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2020年9月

2020年9月30日 (水)

最古のトンネル

東急目黒線・東横線の多摩川駅から川向こうの新丸子駅までの散歩です。




● 「多摩川駅」は大田区田園調布にある東横線・目黒線・東急多摩川線の駅。 大正12年(1923)、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部)間を開業させたのと同時にできた駅。 大正15年(1926)には東横線の多摩川~神奈川間が開業、昭和2年(1927)には渋谷~多摩川間も開業した。、、、、現在の「多摩川駅」は、東横線と目黒線が使用する1~4番線ホームは高架島式2面4線構造。 外側を東横線、内側を目黒線が使用する。 東急多摩川線が使用する5・6番線ホームは地下1階で、島式1面2線構造。、、、、この駅は、4回の駅名改称で、開業時の駅名に戻った稀有な例だ! まず最初は、今と同じ「多摩川駅」として大正12年3月11日に開業した。 大正15年1月1日、僅か3年で「丸子多摩川駅」に改称。 その後近くに“多摩川遊園地”という遊園地が近くにできると、昭和6年(1931)1月1日「多摩川園前駅」に改称する。 さらに昭和52年(1977)12月26日には、“前”がなくなり「多摩川園駅」となる。 さてさて、それから1年半後には多摩川遊園地が閉園となり、“多摩川園”という施設が無くなった。 駅名はそのままで暫く続いたが、平成12年(2000)8月6日目蒲線の目黒線・東急多摩川線への分割とともに、“園”をとり駅名を再び「多摩川駅」に改称した。 

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● 多摩川駅の西側、多摩川沿いの丘陵地に約750メートルにわたって、広い区立公園「多摩川台公園」がある。 晴れた日には遠く丹沢の山並みや富士山を見ることができるらしい、今日は快晴だったが見えたのは対岸の高層ビルだけ。(先日、眼の手術をしたので、見えなくなったのかな?)

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・・・・・・・・・・・・この公園の敷地内には、昭和47年(1972)まで「調布浄水場」があった、その跡地は現公園の一部となり、大田区によって整備された。 沈殿池だったところには池を作り湿性植物を植え、濾過池だったところには四季の野草などが植えられている。

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・・・・・・・・・・・・高台の公園からは多摩川に架かる東横線・目黒線の橋梁が見える。

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● 多摩川台公園の舌状台地の先(南側)に東急の線路を挟んで、浅間神社古墳の上に建つ「多摩川浅間神社」がある。、、、、創建は鎌倉時代の文治年間(1185~1190)と伝えられる。 源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。 その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。 富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。 それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。、、、、さすが“浅間神社”! 鳥居から社殿まで、富士登山にならい階段が続く登山道、年寄りには堪えるね! 現在の社殿は、昭和48年(1973)に完成した優美な浅間造り様式で、都内では唯一のもの。


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・・・・・・・・・境内から眺める多摩川。 右に東急(東横線・目黒線)の橋梁、左に丸子橋、対岸は新丸子・武蔵小杉の町。

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● 丸子橋をとおる中原街道(都道2号)の下(大田区田園調布本町)に、大田区最古のトンネルがある。 トンネル名は? 大きさは、幅:4m、高さ:3m、長さ:15m。、、、、中原街道のこの付近の道路指定が大正9年(1920)で、初代丸子橋の開通が昭和10年(1935)、トンネルは丸子橋の付け根にあることから、大正末期から昭和初期の間に造られたものと推定できそうだ。

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・・・・・・・・・・・・トンネルの中には、“東京府”時代のものと思われる、“東”をデザインしたマンホールがある。

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・・・・・・・・・・・・中原街道の下にトンネルを造り、道路を立体交差にしたのは、現在の狛江市で取水した多摩川の水を世田谷区・大田区に引き込む六郷用水を通すためと思われる。 トンネルの先には六郷用水が復元されている。、、、、綺麗な水の中をコイが泳いでる。

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● 東京都大田区田園調布本町と神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町の間に架けられている橋が、二代目の丸子橋。 橋の上は片側2車線の中原街道が通っている。、、、、昭和初期までは中原街道には多摩川を渡る橋はなく、丸子の渡しと呼ばれる渡し舟が存在していた。 初代の丸子橋は、長さ400m程、鋼トラス式タイドアーチ橋3連 + 鉄筋コンクリート上路式アーチ橋10連の橋で、昭和9年(1934)に架けられたた。、、、、現在の丸子橋は二代目、初代のイメージを踏襲したデザインで、橋長405.6m、幅員25.0mの鋼ローゼ(2連)+3径間連続PC箱桁橋である。 平成12年(2000)5月に完成。 事業費142億円。(旧橋の工事費用は約52万円)、、、、PC桁とアーチで変化をつけたデザインが、橋の長さを感じさせない歩きやすい橋。 また、大きな橋に多い、大型車が通った時の揺れも少なく、臆病な私が不安を感じることがなかった橋。

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・・・・・・・・・・・・旧橋の親柱が残されてる。

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● 丸子橋を渡り川崎市に入る。 新丸子駅近くを通り過ぎ、チョイト先へ行くと「京浜伏見稲荷神社」があるので、お立ち寄り!、、、、初代宮司:冨澤冠受大人之命(とみざわかんじゅうしのみこと、1905~1978)が昭和26年(1951)に京都伏見稲荷の神示により創建したとされる。、、、、『こんなところにこんなすごい稲荷があるなんて! なぜだ!』と言いたくなる神社。 商売繁盛の神の御利益は、神自身が授かっているようだ、社殿は『日本最大級の九棟稲荷造り』と自慢するスゴイ建築。 

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● 散歩のお帰りは「新丸子駅」から。、、、、新丸子駅は、大正15年(1926)2月14日東横線に開業した。 現在は東横線・目黒線が乗り入れる高架駅。 ホームも島式ホーム2面4線で、東横線・目黒線それぞれが使用している。

