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2020年7月

2020年7月29日 (水)

単調な道を行く

“新型コロナ”の第2波に突入し、感染者は連日“最高記録”を出している。 私も散歩を自粛し家に籠もろうとするが、気が緩み、チョイトだけならいいだろうと今日も散歩に出てしまった。、、、、行き先の当てもなく地下鉄浅草橋駅のホームに立ち、空いている成田空港行き電車に乗る。 車内で、『今日は松原団地でも見に行こう』と決める。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えたが、車中でまたまた気が変わり草加から2駅先の新田で下車し、埼玉高速鉄道の戸塚安行駅まで歩いてきた。 1万2千歩の散歩。



● 空いてる電車はどっち? 地下鉄浅草橋駅で、品川方面行き、押上方面行き、どちらに乗るか迷っていると、島式ホームの両側に西馬込行きと成田空港行きが入って来た。 時刻は7時20分、西馬込行きは途中、日本橋・銀座・新橋を通るので、ケッコウ混んでいる。 向かいの成田空港行きは都心から離れるので、スキ・スキ・空きの空席あり。 “密”を避け、空いている成田空港行きに乗る。、、、、それにしても、まだ7時半前、今からだと、おそらく8時前後に会社に着くのでは? 皆さん出社が早いのでは? それとも、家に居られない事情でもあるのか?

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● 草加駅から北へ2つ目、普通電車しか停車しない「新田駅」。 しかし、駅の開業は早く、明治27年(1894)12月20日に埼玉県北足立郡新田村に開業した。 その後、駅は廃止となるが、大正14年(1925)11月10日に再開する。、、、、島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームの両外側には特急・急行など通過列車用の線路がある。、、、、時刻は8時、ホームには通勤・通学客が電車を待つ。 今から都心に向かえば、9時過ぎには出社できそうだ!

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・・・・・・・・・・・・駅東口は、駅前ロータリーがある“昭和チック”な郊外の小さな駅と云う感じだ。 大型の商業施設などは無く、飲み屋が並ぶ横丁が駅前にある。

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・・・・・・・・・・・・駅西口は、これまたビックリ・シャックリ・おくちパックリ。 駅前広場が無く、タクシーも止められない。 私営の駐輪場が並んでいる。 1台1ヵ月2200円の料金は、オーナーにとってはいい収入になるね! 100台の利用で月収22万円、笑いが止まらん!

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● 新田駅の北側に、市道「金明通り」がとおっている。 通りは国道4号線と交差すると、「川戸通り」と名を変えさらに西へ向かう。 今日は、天気も悪そうなので、この市道沿いに歩くことにした。 市道は草加市長栄で、県道161号との交差点する。 ここより県道に足を移して戸塚安行駅に向かう。、、、、この辺りは新興住宅街で、私を喜ばせる、変わったもの、楽しいもの、面白いものは無い。 歩き終われば、残念ながら単調な道であった。

・・・・・・・・・・・・まずは、駅から裏道を歩き金明通りに向かう。、、、、所々に田畑が残る。

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・・・・・・・・・・・・金明通りに出る。、、、、草加せんべいのイメージで、草加市のコミニティバス「パリポリくん」のバス停を通過。(残念ながらバスは見られず)

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・・・・・・・・・・・・国道4号を交差し「川戸通り」と名を変える。、、、、「新栄」バス停まで、スタコラサ! 途中、柿の実があった、『アレ、もう秋か? 夏がまだ来てないぞ!』

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・・・・・・・・・・・・県道に入ると、霧雨が肌を湿らす。 『アリャ・コリャ・困った 駅へいそごう!』 草加市と川口市の境である伝右川伝右橋で越える。 伝右川は埼玉県さいたま市見沼区を源に、草加市、八潮市を流れ、東京都足立区で毛長川とともに綾瀬川に合流する一級河川。 この川が、ここ辺りでは川口市と草加市の境界である。、、、、ドブ川ではないが、ホタルが飛ぶ川でもない。

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・・・・・・・・・・・・霧雨は続き、お肌はしっとり潤う。 まだ、すれ違う人も傘はさしていない、いそごう!

