江戸の味:連雀町
緊急事態宣言が4月6日に発令され1ヵ月が過ぎた。 この間、自由気ままに散歩もできず、ひたすら“我慢・我慢・ガマン”の日々。 ゴールデンウィークも終わり、そろそろ我慢の限界、朝食時に私が発した独り言『散歩したいな~~』 それを聞いた妻『神田へ行って来たら』 私『神田? ・・・?』 『なんで神田へ?』 妻『お昼は稲荷ずしにしようか!』 私、ナルホド・納得、『神田淡路町の「神田志乃多寿司」へ行って「稲荷ずし」を買ってきて』と云うことだ。 これで、“不要不急”ではない“必要火急”の外出をすることにした。 70超えた爺の、宣言発令後『はじめてのおつかい』となった。 浅草橋の我が家から、神田志乃多寿司までは、徒歩30分、往復1時間程の道のりである。 さすが、50年連れ添った女房だ!
●大きなアーチの高架橋! ・・・・・・・浅草橋駅から隣の秋葉原駅までは、JR総武線両国~御茶ノ水間が開通した昭和7年(1932)に完成した、鉄筋コンクリート造の高架橋が伸びている。 関東大震災後に造られた高架橋であるが、約90年経過し、鉄筋が露出し、ひび割れも多く老朽化も目立つ。 東日本大震災後、耐震補強工事が進められ、現在も工事中。 大きなアーチが連なる高架橋のデザインはモダンなデザインだ!、、、、昭和通り上の首都高の上を行き、秋葉原駅の3階部分に線路は入る。 かなり高い高架橋である。、、、、予想される次の大地震に耐える高架橋に、補修して欲しいね!






●かつサンドの橋! ・・・・・・・昭和5年(1930)に竣工した、長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋。 関東大震災の復興橋の一つ。、、、、万世橋の歴史は古く、延宝4年(1676)に架けられた筋違橋(すじかいばし)に遡る。 この橋は、徳川将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の万世橋の上流側にあった。 明治5年(1872)には、筋違見附が取り壊され、翌明治6年に見附の石を再利用した、石造の橋が完成した。 この橋は当時の東京府知事により萬世橋(よろずよばし)と命名された。 ところが、橋名は次第に「まんせいばし」という読みが一般化した。 その後も、万世橋は数度架け替えられ、関東大震災では被災した。 昭和5年に現橋に架け替えられた。、、、、橋の南詰にある肉屋の「肉の万世」は、戦後の昭和24年(1949)9月9日が創業日。 ここの「万かつサンド」は美味い! 完全に東京名物として定着してるね!



●老舗が並ぶ町! ・・・・・・・万世橋を渡り、かつての交通博物館跡、昌平橋際の神田郵便局、東京メトロ丸ノ内線淡路町駅の3点で囲まれるかつての連雀町(れんじゃくちょう)一帯は今も残る老舗グルメの町である。 どこの店も江戸の味を美味しく頂ける処である。、、、、残念ながら、私はもっぱら料理を食すのみで、“味”を文章で表現する能力が無いので、食べ物の紹介はグルメ本を見て! 【注:多くの店は、只今、コロナで休業中】
‣・・・・・・・・・・・“連雀町”とは、、、、神田川に架かる筋違橋(旧万世橋の前身)は、中山道に通じており、行き交う人馬も多く、江戸時代のはじめごろより筋違御門が設けられていた。 門の内側、のちに八ツ小路と呼ばれた地に、連尺(物を背負うときに用いる荷縄、またはそれを取り付けた背負い子をつくる職人が多く住んでいたことから、「連尺町」の名前が付けられた。 連尺町はやがて連雀町の字があてられ、広く用いられるようになる。 明暦3年(1657)の大火「振袖火事」の後、連雀町は延焼防止の火除地として土地を召し上げられ、筋違橋の南方へ移転させられました。その際、連尺を商う二十五世帯は、遠く武蔵野に代地(だいち)を与えられ移住させられた。 現在の三鷹市上連雀・下連雀の地名はこの故事に由来する。
・・・・・・・・・・・・東京で唯一のあんこう料理専門店「あんこう鍋 いせ源」、、、、天保元年(1830)の創業。 秋(9月)から春(4月)まで下北半島から仕入れた「あんこう料理」を提供している。 夏場はウナギ、ドジョウなど川魚料理で、一年中江戸の味を味わえる。、、、、建物は昭和5年(1930)築で、東京都選定歴史的建造物。


・・・・・・・・・・・・次は甘味の「竹邑(たけむら)」、、、、いせ源の向かいにたつ、都が初めて和風建築を「歴史的建造物」に選定した昭和5年創業の甘味処。 戦火にも耐えた風情ある二階建て木造建築の中で、昔ながらの伝統の甘味に舌鼓、大正ロマンの香りが残る昭和初期にタイムスリップ!、、、、人気メニユーは「あんみつ」や「揚げまんじゅう」。


・・・・・・・・・・・・次は、鳥すき焼きの老舗「ぼたん」、、、明治30年(1897)頃の創業。 由緒ある建物は昭和初期の建築。



・・・・・・・・・・・・明治の味を今に伝える蕎麦屋「神田まつや」、、、、明治17年(1884)創業。 江戸の蕎麦が味わえる蕎麦屋の中の蕎麦屋。


・・・・・・・・・・・・江戸三大蕎麦の一つ、「神田藪蕎麦」、、、、明治13年(1880)創業の老舗蕎麦屋。 数年前までの建物は、大正12年(1923)建築の木造2階建て数寄屋造りであった。 しかし、平成25年(2013)失火で焼失し、現在は鉄筋コンクリート造の和風建築。、、、、蕎麦の老舗としては、藪に、砂場・更科とあわせて3系列が「江戸三大蕎麦」と称されているが、元祖は不明?


・・・・・・・・・・・・洋食の老舗「松栄亭(しょうえいてい)」、、、、こちらは明治40年(1907)創業の老舗洋食屋さん。 ポークソテーが美味しいそうだ。

・・・・・・・・・・・・次は喫茶店の老舗「ショパン」、、、、創業昭和8年(1933)で、なかなかの古いお店。

・・・・・・・・・・・・紹介の最後は、稲荷寿司とのり巻きの老舗「神田志乃多寿司」、、、、創業は明治35年(1902)。 油揚げのまろやかな甘味とコクのある稲荷寿司が私は大好きだ! じっくりと煮込まれたかんぴょうを使ったのり巻も、コレマタ絶品! 『一度食べたら忘れられない味。 嘘だと思ったら、自分で買って食べてみて!!』(ちなみに私は御幼少の頃から食し70年)


・・・・・・・・・・・・我が夫婦と97歳の母、三人分の稲荷寿司とのり巻きを買って、来た道を我が家まで戻る。 この時の気分は、TV番組『はじめてのおつかい』で、幼児が買い物をすませ無事家にたどり着いた時と同じ気持ちのようだ。 ヤッタ~~!
・・・・・・・・・・・・コロナよ、早く終息して欲しいね。 そろそろ、本格的に散歩したくなったが、もうしばらくの我慢かな?
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