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2020年10月12日 (月)

赤ちゃん寺

台風一過の青空とはならず、熱帯低気圧に変身し、曇り空で夜が明けた。 今日は王子駅で下車し、石神井川の最下流である隅田川付近から遡り歩く予定で家を出た。 王子駅に着いたら計画は変わり、王子駅から板橋駅へ向かって歩くことにした。 この計画も散歩の途中で変わり、最終的には、西巣鴨駅までの散歩となった。、、、、散歩の目的地が無く、気ままに歩くので、計画変更は毎度のこと!




● 京浜東北線の王子駅南口(東京駅寄りの出入口)は、いま一つ存在感が薄い。(我が家の最寄り駅、浅草橋駅西口と同じだ) 駅前は狭く、道はそのまま裏通りとなり、住宅密集地へ伸びている。、、、、南口は、間違いなく、王子駅の裏口である。

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・・・・・・・・・・・・南口から西側の東北本線の線路側に向かうと、跨線橋が見える。 この跨線橋を渡ると飛鳥山公園の中央に出ることができる。 この跨線橋は「飛鳥山下跨線人道橋」と名付けられて、橋上の通路はJR東日本の管理下となっていてあくまで王子駅の施設の一部であり、道路としては認定されていない。 大正14年(1925)竣工で、今は少なくなった古レールを再利用した跨線橋。 橋は中路ブレースドリブ固定アーチ橋と云う形式で、橋長 41.0m、幅員 2.74m。

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● 跨線橋を渡ると、王子1丁目と西ヶ原2丁目に跨る区立飛鳥山公園の中だ。 飛鳥山は滝野川村の範疇だったが王子権現に寄進されたため王子村となった。 公園は、八代将軍徳川吉宗の指示で1270本の桜を植え大岡越前の時代、江戸庶民のためにこの地を花見の地としたのが始まりといわれる。 まさに、日本最初の公園で、桜の名所でもある。、、、、現在も桜の名所はかわらないが、園内に北区飛鳥山博物館・紙の博物館・渋沢史料館が並んでいる。、、、、公園内には、多くの石碑・像がある。 石碑は漢文調の文章で読めない、像はココに置かれている意味不明?など、チョイト整理して欲しいね! 

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● 飛鳥山公園の西、北区滝野川2丁目に醸造試験所跡地公園がありその一角に国重要文化財である「旧醸造試験所第一工場(赤煉瓦醸造工場)」が保存されている。 、、、、明治37年(1904)大蔵省醸造試験所として設置された。 建物は明治35年(1902)施工の煉瓦造3階建て。 設計の妻木頼黄(つまきよりなか、大蔵省営繕課)は日本酒の仕込みを四季を通じて行えるようにするため、ドイツ留学時のドイツの近代化されたビール工場を参考に設計したそうだ。 妻木は、コンドルに学び、横浜赤レンガ倉庫や日本橋を造った。、、、、醸造試験所は、国税庁から独立して行政法人となった平成7年(1995)に、主力は最新設備を備えた広島に移った。
、、、、3枚目の写真は、酒類総合研究所広報誌【NRIB】に載っていた創立当初の醸造試験所。 周囲には畑があったようだ!

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● 赤煉瓦醸造工場から西へ100m程歩くと、浄土宗寺院「正受院」の長い参道がある。 参道途中に、第二次大戦の戦禍を免れた、明治35年(1902)建立の竜宮門形式の鐘楼門が出迎えてくれる。 鐘楼門の下部は大谷石造で特徴的。 本堂は大正3年(1914)築。、、、、正受院は、弘治年間(1555~1558)大和国に住み不動即我の密法を修していた学仙房という僧が霊夢によって武蔵国に来て開いたといわれ、本尊阿弥陀如来像は行基の作と伝えられている。

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・・・・・・・・・・・・本堂前には、江戸時代に北方(択捉島)を探検した近藤重蔵の甲冑姿石像がある。、、、、顔がチョイト崩れているが、イメージは掴めるね! 韓国で整形してもらうと、韓流スター並みの顔になるかも? 