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● 着いた、戸塚安行駅! 平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道の駅。 駅名は現在の地区名の「戸塚(とづか)」と「安行」をくっ付けた。、、、、島式1面2線のホームをもつ地下駅で、地下1階が改札階、地下2階がホーム階になっている。

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2020年7月28日 (火)

寂しい浅草!

昨日、浅草雷門に寄ったが雨が激しく、そのまま帰宅した。 今日は昼の晴れ間に、チョイト夫婦で浅草寺に、手術後のお礼参りに行ってきた。、、、、賑やかな「浅草」が懐かしい!

 

● 時刻は12時、昼の浅草だ!、、、、観光客の姿が見えない“新仲見世”、、、、入場する人はチラホラ“演芸ホール”、、、、映画館がなくなり、競馬ファンもいない平日の“六区”

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● いつもと逆さま!、、、、今日は奥山をとおり本堂へ、本堂から雷門に抜ける。

・・・・・・・・・・・・コロナ対策で全ての扉を開け、風通し良くした本堂には参拝する人も少なくガラ~~ンとしている。 アジア近隣諸国の観光客が見えず静かな堂である。 欧米の美人がいないのはチョイト寂しい! 

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・・・・・・・・・・・・宝蔵門(仁王門)から仲見世を通し雷門まで見える! こんな景色はめったに見られない。

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・・・・・・・・・・・・今だ休業中の店もある仲見世。 裏側は一層寂しく見える。

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・・・・・・・・・・・・雷門の周りから人影が消えた! 只今、昼の2時。 一番観光客の多そうな時間帯なのだが?
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2020年7月27日 (月)

三島三兄弟!

昼から、チョイト用事で下谷方面に行き、その足で二社二寺に寄ってきた。 帰りは浅草に出て、大雨に遭遇。



● 台東区のコミニティバス(区内循環バス)で、浅草橋から下谷へ向かう。 大人100円は安く、運行本数も多く、便利で重宝している。、、、、これで、高齢者は半額にしてくれると、次期区長選挙で一票はかたいのだがね!

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● 根岸一丁目交差点から北東へ伸び三ノ輪交差点まで金杉通りを歩く。 この通りの東側に「下谷」、西側に「根岸」の町がある、金杉通りは“町の境”である。

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● 根岸一丁目交差点近くに、下谷七福神の大黒天を祀る、浄土宗寺院の紫雲山常倫院英信寺(下谷2)がある。 知恩院第三十二世霊巌上人を開山とし慶長年間(1596~)に現在地に草創。 当時は紫雲院と称し、草庵に近いものであったが明暦2年(1656)丹波國亀山城主松平若狭守康信公の子:英信公が23才で逝去し、遺骸を当寺墓地に葬る。 英信公の姉である松平市正公の奥方は、逝去を深く悲しみ嘆き英信公の木像を造り当寺に安置(現存)、開基とし寺号を英信寺と改める。、、、、現本堂は安永年間(1772~)に完成、その後数度の修理改修を施し、昭和48年大改修落慶した。 境内は小さく狭い。

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・・・・・・・・・・・・寺には弘法大師御真作と伝えられる三面大黒天が本堂左側の大黒堂に安置されている。 下谷七福神の一つ。 三面大黒天は、出世・開運・商売繁昌等の徳を授けてくれる御尊体で、中央の大黒天、右側に弁財天、左側に毘沙門天の三つの顔を持っ大黒さま。 一度で三倍ありがたい神様か?

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・・・・・・・・・・・・境内にある大灯籠二基は、上野寛永寺の通称お化灯籠を戦后整理の折に当寺に移置したものである。 八代将軍吉宗公(有徳院殿)が逝去の折、寛延4年(1751)奉献されたもの。 寛永寺の“お下がり”?

