盗賊のボスに期待!
新型コロナに負けるわけにはいかず、“溺れる者は藁をも掴む”で、ここ数日、感染症・病気に強そうな寺社巡りを行っている。 訪れた寺社は多くても頼りになりそうな神様・仏様は少なく、確実に効果が期待できる神仏は今だ見つからない。 でも“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”で、いずれどこぞの神様・仏様がコロナを撲滅してくれるだろうと思う。、、、、今日は、“灯台下暗し”で、我が家の近くに、強力で物騒な神様が居ることに気がついた!
台東区浅草橋の我が家から、約140m、徒歩2分、同じ町の小さな神社に物騒な神様がいた!、、、、近すぎて散歩にならない!
●神様は強盗のボス! ・・・・・・台東区浅草橋3丁目の裏通りにある「甚内神社」は、以前にも雅万歩で紹介したが、武田家の家臣高坂弾正の子で、江戸時代初期に盗賊のボスとなった人物:高坂甚内を祀っている。 高坂甚内(こうさか じんない、“こうさか”は向坂・勾坂などと書くこともある)は甲斐国:武田家の家臣:高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて、10年間弟子として剣を学び奥義を極めた。 その後、開府早々の江戸市中において治安回復の責任者として、家康から命じられ任につく。 しかし、北条氏が滅亡すると、甚内は取り締まる役から、反対の取り締まられる強盗となる。 対立する強盗の風魔小太郎の隠れ家を密告したり、江戸市中に散らばる強盗を寄せ集め、巨大な強盗集団を作り上げた。 幕府は甚内に追討の手を向けた。 それからの甚内は逃亡を続け、10年後の慶長18年(1613)に瘧(おこり、=マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕縛され、市中引き回しの上浅草鳥越の刑場で磔にされた。 死に際に「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」ということを言い残したという。 以後、甚内神社では瘧に御利益のある神として祀っている。、、、、瘧は熱帯・亜熱帯で広く分布し、高熱や頭痛を伴う感染症で、“新型コロナ”と似ているね! 「新型コロナさえなければ不安がることはなかったのに、新型コロナに苦しむ者は甚内神社に詣でれば癒してやろう」と実体験した甚内さんのお告げ! 「アビガン」、「ナファモスタット」より効くかも?、、、、8月12日が甚内の命日である。



・・・・・・・・・・・・かつて甚内神社の北側を流れていた鳥越川に架かる橋の一つに「甚内橋」があった。 鳥越川は、今は暗渠となり橋もなくなったが、その名は小さな「甚内橋遺跡」(浅草橋3-13)の碑に残されている。

・・・・・・・・・・・・鳥越川は、鳥越神社(台東区鳥越2)に近い台東区浅草橋3丁目を流れ、蔵前で隅田川に流れ込んでいた。 また、鳥越刑場については、“ココだ”と場所を特定する情報もなく、名から察するに鳥越神社の周辺にあったのか?


●村娘を救った天王! ・・・・・念のため調べてみたら、これまた、私の住む浅草橋2丁目にある「須賀神社」は疫病から村娘を救った話があり、病気平癒に効くと云うことが判った。 神社の創建は推古天皇の御代(西暦600年)、祭神は素盞鳴尊。、、、、須賀神社は江戸時代には牛頭天王社、蔵前天皇社、祇園社、笹団子天王社などと呼ばれていた。 御縁起書によると、昔この辺りの農家の娘が12歳になった夏、大変暑く、疫病が大流行して、その娘も病にかかってしまった。 両親は何とかして病を治そうと、この天王様に願をかけ、21日を経て、病が全快した。 両親は大変喜び、早速笹に娘の年の数と、1年の月の数を合わせた数だけ、団子を刺して御礼のしるしにと6月8日例大祭の日に天王様の神前に供えた。 それ以来、心願成就とくに病気平癒の参拝が大変多くなった。、、、、この神社も、新型コロナに効きそうだ! 浅草橋に新型コロナに強い神社が二社あった、頼もしいかぎり!