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2020年9月28日 (月)

巨大やかん

北総線矢切駅から、じゅんさい池、国分寺を巡る散歩です。



● 朝、印西牧の原行きの電車はガラガラ、コロナ感染の不安も小さい。 我が家(浅草橋)から北総線直通電車で乗り換えなしの27分、矢切駅到着。 『さー、歩くぞ!』

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● 矢切駅から「じゅん采池緑地」に向かい裏道を歩くと、浄土真宗本願寺派の寺院「瑞雲山中原寺」がある。、、、、古くは天台宗で、甲斐国山梨郡牛奥村に一寺を建立したことに始まる中原寺は、幾多の歴史を経て、昭和22年(1947)に荒川区より現在地に移転し今日に至った。、、、、境内は斜面にあり、こじんまりとした寺だが、檀家は多そうだ。

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● 中原寺の南、国府台と国分の台地間に深く入り込んだ地に、古くからの沼がある。 この沼を国分沼と呼んでいたが、沼にはじゅん菜がたくさん生えていたことから、じゅん菜池と呼ばれるようになった。 昔は近隣の農家の人々が、じゅん菜を摘んで出荷したこともあったらしいが、昭和初期に沼が何度も干上がり、ついにじゅん菜は絶滅してしまった。 戦後、沼は田んぼに変わったが、地元からの“じゅん菜池”復元の要望を受け、 昭和54年(1979)に、現在の「じゅん菜池緑地」に整備された。、、、、緑地の周囲には住宅が建ち並び、住民の利用が多そうだ、緑多い癒しの公園として大切に利用して欲しいね。
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・・・・・・・・・・・・じゅん采池緑地の入口前にある庚申塔。 道端にある庚申塔には青面金剛の文字が彫られている。 “文化十三年”(1816)と標されていた。


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● じゅん采池緑地から南東へ500m程、一面芝の公園として「下総国分尼寺跡」がある。 遺跡は地下に埋め戻されているので見えないが、講堂跡、金堂跡には、それを記したプレートが置かれてる。、、、、国分尼寺は、国分僧寺と同じように、聖武天皇が天平13年(741)に発した「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」(尼寺の正式名称)として各国々に建立した。 建立の実年代は不詳。 この地はかつて「昔堂(むかしどう)」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていたが、昭和8年に多くの瓦とともに底部に「尼寺」と墨書された土器が発見され、尼寺跡であると判明した。 伽藍配置は、南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にあります。昭和42年夏に行われた発掘調査では、東西25.5メートル、南北22.4メートルの金堂基壇と、東西27メートル、南北19メートルの講堂基壇が発見されています。

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・・・・・・・・・・・・【チョイト雑談】聖武天皇が法華寺を総本山として国分尼寺を建立したが、同時期に日本に設置された戒壇では、女性の授戒を禁じたために、女性は正式に尼になることが出来ず、国分尼寺をはじめとした尼寺もほどなく衰退したそうだ。(これ本当の話)、、、、天皇は“尼寺をつくれ”、戒律は“女はダメ”、廃れた寺では“女賭博師尼寺開帳”  “昇り竜のお銀”姐さん(江波杏子)が活躍した?

・・・・・・・・・・・・【まじめな話】廃れた国分尼寺跡は、かつて馬捨て場だったそうだ。 周辺には、馬を弔う馬頭観音が複数存在している。

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● 下総国分尼寺跡の東500m程に、臨済宗大徳寺派の寺院、竺園寺(ちくおんじ)がある。 創建は鎌倉時代末期から南北朝初期と推定される。 本堂前の前には四方に枝を巡らせた臥龍の松があるのだが、今日は葬儀がありチョイト本堂には近づけない、離れた位置からパチリ!

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・・・・・・・・・・・・竺園寺は下総観音十八番札所として知られ、園通堂は600年前に建立され十一面観音が祀られ古くから修行と信仰の場とされてきた。 
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● 竺園寺から坂を上がり南へ向かうと、日枝神社に隣接する真言宗豊山派の寺院、護国山龍珠院般若寺がある。 本尊は不動明王立像。 本堂前の弘法大師像と、建物にかかるように植えられたカエデの木が印象的です。 墓地には陸軍兵士の石碑があり、かつて陸軍の町であった戦前の市川の面影を今に伝えています。

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・・・・・・・・・・・・龍珠院と地続きで隣に国分日枝神社がある。、、、、国分日枝神社の創建年代は不詳だが、鳥居に元禄2年(1689)建立の銘があり、江戸時代中期以前の創建であることが判る。 現在の拝殿は昭和56年(1981)に改築された。

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● 下総国分寺跡の伽藍は現在の国分寺と重複する位置にあり、金堂跡は現在の本堂の場所にあたる。金堂と塔が東西に並ぶ法隆寺式伽藍配置である。ただし、塔は西に、金堂・講堂は東に傾いており、堂塔の向きは一定ではない。 一帯は須和田遺跡や国府跡推定地が残り、古くから文化的中心地であった。国分僧寺も国分尼寺と同様に変遷は明らかでないが、9世紀代は充実している一方で10世紀代から衰退が見られ、大きな変容が認められている。 現在の国分寺の北側に、「下総国分寺跡」があるが、本日は雑草を刈っていたため、仕事のジャマをしないようチョイトだけ拝見!

