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2020年12月26日 (土)

日本の原点!

年末の土曜日、今日は都心に向かう電車も空いている。 都営浅草線に乗り大門駅で下車し、増上寺、東京タワーと通り、ロシア大使館のある港区麻布狸穴町の周辺を歩き、大江戸線麻布十番駅まで、1万歩の散歩です。




いつもは大勢の通勤客が乗降する「大門駅も、今日は人影まばら。 チョイト異様な感じだが、何はともあれ、“3密”の心配なく駅を出ることができた。

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● 大門駅の近く「芝神明宮(芝大神宮)」に寄って行く。、、、、芝神明宮は、天照大御神と豊受大神の二柱を主祭神とする。 鎮座は遠く平安時代、寛弘2年(1005)に創建された。 古くは飯倉の地にあって「飯倉神明宮」と称し、現在地に移って「芝神明宮」に変わった。 鎌倉時代は源頼朝の手篤い信仰の下で社地の寄贈を受け、江戸時代においては徳川幕府の篤い保護の下に、江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢様」として数多くの人々に崇敬されたそうだ。、、、、正月の準備、社殿では大掃除が始まっていた! 

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芝増上寺は本堂屋根瓦の総葺き替えで、フェイスシールドをした状態。 今日は手を合わせて、早々と境内を抜ける。、、、、時刻は午前8時半、東京タワーはオープン前。 下から見上げての撮影は、何やら助平っぽいね!

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● 今日の散歩の目的地、その一つ、東京タワー前にある『あの金地院崇伝の金地院』である。、、、、金地院崇伝とは、徳川家康の政治的ブレーンを務めた僧侶で、その絶大な権力によって「黒衣の宰相」とも称された人物。 家康の天下取りの総仕上げ「大坂の陣」のきっかけとなる、歴史上最大のいいがかり「方広寺鐘銘事件」を考えた頭の良い僧侶である。 そして家康の死後、崇伝はもう一人の「黒衣の宰相」天海と激突する。 徳川幕府の根幹となる武家諸法度・禁中並公家諸法度・寺院諸法度の制定にも関わった僧なんです。、、、、臨済宗南禅寺派寺院の金地院は、崇伝和尚が、元和5年(1619)江戸城北の丸内に創建、寛永16年(1639)芝の現在地へ移転した。 崇伝和尚は、福厳寺や禅興寺、建長寺、南禅寺の住職を務めた高僧で、京都南禅寺金地院と当芝の金地院を兼務、江戸幕府の幕政に深く関与し、寛永寺の天海大僧正と共に「黒衣の宰相」と称された。 寛永10年には寺領500石の御朱印状を拝領、元禄7年には更に200石の加増を受けている。(影の実力者は、今も昔も、実入りがいいね!)、、、、江戸時代の堂宇と本尊の如意輪観世音菩薩坐像は、東京大空襲で全て焼失した。 現在の八角形の本堂は昭和31年(1956)に再建され、白檀一木造の本尊:聖観世音菩薩立像が新刻された。 


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・・・・・・・・・・・・金地院へ来たのは、境内右墓地の手前にある閻魔堂の閻魔大王(石像)に会うためである。 江戸時代、大名「南部家」にあった閻魔大王を金地院に祀った。 増上寺の西の切通に金地院があったことから、通称「切通し閻魔」と呼ばれている。(江戸四十四閻魔の一番)、、、、江戸時代の作で50cm程の小さな像、見つめていると好々爺のようだ!

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● 東京タワー方面から飯倉交差点に下ってくると、ランドマークとして楕円形の「ノアビル」が見える。、、、、白井晟一(芸術院賞受賞者)の設計、竹中工務店の施工により、昭和49年(1974)に竣工した。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地下2階・地上15階建ての事務所ビルである。、、、、50年経っても斬新で興味深い建物。

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● 今日の散歩の第二の目的地が、ロシア大使館の南側(裏側)にある「日本経緯度原点」である。、、、、日本の法令である「測量法施行令」によると、日本経緯度原点は「東京都港区麻布台二丁目18番1地内日本経緯度原点金属標の十字の交点」と定められている(第2条第1項第1号)。 さらに、基準数値を以下のように定めている。 経度: 東経139度44分28秒8869 緯度: 北緯35度39分29秒1572 原点方位角: 32度20分46秒209 以上の数値は2001年の測量法改正で採用された世界測地系にのっとり、最新の宇宙測地技術を用いて測定したものを、2011年の東北地方太平洋沖地震の影響により定義し直したものである。、、、、ここが、日本各地の位置を、北緯〇度、東経〇度と表現する、測量座標の原点である。
・・・・・・・・・・・・施行令が示す、麻布台の地がココである、、、、この場所には、明治7年(1874)から海軍の観象台が置かれていたが、明治21年(1888)になって赤坂区溜池葵町の内務省地理局天象台と合併し、東京帝国大学附属東京天文台が置かれた。 原点の位置は天文観測に用いられた機器である「子午環」の位置に当たります。 その後東京天文台は大正12年(1923)に三鷹に移転したが、子午環跡は国土地理院が日本経緯度原点として引継ぎ、現在もわが国の地図測量原点として利用されている。


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・・・・・・・・・・・・施行令が示す、原点金属標がコレである、、、、御影石の中央に直径10cm程の金属標が埋め込まれている。

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・・・・・・・・・・・・日本経緯度原点の前には、アフガニスタン大使館がある。 ヨーロッパ風の白い屋敷のようだ!


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● ここまで来たら、チョイト、ロシア大使館前の几号水準点を見て行こう!、、、、ロシア大使館の西角、狸穴坂の入口に警察の見張所(簡易の交番のような建物)があるが、その直下の歩道上に“不”の字に似た几号水準点がある。 見張りの警察官が立っている足下にあるため、悪い事していないのだが、写真を撮るのが恐かった。、、、、警察官(写真中央)に『これは何ですか』と尋ねられ、明治時代の水準測量のポイントであることを説明してきた。 短い時間の会話であったが、興味を示してくれたね。

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● ロシア大使館の西側から東麻布に下る、約250m程の急な「狸穴坂(まみあなざか)」がある。 坂の謂れは『まみ とは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、むかし その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。 』と、標識に描かれてる。、、、、今でも東麻布は窪地のようでもあり、タヌキが居たかも?

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・・・・・・・・・・・・狸穴坂の西側に「鼠坂」と、それに続く「植木坂」がある。 東麻布に下った私は、鼠坂、植木坂を上り麻布永坂町に出た。、、、、鼠坂の謂れは『細長く狭い道を江戸で ねずみ坂 と呼ぶふうがあったといわれる』、、、、植木坂の謂れは『この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという』

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● 麻布永坂町から、またまた坂道を下り麻布十番駅に着いた。、、、、今日の散歩はココまで!

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