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● 英信寺の東側にある法華宗本門流寺院の法昌寺は、日照山と号す。 法昌寺は、日照(元禄3年(1690)寂)が開山となり慶安元年(1648)下谷御切手町付近に創建、元文2年(1737)当地へ移転したといいます。、、、、境内の一角に毘沙門堂があり、下谷七福神のひとつ毘沙門天が祀られている。

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● 法昌寺の北側(下谷2-13)に小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)がある。 小野篁(おののたかむら)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る、最高のラインナップによる学問の神社。、、、、篁(802~853)は平安時代の歌人・学者で、小野妹子の子孫、小野小町と小野道風の祖父。 仁寿2年(852)、住民が上野照崎(現:上野公園)の地に小野篁を奉斎したのが起源である。 寛永年間(1624~43)には、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現在地に遷座した。、、、、現社殿は慶應2年(1866)の建築で、関東大震災、東京大空襲を免れた、運の強い神社。


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・・・・・・・・・・・・境内にある下谷坂本の富士塚は、入谷東講によって文政11年(1828)築造されたもので、高さ約5m、直径約16m、塚全体を富士の熔岩でおおっている。 塚の上の登山道に合目石を建て、一合目の岩屋に役行者像、五合目付近に富士講の祖と崇められる藤原角行(1646年没)の像をまつる石祠を置く。、、、、拝殿わきのチョイト薄暗いジメジメした処にある、ゲートは閉められ普段は登山禁止のようだ!、、、、この富士塚は昭和54年(1979)に国の重要有形民俗文化財の指定を受けた。

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・・・・・・・・・・・・境内の庚申塚には、数基の庚申塔が建ててあり、不動明王をはじめ幾つか石仏が安置されている。 力石も三つ並んで置かれている。、、、、日本三大庚申の一つとして、現在11基の塔が祀られており、最古のものは正保2年(1647)の作であり、青面金剛の塔は大阪四天王寺と同作の霊像と云われ、聖徳太子作(チョイト嘘っぽいね)と伝えられています。

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● 根岸の建物二棟、、、、まずは、古民家を改造してアートギャラリーとして利用している「そら塾」(根岸3-13) 昭和の時代までは、このような住宅があちらこちらにあった! 下町の懐かしい雰囲気が漂う建物。

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・・・・・・・・・・・・金杉通り沿いの「矢島写真館」、、、、写真館は大正7年(1918)に開業。 洋風の建物は、昭和5年(1930)ごろ板張りの外壁をスクラッチタイル張りに改装した。 しかし、玄関や内部は大正期のままで、1階を住居、2階をスタジオとして使っていた。 タイルと赤い屋根の組み合わせが可愛らしい写真館であったが、残念なことに写真館の営業は平成25年に閉じた。

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● 金杉通りを北へ、下谷3丁目に三島神社がある。 神社は、弘安の役で勇名を馳せた河野通有の発願により、彼の出身地に鎮座する三島神社を、弘安4年(1281)に勧請、創建したと言われている。 当社と、鶯谷駅前はラブホテル街のド真ん中にある元三島神社と、台東区寿の三島神社の三社は、元が一つの神社であり、由緒も共通している。 つまりは、兄弟神社である。、、、、河野通有は氏神である大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願をして九州に出征し戦功を上げた。 伊予に帰国した後、夢に大山祇神が現れ、「武蔵国に我を祀れ」というお告げがあり、そこで、上野の山内にある河野氏の館に奉斎したことに始まる。 慶安3年(1650)寛永寺の造営に伴って社地移転を命ぜられ、金杉村に遷座した。 さらに宝永7年(1710)社地が御用地とされたため、浅草小揚町(現在の寿)に遷座した。 これが寿の本社三島神社である。 しかし、氏子地域から遠いのは困るということで、根岸・金杉村の氏子一同が協議し、根岸の熊野神社に勧請・合祀したのが、根岸の元三島神社である。 さらにその後、金杉村字金杉町にも勧請したのが当社である。 こうして三社が誕生した。

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・・・・・・・・・・・・三島神社の北門の敷石に几号水準点がある。(赤〇印)

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● 三ノ輪交差点に出た。 これより浅草方面へ歩こうとしたら、雨粒が落ち始める。 濡れたくないので、雷門行きのバスに乗る。

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・・・・・・・・・・・・・・雷門はドシャ降り。 この雨で“コロナ”が流されくれることを願いながら、浅草橋(我が家)方面行きのバスに乗り継ぐ!

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2020年7月22日 (水)

表玄関は東口?西口?

