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2020年6月 9日 (火)

菖蒲とどら焼き

そろそろ東京は梅雨入りの時期となった。 今朝の天気予報では晴天は今日まで、明日からは雨雲が空にかかるそうだ。 コロナ対応の気も緩み、今日は“不要不急の外出”を決行した。、、、、例年、今頃の時期になると、堀切菖蒲園と水元公園では「葛飾 菖蒲まつり」が開催される。 しかし今年は、コロナの影響でまつりは中止となった。 それでも、時期が来ればどの花も咲き、菖蒲もしかり! 菖蒲園・公園では、派手な“まつり”は自粛したが、訪れた人は入園できる、ただし菖蒲に接近し三密状態が生じないように立ち入り制限などで規制している。 今日は平日で訪れる人の少ないことを期待し、妻と、水元公園へ行ってきた。 広い公園の一部、菖蒲田の周辺だけ歩き、9千歩の散歩です。




●100種の菖蒲! ・・・・・・・JR、京成の金町駅からバスで10分程、「水元公園」に到着。 水元公園のあるこの地域はもともとは古利根川の河川敷であった。 徳川家光の江戸川改修事業により古利根川は廃止されたため、小合村(1889年水元村に合併、1932年に葛飾区に合併)が江戸幕府の許可を得て埋め立てて耕作地として、水を蓄えて小合溜と称して管理してきた。 昭和15年(1940)、紀元2600年事業のひとつとして水元緑地が計画された。 昭和17年(1942)までに168haが買収されたが、太平洋戦争により整備が中断。戦後は自作農創設特別措置法によって150haを耕作者に開放した。 その後、都は住民から土地を買い上げ、昭和40年(1965)に都立水元公園が開園した。 敷地面積:963,013.00㎡、樹木数:高木 約19,100本、主な施設は大芝生広場、水生植物園、花菖蒲園、野外ステージ、キャンプ広場、バーベキュー広場、冒険広場などを有する、都内最大の水郷公園。、、、、園内の花菖蒲園には、大小14の菖蒲田があり、100種、14,000株の菖蒲が植えられている。 菖蒲田の周囲にはアジサイも咲き、こちらも御見事!

・・・・・・・・・・・・広大な水郷公園、、、、のんびり釣りを楽しむ人が多いが、“密”ではないね。

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・・・・・・・・・・・・菖蒲田、、、、鑑賞に訪れる人は少ないようだ、こちらも“密”は回避。 菖蒲はビッシリ“密”に咲き、美しさを競い勝負だ!
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・・・・・・・・・・・・アジサイも、彩りを競い勝負だ!

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●どら焼きの寺! ・・・・・・・水元公園近くの一社一寺にお立ち寄り!

・・・・・・・・・・・・水元公園に隣接している香取神社(東水元2)。 かつて下小合村の鎮守で、祭神は経津主神。 境内末社は八幡・厳島・天満宮・稲荷・富士嶽の5社。 小合は古くは小鮎と記され、下総国香取神宮の処役地であった関係から当社も勧請されたのだろう。当社の神職鈴木氏の遠祖は猿俣関在住の卜部氏とともに、香取神宮貢税の所役を掌ったと伝えられる。江戸時代には神職鈴木家は京都吉田家の配下であり、文政2年(1819)には、吉田家から恒例の神式に風折烏帽子と狩衣の着用が許された。 社殿はしばしば洪水のために大破したが、文政11年には神職鈴木大和安治が社殿等を造営し、昭和3年に修築が加えられた。、、、、拝殿の正面に「香取社 海舟安房拝書」の額を掲げる。 家の中に飾りたくなる額だ!

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・・・・・・・・・・・・こちらも、水元公園に近い、天台宗の寺院、業平山東泉寺と号す「南蔵院」、、、、南蔵院は、権僧都林能法師(貞和4年1348年寂)が在原業平が居住していたといわれる地(本所小梅町付近:現業平橋周辺)に創建した。 元禄11年(1698)中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3)へ移転、しばられ地蔵で著名となる。 関東大震災で罹災し、廃寺となっていた聖徳寺の地(当地)へ移転した。

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・・・・・・・・・・・・南蔵院の「しばられ地蔵」とは?、、、、享保年間(1716~36)夏、日本橋の呉服間屋の手代が大八車に反物を山と積んで、業平橋(現:墨田区)近くの南蔵院の門前で一休みした。 目がさめると、門前に置いた反物は車ごとない。 あわてた手代はさっそく訴え出ると、取調べに当たったのが町奉行の大岡越前で、「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。縄打って引っ立てて参れ」と命じた。地蔵さんは荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて奉行所へ。物見高いは江戸っ子の常、前代未聞のお地蔵様の引き立てに、ぞろぞろついて行く。奉行所の門は開いている。やがて、ころを見て越前守は門をしめさせ、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」野次馬たちは驚いたが、なんとか工面して反物を持ってくる。それを呉服屋に見させた。その中から盗まれた反物が発見され、大盗賊団がことごとく捕まる。 『これにて、一件落着!』 、、、、以来「しばられ地蔵」と呼ばれ、盗難除け、足止め、厄除け、さては縁結びまで、あらゆる願い事を聞いてくれる地蔵尊となった。 願い事をお願いする時は縛り、願い叶えば縄解きをする風習となっている。、、、、今日は妻が100円で荒縄を買い、地蔵を縛って、私の病気(来月、白内障の手術)平癒を願ってくれた。 サンキュー!、、、、身動きできぬほどの縄で縛られ、地蔵さんも忙しそうだ! テレワーク、在宅勤務で願い事を解決できるように、地蔵さんも働き方改革をしたらいい!

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・・・・・・・・・・・・南蔵院に来たので、金町駅前の和菓子店「ゑびす」にて、しばられ地蔵にあやかった「満願どら焼き」を買って帰る。 見た目は普通のどら焼きだが、満願どら焼きの魅力は、ふわっと軽い皮で、あくまで軽く優しい食感。 そして餡は、北海道産の小豆による優しい餡。 皮と餡、絶妙なハーモニー。 自分で買って、食べてみて!

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