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・・・・・・・・・・・・現在の国分寺は真言宗豊山派の寺院。 山号は国分山。 本尊は薬師如来。 下総国国分寺の後継寺院にあたる。

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● 国分寺の隣りは、真言宗豊山派寺院の宝珠院。 山号は玉王山。 宝珠院は、順光法印が開基となり元和7年(1621)に創建した。 といいます。

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・・・・・・・・・・・・本堂横に鎮座する、巨大やかん。 『コリャ、何だ?』 高さは黒い取っ手のところで150cm程、球体の直径は100cm程、やかんの注ぎ口は蓋がされている。 実用的でないやかんだ! 材質は???不明、金属ではないかも? やかんが境内にある理由は、ただただなんとなく、らしいが、住職いわく『昼だけでなく夜間(=やかん)も、 ご利益がありますように』と、思いを込めて置いてるそうだ。

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● 国分の台地から下り、市川駅へ向かう・・・・・・ 

2020年9月27日 (日)

あわて者のドジ!

何処に行くか、行き先のあてもなく家を出た。 とりえず、新小岩に行こう! 新小岩駅周辺には南北合わせて13番乗り場までのバス停がある。 出発しそうなバスに、適当に乗れば、適当な方向に走り、適当な処で降りれば、あとは適当に散歩すればよい。、、、、と、適当に考えた。 私の頭の中では、新小岩駅のバス乗り場は北口脇と南口前にあり、北口からは亀有・綾瀬・金町など常磐線沿線の駅に向かうバス路線が、南口前からは船堀・篠崎・一之江など新宿線沿線の駅と葛西・臨海部に向かうバス路線が、それぞれ多いと記憶していた。 新小岩からバスに乗るのだから、『南の方に行ってみよう!』と南口に出た。

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『オォ~、3台が停まってる、一番早く出発しそうなのに乗ろう!』と、写真を撮りながら、行き先を確認しないまま出発寸前のバスに飛び乗ってしまった。 シマッター!

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バスは私が乗ると即発車。 乗って気付いた、『アァ、何てドジなんだ、このバス、北の常磐線沿線に向かう、最悪の亀有行きだ!』 亀有方面に行くなら、わざわざ新小岩に来なくとも、浅草橋から京成押上線で青砥・高砂に出ればもっと早く行けたのに、あわて者のドジ!、、、、『運転手さん、降ろしてくれ!』と車中で叫ぶのは恥ずかしい、紳士のプライドも許さずジッと我慢。

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こうなりゃ、どこで降りようか?、、、、バスは、奥戸街道を走り、青砥駅付近を抜け、国道6号(水戸街道)を越えた。 『よし、ここらで降りよう!』とボタンを押した。 停車したのは「亀青小学校」バス停、何もなかった風を装い下車。 今日の散歩は、ここからスタート。

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● 亀青小学校バス停は環七通りにある。 広い大通りを歩いても面白くない! 亀有2丁目の裏道を歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・緑に囲まれ主屋が見えない住宅もある

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・・・・・・・・・・・・「亀有さくら通り」に出た。 環七通りから西へ、亀有2丁目・1丁目と貫く、ソメイヨシノ150本程が植えられた通り。 住宅街の中の通りで、平日は静かで人通りも少なく、桜の季節には、ゆっくりと花見ができるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・病院・都営住宅もある。 必要な人には、近くに寺も教会もある。 墓はあったかな?

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● 道の中央部に曳舟川親水公園が造られている、曳舟川跡に出た。 近くのパチンコ屋の脇には、小規模なサルスベリの並木道もある。 この付近は親水公園、並木道など、歩く人の心を和ませる緑も多い。

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● 西亀有1丁目に葛飾区立の上千葉砂原公園がある。 ここには、ヤギ、ウサギ、ポニーなどに触れられる「ふれあい動物広場」と、D51が保存されている「交通公園」がある。 コロナ禍で遠出も難しい親子連れが、早朝から開園を目指してやって来る。

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● 上千葉公園から西へ、かつての農業用排水路を整備し散策道とした「西亀有せせらぎ公園」が伸びている。 公園は西の中道公園までつながり、途中でT字型に北の藤塚西・東公園にも伸びている。 この西亀有せせらぎ公園の面積は8,500㎡あり、水の流れの総延長は約400m、植林面積は5,000㎡あります。 幅約2mの人工水路の流れは園内4ヶ所設けた地下貯水槽に水を溜め、ポンプによって循環させているそうだ。 しかし今日見る限り、“せせらぎ”は区の予算不足か、水は流れていなかった!

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● 堀切7丁目・6丁目・5丁目と、通り抜け、堀切菖蒲園駅へ向かう

・・・・・・・・・・・・鈴懸の径を通り九品寺前に出る、、、、九品寺は真言宗豊山派の寺で、付近の普賢寺とともに区内有数の古刹。 寺伝によると、建久4年(1192)に創立された。 その後、一時荒廃し、また享和2年(1802)および明治元年の火災と幾たびかの水害により、寺宝・記録は散失した。 現在の本堂は昭和35年(1960)の改築である。、、、、鈴懸の径は、九品寺が作詞家佐伯孝夫の菩提寺であることから、名付けられたのだろう。 歌のモデルの鈴懸の径は、この歌を歌った灰田勝彦の母校立教大学内(豊島区)にある。


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・・・・・・・・・・・・九品寺の南(堀切5)に堀切氷川神社がある。 堀切氷川神社は、天正年間(1573~1591)旧下千葉村の鎮守として創建した。 境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社で、江戸時代に5石の朱印地を与えられていた。
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・・・・・・・・・・・・氷川神社の西に、真言宗豊山派の正王寺がある。 正王寺は、治承2年(1178)八王子社(現堀切氷川神社の境内社)の別当として創建された。 朱塗りの山門が特徴的な寺。 境内は緑に囲まれて落ち着いた雰囲気で、墓地は庭園風の植栽の中にあり、気持ちよくお参りできる。


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堀切菖蒲園駅に到着。 ここから、青砥乗換で押上・浅草橋(我が家)へ帰る。

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2020年9月26日 (土)

