江戸川区の中心
ここ数日、コロナ新規感染者数は東京で500人を超え、都民はピリピリしている。 さらに『高齢者の不要不急の外出はひかえて欲しい』と云われると、散歩するのも躊躇する。 今日も“密”を避けて、都営新宿線の船堀駅から、東京メトロ東西線の葛西駅まで歩いてきた。 1万歩。
● 乗客の少ないガラガラ電車で船堀駅に到着。 かつて金魚の養殖が盛んだった街「船堀」をアピールする金魚の駅の壁画、かつて白鷺が群れ飛ぶ田園地帯「船堀」を象徴する駅前の白鷺の像、いずれも“かつて”の船堀だ! 今の船堀は江戸川区の中心部で、駅の北側にあった都営住宅の跡地に区役所を新築・移転する予定である。




・・・・・・・・・・・・駅前に建っている“梯子”のような塔、コレは何?、、、、一番上の緑の位置が江戸川区を流れる中川の堤防の高さ、その下の赤の位置が伊勢湾台風クラスが襲来した時の推定最高潮位、黄の位置は昭和24年のキティ台風襲来時の潮位、水色の位置は平時の最高潮位。 要するに、堤防が決壊すると江戸川区は水没すると云うことだ。 コロナも心配だが、台風・地震がそれ以上に恐いね! ハザードマップをよく見て、日頃からは早めの対策を心がけよう!

● 駅から船堀街道を南下し、新川に架かる宇喜田橋を渡る。、、、、初代の宇喜田橋は昭和4年(1929)に架設された賃取橋(有料の橋)であった。 二代目は昭和15年(1940)木造で架橋された。 現在は三代目で、昭和32年(1957)に架設された長さ37.5mの中路鋼床版箱桁橋で、日本初の鋼床版橋である。 設計・架設は横河橋梁製作所。


・・・・・・・・・・・・新川は、並行する都営新宿線と東京メトロ東西線の中程を東西に流れ、中川と旧江戸川を結ぶ運河である。 徳川家康が江戸に入府し、利根川流域から江戸に向け水運を活発化させる整備事業として造られた。 日本橋茅場町から隅田川をチョイと上って、小名木川に入り、小松川閘門を通り新川に入り、浦安の北側で旧江戸川に入り、またまた川を上り行徳に至る水運路が整備された。(注:江戸時代には、現在の荒川・中川は無かった)、、、、家康は古くからあった隅田川、旧中川、旧江戸川を小名木川、新川の運河で結び、行徳の塩、利根川周辺の味噌、醤油、東北地方の年貢米など、江戸へ輸送する大動脈を構築したのである。

● 新川を越えて、左に曲がり、右に曲がり、左に、右に、ギザギザに歩いて、北葛西4にある浄土宗の寺「華光山巌池院法蓮寺」の前に出た。 立派な山門の奥に、鉄筋コンクリート造の立派な本堂が見えた。 チョイト、手を合わせて行こう。、、、、寛永3年(1626)宇喜田新田の開発者宇田川喜兵衛定氏の隠居所跡に、子の定次が亡父追悼ために建てたのが草創。 開山は寛永13年(1636)真譽上人。 法蓮は定氏の入道名。 本尊は二尺一寸五分の阿弥陀如来で、聖徳太子の作と伝えられているそうだ。、、、、境内にある、駒形の月日青面金剛像邪鬼三猿二鶏の庚申塔(正徳5年(1715)銘)は、さほど劣化しておらず良い状態で残っている。



● 葛西橋通りを東に歩き、都バスの江戸川営業所付近から、右に、左に、また右に、また左に、何度か曲がって、東京メトロ東西線の葛西駅に向かう。


・・・・・・・・・・・・葛西駅に到着。 葛西駅は昭和44年(1969)3月29日 に開業の高架駅。、、、、駅前のバス停に、ナント!秋葉原駅行きが停まってる。 このバスに乗れば、浅草橋(我が家)の近くを通るだろうと思い、丁度、発車寸前、あわてて乗る。(写真を撮る時間も無し)

« 戸田橋と荒川橋梁 | トップページ | 道なりに二社一寺 »