今日は、午後から循環器内科の検診日。 JR水道橋駅と飯田橋駅の中間に位置するクリニックへ行ってきた。(もちろん、診察結果は異状なし)、、、、クリニックへ行く前に、新しいホーム・駅舎となった飯田橋駅をチョイト拝見。

 

JR中央緩行線の飯田橋駅は、昭和3年(1928)に市ヶ谷寄りにあった牛込駅と甲武鉄道時代のターミナル駅:飯田町を統合して現在地に誕生した。 統合時に設置されたホームは、曲線半径300mの急カーブで造られ、電車が停車すると、ドアとホームの隙間が最大約33cm、高低差が最大20cm生まれ、毎年10件前後の転落事故が発生したそうだ。(数年前、私の母(当時90歳)も降りる時に転んだ。ケガも無く、禍を転じて福と為したか、今でも健在で、私を悩ませている!) このため、JR東日本はホームを市ヶ谷寄りに200m程移動させ、直線に近いホームとする改良工事を平成26年(2014)に発表した。 その後、工事は進み、今年の7月12日より、改良されたホームに電車が発着し、市ヶ谷寄り(神楽坂側)の西口駅舎もオープンした。

・・・・・・・・・・・工事前の急カーブ部分(2016/6/12撮影)と、フェンスで両側を仕切られ連絡通路となった同カーブ部分(今日撮影)

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・・・・・・・・・・・千葉方面行き電車の最後尾車両が停車していた位置付近(ホームの先に西口に向かう斜路が見える)に、7月からは先頭車両が停車することとなった(斜路があった位置には、西口橋上駅舎に向かう階段が見える)。
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・・・・・・・・・・・・写真は今は無くなった、西口改札からホームに向かう懐かしの斜路(2016/6/12撮影)、、、、50年前、私の勤務先の最寄り駅は、ここ飯田橋であった。 毎朝、ホームから斜路を歩き上ると勤務地に到着した感がありチョッピリ緊張した。 帰りの下りは、開放感でホッとしたもの。

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・・・・・・・・・・・新旧の西口駅舎。 以前は平屋の可愛らしい駅舎、7月からブラックのシックな2階建て駅舎。 新旧とも、駅舎は早稲田通り(牛込橋)に面する橋上駅舎。

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・・・・・・・・・・・牛込橋からホームが市ヶ谷寄りに延伸された部分を撮影。 Before/After。

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・・・・・・・・・・・・延伸されたホームの市ヶ谷寄りから眺めると、ホームは多少カーブしているが、直線に近づいた!

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・・・・・・・・・・・目白通りに面し、これまでは飯田橋駅の表玄関であった東口は、可哀そうに、表玄関の座を西口に奪われたようだ。 東口にあった「みどりの窓口」は西口に移転。 東口の券売機には「新ホームまで約3分」の貼り紙。 哀れ、東口。(ちなみに、トイレも西口の方が綺麗で広い)

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2020年7月20日 (月)

忘れてた八幡さん

● コロナの感染が拡大し、市中感染が恐くなってきた。 三密を避ける行動が大事、わかっちゃいるけど、散歩は止められない! 今日も混んだ電車は止めて、浅草橋から押上経由で東武伊勢崎線に乗ってみた。(都心から離れる方向なので、電車も空いている) 相変わらず、下車駅を決めていないので、車中で地図を見ると、草加と鳩ケ谷の中間地点付近に「峯ヶ岡八幡神社」の文字が目に入る。 『決めた! 草加で下車してここに行こう!』(もちろん、参拝したことのない神社だ)、、、、朝8時過ぎに草加駅に降り立つ。

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● 草加駅から西に向かい歩く。 表通りを避け、なるべく裏道を歩く。(脛に傷ある身でお日さまの下を歩けないからではなく、裏道の方が予期せぬ出会いがありそうだ!)、、、、、「草加市西町」の先で国道4号(日光街道)を横断する。

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● 国道を横断し、再び「西町」を西へ向かうと、真言宗智山派寺院の浄龍寺がある。 浄龍寺の創建年代は不詳だが、元禄年間頃に庵室から一寺となり、浄観寺と号したそうだ。 その後、明治41年(1908)庄左衛門新田字稗田(現:草加市栄町)にあった新龍寺と合併し、浄龍寺と改称した。、、、、大きな寺ではないが、境内は良く手入れされ、心地よく手を合わせられる。 また、墓地は古い墓石が並び、歴史を感じる。


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● 西町の隣り「草加市苗塚町」に入ると、道は蛇行し方向感覚もあやしくなる。 その苗塚町で、住宅一軒程の空き地に舟形の庚申塔のようなものが2基あった。、、、、一基は不動明王像の下に「元禄九年 〇〇〇〇〇居士」(1696年)、もう一基は菩薩像の下に「寛文十一年 〇〇〇〇〇信女」(1671年)と彫られてる。 これは墓だ! ご近所の方に聞いてみると『古くからある墓だが、身分の高い人の墓のようだ、ただし地元の寺でも誰の墓だか判らないらしい』 きっと、仲の良かった夫婦の墓だろう。、、、、私の墓もこれを参考にして、私はミッキー、妻はミニーを彫った墓にでもするか?

