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2020年9月28日 (月)

巨大やかん

北総線矢切駅から、じゅんさい池、国分寺を巡る散歩です。



● 朝、印西牧の原行きの電車はガラガラ、コロナ感染の不安も小さい。 我が家(浅草橋)から北総線直通電車で乗り換えなしの27分、矢切駅到着。 『さー、歩くぞ!』

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● 矢切駅から「じゅん采池緑地」に向かい裏道を歩くと、浄土真宗本願寺派の寺院「瑞雲山中原寺」がある。、、、、古くは天台宗で、甲斐国山梨郡牛奥村に一寺を建立したことに始まる中原寺は、幾多の歴史を経て、昭和22年(1947)に荒川区より現在地に移転し今日に至った。、、、、境内は斜面にあり、こじんまりとした寺だが、檀家は多そうだ。

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● 中原寺の南、国府台と国分の台地間に深く入り込んだ地に、古くからの沼がある。 この沼を国分沼と呼んでいたが、沼にはじゅん菜がたくさん生えていたことから、じゅん菜池と呼ばれるようになった。 昔は近隣の農家の人々が、じゅん菜を摘んで出荷したこともあったらしいが、昭和初期に沼が何度も干上がり、ついにじゅん菜は絶滅してしまった。 戦後、沼は田んぼに変わったが、地元からの“じゅん菜池”復元の要望を受け、 昭和54年(1979)に、現在の「じゅん菜池緑地」に整備された。、、、、緑地の周囲には住宅が建ち並び、住民の利用が多そうだ、緑多い癒しの公園として大切に利用して欲しいね。
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・・・・・・・・・・・・じゅん采池緑地の入口前にある庚申塔。 道端にある庚申塔には青面金剛の文字が彫られている。 “文化十三年”(1816)と標されていた。


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● じゅん采池緑地から南東へ500m程、一面芝の公園として「下総国分尼寺跡」がある。 遺跡は地下に埋め戻されているので見えないが、講堂跡、金堂跡には、それを記したプレートが置かれてる。、、、、国分尼寺は、国分僧寺と同じように、聖武天皇が天平13年(741)に発した「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」(尼寺の正式名称)として各国々に建立した。 建立の実年代は不詳。 この地はかつて「昔堂(むかしどう)」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていたが、昭和8年に多くの瓦とともに底部に「尼寺」と墨書された土器が発見され、尼寺跡であると判明した。 伽藍配置は、南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にあります。昭和42年夏に行われた発掘調査では、東西25.5メートル、南北22.4メートルの金堂基壇と、東西27メートル、南北19メートルの講堂基壇が発見されています。

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・・・・・・・・・・・・【チョイト雑談】聖武天皇が法華寺を総本山として国分尼寺を建立したが、同時期に日本に設置された戒壇では、女性の授戒を禁じたために、女性は正式に尼になることが出来ず、国分尼寺をはじめとした尼寺もほどなく衰退したそうだ。(これ本当の話)、、、、天皇は“尼寺をつくれ”、戒律は“女はダメ”、廃れた寺では“女賭博師尼寺開帳”  “昇り竜のお銀”姐さん(江波杏子)が活躍した?

・・・・・・・・・・・・【まじめな話】廃れた国分尼寺跡は、かつて馬捨て場だったそうだ。 周辺には、馬を弔う馬頭観音が複数存在している。

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● 下総国分尼寺跡の東500m程に、臨済宗大徳寺派の寺院、竺園寺(ちくおんじ)がある。 創建は鎌倉時代末期から南北朝初期と推定される。 本堂前の前には四方に枝を巡らせた臥龍の松があるのだが、今日は葬儀がありチョイト本堂には近づけない、離れた位置からパチリ!

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・・・・・・・・・・・・竺園寺は下総観音十八番札所として知られ、園通堂は600年前に建立され十一面観音が祀られ古くから修行と信仰の場とされてきた。 
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● 竺園寺から坂を上がり南へ向かうと、日枝神社に隣接する真言宗豊山派の寺院、護国山龍珠院般若寺がある。 本尊は不動明王立像。 本堂前の弘法大師像と、建物にかかるように植えられたカエデの木が印象的です。 墓地には陸軍兵士の石碑があり、かつて陸軍の町であった戦前の市川の面影を今に伝えています。

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・・・・・・・・・・・・龍珠院と地続きで隣に国分日枝神社がある。、、、、国分日枝神社の創建年代は不詳だが、鳥居に元禄2年(1689)建立の銘があり、江戸時代中期以前の創建であることが判る。 現在の拝殿は昭和56年(1981)に改築された。

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● 下総国分寺跡の伽藍は現在の国分寺と重複する位置にあり、金堂跡は現在の本堂の場所にあたる。金堂と塔が東西に並ぶ法隆寺式伽藍配置である。ただし、塔は西に、金堂・講堂は東に傾いており、堂塔の向きは一定ではない。 一帯は須和田遺跡や国府跡推定地が残り、古くから文化的中心地であった。国分僧寺も国分尼寺と同様に変遷は明らかでないが、9世紀代は充実している一方で10世紀代から衰退が見られ、大きな変容が認められている。 現在の国分寺の北側に、「下総国分寺跡」があるが、本日は雑草を刈っていたため、仕事のジャマをしないようチョイトだけ拝見!

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・・・・・・・・・・・・現在の国分寺は真言宗豊山派の寺院。 山号は国分山。 本尊は薬師如来。 下総国国分寺の後継寺院にあたる。

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● 国分寺の隣りは、真言宗豊山派寺院の宝珠院。 山号は玉王山。 宝珠院は、順光法印が開基となり元和7年(1621)に創建した。 といいます。

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・・・・・・・・・・・・本堂横に鎮座する、巨大やかん。 『コリャ、何だ?』 高さは黒い取っ手のところで150cm程、球体の直径は100cm程、やかんの注ぎ口は蓋がされている。 実用的でないやかんだ! 材質は???不明、金属ではないかも? やかんが境内にある理由は、ただただなんとなく、らしいが、住職いわく『昼だけでなく夜間(=やかん)も、 ご利益がありますように』と、思いを込めて置いてるそうだ。

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● 国分の台地から下り、市川駅へ向かう・・・・・・ 

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