しっとり濡れて

連日の雨、今朝も一降りあり、チョイト、雨の隙を見て散歩に出た。 柴又駅で下車し、帝釈天、江戸川土手を歩き、京成小岩駅までの散歩です。



● 毎度おなじみ柴又駅、今日の散歩のスタート地点。 雨は小休止。 土曜の早朝は人影もまばら、観光客はまだいない。

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● 今日は、駅の北にある柴又八幡神社に寄ってみた。、、、、柴又八幡神社の創建年代は不詳だが、境内は全体が古墳上に鎮座する社で、江戸時代には柴又村の鎮守社であった。 古墳は円墳で直径30m、6世紀~7世紀の築造であるらしい。 現社殿は昭和43年(1968)の造営。、、、、島俣塚(柴又塚)は、社殿の裏にあり、昭和40年、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、其の上に墓石を築いたもの。 また、古墳からは、寅さんの帽子のようなものをかぶった埴輪も出土しているそうだ。 さくらに似た埴輪は、まだ出土していない。

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● 早朝、雨上がりの参道を歩き、帝釈天参り。、、、、時刻は8時半、まだ参道のどの店も営業はしていないが、店の中では、草団子をつくり、鰻をさばき、開店準備中。、、、、参道には人影なし、財布でも落ちていないか? 地べたを見ながら、ローアングルで撮ってみた!

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・・・・・・・・・・・・参道正面の二天門

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・・・・・・・・・・・・二天門から入ると正面に帝釈堂がある、、、、屋根の唐破風と千鳥破風が特徴的な堂。 

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・・・・・・・・・・・・こちらは本堂の祖師堂
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● 帝釈天を抜けて、江戸川土手に出る。、、、、土手にでると、霧雨で我が身がしっとり濡れ、風邪をひかぬか心配になった。 おなじ濡れるなら、若い娘としっぽりと濡れてみたい、てなことを、独り想い歩く。

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・・・・・・・・・・・・♪♪ つれて逃げてよ~~ ついておいでよ~~ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し ♪♪、、、、風情あるね! できれば、これから恋に生きたい、じじいです。

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・・・・・・・・・・・・人影少ない河川敷を歩く

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・・・・・・・・・・・・北総線江戸川橋梁の下を抜け、葛飾区から江戸川区へ入る、、、、北総線江戸川橋梁は、平成3年(1991)に完成した、橋長398.5mの合成桁10連ゲルバー鋼桁3連の鉄道橋。 スマートな姿の橋だ!

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・・・・・・・・・・・・江戸川区に入り、江戸川土手のすぐ脇(江戸川区北小岩8-29)に、瓦葺の地蔵堂がある。 中には、中央に地蔵菩薩、右に慈恩寺道の道標、左に馬頭観音がある。、、、、地蔵は比較的新しいものであった。 慈恩寺道の道標は、正徳3年(1713)に建立されたもので、慈恩寺(埼玉県岩槻)への道標として建てられた。 馬頭観音には弘化(1845~1848)の年号が刻まれている。


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● しっとり濡れて京成小岩駅に到着。、、、、京成小岩駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 開業は、昭和7年(1932)5月15日。、、、、JR小岩駅とは600m程離れており、乗換はしない方が良い。 どうしても、JR総武線に乗り換えたければ、成田方面へ6つ目の京成八幡駅で、JR本八幡駅に乗り換える方が楽である。

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2020年9月21日 (月)

遠い霊園

春の彼岸から、早、6ヵ月。 “コロナ”、“コロナ”と、毎日“コロナ”、いつのまにか、秋の彼岸がやってきた。 97歳の我が母は、普段、口は達者で、杖いらずの足達者。 でも、彼岸になると、亭主の墓参りは、『遠いから行ってきて』。 今日も、息子夫婦が東京郊外の霊園に、一日掛かりで墓参り。 

   (親不孝息子は・・・)  遠い霊園 墓参も辛い ならば入れよ 亭主の墓に  

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2020年9月19日 (土)

東日暮里

台東区の北の端、明治通り(都道306号)と吉野通り(都道464号)が交わる「泪橋(なみだばし)交差点」。 早朝の空いた道を飛ばす都バスに乗り、「泪橋」バス停で降りる。 ここより西へ、JR日暮里駅まで歩いてきた。


● 明治通りが台東区と荒川区の境となっており、泪橋小塚原刑場跡(荒川区南千住)の近くの思川(おもいがわ)に架かっていた橋。 現在では思川は全て暗渠化され橋の面影はなく、その名前は交差点やバス停に残るだけ。、、、、【知ってて嬉しい、いい加減な知識】 「涙」と「泪」と「涕」の違い。 どれも「なみだ」と読む。 「涙」は一般的で、切れ目なく流れでる涙。 「泪」は一般的に用いず、演歌などで用いる、チョイト色っぽく、せつない涙。 「涕」は悪ガキが怒られた時出す、鼻水とコラボした涙。

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● 東日暮里一丁目を歩く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・明治通りから一本裏通り(東日暮里1-4)へ入ると、戦前(?)のモルタル塗りの2軒長屋が数棟まとまってる。 空襲で焼けなかったのか?

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・・・・・・・・・・・・また、別な裏道(東日暮里1-6)には御影石が敷き詰められている。 ひょっとすると、都電の敷石の再利用かな?

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・・・・・・・・・・・・一丁目の中央を貫く「正庭通り」、、、、店舗は少なく、サクラの木が多い商店街。 「正庭」と書いて「まさにわ」と読む。 かつては三河島村字正庭だったそうだ、現在は東日暮里一丁目。 地名の由来は判りませ~~ん!

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● 東日暮里二丁目を歩く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・家内工場があり、マンションがあり、商店があり、保育園・小学校があり、雑多な建物が並ぶ下町。、、、、東日暮里も、私の住む浅草橋も、どちらも同じような街並みだ!

