大井の大仏
“大仏”とは、その言葉どうり大きな仏様のことである。 もう少し判りやすい基準を探すと、釈迦の背丈が1丈6尺(約4.85m)あったということから、その高さで造られた仏像を丈六仏(じょうろくぶつ)と称し、丈六仏より大きい仏像を「大仏」というそうだ。 さらに、背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分ほどの大きさ(約2.5m)になる。 でも、世の中には仏様を売り込み、参拝客を増やしたい坊さんもおり、丈六仏より小さくとも「大仏」と称する仏像もある。、、、、私が知る有名処の大仏は、奈良大仏(東大寺、14.7m)、鎌倉大仏(高徳院、11.39m)、東京大仏(乗蓮寺、8.2m)、鎌ケ谷大仏(1.8m)、越前大仏(清大寺、17.0m)、牛久大仏(牛久浄苑、100.0m)、飛鳥大仏(飛鳥寺、2.75m)など。 「〇〇大仏」と称する仏様は、全国で100箇所以上ある。
今日は、「大井の大仏(おおぼとけ)」と言われている如来寺の「五智如来」を拝観してきた。 都営浅草線馬込駅から、如来寺・山王草堂記念館・尾崎士郎記念館を巡り、JR大森駅まで、9千歩の散歩です。
●コロナは忘れた! ・・・・・・・環七通りと第二京浜が交差する松原橋交差点は、日本初の立体式交差点である。 その交差点、第二京浜の直下、環七通りに面して馬込駅の出入口がある。、、、、馬込駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。、、、、“コロナ禍”は終わり、忘れたように、通勤客が駅に吸い込まれていく。



●五体の如来! ・・・・・・・馬込駅から東へ歩き、大田区と品川区の区境(品川区西大井5)に、天台宗の寺院、帰命山養玉院如来寺がある。 寺は、かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が大正12年(1923)に合併して成立した。、、、、如来寺は寛永年間(1624~1644)に木喰但唱が、芝高輪に創立した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が 安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、明治41年(1908)年に現在地に移転した。 養玉院は寛永12年(1635)に創立された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、 寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。 元禄11年(1698)に下谷坂本に移って養玉院と改めた。 大正12年(1923)如来寺と合併して、現在の場所に移った。、、、、昭和63年(1988)建立の山門は、通常閉ざされていて、脇に参詣路がある。 参詣路は緑が多く、一息つける。 本堂は、大正12年に下谷から移築した。




・・・・・・・・・・・・本堂の右に赤い如来堂の「瑞應殿(ずいおうでん)」がある。 ここに「大井の大仏(おおぼとけ)」である五智如来を祀っている。 堂の正面には、丈六の五体の如来像が、横一列に安置されている。 五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名で、向って左から北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝生如来、そして右端に東方世界の薬師如来が並んでる。 厳かな尊容のうちに限りない慈悲の念を籠め、五体が並んでのお出迎えである、アリガタヤ! 五智とは五種の仏智ということで、深遠な密教教理に基づくもので、江戸時代には、広大無辺の仏智にすがり、さまざまの苦難から逃れようとする願望が、深い民間信仰となって世に広まった。 大日如来には万物を慈しむ太陽の功徳、薬師如来には医薬の功徳、宝生如来には福徳財宝・五穀豊穣の功徳、そして阿弥陀如来には往生極楽の功徳というように現世利益を願う信仰が強くなった。 “コロナ”の現世でも、願うことは同じようだ! 堂内に足を踏み入れると、荘厳な雰囲気に圧倒される。






・・・・・・・・・・・・瑞應殿裏の墓地には、対馬厳原の藩主宗対馬守の墓所、高取藩藩主植村家の墓所もある。


●広い公園、全部が居宅跡! ・・・・・・・如来寺から、東海道新幹線・横須賀線の高架下を抜け再び大田区に入る。 この辺は坂が多くアップ・ダウンが多い! 大田区山王1丁目の住宅地に「蘇峰公園」がある。 ここは、大正13年(1924)から昭和18年(1943)まで徳冨蘇峰が住んだ居宅跡である。 公園となった広い起伏ある敷地の片隅に、鉄筋コンクリート造の山王草堂記念館があり、蘇峰の旧宅「山王草堂」の2階部分と玄関部分が復元保存されている。 山王草堂の設計は黒田記念館などの作品が残る岡田信一郎らしい。、、、、館内には、近世日本国民史の原稿、弟の徳富蘆花の原稿、坪内逍遥や与謝野晶子などからの書簡蘇峰愛用の文房具や印鑑の類、勝海舟との親交の資料などが展示されている。、、、、7年ぶりに記念館に訪れてみたが、展示内容に変化なし! 何回訪れても、知らないことを知る、チャンス!







●人生劇場の記念館! ・・・・・・・蘇峰公園から70m程歩くと「尾崎士郎記念館」もある。 こちらも7年ぶりの訪問だが、人影はない。、、、、作家:尾崎士郎が昭和29年(1954)山王に転居し、同39年(1964)2月19日に永眠するまで生活をした場所である。 建物は、昭和29年(1954)に建てられた居宅のうち書庫、客間、書斎を再現し、庭も整備して平成20年(2008)に記念館としてオープンした。 愛用した机や遺品などが展示されている。(建物内部に立ち入ることはできない)、、、、こちらは、平屋の住宅で“記念館”と知らされてなければ、通り過ぎてしまうと思うね!





●チョイト汚れてきた! ・・・・・・・・多くの店舗が入居しているビルの地下からホームに出られる大森駅北口。 改札を入ると、大宮寄りのホーム端部に出られる。 昭和34年(1959)の北口開設から60年余り経過し、改札周辺・駅ビルなどそろそろリニューアルする時期だ!