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● 庚申塔のような墓の次は、本物の庚申塔が苗塚町にあった。 年代などは不明。、、、、住宅が並ぶ草加市であるが、庚申塔・墓石・道標などが、まだまだ道路脇に残されているようだ。 歩いてて見つけると、思わず『あった~』と叫びたくなるね!

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● 気温29℃、熱中症とコロナを心配しながら、草加市苗塚町から隣の川口市峯の町に入る、暑い・暑い・アッチッチ! あと少しで今日の目的地「峯ヶ岡八幡神社」に着くはずだ! 

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・・・・・・・・・・・・汗がダラダラ、上り坂もダラダラ。 地元のおじさんに聞く「八幡様はどこですか?」 坂の先の森を指し「あの森の中にあるので、ぐるーと道なりに回っていけば神社に出るよ!」、、、、チョイト疲れた!

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● 道なりに八幡さまへ向かうと、神社の手前に天台宗寺院の新光寺がある。、、、、新光寺は御幣山神寶院と号す。 寺は慈覚大師(794~864)が開山となり創建したとも、承久年間(1219~1221)の創建ともいいます。どちらかは判らないので、お好きな方で! また、江戸時代には峯ヶ岡八幡神社の別当寺を務めていた。、、、、小さな本堂、緑豊かに整備された境内、鎌倉の寺のようだ!(ここは、拝観料必要なし)

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・・・・・・・・・・・・境内の一隅には、赤い鮮やかな不動堂もある

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● 新光寺の隣りに、本日の目的地「峯ヶ岡八幡神社(峯八幡)」があった。、、、、峯ヶ岡八幡神社の創建年代は不詳だが、当地谷古田領が鶴岡八幡宮の社領であった頃に遥拝所として創建されたのではないかと云われてる。 天正19年(1591)には社領30石の御朱印状を拝領、谷古田領の総鎮守社であった。 神社は川口市峯の小高い丘の上にあり、約7700㎡の境内には、樹齢約600年の県内有数の大銀杏を初めとした400余本の樹木が繁茂しており、これらは「峯ヶ岡八幡宮神社の社叢」として、市の天然記念物に指定されてる。、、、、現在の本殿は、大永7年(1527)に造営されたものを、元禄10年(1697)に再営、拝殿は昭和39年(1964)に再営されたもの。、、、、神社では、子供守護・家庭円満・安産に御神徳があるので、安産祈願、初宮詣、七五三、合格祈願、成人式、結婚式、厄払い、年祝いなど、人生の美味しい処で祈願してくれるそうだ。(一生の間に、神社に幾ら御礼するのだろうか? 私の素朴な疑問) 

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● 峯ヶ岡八幡神社で本日の散歩の目的達成! 疲れた、熱中症も心配、散歩はココまでで帰ることとする。 神社近くの宮脇バス停から川口駅行きに乗って一眠り・・・・・?  (ここまで、1万歩)

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【ナイショ話】 おはずかしいが、峯ヶ岡八幡神社には、数年前に参拝したことがあった。 このブログを書いていて気づいたのだ、“後で気がつくてんかん病み”、、、、なぜ気付かなかったか、悲しい言い訳は、当時持ってきたカメラの電池が途中で無くなり、写真が残っておらず。 私も年で、チョイト、記憶が薄れボケたようだ! 

