。 ここで延べ20万人の罪人が処刑されたそうだ。 遺体はそのまま野ざらしにされ、一帯は異臭漂う地獄のような地であったらしい。
・・・・・・・・・・・・刑場跡の延命寺境内中央には刑死者の菩提を弔うため、寛保元年(1741)に造立された「首切り地蔵」がある。 27個の花崗岩を組み合わせ、全体の高さが4m程の坐像。
・・・・・・・・・・・・刑場での刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に本所回向院の住職が隣接する場所に常行堂を創建した。これが現在の南千住回向院である。 現在でも、ここで処刑された、橋本左内・吉田松陰・鼠小僧・高橋お伝・相馬大作などの墓・供養碑がある。、、、、また明和8年(1771)に、蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢・桂川甫周らが、刑死者の腑分け(解剖)い立ち会った場所でもある。 マグロの解体ショーとは違い、立ち会うには勇気がいると思うね。 私は血を見るとダメなので、病院の採血の時は目を瞑っているのだ!
●“コロナ”退治に、乞う御期待! ・・・・・・・“新型コロナ”に勝つため、南千住6丁目、日光街道沿いの素盞雄神社(すさのおじんじゃ)に参拝。 素盞雄神社は、当地に牛頭天王・飛鳥権現の二柱の神が降臨した奇岩を祀り、延暦14年(795)創建した。 創建以来、二柱を別々の社殿に奉斎していたが、享保3年(1718)焼失し、同12年に瑞光殿を建築して合祀した。 古くから疫病除けで知られ、安政5年(1858年)江戸にコレラが流行した際は疫除守を求めて参詣者が群れ集まった。明治初期の廃仏毀釈により祭神名を、牛頭天王改め素盞雄大神(すさのおおおかみ) ・飛鳥権現改め飛鳥大神(あすかおおかみ) とした。 同時に、社名も素盞雄神社へ改称した。、、、、素盞雄大神は「素盞嗚尊(日本書紀)」とか「建速須佐之男命(古事記)」と表記され。 いずれも、スサノオノミコトである。 スサノオノミコトは、妻となる櫛稲田姫(くしいなだひめ)が八岐大蛇(やまたのおろち)の餌食となるところを救っただけでなく、熱病に罹ってしまったとき、脇の下に風通りを良くするため身八つ口(みやつくち)を開けたことで熱を冷ました。 クシイナダヒメはスサノオノミコトによって治癒したということで、スサノオノミコトには「疫病退散」の御神徳が身についていたそうだ。、、、、“新型コロナ”も退散するパワーに期待して、賽銭は200円にした。
・・・・・・・・・・・・素盞雄神社では、チョウド「桃まつり」が行われていた。 拝殿・神楽殿・社務所・境内などに、もの凄い数の“ひな人形”が飾られている。 全体を遠目で見ていると壮観だが、至近距離で一体毎に見ていると“チョイト気持ち悪い翁”、“顔に刀傷のあるヤクザな囃子”、“現代風美人の色っぽい官女”、“毛が抜けツルッパゲ頭の囃子”、“自分に似た色男の内裏”、“チョイ悪な童”など、いろいろな人形が居ます。
・・・・・・・・・・・・素盞雄神社の鳥居に、“不”の字に似た記号(写真赤〇)がついている。 これは、几号水準点(きごうすいじゅんてん)という。 “几”の字は“き”と読み、机の意味がある。 几号水準点とは、明治時代初期に水準測量(高低を測る)の基準点として設定された。 3本足の机のような、“不”の字に似た記号の横棒が標高を示す位置となる。 当時の内務省では、明治9年(1876)、東京・塩釜間の水準測量から、この記号を用いた。 測量が参謀本部に引き継がれると、几号水準点は使用されなくなったが、都内には、約30か所程(上野東照宮、江戸城本丸跡など)に現存している。 ここ素盞雄神社 の鳥居に刻まれたのもその一つである。、、、、几号水準点を探し訪ね歩くのも、私の楽しみの一つ。
●歯痛に清兵衛! ・・・・・・“新型コロナ”感染拡大防止を願い素盞雄神社に来たついで、医療がらみで“歯痛の神様”に寄って帰ることにした。 南千住駅からほぼ真北の方角(南千住7)、隅田川の近くに「山王清兵衛(日枝神社)」がある。 境内の説明板には次のように書かれている、、、、『日枝神社は、江戸時代山王社とよばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和5年(1316)に建てられたと伝える。この社の入口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。』、、、、現在は痛いとスグに歯医者へ行くので、祈願する人も少ないであろう。
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