夏の大田黒公園
梅雨が明けて一気に夏到来。 まだ、猛暑日ではないが身体が慣れておらず、マスクをしているだけで全身から汗が噴き出ている感じだ! 今日は、家内と荻窪へ行ってきた、行ったついでに駅周辺の文化財級の建物巡り。
● JR中央線荻窪駅は、明治24年(1891)12月21日に甲武鉄道の駅として開業した。 明治39年、甲武鉄道は国有化される。 昭和7年(1932)7月、中央線・総武線の直通運転が開始され、我が家のある浅草橋からも緩行線で乗り換えなしの一本で行けるようになる。 昭和37年(1962)には、地下鉄荻窪線(現:丸ノ内線)が開業。 昭和41年(1966)には、地下鉄東西線も中野駅から荻窪まで緩行線に乗り入れ、ターミナル駅に変身していく。、、、、荻窪駅は島式ホーム2面4線を有する地上駅。 新宿側は地下部分に駅舎があり、改札口から南北にそれぞれ出入口があり、地下駅のようになっている。 また、三鷹側は橋上駅舎で、南北双方に出入口が設けられている。、、、、今日は、新宿寄りの改札から南口に出た。
● 南口を出て150m程東に歩くと、「明治天皇荻窪御小休所」(杉並区荻窪4)の碑が建つ長屋門がある。、、、、ここは、明治16年(1883)の行幸の際、明治天皇が2度にわたり休憩した場所と云われている。 今は屋敷の建物は姿を消し、江戸時代に建造された門だけが残されています。 門の中は高層のオフィスビルが建ち、チョイト違和感を感じる。、、、、以前はこの門の説明板があったのだが、今日行って見ると無くなっていた。 また、歴史的建造物なんだけど、なぜか公的な文化財には登録されていないようだ。
● 長屋門の前の道をさらに150m程歩くと、昭和レトロな旅館「西郊」(荻窪3)の前に出る。 建物は、ドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築、現:西郊ロッヂング)と、和室の本館(昭和6年築)が連結された造りになっている。 和室の本館は旅館として営業中。 新館は集合住宅として利用しているようだ。、、、、本館・新館とも国登録の有形文化財。 昭和初期の表現主義風建物であるが、内部は自腹で泊まって、見てね!
● 旅館:西郊から南へ歩くと、杉並区立「大田黒公園」(荻窪3)がある。 今日は4年ぶりに訪れたが、公園の静寂と美しさは以前と変わっていない。、、、、公園は音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた。 約2719坪の面積を有する公園で、ケヤキ・クロマツ・アカマツ・シイノキなどの巨木がうっそうと茂っている。 池には、多くの“お高そうな”錦鯉が悠々と泳いでいる。、、、、大田黒元雄氏(明治43年(1910)~昭和54年(1979)) 大正初期から、ドビッシー、ストラビンスキーを日本に紹介し、欧米音楽の普及に努めた。 戦後は、NHKラジオ番組「話の泉」のレギュラー出演者として歯切れの良い語り口で人気を博した。 私が知るのは、この番組の回答者としての大田黒氏である。 残念だが音楽の世界での大田黒氏の活躍は、よく知らなかった。
・・・・・・・・・・・・総檜造りの正門を入ると、70mの御影石敷かれ、両側には樹齢100年を経た27本のイチョウが並ぶ。
・・・・・・・・・・・・イチョウ並木の先には、茶室と和風の管理事務所がある。 ここで、茶会など行われるそうだ。
・・・・・・・・・・・・その奥には、大木が茂る芝の庭と、鯉の遊ぶ池、秋には60本以上の紅葉が色づくそうだ。、、、、今は、セミの音と、石組みの間を水が流れ落ちる音のコラボで、森の中にいるようだ!
・・・・・・・・・・・・公園のシンボル的建物は、大田黒氏の仕事部屋であったベンガラ色の記念館。 昭和8年(1933)に建築された当時としては珍しい西洋風の建物。(国の登録有形文化財) 内部には生前氏が愛用していたスタインウェイ製のピアノ、蓄音機などが残されている。
● ここまで来たら、もう一ヵ所! 俳人で、角川書店創設者の角川源義氏の邸宅(荻窪3)が、ご遺族から寄贈され、「角川庭園・幻戯山房(すぎなみ詩歌館)」として公開されている。、、、、建物の幻戯山房(すぎなみ詩歌館)は、建築家:加倉井昭夫が設計した、近代数奇屋造りの建物。 平成21年(2009)に、国の登録有形文化財に指定された。