消えていく玉ノ井
立秋はとうに過ぎ、残暑の厳しさもおさまる処暑も過ぎた、二学期が始まるというのに、一向に秋風が吹いてこない、猛暑はいつまで続くのか? 連日、我が家でゴロゴロ・ごろ寝も、もう飽きた!、、、、今朝は、私の好きな堀切駅から、鐘ヶ淵駅、東向島駅と歩くつもりで、早朝に家を出た。 しかし、乗換の曳舟駅のホームに立つと、すでに日は昇り、ギラギラ太陽が眩しい。 『コリャ、散歩の途中で熱中症になるかも? 今朝、下着取り換えてこなかったので、病院に運ばれ看護婦さんに下着見られると恥ずかしい!』と、自問自答。 熱中症を避けて、急遽、堀切駅下車は止め、鐘ヶ淵駅から東向島駅までと短縮した。、、、、鐘ヶ淵駅から、かつての“玉ノ井”をブラブラ・ぶらつき、東向島駅まで、8千歩の散歩。
● 墨田区の最北端に位置する東武伊勢崎線の駅が、鐘ヶ淵駅である。 鐘ヶ淵駅は明治35年(1902)4月1日に開業した。 駅名の鐘ヶ淵は、近くの隅田川が大きく曲がる処を“曲ヶ淵(かねがふち)”と呼んでいたところから頂戴したらしい。、、、、中央の通過線2本を挟み、両側に相対式ホーム2面2線の地上駅。 両ホームの南端に、西口駅舎(下り線側)、東口駅舎(上り線側)がある。 ホームは大きくカーブして、電車の撮影には良いが、乗り降りには要注意!





・・・・・・・・・・・・駅前には鐘ヶ淵通り(補助第120号線)がとおり、駅前踏切で伊勢崎線と平面交差している。 現在、1時間当たりの踏切の最大遮断時間が41分で、120号線の拡幅工事が進むと、交通量も増え、増々危険な踏切となる。 私自身も、この踏切で危険な思いをしたので“納得できる!” 地元では立体交差化を求めているそうだ。


・・・・・・・・・・・・私が転んだ時、救急車を呼んでくれた踏切前(写真の三角地帯にあった)の交番も取り壊され、チョイト脇(三角地帯の後ろ)に移転した。

・・・・・・・・・・・・拡幅される鐘ヶ淵通り。 既に更地となった商店もある。

● 鐘ヶ淵駅から東向島駅までの間、今日は熱中症を意識して、裏道・路地を歩いてみた。 かつて「玉ノ井」と呼ばれた、戦後の私娼街(墨田3丁目の赤線)のあった処を歩いた。、、、、【基礎知識】 「玉ノ井」が私娼街であったことは、永井荷風の小説『墨東奇譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』に描かれている。 詳しく、興味深く、文学的に知りたい人は一読するとよい!(私は三読した。 しかし戦後生まれの私には、実体験の機会も無く、書物の知識だけではチョイトものたりない、残念無念!) ところで、「玉ノ井」の私娼街は、戦前には、現在の東向島5丁目(一部は6丁目にも)にあったが、東京大空襲で壊滅した。 当時を物語る建物・遺構などは何も残っていない。(あるのは写真だけ、想像するのみ) 戦前の「玉ノ井」で商売をしていた者は、戦後、近くの「鳩の街」(東向島1丁目付近)か、空襲で焼け残った墨田3丁目に移った。 「玉ノ井」の所在地は、戦前の「旧玉ノ井」(東向島5丁目)と戦後の「新玉ノ井」(墨田3丁目)に分けられ、別物である。 その東向島5丁目と墨田3丁目の境は、「いろは通り」と呼ばれる商店街である。
・・・・・・・・・・・・戦後75年、昭和32年(1957)の売春防止法施行、昭和33年(1958)の赤線廃止から62年、当時の建物はドンドン取り壊され、モダンな住宅、マンションに変わってきた。 狭かった道幅も、区の指導で徐々に広げられ車も通れるようになる。 (写真2枚目と3枚目は同じ通り。左側のそば屋の看板が同じ。商店街が消えた! 3枚目の写真は9年前に撮影)



・・・・・・・・・・・・戦後の赤線時代の雰囲気を残す建物も少なくなったが、まだポツリ・ポツリと残っている。 どの店も、警察の指導により、強制的にカフェー風の店に改めさせられたそうだ! 当時の建物の特徴として、庇・柱などの出隅が丸みをあるデザインとなっている。 丸柱などもある。 建物の隅を切り欠いて、縦長の出入口が造られている。 タイル張りの意匠が多い。 (写真は全て墨田3丁目にて)





・・・・・・・・・・・・新旧の玉ノ井を分ける「いろは通り」 通りの南側が旧玉ノ井のあった東向島5丁目、北側が新玉ノ井のあった墨田3丁目。、、、、商店街は、廃業した店も多そうだ。 また、商店街を歩いても、「玉ノ井」の名は街路灯の柱に残るだけとなった! 消えていく「玉ノ井」、寂しいね!


● いろは通りを抜け東向島駅に着いた。 汗で、下着までビッショリ、搾ったら汗が水滴がして落ちるかも? これ以上歩くと、熱中症になること間違いなしと自己判断し、散歩は予定通り止め!、、、、東向島駅は明治35年(1902)4月1日、白鬚駅として開業。 明治38年(1905)には、白鬚駅の営業を休止し、明治41年(1908)に白鬚駅は廃止される。 大正13年(19024)10月1日、「玉ノ井駅」として営業を再開。 戦時中は、東京大空襲で被災し営業休止し、昭和24年(1949)に再び営業再開。 昭和62年(1987)12月21日、東向島駅に改称。、、、、玉ノ井駅改称後、23年経過したが、今でも駅名の表示では脇に小文字で「旧玉ノ井」と表示されている。 有名な私娼街「玉ノ井」に愛着があるのかも?、、、、駅ホームは相対式2面2線構造の高架ホーム。 改札口・出口は1階の1ヶ所のみ。




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