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2020年11月28日 (土)

名前に魅せられて

今日はチョイト早起きして、埼玉県草加市の北東、中川の岸にある女体神社(草加市柿木町)へ行ってきた。 社名から想像すると、何やら艶めかしい気がするが、実体はゴク普通の神社である。 いずれの女体神社も主祭神は、櫛名田比売(くしなだひめ)、伊弉冉尊/伊邪那美命(いざなみのみこと)など女神である。 女体神社は、草加・越谷・春日部・松戸付近に分布する。 また、神奈川県川崎にも数社ある。 10数年前、「武蔵国一宮」を称するさいたま市緑区の「氷川女体神社」へ参拝したのを始めとして、川崎の「女体神社」、越谷川柳町の「麦塚女体神社」など、これまでに数社に参って来た。、、、、いずれも、生身の女体に手を触れることもなく、静かに、真剣に、祈願する。 ご利益は、女の神様ということもあって、恋愛・結婚成就、良縁祈願、安産祈願、そして子孫繁栄、などが相場!

東武伊勢崎線の新田駅で下車し、ひたすら東に向かって歩き中川の岸まで、約6kmの散歩です。 1万3千歩。




● 北春日部行きの普通列車で新田駅に到着。 北千住から乗ってきた車両番号は「77707」、残念だがオール7とはいかなかったが、縁起の良さそうな番号だ、帰りに宝くじ買おう! 「77707」の車輛は、2018年1月、近畿車輛(徳庵工場)で製造された東武鉄道 70000系 ( モハ77700形 )、グッドデザイン賞を受賞車両、チョイト鉄道オタク的に紹介。、、、、江戸時代の開墾により関東平野には多くの新田が生まれ、草加市域だけでも「新田」と呼ばれた村は120ヵ村にのぼった。 新田駅付近では、明治時代に9ヵ村を合併して新しい村が誕生した、合併した村のうち6ヵ村が近世の新田開発で生まれた村であったところから、新たな村を「新田」と命名し駅名にもなったそうだ。 駅の開業は明治32年(1899)12月20日。、、、、現在は一日当たりの乗降人数約32,000人、普通列車しか停まらない高架駅。

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● 駅から、ひたすら東に向かって歩く。 東京都葛飾区の中央を北から南に流れ、江戸川区西葛西付近で荒川に合流し東京湾に注ぐ中川の岸(草加市柿木町1)まで、約5.5km程ある。
・・・・・・・・・・・・新田駅東口前は一応ロータリが造られ、良く言えば“昭和レトロな飲食店街”もあるが、悪く言えば“店は狭く寂れた感じの飲み屋が数軒”、これでは東京のベッドタウンの駅前とは言えない! どうやら再開発するようだ、駅前の区画整理事業が始まっている。

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・・・・・・・・・・・・駅前から、「そうか公園通り」と呼ばれる両側一車線のバス通りを歩く。 この道のどん詰まりが中川である。、、、、まずは、綾瀬川に架かる「槐戸橋」を渡る。 さて、「槐戸」と書いて何と読む? 難読、「さいかちど」と読むのです。 サイカチ(梍・皀莢)は、マメ科の落葉高木。 “槐”は、本来「エンジュ」と読み、鬼門除けなどに使われるりマメ科の高木。 “梍”と“槐”は、ともにマメ科の木で、漢字も似ており、どうでもいいから『一緒にしちゃえ』で、“槐戸”と書いて「サイカチド」になったようだ。 橋の東側の八幡町はかつて「槐戸村」と呼ばれたそうだ。、、、、橋の親柱にカブトムシがいる、なぜ? カブトムシは梍(さいかち)の樹液が好きな虫で、「サイカチ虫」と呼ばれることもあるそうだ。、、、、【ついでの話】 現在の東京都台東区千束3丁目、板橋区西台、神奈川県藤沢市高倉のいずれにも小字名として「槐戸」があったそうだ。(雑学に強くなるブログは雅万歩!)
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・・・・・・・・・・・・草加市八幡町、法務局、そうか公園通りの標識前、現役の赤いポスト前、古綾瀬川に架かる古川橋、葛西用水に架かる青上橋(せいじょうばし)、川柳小学校と、通り過ぎていく。

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・・・・・・・・・・・「八条用水橋」を渡ると、左手に「そうか公園」が広がる。、、、、その先で、東埼玉道路(=国道4号)を横断するのだが、道路には幅20m程もある中央分離帯があり、全体の幅は40m以上。 横断歩道の手前に『歩行者は青信号2回で渡って下さい』と書いてある。 実際、私が横断を始めると、中央分離帯で信号が赤になった!

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・・・・・・・・・・・・埼玉県柿木浄水場を過ぎると、「女体神社(南)」交差点。 ここはT字路で、歩いてきた「そうか公園通り」の終点。 交差点正面の民家の裏には、中川が流れている。 対岸は埼玉県吉川市。

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● 本日の目的地である、「柿木女体神社」に着いた!、、、、柿木女体神社は、伊弉冉尊を祀り、柿木の鎮守として人々に厚く敬われてきた。 柿木は、中川沿いに下妻街道があり、草加市内にあって最も古くから開発された土地といわれ、伝承では、この土地の開発の祖を豊田氏と伝えている。 豊田氏は、平将門の伯父国香を祖とし、下総国豊田荘の地頭を務め、のち石毛に本城を構えた。しかし、天正3年(1575)城主豊田治親が恒例の雷電神社参拝の時、下妻の多賀谷氏の侵略にあい、治親は討たれ本城も陥ちてしまった。 残された婦人と遺子は急変により石毛を捨て縁をたよってここ柿木まで落ちのび、この地を永世の地と定めたというのである。 豊田氏は信仰心厚く、殊に筑波山女体神社を崇拝していた。 それによって分霊をこの地に勧請し創建したのが当尿体神社である。 社殿は北方、筑波山に向けて建てられている。、、、、ここは無人の神社。 若い巫女さん(学生アルバイトでもOK)でも居て、女体を模った根付け、キーホルダー、お守りでも売っていれば、買ってあげるのだが、残念!

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・・・・・・・・・・・・これで、また一ヵ所の女体神社を制覇した! まだ、10ヶ所以上の女体神社が残っているので、私の「女体神社巡り」は、まだまだ続く。



● 来た道を、浄水場の先まで戻り、バスで新田駅へ向かう。

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