道なりに二社一寺
東武伊勢崎線の五反野駅から日暮里舎人ライナーの高野駅まで歩く予定で、五反野駅から散歩を始めた。 旧日光街道まで来ると「神明宮通り」称する商店街があった。 『これは参道だ! 行ってみよう!』と道なりに歩けば、以前寄ったことがある「梅田神明宮」 参道をさらに道なりに歩くと「梅田稲荷神社」 さらにさらに道なりに歩くと「関原不動尊」に出た。 いずれの寺社も五反野から高野に向かう方向にあったが、途中でチョイト寄り道をしたため、関原不動尊を過ぎた時点でタイムオーバー。 尾竹橋通りに出て「本木二丁目」のバス停からバスで帰る。 1万歩の散歩です。
● “密”を避け、東武伊勢崎線のガラガラの各駅停車に乗り、各駅停車しか停まらない乗降客の少ない五反野駅で降りる。 ここの駅なら、朝から“コロナ”も居ないだろうと、妙な安心を感じる。




● 五反野駅から西に向かって住宅地の裏道を行く。 所々、住宅の軒下に、〇〇工務店、〇〇塗装、〇〇工業と、建設関連の会社名がみえる、足立区らしいね! 梅田2丁目で国道4号(日光街道)を横断する。、、、、表通りも裏通りも、三連休で、人も車も少なく、歩きやすい。





● 梅田3丁目の東端に沿って旧日光街道が北へ伸びている。 その梅田3丁目と6丁目の境に「神明宮通り」と云う商店街を見つけたので、その道を歩いてみることにした。、、、、600m超の神明宮通りには、20軒程の商店が商店街を構成している。 戦後設立した商店街で、昭和50年頃は活気があったが、今は振興組合も解散したそうだ。、、、、Go To トラベル 、Go To イートの恩恵には縁がなさそうな商店街だ!





● 商店街のほぼ中央に「梅田神明宮」がある。 鳥居の前に立って『アッ! ここは今年の春、来た・来た』、、、、梅田神明宮の創建年代は不詳だが、地主神が祭られていた当地に、神明宮を創建した。 井上正鐡が伝道した禊教発祥の霊場だといわれている。、、、、明治7年(1874)の造営である拝殿と幣殿は、チョイトくたびれてきたようだ。 また、拝殿の右側には天保11年(1840)より教祖が住んでいた旧宅が残されている。(柵仕切られ近づけず)



● 神明宮通りの西端には「梅田稲荷神社」がある。、、、、梅田稲荷神社は、梅田町(足立区梅田一帯)の鎮守で村社であった。 志田先生義広(源義広)が創建したと伝わるので、本当なら平安時代末期である。 どうやら、神明宮より古そうだ、ならば鳥居前の通りは「神明宮通り」と云うより「稲荷通り」に変更しては?


・・・・・・・・・・・・・・境内には、青面金剛の庚申塔が2基ある。

● 梅田稲荷神社から西に向かって、ほぼ道なりに進むと、西新井橋北詰と西新井駅を結ぶ「関原通り」にぶつかる。 この角に、「関原不動尊(大聖寺)」がある。、、、、真言宗豊山派寺院の大聖寺は、関原山不動院と号し、関原不動尊として有名である。 寺は、宝徳元年(1449)開山とも文明7年(1475)開山ともいわれてる。 本尊は、不動院の名のとおり不動明王。 ひときわ目立つ木造の本堂は、足立区内最大の大きさを誇る。 現本堂は、嘉永元年(1848)に深川木場の講中が、材木その他を寄進し、8年の歳月を掛けて再建された。、、、、浅草山谷講中が寄進した、銅の鋲がふんだんに打ち込まれた大賽銭箱(安政4年銘)も自慢の一つ。、、、、自分の病んでいる部分を撫でると治るといわれている「おびんずる様」も居たので、チョイト頭を撫でてご挨拶。




● 「関原通り」(商店街)を100m程歩いて、横道を抜け尾竹橋通りに出た。 ここから、日暮里舎人ライナー高野駅までは、あと40分以上は掛かるので、今日の散歩はここまでとする。 「本木二丁目」から北千住駅行きのバスに乗る。


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