六地蔵の故郷へ?
「江戸六地蔵」にまつわる散歩も、いよいよ今日で最後とする。 今日は、『江戸六地蔵の鋳造は神田鍋町の鋳物師、太田駿河守藤原正儀による』を手掛かりに、「神田鍋町」周辺を歩いてみた。、、、、浅草橋の我が家から、神田駅界隈を散歩。 往復歩いて1万歩。
・・・・・・・・・「神田鍋町」は、今はない!、、、、まずは、地図で神田鍋町を探すが見つからない。 神田鍋町は寛永年間(1624~1645)に成立し、昭和8年に廃止された。 現在では、概ね神田鍛冶町3丁目に該当する、中央通り地下の東京メトロ銀座線神田駅ホームを挟んだ両側だと思えばよい(なお、JRの神田駅は江戸時代の神田鍛冶町にある) 江戸幕府は日本各地の名工を、江戸に呼び寄せ最大級の鋳物の街と鍛冶の街をつくった。 この地は、“鋳物師”の椎名山城に下された土地なので「神田鍋町」と称した。 隣り町は、幕府鍛冶方棟梁高井伊織の拝領地で「神田鍛冶町」と称した。
・・・・・・・・・「太田正儀」は、神田鍋町の住人?、、、、江戸六地蔵の鋳物師「太田正儀」の名は、もしくは似た名は、六地蔵の他にも、寛永寺の鐘楼、浅草寺の二尊仏、谷中天王寺の釈迦如来座像、赤坂浄土寺の地蔵菩薩坐像などに残されている。 いずれも、『神田鍋町の太田〇〇』と標されている。 つまり、太田一族、太田一門、太田家の“第〇代太田正儀”など、同一人物か、同門か、同族か、いずれかの鋳物師が住んでいたと思われる。 (写真左から、寛永寺梵鐘、天王寺釈迦如来座像)

・・・・・・・・・「江戸六地蔵」は、神田鍋町生まれか?、、、、江戸時代の“キューポラの街”神田鍋町では、江戸の町が大きくなるにつれ、活動が制限され、大きな仏像・梵鐘・燈籠などの鋳造が禁止された。 大きなものは、江戸から離れた処で鋳造することとなる。 江戸六地蔵は最大2.75m、これが大きいか、小さいかは判らないが、私はこの神田鍋町で鋳造したと思う(根拠なし!)、、、、“江戸”六地蔵が東京以外の他県生まれじゃ、シャレにならないからね!
● 15時過ぎに散歩に出た。 普段、見慣れた景色でキョロキョロするする必要も無く、スタコラサッサと、浅草橋駅、靖国通り、都立一橋高校と通過する。



・・・・・・・・・・・・清洲橋通りと靖国通りが交わる東神田交差点から南に向かうと、一橋高校の西側で道は神田方向に曲がっていく。 この道が「神田金物通り」と呼ばれ、JR神田駅まで続く。 この通り沿いには、その名のごとく金物問屋が多く並んでいた。 その始まりは大正12年(1923)の関東大震災以後のことである。 江戸時代から金属産業の拠点であった神田鍛冶町や神田鍋町が隣接し、新しい交通・運搬手段となった鉄道の神田駅が大正8年(1919)に完成したこともあり、日本橋方面からも金物問屋が移転してきたようで、一大集積地となったそうだ。 また、岩本町2丁目の裏通りには、金物の神様とされる金山彦命・金山姫命の分霊が祀られ、戦後の昭和29年(1954)に「金山神社」が創建された。、、、、いづれも、大正・昭和の話であるが、江戸時代の“キューポラの街”の続きである。





● 神田金物通りからJR神田駅のある鍛冶町に入る。、、、、ここで、チョイト【鍛冶町の不思議】について。 鍛冶町は見た目には、1丁目から3丁目まであるが、正式には「千代田区鍛冶町」は1丁目と2丁目しかない。 3丁目は「千代田区神田鍛冶町3丁目」である。 つまり、3丁目は“鍛冶町”の前に“神田”を冠するのである。 この理由は、昭和37年(1962)の住居表示変更の際、1丁目・2丁目は“神田”をとった。 神田鍋町から神田鍛冶町3丁目に変わった住民は、“神田”をとることに抵抗したためである。、、、、証拠は、「鍛冶町一丁目」のバス停と「神田鍛冶町三丁目」の案内板の説明文と地図




● JR、東京メトロの神田駅・・・・・オリンピックに向け改良したのか? どちらも、綺麗になった神田駅。
・・・・・・・・・・・・JRの神田駅、、、、大正8年(1919)3月1日、鉄道院中央本線の万世橋駅~東京駅延伸開業に伴い、中央本線の途中駅として開業。 6年後の大正14年(1925)東北本線秋葉原駅~神田駅延伸開業に伴い、東北本線の駅として開業。、、、、所在地は千代田区鍛冶町2丁目なり。



・・・・・・・・・・・・東京メトロの神田駅、、、、昭和6年(1931)11月21日に東京地下鉄道の駅として開業。 JRとの連絡通路はあるが、ホームは中央通りの地下。


● 昔、神田鍋町。今、神田鍛冶町三丁目(昔の名前で出て欲しいね!)、、、、神田鍋町、神田鍛冶町のどちらも、江戸時代を語るものは何もない、今はサラリーマンの街。、、、、仏を鋳造し極楽浄土へ導く街は、酒を注入し厭離穢土へ導く街に変身! 「江戸六地蔵」もこの変身にはビックリ!!





● 「江戸六地蔵」巡りも終わり、帰り路はJR総武線の高架橋沿いに、浅草橋の我が家へ戻る。、、、、タバコをやめて13年目、会社勤務を終えて12年目、完全に酒を飲まなくなって6年目、ネオン・提灯の明かりに誘惑されることもない、安心・安全に帰宅。

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