« 六地蔵の六番目? | トップページ | 六地蔵の故郷へ? »

2020年10月28日 (水)

六地蔵の六番目の座は?

江戸六地蔵の一番から五番までは現存し、六番は取り壊された。 その空席となった六番目の“座”をチャッカリと占領した地蔵菩薩が、上野の山の浄名院にいる。 今日の散歩は、この地蔵菩薩に会ってこようと、浅草橋の我が家から歩き上野の山へ。 上野駅、両大師、寛永寺と巡り、浄名院で地蔵菩薩とご対面、その後京成本線のトンネルを見て、日暮里駅まで。 1万2千歩の散歩。




● 只今、朝7時15分、我が家を出る、まだ人通りも少なく歩きやすい。 蔵前橋通り、春日通りを横断し、8時、上野駅前到着。

2010280719410

2010280727540

2010280732180

2010280742110

2010280807330



● 上野駅の北側に架かる跨線橋を行く。 山手線、京浜東北線、東北本線、常磐線、そして引上げ線、多くの線路を跨ぐ橋。 昭和8年(1933)に架けられた橋は、昭和45・46年(1970・1971)に現橋に架け替えられた。 橋は上野公園側に輪王寺両大師堂があることから「両大師橋」と命名された。、、、、上野駅に発着する、東北・信越・上越の特急列車・寝台列車は新幹線に変わり、この橋からは見えなくなってしまった。 チョイト、侘しいね!

2010280826450

2010280821330

2010280822150

2010280824500

2010280827080



輪王寺両大師堂は、正保元年(1644)に寛永寺開山天海僧正の像を安置する堂として建立。 天海僧正の戒名は慈眼大師で、「開山堂」また「慈眼堂」と称した。その後、天海僧正が尊敬した高僧慈恵大師の像も安置したため、慈眼大師と共に「両大師」と呼ばれるようになった。 開山堂は慶応4年(1868)の上野戦争では焼け残ったが、平成元年(1989)に火災に遭い、天明元年(1781)再建の開山堂と寛政4年(1792)再建の本堂が焼失した。 現在の本堂は平成5年(1993)に再建されたものだ。、、、、寺では、面白いデザインの“疫病退散”護符を授与してくれるので、その案内が貼られていた。 戸口に貼っておくと効果あるかも? インテリアとしてもGood!


2010280835510

2010280832260

2010280833350



● 東京国立博物館の裏側(北側)を歩き、寛永寺に向かう。 寛永寺霊園の中に、「厳有院殿(徳川家綱)霊廟勅額門」、「常憲院殿(徳川綱吉)霊廟勅額門」の重要文化財が見られる。 300年以上前に造られた門。、、、、もちろん無料!

2010280850580

2010280858270


・・・・・・・・・・・・寛永寺は、台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。 東叡山寛永寺円頓院と号する。、、、、本堂である根本中堂は、元禄11年(1698)に、現在の上野公園内大噴水の地に建立された。 しかし、慶応4年(1868)彰義隊の戦争にて焼失した。 現在の根本中堂は、明治12年に川越喜多院の本地堂を山内子院の大慈院(現寛永寺)の地に移築し、再建したものである。 間口・奥行ともに7間(17.4m)の正方形の建物である。、、、、本尊は、伝教大師最澄上人の御自刻とされる薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)を秘仏として祀っている。、、、、どこの寺院もコロナの影響で、扉を開き換気には気を使っているが、中には反対に、扉をピッタリ閉めて参拝客とコロナを入れない寺もある。 根本中堂では、若い僧侶が扉を開いて堂内の換気を良くしていた。 

2010280907290



● 根本中堂からは北へ100m程、言問通りに面して、寛文6年(1667)に寛永寺の一坊として開かれた浄名院がある。 享保8年(1823)に寺号を浄円院から浄名院へ改めたといいます。、、、、境内にはおびただしい数の地蔵菩薩が祀られ、「八万四千体地蔵」の寺として有名である。 これは明治12年(1879)に住職の妙運大和尚が84,000体の地蔵菩薩像の建立を発願したのが起源である。 寛永寺貫首だった北白川宮能久親王を始め、華族や財閥なども賛同して多くの地蔵を奉納した。 地蔵の奉納は、今も続き年々増え続けている。、、、、境内の地蔵さまの数を見ると圧倒される。 明治9年には「地蔵山総本尊」を建立した。 その後「境内六地蔵」、「へちま地蔵」、「水子地蔵」、「あらい地蔵」など、あたかも、寺のコレクションでいろいろな地蔵菩薩を集めているような感じだ! (2018年時点で、約26,000体)

2010280915490

2010280922320

2010280931480

2010280933190

2010280933510

2010280929110


・・・・・・・・・・・・これだけの地蔵が集まると、コレクターとしては有名な「江戸六地蔵」の一体ぐらいは欲しくなるね!、、、、明治元年に廃仏毀釈で永代寺が廃寺になり、「江戸六地蔵」の一つだった地蔵も破壊されたため、1体の空きができた。 そこで、当院が明治39年(1906)に建立した地蔵を「江戸六地蔵第六番」と称するようになった。 像の脇の「東京(江戸)六地蔵由来」では、六番の永代寺に変わり、堂々と六番浄名院と記されている。 また像の台座には「六番」と彫られている。、、、、この件について世間では賛否両論あるそうだ。 この一件は、誰がどのように決着させるのか? 当初の「江戸六地蔵」の発願者:地蔵坊正元は、彼の世でどう感じているのやら? 『仏のことは、ほっとけ!』


2010280927350

2010280925510

2010280932250

2010280925090

2010280924170



● 日暮里駅を発車した京成スカイライナーは、R160 の右カーブで車輪を軋ませながら、常磐線・東北本線・京浜東北線・山手線等の線路を次々と越えて、上野の山の地下へもぐり込んでいく。 このトンネルが「上野トンネル」で、もぐると京成上野駅(地下駅)まで一本だ。、、、、トンネル上部には「東臺門」(とうだいもん)の扁額が掲げられている。「東臺門」とは、「上野の山の門」という意味で、具体的には東叡山寛永寺のことを指しています。


2010280944091

2010280943100

« 六地蔵の六番目? | トップページ | 六地蔵の故郷へ? »

散歩」カテゴリの記事

台東区」カテゴリの記事