2020年7月19日 (日)

糞尿を運んだ運河

新型コロナの感染が拡大しているなか、自分が感染しないためには、散歩の行き先も慎重に選ばなくてはならなくなった。 今日は、久しぶりに「つくばエキスプレス」乗ったが、行き先を決めてない。 空いた車中、『どこで降りようか?』と悩んだが決まらず、斜め前に座っていた女性が「八潮駅」で降りたので、私もつられて降りてみた。

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・・・・・・・・・・・・・とりあえず、電車とホームをカメラに収め、改札を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 しばらく地図とにらっめっこ。 数年前に歩いた花畑運河に行って、六町駅から帰ることにして、朝8時、八潮駅から散歩をスタート。 

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・・・・・・・・・・・・雨上がり、靄がモヤモヤ。 中川右岸の土手に出る。 八潮駅から南へ約1kmの、この土手には「古新田(こしんでん)」と云うバス停があった。 現在のこの地は、八潮市古新田といい、中川の対岸も同じ地名である。、、、、当地は、江戸初期に大瀬村字新田と唱え、寛永4年(1627)に大瀬村から村切りした当時は大瀬新田と称し、正保年中(1644~1648)に古新田となった。 一般に、“古新田”とは元禄~享保の間に検地した耕地を言うそうだ、ちなみに元禄以前に検地した耕地は“本田畑”、享保以後の検地した耕地は“新田”と云うそうだ。(チョイト、知ったかぶりして書いた!)


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・・・・・・・・・・・・古新田バス停付近から中川の対岸(左岸)を望むと、水色のゲートの大場川水門が見える。 水門の左側は埼玉県八潮市古新田、右側は東京都葛飾区西水元。 水門は埼玉県と東京都の境にあるのだ!

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・・・・・・・・・・・・中川右岸の土手を歩き、対岸に大場川水門の正面が見える位置付近に来ると、垳川(がけがわ)排水機場がある。 垳川の東端、中川との接続点に昭和54年(1979)に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。 現在の垳川は、北から八潮市を貫いて流れ下る葛西用水路の溜め池となっている。 大雨などによる増水時には水害防止の為、垳川の両端部の排水施設により、綾瀬川や中川に排水する機能を有している。 その一端が、埼玉県の管理する垳川排水機場。 5台のポンプで1秒間に40立方メートルの水を中川に排水する能力を有している。、、、、「垳川」の北側は埼玉県八潮市、南側は東京都足立区で、垳川が都県境の一部となっている。


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・・・・・・・・・・・・中川土手を、もう少し南へ歩くと花畑運河がある。 東京近郊農村地帯と都心を連絡する舟運の利便化のために昭和6年(1931)に、第一級河川「中川」と「綾瀬川」を結ぶ、全長1.4kmの運河として開削された。 終戦直後は都心の下肥(糞尿)を農業用肥料として近郊の農家へ、運河をとおり舟で運んでいた。 現在は、舟の通行はほとんど無くなり、真っ直ぐに伸びた細長い釣り堀となっている。、、、、名前は綺麗なんだが運河沿いには、花壇があるわけでもなく、サクラ並木があるわけでもない、花に縁のない運河。 また、“釣り堀”と云っても、愛好家が勝手に河岸で釣りを楽しんでいるだけ。 もうすこし住民がよろこびそうな運河の有効利用は考えられないかな?

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・・・・・・・・・・・・内匠橋綾瀬川を越え、足立区南花畑地区に入る。 この辺りはつくばエキスプレスが開通する以前は“陸の孤島”で、畑が多かった。 今は完全に新興住宅街となり、新しい住宅が建ち並んでいる。、、、、どこを歩いても、花畑は無い、大根畑も無い!、、、、【チョイト一言】 “花畑”は“はなはた”と読む、“はなばたけ”と読むと、私のように綺麗な花が咲いている土地を期待してしまう。

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・・・・・・・・・・・・南花畑の町を抜けると、つくばエキスプレス六町駅。 平成17年(2005)8月24日に開業した地下駅。、、、、六町駅から秋葉原駅までは、約16分。 速いね! 秋葉原駅から浅草橋の我が家までは、徒歩15分。 でも、つくばエキスプレスの秋葉原駅は「ヨドバシカメラ」の地下深くにあり、電車を降りてから地上に出るまでチョイト時間を要す。 さらに、“ヨドバシ”に寄ってブラブラすると、この時間が最も長くなる。

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・・・・・・・・・・・・今日の散歩は1万歩。 車中以外はマスクなしで歩くことができ、楽だった!

