異様な浅草寺
関西は緊急事態宣言解除と言われている、関東一都三県は見送られるようだ。 もうしばらく“我慢”を続けなければならないか。 個人的には我慢疲れしてきた。 午後、妻に『ちょっと歩いてきたら、ゴロゴロしてると、肥って糖尿病になるよ!』と言われ、雨が降りそうな空模様の下、夕刻前に浅草寺まで歩いてきた。 雷門・仲見世・浅草寺いずれもガラガラ。 外人観光客だけでなく日本人もいない異様な浅草寺まで歩いてきた。
●提灯も店員もブラブラ! ・・・・・・・人出の少ない雷門。 先月、新調された大きな提灯は、空しそうに吊るされ、ブラブラしている。、、、、隣りの「常盤堂雷おこし本舗」の店員さんも手持ち無沙汰のようだ! 常盤堂雷おこし本舗の創業は約250年前の江戸時代末期。 昭和28年(1953)に建てられた、和風の雷門本店の建物は現在でも雷門に並ぶシンボル的な存在である。





●観光客いませ~~ん ・・・・・・・仲見世は数軒の店が開いているが、大半はシャッターが下りている。 仲見世の裏は哀愁を感じる静けさ。 土産物屋は閉まっていても、青い眼の二人は楽しそう!




●人影なし! ・・・・・・・・浅草寺本堂は人影まばら。 お守り・お札を売る処は1か所だけ開いてる。 本堂は風通し良く、コロナの姿は見えない! お賽銭を投げ入れると、チャリンという音が心地よく響く。







●貴重な建物! ・・・・・・・本堂の右手に二天門(随身門)がある。 この二天門は、慶安2年(1649)頃に浅草寺の東門として建立された。 江戸時代を通じて浅草寺観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。 その浅草寺の東照宮は元和4年(1618)に建立されたが、寛永8年(1631)と寛永19年(1642)の火災によって、浅草寺の他の諸堂とともに焼失し、その後東照宮は江戸城内の紅葉山に移された。 明治初年の神仏分離令によって門に安置された随身像は、仏教を守護する四天王のうち持国天・増長天の二天像に変わり、名称も二天門と改称した。、、、、浅草寺にあっては、第二次世界大戦にも焼け残った貴重な建造物である。 二天門は重要文化財である。



・・・・・・・・・・・・二天門から出る頃、雨粒が落ちてきた。 急いで我が家へ帰る!