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・・・・・・・・・・・・オヤ?古そうなタバコの自販機発見!(東日暮里2-27)、、、、ラークが300円、フィリップモーリスが300円、マルボロ320円、10年以上前の値段だ! 現在はラーク460円、マルボロ520円などである。 もちろん、現在、自販機は利用できない!(私は10数年前に禁煙に成功し、一日60本のヘビィスモカーから脱した!)

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・・・・・・・・・・・・・・東日暮里一丁目から三丁目までを東西に横切る「かんかん森通り」、、、、二丁目付近には、ソメイヨシノ50本の桜並木がある。
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● 東日暮里三丁目を歩く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・かんかん森通りを歩き東日暮里三丁目に入ると、消防署の前に「猿田彦神社」がある。 この社がある処を「神々森」(かんかんもり)と呼んだそうだ。、、、、猿田彦神社は、汐入の胡録神社の分霊を勧請して祀ったと伝えられ、第六天社と称していたといい、明治に入り胡録神社、次いで猿田彦神社と改称している。、、、、神社自体は小さいが、境内の大谷石造りの神輿庫を見ると神輿は多そうだ。

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・・・・・・・・・・・・猿田彦神社の北側には「東京朝鮮第一初中級学校」がある。 日本の小学校・中学校と同じらしい。 この学校も、新型コロナの影響があったのか? 生徒が登校していた。

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・・・・・・・・・・・・チョイト裏道を歩くと、トタン張りの家、懐かしい銭湯、綺麗に揃ってる長屋などが見られる。

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・・・・・・・・・・・・・・東日暮里三丁目の逸品は、東日暮里3-34~37に残る文化住宅である。 敷地そのものを高くしたのか、周囲の道路からは階段を上がった処に建ち、戦前の建築と思われる木造板張りの住宅である。 2階建てで、1階と2階に1所帯づつ入り、玄関は並んでいる。 つまり、2所帯の長屋(?)建築が町の一画にズラリ並んでいる。、、、、建築史的には貴重な建造物群と思われるが、保存すると云った話は無いようだ。 でも、住んでいる人には申し訳ないが、残したい気もするね!

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● 東日暮里三丁目を抜け、尾竹橋通りを横断し、日暮里繊維街を西へ歩けばJR日暮里駅

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2020年9月16日 (水)

南千住から町屋

都電荒川線沿いに、線路の南側を歩き、南千住駅から京成本線町屋駅までの散歩です。



● 浅草橋駅前からバスで南千住駅へ、、、、南千住駅の隣り、JR貨物の隅田川駅を見下ろし、常磐線・貨物線に沿って西へ向かう。

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● 常磐線の南千住駅と三河島駅の間に、明治29年(1896)開通の日本鉄道土浦線の煉瓦造のガードが3ヶ所残っている。 その一つ、アーチ型の「第3三の輪ガード」が国道4号(日光街道)に出る手前(南千住2)にある。 トンネル上部の笠石には、雁木(がんぎ)といわれる煉瓦を傾けて凹凸をつける装飾的な煉瓦積みが施されているのだが、ネットで覆われチョイト判りにくい。 煉瓦積みが劣化してきたか?しっかり改修して、保存して欲しいね!、、、、【おまけ】2014年撮影の雁木部分の写真

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都電荒川線の起点、三ノ輪橋停留場。 停留場の周辺は下町の雰囲気が残り“画”になる、好きだ!

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・・・・・・・・・・・・停留場の南側には常磐線が走り、ここに、明治29年以来の「第1三の輪ガード」(南千住1)がある。

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● 三ノ輪橋停留場から荒川一中前停留場まで都電に並行して伸びる「ジョイフル三ノ輪」商店街の請願により、平成12年(2000)11月11日に開業した「荒川一中前停留場」。 都電荒川線では70年ぶりに開業した、一番新しい停留場である。

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・・・・・・・・・・・・・・停留場近くの裏道は、なぜか「通り抜 禁止」、、、、また、同じ処の電柱には中国語・韓国語(ハングル)で書かれたゴミ出しのルール、、、、何となく、しっくりしない、歩きにくい道だ!

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● 「荒川区役所前停留場」(明治通り)から「町屋駅前停留場」(都道306号)までの区間、都電の南側を並行する道路が都市計画に沿って拡張されるため、用地取得が進められている。 あちらにも、こちらにも、フェンスが組まれ、住民は檻の中。

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・・・・・・・・・・・・・・フェンスを見ながらの散歩はつまらないので、チョイト荒川2丁目の裏道へ入る。 他人の家を覗きながらの散歩。 チョイト失礼しました!

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・・・・・・・・・・・・・・「荒川七丁目停留場」、、、、乗降客はなし、それでも電車は停まってた、律儀な運転手さん!

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● 京成本線町屋駅の手前(荒川7)に、床屋のような名の寺がある。、、、、臨済宗妙心寺派の寺院「大雄山泊船軒」。 泊船軒は、海禅寺の塔頭寺院として、玉蜂與首座禅師(正保4年(1647)寂)が開山した。 関東大震災後、現在地に移転してきた。 入口の立派な山門を入ると、静粛な境内が禅寺の様相で迎える、正面には釈迦如来を祀る本堂。 右は庫裏、客殿。 左は墓地。

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町屋駅は昭和6年(1931)に開業。 幅の狭い島式ホーム1面2線の高架駅。 ホーム中程には待合室が設置されている。

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2020年9月13日 (日)

獣一面観音って?

昨日、新しい『東京都シルバーパス』が送られてきた。 このパスは年間2万円程払うと、東京都交通局のバス・地下鉄・都電・日暮里舎人ライナーと、都内を走る主要路線バスが乗り放題となる。 早速、パスが使えるか試すため、日暮里舎人ライナーで見沼代親水公園まで乗ってきた。 チャンと自動改札機も通過し、パスが偽物でないことも確認でき、ひと安心!

