瑞江の寺社
混んだ交通機関の利用は避けて、馬喰横山駅から都営新宿線に乗り、瑞江駅で下車する。 今日は、沿線の寺社に立ち寄りながら一之江駅まで、1万歩の散歩です。
● 都営新宿線の馬喰横山駅にて、コロナには感染しそうにないガラガラの本八幡行きに乗り、瑞江駅(みずええき)で下車する。

・・・・・・・・・・・・朝の瑞江駅は都心方面(岩本町・新宿方面)に向かう通勤客がゾロゾロ! コロナに注意しながらの通勤、神経を使いご苦労様!




● 瑞江駅から南へ500m程、まずは豊田神社(江戸川区東瑞江)に参る。、、、、豊田神社は旧下鎌田村の鎮守である。 創建は不詳であるが、天照大御神と経津主命をまつり、もと神明社といった。 明治の初期に同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。 境内には、神木の大きなケヤキがある。 樹齢200年ともいわれ(幹の径150cm、樹高23m)神木にふさわしい枝ぶりの樹形をなしている。 昔はこの神木のそばに池があったそうだが、今はその面影がない。、、、、神社名の“豊田”の謂れは不明。 車の“トヨタ”とは無関係と思うが?謎だ!


● 東瑞江の裏道を歩いていると、泉福寺の西側の住宅地に小さな神社がある。 最近建てられたような新しい社殿である。 神社の名は「内手八幡宮」(東瑞江2)、、、、境内の手水鉢には、右側面に「内手若者中」、左側面に「宝暦四申戌天九月吉日」と刻まれている。 『チョイトまて!』、年号の割には新調したように見える手水鉢だ。 宝暦四年は西暦1754年、約260年前の年号。 昔の手水鉢を模して作ったのか?謎だ!、、、、神社名の「内手」とは、調べてみたが旧地名ではなさそう、これも謎だ!


● 東瑞江2丁目の住宅地の中に浄土宗寺院の泉福寺がある。 泉福寺は、法器山智海院と号す。 創建年代は不詳。 京都東山の知恩院を総本山、東京芝の増上寺を大本山とする。 本尊は阿弥陀如来。 開基は天文20年(1551)で、室町後期、織田信長の父信秀が没した年。、、、、明治15年10月29日落雷により本堂・庫裡とも一瞬にして灰になったと記録にあるが、同17年には茅葺きの本堂を再建した。、、、、現在の堂宇は、開基450年記念事業として建設され、平成16年(2004)に竣工した。 木造のスッキリした本堂である。


● 泉福寺から西へ150m程に、浄土宗で西方山報土院と号す「安養寺」(東瑞江2)がある。 永禄10年(1567)の開山と云われている。、、、、この寺には、「こんにゃく閻魔」と云われる、仏身45cmの閻魔像があり、昔は歯の病や眼疾の人々の信仰を集めたそうだ。 閻魔好きの私としては、この像を拝見したかったのだが、突然の訪問では無理だ!、、、、なお、「こんにゃく閻魔」は文京区の源覚寺にもある。


● 小さな社殿の「山王神社」(江戸川区江戸川3)が、安養寺の南にある。 鳥居、狛犬、社殿、水盤などすべて最近新築したと思われる。、、、、神社の由緒がわからず、何だか、どうでもいいや!

● 江戸川3丁目の浄興寺は、浄土宗の古刹で龍亀山清泰院と号し、もとは芝増上寺の末寺であった。 文永3年(1266)源清和尚が草庵を結んだのが始まりで、弘安年間(1278~1287)に記主禅師が鎌倉の光明寺から下総の光明寺に赴く途中この寺に一宿したとき住持が開山を願ったものといわれてる。 浄興寺の元末寺に、泉福寺、安養寺、他二寺がある。、、、、この辺りでは大きな寺である。 コロナ禍の大晦日、除夜の鐘を撞くのかな?



● 上記の他に数寺・数社を巡り、今井街道が新中川を越える「瑞江大橋」に出た。、、、、瑞江大橋は、新中川掘削工事に伴い、昭和35年(1960)に架橋された。 橋長158.5mの、純プレートガーダー桁橋。、、、、昭和43年(1968)まではトロリーバス(上野公園~今井間)が走っていた、その懐かしい情景を思い出す人もいるでしょう!


・・・・・・・・・・・・新中川の上流側には平成4年(1992)に架け替えられた明和橋が見える
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