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2020年5月15日 (金)

川柳の発祥地

東京都の新たな感染者数は、3月下旬以来一ヵ月半ぶりに一桁の“9人”となった。 『いよいよ緊急事態宣言の解除が近づいてきた』と思い、気も緩むが、ここが我慢のしどころ。、、、、どちらさまも、『男は我慢 女も我慢 床に入って 夫婦円満』

夕飯前に、体力維持の散歩で、我が家(台東区浅草橋)から北の方向、台東区三筋・蔵前の町をブラついてきた。




●商売繁盛を期待して! ・・・・・・・我が家から鳥越神社に立ち寄り、鳥越神社からほぼ真北に250m程歩くと、裏通りの角に小さな祠の梅森稲荷神社(台東区三筋1)がある。、、、、由緒不明、おそらく、江戸時代、この辺りの商家に祀られていた屋敷社が前身と思われる。

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●B29で被災! ・・・・・・・梅森神社の斜向かい角に「焼け残った電柱」が立っている。、、、、説明板には、『第二次大戦下の1945(昭和20)年3月10日米軍機B29による東京大空襲で、10万以上の貴重な人命が失われ、三筋町も一面に火の海と成りました。辛うじて焼け残ったこの電柱には当時の惨状が刻み込まれています。私達はこの悲惨な歴史の生き証人としての電柱を保存することにより、あのような悲劇をひき起した戦争を二度とくり返さないことを神に誓い、恒久の世界平和を宣言するものであります。   Mar.10.1988 焼け残った電柱を保存する会』と記されていた。、、、、東京大空襲の爪跡、慰霊碑などは、台東区・墨田区・江東区の下町の各所に残されている。 新型コロナも怖いが、戦争による被害も怖い!

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●茂吉の第二の故郷! ・・・・・・・三筋2丁目(大江戸線蔵前駅と新御徒町駅の中間)の「区立みすじ保育園」の園庭にある歌人:斎藤茂吉の歌碑。 斎藤茂吉は15歳で山形から上京してこの付近で寄宿生活送ったという。 その思い出を詠んだ歌、『 浅草の三筋町なる おもひでもうたかたの如くや 過ぎ行くかげの如くや  茂吉 』が刻んである。、、、、斎藤茂吉は、明治・大正・昭和に亘り、日本近代文学史上に偉大なる足跡を残したアララギ派の歌人で、医学者でもあった。 山形県に生れ、明治29年(1896)、15歳の時に上京、浅草区東三筋町54番地、養父斉藤紀一方に寄寓し、開成中学・一高・東京大学医学部を経て、長崎医学専門学校教授となり、更に文部省在外研究員として欧州に研鑚し、その後、青山脳病院長となり、作歌の傍ら、研究・評論・随筆など独自の業績をあげ、その著「柿本人麿」にて学士院賞を、次いで昭和26年文化勲章を授与され、昭和28年(1953)に70余年の生涯を終えた。 この三筋町は、茂吉が、第二の故郷として、夢多き少年時代を過し、生涯懐しんだところで、短歌は、長崎在住のときに当時を回想し、詠んだものである。、、、、我が家の近くに、こんな偉い人が住んでいたなんて、ビックリ・シャックリ・ポッコリ・誇り!

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●川柳で町おこし? ・・・・・・・・「三筋2丁目交差点」の角(蔵前4)に、茶色い石の箱のように見える「川柳発祥の地」の碑が建っている。 碑は平成19年(2007)に除幕式が行われた。 川柳は五七五の十七文字の定型で成り立つ短詩で、江戸時代、柄井川柳が選んだ句から呉陵軒可有という人物が『誹風柳多留』にまとめて刊行したことにより盛んになった。このことから「川柳」という名前で呼ばれるようになった。この時代は前句付が非常に盛んで、川柳はその選者として活躍し、その選句の数は33年間に260万句という驚異的な数にのぼるという。柄井川柳の墓は、碑の近くの龍宝寺にある。、、、、「川柳」といえば、今は「サラリーマン川柳」を思い出す。 世相を反映した句は、チョッピリ、ユーモラスで、チョッピリ痛快であり、よく考えると悲しいいものもある。 毎年、発表が楽しみだ!

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・・・・・・・・・・・・碑の建つ表通りから一本裏の通りに入ると、その道は「川柳横丁」と命名され、道の中程に天台宗寺院の龍宝寺がある。、、、、龍宝寺は、金剛山薬王院と号し、比叡山正覚院豪海大僧正が慶長4年(1599)神田駿河台観音坂に創建し、その後寛永12年(1635)に現在地へ移転した。 寺には初代柄井川柳の墓があり、寺は通称「川柳寺」とも呼ばれている。、、、、今日はコロナの影響か、門は閉まり入れない!  『コロナ禍で あとで門あけ 川柳寺  雅万歩』

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●相撲の神社! ・・・・・・・・「厩橋交差点」に出る手前(蔵前3)に蔵前神社がある。、、、、元禄6年(1694)、徳川綱吉が山城国男山の石清水八幡宮を勧請した。 以来、社領200石を寄進され、江戸城鬼門除け、徳川将軍家の祈願所として崇敬を受けた。 宝暦7年(1757)以来たびたび勧進相撲が行われ、回向院・富岡八幡宮とともに相撲の三大拠点の一つであった。 社号標や玉垣は大日本相撲協会からの寄進と思われる、千代の山、鏡里、東富士、吉葉山など、懐かしい力士の四股名が読める。 念のため、白鵬、鶴竜、貴景勝の名は無い。 

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●年寄りは我慢できない! ・・・・・・・・・蔵前神社に参拝を済ませると、犬のように尿意に襲われ、粗相をしないよう下半身を押さえたくなる。 一刻の猶予も無い、早く始末しないと! 急ぎ、厩橋際の厠へ飛び込み、一件落着!、、、、交番の隣りに、人の顔が並ぶ斬新なデザインで造られた公衆便所は、平成4年度台東区の「まちかど賞」受賞作品。(もちろん、写真は用を足してから撮影)

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