« 善光寺坂の寺院 | トップページ | 自宅軟禁! »

2020年3月28日 (土)

外出自粛の散歩

外出自粛要請が出た東京都、私の散歩の多くは完全に「不要不急の散歩」である。 それ故ここ数日、家に籠もっていた。 『今日も我が家で寝てようか?』と思っていたら、昼に妻が『和泉公園のサクラが満開、見てきたら』と一言。 『そうだ!個人的な運動で我が家の近所を散歩するのはOKだ』と、自問自答する。 我が家から半径1km以内のご近所を一人で散歩してきた。 




●我が母校とサクラ・・・・・・・まずは、我が家から直線距離で約200m、関東大震災後に復興公園として大正15年(1940)に開園した柳北公園(台東区浅草橋5)に咲くサクラ。 満開だ!、、、、サクラの後ろの建物は、公園と同時の大正15年に竣工した我が母校:元柳北小学校の校舎。 小学校は平成13年(2001)に、少子化により廃校となり、現在は区で使用している。、、、、サクラは、来週には散ってしまうかも?

202003281228380000

202003281231290000



●いつも行列! ・・・・・・・・柳北公園を抜けて、千代田区神田和泉町に行列のできる店がある。(我が家から直線で約400m)、、、、こちらは平日でも11時ごろから行列ができ、地元の私でも並ばないと入店が難しいラーメン屋さん「饗 くろ㐂」。 “知る人ぞ知る”有名店とのこと! 美味しいラーメンを求め、今日も並ぶお客さん。

202003281235300000

202003281238070000



●感染拡大を止めて! ・・・・・・・神田和泉町2に、赤いのぼり旗と赤い鳥居が眩しい「日通金網稲荷神社」がある。(我が家から約450m)、、、、ここは日本通運の発祥地である。 現在、日本通運は神社の脇で新本社ビルを建設中。 日本通運の先祖は、江戸時代、この地で飛脚問屋を営業していた「京屋弥兵衛」と言う人で、大事な金銭や信書の輸送にあたり事故の起きないよう、正一位稲荷大明神を祀ったそうだ。 京屋は、その後、陸運元会社、内國通運、國際通運、とその名を変え、現在の日本通運となった。 時代が変わっても創業の志を大切に守っていく企業の姿勢が理解できる。、、、、“お稲荷さん”には、筋違いかもしれないが、“新型コロナ”の感染拡大をくい止めて欲しい、よろしく!

202003281239250000



●我が命の病院とサクラ! ・・・・・・・・・金網稲荷神社の隣りに千代田区立「和泉公園」(我が家から約490m)がある。 妻が言ったように、サクラは満開に近い状態であった。 大きなサクラが数本、さすがに今日は宴会する人はいない!、、、、写真、後ろの大きな建物は「三井記念病院」 6年前、私の大動脈を人工血管に置き換えてくれたアリガタイ病院。

202003281240280000

202003281242420000

202003281245220000



●橋の端を歩いて! ・・・・・・・・JR浅草橋駅の南側、JR総武線と並行して流れる神田川に架かる4橋を順に渡り、隅田川へ向かう。

・・・・・・・・・・・・まずは、我が家から直線で約500m、今日渡る神田川4橋の中では最上流に架かる橋。 その名は「美倉橋」、、、、美倉橋は現在の千代田区神田佐久間町と同区東神田を結び、江戸時代に架けられた橋。 近くに三つの倉があったことから「三倉橋」、転じて「美倉橋」と呼ばれるようになった。、、、、現在の橋は昭和4年(1929)の架設、長さ35.35m、幅23.31mの鋼橋。、、、、今日の神田川は、上流で咲くサクラの花びらを運んで流れ下る。

202003281254350000

202003281252460000

・・・・・・・・・・・・次は、約360mの距離にある「左衛門橋」、、、、左衛門橋の、北詰は千代田区東神田3丁目と台東区浅草橋1丁目、南詰は千代田区東神田2丁目と中央区日本橋馬喰町2丁目で、三区を結ぶ橋である。 この橋の創架は、明治8年、東京府の認可を受けた賃取橋(有料橋)として、民間人により架けられた。 この時の許可条件は、有料期間7ヵ年、満期後東京府に上納となっていた。、、、、橋名は、北詰の台東区側にかつて鶴岡藩の酒井左衛門尉の下屋敷があったことから、この付近一帯を左衛門河岸と呼んだことに由来する。、、、、現在の橋は、震災復興事業による復興橋梁で、橋長35.5m、幅員15.0mの鋼製橋で、昭和5年(1930)に架設。、、、、橋の際には、三区がそれぞれ独自に造った公衆便所・小公園などがある。 

202003281301130000

202003281302460000

・・・・・・・・・・・・次は、約400mの処にある「浅草橋」、、、、北詰の台東区浅草橋・柳橋と南詰の中央区馬喰町・東日本橋を結ぶ橋。 江戸時代には、見附の一つで浅草橋御門があった。、、、、現在の橋は、関東大震災後の復興事業として、昭和5年(1930) に架設された鋼製の橋。

202003281313330000

202003281313120000

・・・・・・・・・・・・最後の橋は、神田川最下流に架かる「柳橋」(我が家から約540m)、、、、この橋も復興橋のひとつで、北詰は台東区柳橋、南詰は中央区東日本橋。 昭和4年(1929)完成。 永代橋をモデルにしたと言われる、橋長37.9mの小型のアーチ橋で、全体的に緑色に塗られている。 幕末、明治以降、柳橋は花柳界として名高かったが、私の若い頃である昭和40年代には、バブルの終焉と共に廃れた。

202003281319560000

202003281321200000

・・・・・・・・・・・・浅草橋から柳橋にかけて、神田川には屋形船が並んでいる。 “新型コロナ”でダメージをくらい、チョイト、出番はないようだ! しばらくの辛抱か?

202003281322120000

・・・・・・・・・・・・柳橋の南詰(中央区側)に、昭和初期の建築と思われる「増田ビルがある。 窓の上下に丸み帯びた横線がある、優しい感じのビルで、元は医院だったそうだ。

202003281320200000

202003281323170000



●コロナは居ない! ・・・・・・・・・我が家から約520m、隅田川をチョイト覗いてみた! 川縁には人影がチラホラ、ココなら“新型コロナ”の心配はいらないだろう! でも、チョイト曇って来たな!、、、、横に架かる総武線隅田川橋梁は昭和7年(1932)竣工。

202003281332130000

202003281335030000



●また、自宅隔離をするか! ・・・・・・・・江戸通りに面したJR浅草橋駅東口前(我が家までは約250m)から帰宅。 外出自粛要請が効いたか、人通りは少ない。 特筆すべきは、『外人が消えた!』

202003281343260000

202003281345240000

« 善光寺坂の寺院 | トップページ | 自宅軟禁! »

散歩」カテゴリの記事

台東区」カテゴリの記事

中央区」カテゴリの記事

千代田区」カテゴリの記事