医薬の神:五條神社
日本全土が“新型コロナ”の猛威に曝され、“不要不急の外出は控えるように”、お上のお達し。 私も、じ~っと家に籠もっていたが、そろそろストレスが溜まってきた。 私の心の中で、“至急必要な散歩に行くべし”と、お神のお告げ。 『よし、チョックラ行くか!』、感染症・伝染病に効きそうな神社に、日本国民を代表して参ることにした。、、、、我が家からも歩いて行ける上野公園の五條天神社に行ってきた。
●いよいよ花見の季節! ・・・・・・・まずは上野の山へ向かう。 上野公園はボンボリも吊るされ、お花見の準備はOK! でも、今年は“場所取りは禁止!”で、おとなしい花見になりそうだ。 既に開花した木もある、この分では月末には散ってしまうかも、4月まではモタナイネ!

●上野の清水寺? ・・・・・・・通り道なので、清水観音堂(きよみずかんのんどう)に寄って行く。 清水観音堂は、京都東山の清水寺を模した舞台造りの堂で、寛永8年(1631)に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって創建された。 天海大僧正は寛永2年(1625)に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に江戸城の鬼門の守りとして東叡山寛永寺を開いた。、、、、清水観音堂の御本尊は、京都清水寺より恵心僧都作の千手観音像を迎え秘仏として祀られている。、、、、これまでは連日、舞台には大勢の中国・韓国の観光客がウロウロ・ガヤガヤしていた。 今日は静かだ! 欧米系の観光客がのんびりと訪れている。 私も、静かに手を合わせた。



●新型コロナに効くか? ・・・・・・・清水観音堂の北側、こちらも上野の山に建てられている五條天神社・花園稲荷神社。 二社が並んでいる。
・・・・・・・・・・・・五條天神社(ごじょうてんじんじゃ) は、景行天皇の御代(110)日本武尊が東征のおりに大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀ったものとされ、天神山(現摺鉢山)や神職の瀬川屋敷(現アメ横入口)など、幾度か社地を転々とした。 関東大震災後の、昭和3年(1928)に創祀の地に最も近い現在地に遷座された。 平成22年(2010)に鎮座1900年を迎えたそうだ。 本当なら相当古い神社である。、、、、祭神の「大己貴命」(おおなむじのみこと)と「少彦名命」 (すくなひこなのみこと)は「医薬の神」 とか「薬祖神」と言われている。 この二神はペアを組んで全国を巡って病気直しなどを行った。 天然痘の神を祀った「疱瘡神社」の祭神として祀られていることもある。 元祖“富山の薬売り”かもね?、、、、五條天神社は、医薬の大学を目指す受験生にも人気があるらしい。 神社では、二神の他に、相殿として“天神様”(菅原道真公)を、江戸時代、寛永18年(1641)に合祀している。 ここに参れば、“全てOK”、神社も抜け目がないね!、、、、私は、日本国民の代表として、『新型コロナの蔓延阻止』を願い手を合わせてきた。 賽銭は奮発し120円也。


・・・・・・・・・・・・五條天神社の隣り、一段高いところに花園稲荷神社(忍岡稲荷神社、穴稲荷)がある。 祭神は倉稲魂命。 花園稲荷神社の創建年代は不詳。 本覚院の僧晃海が霊夢に感じ廃絶していた社を承応3年(1654)に再建し、上野の山の守護神としたらしい。 五條天神社が移転してくる以前からこの地にあった神社である。、、、、こちらの神社は“新型コロナ”には効きそうにない普通の“お稲荷さん”。





●人出は少ない! ・・・・・・・神社の次は、上野公園をチョイト散策。
・・・・・・・・・・・・・・博物館・美術館・動物園、皆休館。 人出は少なく、ここでも少数の欧米観光客が目立つ!




●開かずの門! ・・・・・・・現在の上野動物園正門の右奥(北側、東京都美術館の裏側)に動物園の旧正門がある。 上野動物園は明治15年(1882)に開園した日本最古の動物園。 現在残る旧正門は、明治44年(1911)に新家孝正工学博士の設計で建てられた。 正面の4本の柱のデザインは、トスカーナ様式であり鉄扉のデザインも他の柵と比較すると古典的で、重厚な構えである。 門の両脇に儀仗兵がいるとナイス!、、、、昭和6年(1931)まで、門は北向きに設置されていたが、昭和8年(1933)に京成電車が公園の地下を通り上野まで開通するに伴い、現在の東向きに変更した。 また、その変更時に切符売り場と門番小屋が増設された。、、、、現在は、開かずの門となっている。


●御前会議で決めた駅! ・・・・・・上野動物園旧正門の北側と、国立博物館の西端に、京成電鉄「旧博物館動物園駅跡」がある。 駅は昭和8年(1933)に開業し、平成9年(1997)に営業停止した。 建設時には、上野恩賜公園内に建てるという事で、そのデザインは御前会議にかけられて決定したそうだ。 駅出入口は名前の通り、博物館側と動物園側にあった。 相対式ホーム2面2線を有し、同一位置ではなく、上下線で互い違いにホームが設置されていた。 改札口は上りホーム側に設置されていた。 地上の出入口は、皇室用地だった東京帝室博物館(現:東京国立博物館)の敷地内に建設されたものと、上野動物園旧正門へ続く出入口の2か所があった。
・・・・・・・・・・・・東京帝室博物館側の出入口は中川俊二設計で、国会議事堂中央部分のような西洋様式の外観が特徴で、有名な廃駅となっている。 昭和11年(1936)完成の国会議事堂よりも建築時期(昭和8年)は古い。 この出入口は、平成9年の営業休止時まで供用されていた。

・・・・・・・・・・・・上野動物園旧正門側の出入口は、昭和40年代に現在の動物園正門が開設されたことで駅出入口より遠くなり、人の流れが変わり、まもなく閉鎖された。 閉鎖後は東京都美術館の資材倉庫として利用されているらしい。、、、、デザインとしてはあまり特徴もなく、地下鉄の駅らしい造りだ!

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