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今日の散歩は、見沼代親水公園駅(東京都足立区)から、北に向かい峯ヶ岡八幡神社に近い“川口市大字東貝塚”まで歩き、「大竹」バス停から川口駅にでて帰宅。



● コロナ禍の日曜日、日暮里舎人ライナーは空いていた。 終点、都内最北端の駅、見沼代親水公園駅の改札を新しいシルバーパスで無事通過。、、、、なんだか、もう2万円分乗車した気分で、シルバーパスの元を取った!

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・・・・・・・・・・・・ここからは、東へ(草加・竹ノ塚方面)、西へ(鳩ヶ谷方面)、度々歩いているので、今日は北へ向かうことにした。 駅から200m程北へ歩くと埼玉県草加市、さらに150m程歩くと埼玉県川口市に入る。 ここ見沼代は足立区・草加市・川口市の交点である。 

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● 川口に入り、「川口市 榛松(はえまつ)一丁目」(今まで知ることも無かった住所)の住所表示前の裏道を北上する。、、、、どこに行くのやら、本人も半信半疑で、ただただ歩く!

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● 裏道の五差路に出た。 その角(川口市大字東本郷727)に庚申塔が並ぶ、小堂が立っている。 小堂の中には5基の庚申塔が並び、いずれも風化が進んでいるが、年号の読めるものがある。 享和3年(1803)、元文元年(1736)、天明8年(1788)、元禄2年(1689)など、200~300年前の川口の歴史を語っている。、、、、“江戸時代の川口の農村”て、いわれても想像できないね!

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● さらに、道なりに北上すると、東本郷氷川神社(川口市大字東本郷1249)の正面に出た!、、、、アリャ・コリャ、神社に御挨拶しないと!、、、、当社は、もともと東本郷の南方にある本郷谷下に鎮座していたが、大風が吹き、北の本郷の水田に飛ばされ、現在地に鎮まったと云われている。 風に吹き飛ばされるほど軽い神社だったらしい。(御利益も軽いかも?)、、、、覆屋内の本殿は室町時代の建造、現拝殿は大正14年(1925)の建造。、、、、神社入口には、辰井堀の架橋である享保四年の宮前橋という小さな石橋が残っている。

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● 道は徐々に坂を上っていく。 明治時代に開校した「新郷小学校」、昭和36年から給水を開始した「新郷浄水場」の前を行く。、、、、今日の気温は30℃以下、坂道も楽に上れ、助かった!

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● 坂をあがると、曹洞宗寺院の長久山宝泉寺(川口市大竹)がある。 宝泉寺は、安行吉岡金剛寺四世高庵永薫大和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が開基となり創建したといわれてる。、、、、境内には水子地蔵尊があり、水子供養はぜひ当寺にて!

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・・・・・・・・・・・・境内では、「獣一面観音」に手を合わせてきた。、、、、仏の姿をし、やさしい童顔だが、頭には二本の角がはえた竜らしき顔がのっている。 “十”と“獣”をもじった仏である。

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● 宝泉寺からさらに北へ、川口市安行の近く、川口市大字東貝塚に「新郷貝塚」がある。 縄文時代後期の大規模な貝塚。 原形を留めている数少ない遺跡で、1m以上貝殻が堆積している部分もあり、竪穴住居跡や縄文人の骨も発見されているらしい。、、、、行ってはみたが、“貝塚”は地下に埋め戻され、見えるのは雑草の生えた地べただけ! 面白くない! 帰ろう!

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● 貝塚に近い、大竹バス停から川口駅にでて、帰る。

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2020年9月11日 (金)

本多忠勝、嘆くかも?

早朝に家を出て外房線(以前は、房総東線と呼んでいた)大原駅から、菜の花と桜で有名な「いすみ鉄道」に乗り大多喜駅まで行ってきた。 野暮用で来たので、町をブラつくひまもなく、ただただ「いすみ鉄道」に乗るだけとなった。 用事済ませば 夕暮時刻 昼ぬき腹ペコ 眠れぬ車中



● 8時過ぎ、早朝の大原駅に到着。 戦後の昭和20年代、私は両国から蒸気機関車でここまで来た。 大原では汽車が停まると給水したものだ。 その間、駅弁・冷凍ミカン・アイスなどが売られてた。 今は、なにもない、乗降客も少ない。 駅前は寂しい町となった!

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● 9時、JR大原駅の脇にある、「いすみ鉄道」大原駅から乗車する。 ほぼ50年ぶりの乗車にワクワク!、、、、一輌のワンマンカーに乗客は三人、儲かるのか?

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● 列車はのんびり、ゆっくり走る、車窓の景色はそれでも速い。 窓にくいつき、カメラでパチパチ。、、、、50年前の記憶が甦り、『アッ、思い出した、この橋だ!』、『アッ、よく親爺と降りたのは、この駅だ!』、『アッ、懐かしの車両、キハだ!』、『アッ、遊びに来たのは、こんな家だった!』

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● いすみ鉄道、30分の乗車はアッという間に過ぎ、目的地:大多喜駅に到着。、、、、アレレ、ここで三人降りたら、この先乗客なしのカラ列車、マジか(?) この鉄道経営には、本多忠勝(大多喜城主)も嘆いているかも?

