観光客が戻ってきた!
今日は文化の日。 今朝から、小雨がぱらついたり、どんより曇ったり、落ち着きのない一日となった。 文化の日は、「晴れの特異日」のはずだが、今日は“得意技”を出すのを忘れたようだ!、、、、早朝の散歩は取り止め、昼前に夫婦で昼食を兼ね浅草へ行ってきた。
● しばらく閑古鳥が鳴く浅草であったが、今日は最盛期の半分ぐらいの人出かな?、活気が戻ってきた。 歩いて気付いたのは、中国人ツアーがいない、イスラムのスカーフを巻いた女性がいない、欧米のスマートなカップルがいない。 目立つのは日本人が多いね!、、、、日本人観光客は今がチャンスかも? どこの店も、ちょうど居心地の良い込み具合だ。 マナーの悪い人に気分を害されることもない。 どこの道ものんびりゆったり歩け、“密”の心配不要!








● 浅草寺は正月に向け、本堂天井画の修復工事真っ最中。 正月の初詣前には足場も撤去しないとね!、、、、妻『天井にどんな画が描かれてた?』 私『年に何回も来ていて、知らないのか! 龍の画だよ!』 妻『(関心がなく)フ~~ン』 私(心配になり、内緒で、ネットで確認すると、中央に龍、左右に天女)『(声も大きく)記憶力は俺の方が良いね!』 妻『(興味ナシ)・・・・・』



● 本堂裏に新しくなった「銭塚地蔵尊」がある。 昭和39年(1964)に再建した堂も古くなり、昨年末、鉄筋コンクリート造の新しい堂が完成した。 堂内には、六地蔵尊が祀られ、この像の下には江戸時代の貨幣「寛永通宝」が埋められていると云われている。、、、、その由来は、江戸時代後期に摂津国(兵庫県)に山口貞樹という武士の妻が住んでいて、垣根の修理中に庭先で「寛永通宝」がいっぱい詰まった壺を掘り当てたが、山分けしようとした人夫たちを「銭は働いて得るもの」と諭し、壺を再び埋めてしまった。 二人の息子たちも母の教えを守り、真面目に働いたから山口家は栄え、壺の上に塚を作り地蔵尊を建て「銭塚地蔵尊」と呼ばれた。 正徳3年(1713)息子の一人が浅草で成功し、郷里の銭塚地蔵尊から分祀したものである。正直・質素を旨として商売繁盛の祈願を集めている。


● 浅草寺境内(宝蔵門脇)に、「濡れ仏」の名で世に知られる「二尊仏」がある。 ここには、観世音菩薩(右)、勢至菩薩(左)二菩薩の金銅坐像がある。 像の高さは共に2.36m、蓮台を含めれば4.54mにおよぶ。 蓮弁台座銘によれば、願主は上野国(群馬県)館林在大久保村の高瀬善兵衛、かって奉公した日本橋伊勢町の米問屋成井家より受けた恩を謝し、観音像は、旧主善三郎の菩提を弔うため、勢至像はその子次郎助の繁栄を祈るため、貞享4年(1687)に造立した。、、、、この像も、江戸六地蔵と同じ鋳物師:神田鍋町の太田久衛門正儀の鋳造である。、、、、また、この像と同形で、寄進者・鋳造者も同じ元禄3年(1690)在銘の像が群馬県館林市茂林寺にある。 館林では、チョイト簡単に『像を見に、散歩してくる』と家を出るわけにはいかず、残念!

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