商店街と団地
JR亀戸駅から南に歩く、商店街・団地・商店街・団地・商店街と続き、江東区北砂の亀高橋バス停まで、1万1千歩の散歩。
● 我が家のある浅草橋駅からは、両国・錦糸町・亀戸で、3つ目の駅(所要7分)である。 コロナの感染リスクを考慮し、今日は亀戸駅東口に降り立った。、、、、亀戸駅は総武鉄道の駅として、明治37年(1904)に開業。 駅は島式ホーム1面2線の高架駅。 出入口は、亀戸天神に近い北口と京葉道路側に東口の2カ所。 北口が表玄関なら、東口は勝手口という感じ。、、、、一日平均12万人程が乗り降りする駅である。 今日は日曜で通勤・通学客も少ない。 東口は、越中島貨物線の高架下に出る。 駅前は狭く、駐輪場が動線を限定する。





● 亀戸駅の南側をとおる国道14号(京葉道路)を横断し、「昭和橋通り」と書かれた商店街を歩く。 時刻は午前8時前、店のシャッターは何時開くのか? ひょっとすると、『昔、商店街 今、シャッター街』?



・・・・・・・・・・・・商店街の脇に区立亀戸平岩公園がある。 公園の一角には、小さな「平岩稲荷神社」が祀られている。、、、、神社脇の由来碑には次のように記されていた。 『この地は徳川家康の家臣であった平岩家の先祖が、三河より徳川幕府に従って江戸の居を定めてから、大正の中頃まで、約300年に亘って平岩家代々の居所であった。 幕末より明治にかけて竹問屋として名を成した6代目平岩甚助の死後、昭和16年に楠にかこまれた広大な敷地内にあった1000坪の池が埋めたてられ、その一部約340坪が公園として東京市に寄付された。 その後、昭和25年に東京都より江東区に移管され現在に至る。 現存する稲荷神社は古くから祀られていたものを元の築山の上に移したものである。 平成元年11月 改修にあたりこれを記す平岩』、、、、現在の公園は、屋敷の池の1/3と云うことだ! 屋敷の広さが何となく解るね。


・・・・・・・・・・・・昭和橋通りの南端には、埋め立てられた堅川に架かる「昭和橋」がある。 川はなくなり、頭上は首都高が走り、橋は残っても、橋としての役目は終わった。

● 昭和橋を渡ると、西側は大島3丁目の「UR 大島3丁目団地」、東側は大島6丁目の「UR 大島6丁目団地」。 でっかそうな「UR 大島6丁目団地」に寄ってみた。、、、、大島6丁目団地は中央の広場を7棟の14階建ての建物が“コ”の字型に囲む団地。 建物は昭和45年3月~昭和46年8月に完成した7棟で、約2900世帯が入居している。 チョイト古いデータによると、平成23年(2011)の団地内の実態調査では、60歳以上の世帯主が72%、20歳・30歳代の世帯主は8%。 居住者は60歳・70歳代の合計がほぼ半数の50.1%。 当団地に25年以上住んでいる人は半数の55%にもなるそうだ。 現在は、もっと高齢化が進んでいるものと思われる。、、、、夏休みなのに、子供の声が聞こえない!






● 大島6丁目団地を突き抜けると新大橋通り、この下には都営新宿線が走っている。 大島駅が近くに在るはずだと思い、キョロキョロ。 駅よりも「中央銀座」のアーチが目に飛び込み、駅を忘れて“銀座”に足が入っていく。、、、、中央銀座商店街は大島駅の南側で、新大橋通りと並行する商店街である。 私が入って来たアーチは商店街のアプローチ部分であった。 91店舗で構成する商店街、まだ8時半どの店舗も開店前。


● 中央銀座を足早に抜けると小名木川にぶつかる。 昭和54年(1979)に完成した1径間鋼製箱桁の歩行者・自転車専用橋「砂島橋(すなしまばし)」を渡り、大島5丁目から対岸の北砂5丁目に向かう。、、、、川の両岸はマンション・高層アパートが並ぶ。 小名木川は江戸時代の運河で、流れは穏やかである。



・・・・・・・・・・・・・・ 砂島橋を渡った北砂5丁目側に「小名木川旧護岸」が残されている。 地盤沈下が続いた町を水害から守るため、度重なる護岸のかさ上げ工事が行われ、その歴史を知ることができる。

● 砂島橋の南側は「UR 北砂5丁目団地」である。 橋を渡り、そのまま南へ向かえば団地の中。、、、、団地は、旧日本住宅公団の時代、昭和52年(1977)から、順次入居が始まった。 総戸数2809戸(10棟)の団地。 中央の広場は野球もできる程広い!





・・・・・・・・・・・・団地内の公園でセミ採りをする兄妹がいた。 しばし忘れかけていた情景がよみがえり、思わずニッコリしていたら、女の子が虫カゴを持ってきて、二匹のセミを見せてくれた。 いつまでも仲良くね!


・・・・・・・・・・・・北砂5丁目団地の公園の木立の中に、「我国精製糖発祥之地」の碑がある。 碑の裏面に「昭和十五年十二月十三日 大日本精糖株式会社建之」とある。、、、、小名木川両岸は東京有数の工業地区だった。 日本における最初の精製糖工場もこの地に建てられた。 明治23年(1890)、この地に建てられていた鈴木藤三郎の製糖所で漸く成功し、砂村(現:北砂)において日本で初めて純白の砂糖が誕生しました。 鈴木藤三郎は、安政2年(1855)遠江国(静岡県)に生まれ、明治17年より氷砂糖を製造した。 同22年上京し、砂村に工場を移し、同25年から本格的に精製糖の製造を開始した。 明治28年(1895)同志とともに日本精製糖株式会社を設立したそうだ。 北砂が精糖の発祥地とは意外であった。

● 北砂5丁目団地を抜けると、150m程南に歩くと地域密着型の商店街「砂町銀座」がある。 時刻はまだ10時前、多くのどの店も開店準備中。 お客もこれからのようだ! 私も買い物するわけではないので、商店街の東端(丸八通り)に抜けた。




● 時刻は10時過ぎ、気温もあがり汗が出る、マスクの中はムレムレ状態、チョイト熱中症が心配になる。 地下鉄東西線の南砂町駅までは、あと30分ぐらいかかりそうだ。 まだ梅雨が明けて二日目、身体が暑さに不慣れなため、今日はこの辺で引き上げることにした。 北砂4丁目の亀高橋バス停から帰る。