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2020年9月 9日 (水)

目白文化村

都営大江戸線の落合南長崎駅にて下車し、新宿区中落合3丁目、4丁目、新宿区中井2丁目あたりをブラブラ。 大江戸線中井駅までの散歩です。


落合南長崎駅は、平成9年(1997)12月19日、都営12号線(現:大江戸線)新宿~練馬間延伸開業時に開業した駅。 地下17mに位置する島式ホーム1面2線の地下駅である。 ホームは島式1面2線の構造で地下3階(地下17m)にある。、、、、落合南長崎駅は、新宿区と豊島区の境界線付近に位置しており、新宿区側の地名が西落合、豊島区側の地名が南長崎であることから名付けられた。 2つの町の面子を立て、町名を併記した長ったらしい駅名である。、、、、朝8時、地下駅から地上に出ると、♪♪ ああ 長崎は今日も晴れだった ♪♪ ガンガン照りで気温29.5℃ 既に暑い!

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● 落合南長崎駅前は「目白通り」と「新目白通り」の交差点。 私は、目白通りを東(目白駅方向)へ歩く。 目白通り沿いの南側は中落合3丁目の町。

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・・・・・・・・・・・・中落合3-16にて、ごま油の小野田製油所前に出た!、、、、小野田製油では、江戸時代からの伝統的な製造法、御影の玉石による「玉締め法」と呼ばれる技法で、ごま油を作っているそうだ。 市販の「ごま油」とは異なり、添加物や別種の食油を加えて“油増し”せず、純粋な一番しぼりを手漉きの和紙で靜置濾過するという、非常に手間ヒマのかかる製法を守りつづけているそうだ。 ごま油の老舗!、、、、店は昭和7年(1932)の建築で、工場は左手(東側)に隣接している。

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・・・・・・・・・・・・目白通り、新目白通り、山手通りの三つの通りに囲まれた処が中落合3丁目、その三角形のド真ん中に「中落合厳島神社」がある。 住宅地の中にひっそりと佇む小社。 弁天様が静かに祀られている。 由緒不明!

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・・・・・・・・・・・・厳島神社の通りを西へ80m程いくと、川合玉堂門下の日本画家・渡辺玉花(1901~1996)が、大正14年(1925)から平成8年(1996)7月に亡くなるまで暮らし、創作した住居兼アトリエがある。 玉花の代表作は『源氏物語五十四帖』、、、、この辺りはかつて箱根土地(後の西武グループ)が、1920年代にロサンゼルスのビバリーヒルズの街並みをモデルとして開発・分譲した目白文化村と呼ばれていた処であるが、現存する当時(大正時代)の建物は少なくなった。 この家は目白文化村の分譲の際に土地を購入し建設されたものと思われ、当初平屋建てだったが、昭和10年頃2階を増築しアトリエとして使っていた。

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・・・・・・・・・・・・目白文化村と呼ばれた頃は、西洋風の家が建ち並び、電気、ガス、水道、下水設備が最初から埋設され、クラブハウス、テニスコートまで備えた、東急の田園調布と競うセレブな町だった。 ところがその街並みも、戦時中の空襲で多くが焼失し、文化村の面影は一変した。 また戦後、環状6号(山手通り)と放射7号線(新目白通り)という大規模な道路整備により、住宅地は分断され、当時をしのぶ建物はほとんど残っていない。、、、、中落合3-22に残るこの洋館風の住宅(Y邸)も朽ちてしまった。

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● 中落合3丁目から、新目白通りを横断し、中落合4丁目に入る。

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・・・・・・・・・・・・数年前に閉院した上田医院(中落合4)。 戦後の建物と思われるが、昭和の香りが漂う。 古そうで丈夫そうな外部の塀、コーナのアールがいいね。 木製の窓・玄関もナイス! 窓周囲のモザイクタイルも嬉しいね!

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・・・・・・・・・・・・中落合4丁目、目白文化村の一画であった地に、戦後の首相:石橋湛山の邸宅が残っている。 大きな洋館風の邸宅には、どなたかが住んでいると思われ、覗くのは止めた!

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・・・・・・・・・・・・石橋邸から西へ200m程(中落合4)に、江戸時代の遊行僧円空(1632~1695)の作である、不動明王(像高128cm)・矜羯羅童子(64cm)・制咤迦童子(67cm)の三体が祀られている、中井出世不動尊がある。、、、、粗末な堂の中に円空作の像があると思うと覗きたくなるが、中は見えない、残念! 不動明王像の公開は、毎月28日の午後御開帳の時、拝見できるらしい。

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・・・・・・・・・・・・中落合4丁目から南側に隣接する中井の町に向かい下る坂が、「一の坂」から「八の坂」まで順に並んでいる。 四の坂通りは階段坂で、「林芙美子記念館」前をくだる。

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● 中井から山手通りを横断し、中落合1丁目に入る。

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・・・・・・・・・・・・・・中落合1丁目の裏道に、大正から昭和にかけ活躍した建築家:阿部美樹志の設計により、大正14年(1925)に建てられた住宅(N邸)がある。 美しい洋館風建物。

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● 大江戸線中井駅は平成9年(1997)12月19日に開業した。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 山手通りおよびその地下を通る首都高速中央環状線山手トンネルの直下の約35mの深さにあり、ホームへは長~いエスカレーターで降りることになる。 エスカレーターで見下ろすと、チョイト恐いね。

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2020年9月 5日 (土)

切断された水門

今朝はモノレールに乗ってみたくなり、東京モノレール昭和島駅から西へ向かい京浜急行梅屋敷駅までの散歩となった。




● 東京モノレールは昭和39年(1964)9月に、浜松町駅~旧羽田空港駅間が開通する。 東京モノレールの車両基地は現:昭和島駅にあるが、当初は昭和島には駅は無かった。 昭和60年(1985)2月7日、昭和島駅が無人駅として開業する。 平成4年(1992)からは、全普通列車が停車するようにいなる。 現在は「普通」のみ停車、「空港快速」、「区間快速」は気持ちよく通過する。、、、、駅は当初、相対式2面2線の地上駅であったが、快速運行に合わせ待避線・追い越し線を兼ね島式ホーム2面4線に変更された。、、、、【注】昭和島は、大田区にある人工島で、同区の町名である。 昭和島一丁目及び昭和島二丁目がある。 人口は0人。