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・・・・・・・・・・・・本堂横の慈眼堂は平成に建て替えられた、赤子供養の仏堂。 ここを「赤ちゃん寺」と云うそうだ、『北区史』によると由来は、江戸時代から札所として独立した観音堂を持っていたことから、昭和23年の優生保護法施行を機に、昭和29年頃に東京都の衛生局と、赤子の納骨及び供養をする寺として話がまとめられたことに由来するという。、、、、慈眼堂にはおもちゃ・お菓子・ぬいぐるみが供えられている。 供養される赤子が多いのか?、、、、慈眼堂の横に、「地蔵大菩薩 赤ちゃんの供養塔」もある。

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・・・・・・・・・・・・本堂裏の不動の滝にあった不動明王像を祀る不動堂。 建物は昭和初期の建造。

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● 正受院の北側を流れる石神井川に出てみた!、、、、松橋・紅葉橋から見ると、昨日までの雨で水量は多そうだ。 しかし、川底は周囲に比べ深い位置にあるね。 昔はもっと浅い位置に川底があり、周囲の景観と調和した親しみある川だったと思うね。

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● 紅葉橋の際(滝野川3)にある真言宗豊山派の寺院「金剛寺」、、、、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177~1181)に源頼朝がこの辺りに布陣したとも記されている。 この寺の弁財天は、「岩屋弁天」「松橋弁天」とも呼ばれ、多くの信仰を集めた。 また、紅葉の名所であったことから「紅葉寺」とも呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・山門の後ろに、外から見えないように、石造の仁王像が恥ずかし気に立っている。 二神ともに筋肉隆々、力強く、たくましく神からは、ほど遠い! ここの仁王は、身体ブヨブヨ、背丈は短く、チョイト弱々しい、一刻も早くライザップで身体を整えることを薦める!

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● 金剛寺の南に、大小15棟(762戸)が建ち並ぶ「都営滝野川3丁目アパート」がある。 昭和40年代の建物だ。、、、、建物のデザインに統一性が見られない団地だ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地の一画に、チョイト薄暗く、荒れたような「四本木稲荷神社」がある。 “四本木”は“よもとぎ”と読む。 境内の石碑によると、滝野川3、4丁目にかかるこの辺り一帯は「雷汞場(らいこうば)」と呼ばれた陸軍第一造兵廠滝野川工場の跡らしい。 神社は、十条工場の北東隅(稲荷公園)に建っていた東京陸軍第一造兵廠の守護神社で、滝野川にあるこの社はその分祠だが、戦中に本祠が焼失したためここだけが残り、戦後本祠も遷したそうだ。 鳥居は「昭和12年建立」とあり、この神社が戦争一色の時代に建てられたことが判る。、、、、“四本木”の地名の由来は、簡単!、ここに四本の大木があったから工場の人たちが命名した。


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● 滝野川5丁目に入り、滝野川八幡神社に参る。 八幡神社は旧滝野川村の鎮守。 祭神は品陀和氣命(ほんだわけのみこと・第15代 応神天皇)で、創建は建仁2年(1202)と云われてるが、詳細は不明。  社殿の裏手からは縄文時代後期の住居址が発見されており、考古学的にも貴重な遺跡に立地しています。 神仏分離以前は金剛寺が別当寺であった。 本殿は総欅造り、明治18年(1885)に改築されており、拝殿は大正11年(1922)に修築された。、、、、地元の人が、ひっきりなしに参拝に来るので、実入りの良さそうな神社と“お見受けした”

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● 八幡神社の脇から、半分シャッター商店街となった思われる「八幡通り商店街」を歩いて板橋駅に向かう。、、、、商店街を抜けると、国道17号(中山道)に出た。 ここで、前を歩く数人の人は板橋駅とは反対方向に曲がった。 『アレ、みんな駅へ行かないのか』、チョイト気になり地図を見ると、板橋駅へ行くより、都営三田線西巣鴨駅が近くに在ることが判り、納得! 私も、板橋駅まで歩くのは止めた、西巣鴨駅から帰ることにした。

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