2020年7月16日 (木)

お礼参りⅡ

午後、中野の病院で白内障手術後2回目の診察があり、その前に新井薬師へお礼参りに行ってきた。 西武新宿線新井薬師前駅で下車し、薬師に寄って病院まで、診察後はJR中野駅へ出て帰宅。 




●四ヶ月ぶり! ・・・・・・・今年3月に手術の成功を願い夫婦で願掛けに来た。 おかげさまで、視界は明るく、視力は回復し、美人がより美人に見え、ブスはまあまあそれなりに見えるようになった。 今日はお礼参り!

・・・・・・・・・・・・地下駅化工事真っ最中の新井薬師前駅で降りる。 見た目には4ヶ月前と大きく変わっておらず、地下駅完成まではマダマダ!

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・・・・・・・・・・・・サクラの木は緑が茂り夏バージョンの参道を歩く。、、、、新井薬師もコロナ対策で、本堂は飛沫感染除けのビニールが下がっている。 さすが坊さん、しっかりしている、賽銭箱には投入できるようにビニールがかかっていない! 私は、お礼の意を込め1万円札を投入しようと、財布を見たら万札が無い。 仕方なく、残念だが、500円硬貨+財布にあった33円にした。

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・・・・・・・・・・・・本日(7月16日)の東京の感染者は286人、過去最多。 「Go To トラベル」が「Go To 天国」とならないように、コロナ撲滅のほうも宜しく、薬師に合掌。



●4つの建物 ・・・・・・・新井薬師をあとにして、中野区新井2丁目の町を抜けて病院へ向かう。 気になった建物を紹介する。

・・・・・・・・・・・・新井2丁目と3丁目の境となる裏通りにあった洋風の木造住宅(M邸)。 かなり古そうだ!(年代不詳)、、、、誰か住んでいるのか?

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・・・・・・・・・・・・M邸の前を道なりに南へ歩くと、ビルの窓に北島三郎、大江裕、原田悠里などのポスターが目にとまる。 ここは、“演歌の大御所”の事務所らしい。、、、、演歌がながれ聞こえるビルだと楽しいと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・さらに道なりに歩くと、昭和13年(1938)の建築と云われているA邸がある。、、、、丁寧に使われているらしく、綺麗な建物である。

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・・・・・・・・・・・・・・道を変えると、住宅の角に鉄道の三灯式信号機がある。 おそらく鉄道オタクの住人が、中古の信号機を買って玄関前に置いたものだろう?、、、、できることなら、点灯させて欲しいね!、、、、一般に、このての趣味は、『本人には宝物、家族にはガラクタ』 こちらのお宅では???

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●PCR検査? ・・・・・・・・東京警察病院に到着すると、正面玄関とは違う出入口付近に、テントを張って人が並んでいる?、、、、オヤ、ナンジャ・コリャ? すぐにピンときたね、これはコロナのPCR検査だ!、、、、気を引き締め直し、再び外出自粛だ! 
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2020年7月12日 (日)

お礼参り

白内障手術のその後は、医者から『順調に回復しており、特に問題なし』 裸眼の視力は0.1から1.2となり、世の中明るく鮮明に視える。 ただし、チョッピリ乱視があり像は二重となる。 あまりにも良く視えるので、『眼鏡無し』で運転免許を取得したくなるね!(返納しなきゃよかった)、、、、我が家での日常生活ではメガネが無くても生活できそうだが、外で遠くを見るとわずかに像がダブり、読書などで手元を見るとチョイト焦点が合わず、やっぱりメガネは必要だ!(只今は、仮のメガネを作り使用中。 まともなメガネは、視力が落ち着く2か月後に新調する)

今日は、柴又帝釈天へお礼参りし、金町浄水場の東側:江戸川に出て、金町駅まで、9千歩の散歩。


●まずは帝釈天へ ・・・・・・・高砂駅で金町線に乗り換えて柴又駅で下車。 着いたのは朝8時、降りる人も少ない。、、、、寅さんも、さくらに見送られ、これから出稼ぎに行くのか!

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・・・・・・・・・・・・参道の店は、まだ開いてない。 歩くのは、地元の人だけ!、、、、咳止め飴を売っている店先で、咳をしながら開店準備するおばさんが印象的だった!