・・・・・・・・・・・・一日当たりの乗降客は6000人弱。 ホーム幅は狭く、ホーム上には自販機などは一切なし! 乗務員の交替も当駅で行われる。

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・・・・・・・・・・・・ホームの前後は車両基地だが、一般人は近づけない! ホーム横に止まっている車両を見るのみ。

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・・・・・・・・・・・・ホーム端から地下通路を通り出入り口に向かう。

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● 昭和島と運河を挟み向かいの大森東5丁目は、人道橋の「大森東避難橋」により結ばれている。 地元の住民はこの橋で昭和島駅へ向かう。 昭和47年(1972)架橋。 

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● 大森東避難橋を渡ると、すぐ横に呑川水門があったのだが? あれ、ゲートがない?、、、、なんと、鋼製のゲートを両サイドで支えていた鉄筋コンクリート製の支柱が見事に切断され、鋭利な刃物でスパッと切ったような綺麗な切断面が見えている。 ゲートはもちろん撤去され、水門の内側は船溜まりとして整備されていた。

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● 船溜まりの先には、呑川を埋め立て「旧呑川緑地公園」が整備されている。、、、、昭和30年代、東京オリンピックをむかえるため、東京湾の埋め立て・整備がはじまり、旧呑川も埋め立てがはじまった。 昭和50年代には旧呑川は完全に埋め立てられた。、、、、世田谷区から流れ東京湾に注ぐ呑川は、京急蒲田駅付近から東(東京湾)に一直線に流れ下る新呑川が造られた。 時は昭和10年代のことである。

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● 大森東4丁目にて・・・・・・
・・・・・・・・・・・・屋敷稲荷だったのか「朝田稲荷」。 境内には「朝田代々之霊」と標した墓石があった。

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・・・・・・・・・・・・昭和の香りが残る「〇〇〇荘」アパート、、、、この付近には多くの「〇〇〇荘」がある。
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三輪厳島神社は大田区大森東4にある神社です。 三輪厳島神社は、冶承4年(1180)源義経が平泉から鎌倉に向かう途次の船に乗船中強風により漂流、当地の社に護られたことを感謝して一宇となった。 当地には三輪神社が鎮座していたが、明治42年(1909)白山神社を合祀、昭和3年(1928)に現在の社務所の位置にあった厳島神社を合祀して三輪厳島神社とした。、、、、大森海苔の守護神として古来より伝わっているそうだ!


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● 産業道路を横断し、大森中2丁目に入ると、真言宗智山派寺院の密乗院がある。 密乗院は海光山大森寺と号し、約800年前に創建した。 江戸時代に寺領20石の御朱印状を拝領し、大森の諸神社の別当寺であった。 本尊は不動明王 、、、、瓦ぶき山門が出迎えてくれる、本堂は白壁が眩しい、スッキリした綺麗な建物である。 境内はよく整備された日本庭園のような落ち着く空間。

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● 明治34年(1901)2月1日に開業した梅屋敷駅。 開業当時は道路上の停留所であったが、今は、ホーム長113mの相対式ホーム2面2線を有する高架駅となった。 一日の乗降客は約1万5千人、普通列車のみ停車する、のんびりした駅である。

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2020年9月 4日 (金)

また踏切が無くなる!

日本の上空は異常気象に覆われ、今日も猛暑! 「散歩は止めて、またごろ寝」と思ったら、妻からスカイツリーのある『ソラマチに行こう』とお誘い。 買い物とランチを兼ねて行ってきた。 買い物・食事も終え、折角来たからチョイト、スカイツリーの周辺をブラついてきた。




● 「ソラマチ」は、スカイツリーの足下に約300店の店舗で展開する商業施設。 オープン後、早8年、平成24年(2012)の開業である。 我が家からは、地下鉄で4駅目、片道15分程で行ける、便利なショッピングタウンである。、、、これまでは外人観光客が多く、人を掻き分け、煩わしい処であった。 只今は、日本人ばかりで、お店も空き・空き・空き、可愛い店員さんも大好き!

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● たまには、スカイツリーをじっくり撮ってみた!、、、、御存知、高さ634mはどこから見ても高い! 下から見上げる撮影はチョイトしんどいね! エスカレーターで同じ姿勢をしたら逮捕!

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● スカイツリーの脇には、東武伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」がある。、、、、とうきょうスカイツリー駅は、明治35年(1902)4月1日に吾妻橋駅として開業した。 昭和6年(1931)に、業平橋駅(なりひらばしえき)に改称。 平成24年(2012)、スカイツリーの開業に合わせ「とうきょうスカイツリー駅」に改称。 駅は、築堤上に島式ホーム1面2線を有する高架駅。


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・・・・・・・・・・・・ホーム東端の先では高架から地上に下り、本線の脇に数本の電留線がある。

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・・・・・・・・・・・・電留線の端部には、区道(桜橋通り)と交差する伊勢崎線第2号踏切がある。 この踏切は“開かずの踏切”まではいかないが、“重大事故の起きそうな踏切”である。

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・・・・・・・・・・・・東武鉄道、墨田区では、「とうきょうスカイツリー駅」から、伊勢崎線第2号踏の先まで高架化し、渋滞緩和することとした。 とうきょうスカイツリー駅を東へ約150m移設する工事を含めた高架化事業が、2024年度の完成を目指して着工した。 事業費315億円のうち東武が80億円、墨田区が国費と都費を含めて235億円を負担する。、、、完成すると、浅草駅から鐘ヶ淵駅手前までは高架となる。 踏切がまた無くなる、踏切好きの私にとっては、チョイト寂しいね!

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