高砂からお花茶屋
『我慢の三週間』の三週目、家で“ウジウジ・グズグズ”、やっぱりストレスが溜まる。 今日は、“密”を避け、観光地とは縁遠い葛飾区高砂から葛飾区お花茶屋まで歩いてきた。 1万歩
● 「雅万歩」では、毎度おなじみの「京成高砂駅」、、、、土曜日の今日は通勤・通学客も少なく、すいた電車で朝8時に到着。 駅前の大通り沿いに青戸・白鳥方向に歩くことにした。、、、、この付近、人通りも少なく、マスクなしでも感染の恐れなし!





● 京成高砂駅より西へ徒歩5分の地に鎮座する高砂天祖神社。 中世、当地が葛西御厨だった頃、領主が勧請したと伝えられている。、、、、現在の社殿は、昭和36年(1961)の造営である。 大きくはないが、総檜・神明造の拝殿は端正で整っている。

・・・・・・・・・・・・境内には、東京23区では珍しくなった火の見櫓が残っている。 チャンと、半鐘もぶら下がっている。 東京では、見られなくなった懐かしい風景。、、、、高さ約14m、昭和初期の設置と思われる。

● 中川に架かり、高砂と青戸を結ぶ「高砂橋」は、初代が昭和7年に架けられ、二代目の現橋は平成15年(2003)に架け替えられた。、、、、橋長186.5m、有効幅員15.8mの2径間連続鋼斜張橋。


・・・・・・・・・・・・上流側には京成中川橋梁が架かっている。、、、、京成線の撮影スポットとして、いいね!

● 環七通りを横断し青戸の町に入ると、総戸数1119戸の青戸第一団地(UR都市機構)がある。 京成の青砥駅が開設されたのは昭和3年(1928)である。 しかし、青戸が町として発展したのは戦後のことで、日本住宅公団が青戸団地の入居者を募集した昭和31年(1956)からだ。





・・・・・・・・・・・・周辺には都営住宅も建ち並び、人口増加に伴い、住環境は整備されていった。


● 青戸の団地を抜けると、国道6号(水戸街道)が走っている。 国道を横断すると葛飾区白鳥(しらとり)の町で、お花茶屋駅前の通りまで続く。


・・・・・・・・・・・・「白鳥」の由来は、、、、大正ころまでお花茶屋駅の北方に沼地があり白鳥が群棲していた。 安永2年(1773)将軍家治が亀有の鶴狩のとき、沼の白鳥を捕らえようとしたところ何処からともなく白髪の老人が現れて目的を果たすことができなかった。 そこで四ツ木の白髭神社に願を掛けて再び挑むと今度は多くの白鳥を得る事ができた。 この霊験に驚いた鳥見役たちは、鷲が白鳥を咥えた構図1m四方の大絵馬(現存)を奉納してご利益に感謝した。 裏面に福島八左衛門ら11名の名が連ねてある。 以来人々はこの沼を「白鳥沼(しらとりぬま)」呼ぶようになった。 白鳥沼は埋め立てられて今はないが、2丁目の白鳥小学校・白鳥公園からお花茶屋駅の辺りにかけてあったようだ。 沼は市街地化によって次第に縮小し、大正の初め頃までに消滅したと云われている。 現在は、「白鳥」という綺麗な名のみが残っている。


・・・・・・・・・・・・白鳥の町にある「東京博善四ツ木斎場」は民営の葬儀場。 現建物は平成28年(2016)にリニューアルオープンした超近代化した火葬場である。 最高クラスの火葬料金は一体28万円也。 ちなみに、一般の普通料金は5万8千円ぐらいらしい。、、、、値段違いは、施設の造りの違いだ。 けして、レア、ミディアム、ウエルダンなど、焼き方の違いではないよ!



● 帰りの電車もすいていたので、コロナには感染しなかったと思うね。
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