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・・・・・・・・・・・・帝釈天(題経寺)の境内は静かである。、、、、本堂にあがり、財布を膨らませていた小銭を集め、大きな賽銭箱に投入すると、バラバラと軽い1円硬貨が大きな音を響かせる。 アリャ、賽銭が少ないのバレたかな? 気の弱い私は、追加で100円硬貨を投入すると、ポトンと重そうな音がした。 これで安心して、南無妙法蓮華経。

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●千年を超す古刹! ・・・・・・・・帝釈天に参拝した後、参道の北側裏に位置する、真勝院に寄ってみた。、、、、真言宗豊山派の真勝院は、石照山真光寺と号し、大同元年(806)の創建と伝えられている。 1200年程前の創建はまさに古刹である。 帝釈天は江戸初期の寛永6年(1629)の創建で、比較にならない! しかし残念なことに、堂宇は度々の火災で炎上し、現在の本堂は昭和47年(1972)に建てられたものである。、、、、寺には柴又七福神の一つ「弁財天」が居るのだが、今日はチョイトお隠れになっているようで、拝むことはできなかった。


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・・・・・・・・・・・・本堂の手前に、五智如来石像がある。、、、、薬師如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の5仏の石像だ。 状態もよく江戸時代前期の石像彫刻として区の文化財に指定されている。 傍らに万治3年(1660)柴又村齋藤次郎左衛門ほか数名の名前と建立由来を記した石碑がある。

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●土手を歩く! ・・・・・・・・江戸川土手に上がると、対岸は千葉県松戸市。、、、、広い河川敷のグランドでは野球がはじまっていた。 コロナに注意して、楽しんでね!

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・・・・・・・・・・・・土手の内側は都民に江戸川の水を供給する金町浄水場。 地図で見ると広い敷地の浄水場だが、土手からは牛乳工場のような建物が見える。(牛は見えない!)、、、、大正15年(1926)「江戸川上水町村組合」の施設として給水を開始し、昭和7年(1932)に東京市に引き継がれ、その後数回の拡張改良工事が行われてきた。 現在、ここで浄化された水は、隅田川以東の5区と北・荒川・豊島の区内全域、文京・台東・板橋の各区に供給されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・浄水場前の江戸川には、2基の可愛らしい取水塔が見える。 取水塔から金町浄水場内へ導水している。 三角形のトンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの第2取水塔は、昭和16年(1941)に完成。 隣にある丸い屋根の第3取水塔は昭和39年(1964)に完成した。

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●・・・・・・・・・・・・この後、京成金町駅から帰宅。

2020年7月 3日 (金)

チョイト、ひと休み

雅万歩は昨年暮れごろから視力が下がり、今年の正月、ダンディな高級メガネを新調した。 その時、メガネ屋さんの検眼でも、右眼の視力低下が著しいので、『今度、医者に診てもらったらいいですよ』とメガネを買ってからアドバイスしてくれた。 今年の3月、私が通っている東京警察病院の眼科で診てもらうと、『あゝ、白内障です』の一言。 すぐその場で『手術しましょう、今コロナで騒ぎ始めたから、落ち着くと思われる7月1日に手術の予約入れときます』と、手術の話はトントン拍子に進んだ。 コロナの第2波が心配される7月1日から3日(本日)まで、2泊3日のお泊コースで、若い親切な看護師さんに囲まれて、両眼の手術を受けてきた。、、、、1日目、病院へは新調したメガネをかけて行ったら、早速右眼の手術。 2日目は左眼の手術、今日3日目は術後の検査して、『ご苦労様、後は会計して、お帰り下さい』 両眼の手術も終わり、帰りは視力が回復し、世の中も明るく見え、裸眼でも電車に乗れる、テレビも見える、しかし、新調したメガネは役立たたずとなり、ガッカリ!(高かったメガネはどうしよう!)、、、、視力は回復しても、乱視は治らず、『遠くまで明るく鮮やかに見えるが、二重の像は見ずらい』、、、、視力が落ち着くまでの一か月前後、メガネを新たにつくることはできないらしい。 当分、街中を歩きづらい日陰者となってしまった。

新型コロナは再び拡大し、外出自粛も再び叫ばれているので、雅万歩の散歩もコロナ対策に合わせ、チョイト、便乗休暇とします。 

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