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2021年2月

2021年2月25日 (木)

ラブホテル街の神社

我が居住地の台東区役所へ所用で行かねばならず、今日の散歩は浅草橋の我が家から、上野駅前の区役所に寄って、鶯谷を通り日暮里駅まで歩いてきた。 1万1千歩


● 我が家(浅草橋)から、上野の台東区役所まで、気温3度の早朝の町を歩いて行く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・JR浅草橋駅の北側で生まれ育って75年、いつの間にか周囲にはマンションが並び、知らない人が増えてきた。

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・・・・・・・・・・・・浅草橋5丁目に「都立忍岡高等学校」がある。 明治36年(1903)に、私立日本女子美術学校として芝公園に開校し、その後、本郷千駄木に移り、東京市立第一女子技芸学校となる。 大正時代には池之端に移転。 昭和15年に、現在地に移転。 戦後は都立忍岡高等学校となる。、、、、南隣りの我が母校である「旧柳北小学校」(平成13年閉校)と共に、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、約2,600坪の蓬莱園と称する庭園があった。 庭園は関東大震災で壊滅したそうだ。 当時を偲ぶものは、校庭の大イチョウの木だけ、校舎の西隅に蓬莱園跡の石碑がある。

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・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを横切って、鳥越の町に入り「おかず横丁」を抜ける。 おかず横丁は、鳥越1丁目にある商店街の通称。 長さは200m程で、惣菜店、日用品などの店舗が並んでいる。 周辺は、戦前から家内制手工業が集積する軽工業の町であったため、多くの女性も働いていたことから、必然的に総菜類を提供する店舗が並ぶ商店街となった。 今では、半数近くの店舗はシャッターを下ろしたようだ。、、、、今朝は、可燃ゴミの収集日、店の前にはゴミ袋が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・おかず横丁を抜けると、台東区台東3丁目・4丁目には、「佐竹商店街」が続く。 清洲橋通りと春日通りを結ぶ全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で二番目に古い商店街といわれている。 明治の初年に秋田藩(藩主:佐竹氏)の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場として賑わい、下町情緒豊かな商店街として発展した。、、、、朝8時、まだ商店街は寝ている。

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・・・・・・・・・・・・東上野4丁目、浅草通りに面して洋風建築の「比留間歯科醫院」がある。 昭和4年(1929)に建てられた木造3階建ての可愛らしい歯科医院。 空襲の戦火に巻き込まれずに残った建物。 よくぞ残った!

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● 昭和通りを挟み上野駅の正面裏に「台東区役所庁舎」がある。 久米設計の設計により、昭和48年(1973)に竣工した建物。 今年で築48年になる。 数年前に大規模な改修工事が行われ、まだしばらく利用するようだ。 建て替えの話はまだ出ていない!、、、、庁舎の建っているこの地は、かつて臨済宗紫野大徳寺末の円満山〝びっくり下谷の広徳寺〟のあったところだ。 関東大震災で寺域を縮小し、戦後に柳生宗矩・三厳(十兵衛)・宗冬3代、立花宗茂の墓とともに、広徳寺は練馬区桜台へ移転した。

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● 区役所庁舎の北側に「旧下谷小学校」の校舎が残っている。、、、、旧下谷小学校校舎は、関東大震災後の昭和3年(1928)に復興小学校の一つとして安藤組(現:安藤ハザマ)の施工で竣工した。 鉄筋コンクリート造3階建て。 この地も広徳寺の跡地である。、、、、下谷小学校は明治19年(1886)創立。 平成2(1990)年4月に清島小学校と合併して上野小学校となり閉校。、、、、ツタに覆われた校舎は区で(倉庫として?)使用しているようだ!

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● 上野から鶯谷へ・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・上野駅には出入口が多いが、一番北側のマイナーな出入口が「入谷口」であろう!、、、、ここから入って山手線のホームまでは、構内をタップリ歩かされて10分ぐらい要するかも? 疲れる駅だ!

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・・・・・・・・・・・・上野駅入谷口の正面に、鉄道オタクにはピンとくる日本最古の鉄道学校「岩倉高等学校」がある。、、、、「岩倉」の校名は、鉄道創設に貢献した岩倉具視に因んだもので、学校の校章は岩倉家の家紋「笹竜胆」と鉄道のレールを組み合わせたデザインである。、、、、平成26年(2014)から、男女共学となり、鉄道の営業・技術を教える運輸科と普通科の2科となった。 女性運転士・車掌の時代に対応したのかも?

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・・・・・・・・・・・・上野郵便局前から、常磐線の線路沿いに狭い道を入っていく、、、、、「新坂跨線橋」という、鶯谷駅南口へ向かう跨線橋の下をくぐり鶯谷駅北口を目指す、、、、、しばらく、ラブホテル街が続き、すれ違う人は皆、下を向いて足早に消える、、、、、鶯谷駅北口前の元三島神社に寄って行くことにした。(ハンチングにマスクした私が、カメラを持ってこんな処を歩いてると、何だか怪しい人物と思われているかも?)

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・・・・・・・・・・・・ラブホテル街のド真ん中にある「元三島神社」、、、、元三島神社の社殿はコンクリート造の人口地盤の上に建てられ、一階は居酒屋だ。、、、、境内の由緒書によると、『当社はご祭神は大山祇命、伊佐那岐命を頂き、和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命を配祀申すものである。 例大祭はご祭神勧請の時にちなみ5月14、15日とする。 元三島神社は円融天皇御代日本総鎮守の称号を賜って名高い愛媛大三島の元国幣大社大山祇神社を御本社頂くものである。 当社由来の源は弘安4年の役の勇将河野道有大山祇神社に必勝祈願し出陣したる処神恩加護の下武功赫々として帰陣したところ夢中に神のお告げを得て大山祇大明神を武蔵国豊島郡に勧請の願を発し上野山内に分霊を鎮座申上げた事に始まったと伝えられる。』、、、、境内の河津桜が見事に開花し、参拝客がカメラに収めていた。

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● 元三島神社をあとにして日暮里駅に向かうと、台東区根岸2丁目に民家と間違えるような寺院「根岸薬師寺」がある。、、、、根岸薬師寺の近辺にはかつて御隠殿址があり、輪王寺宮一品法親王が、公務外時の休息の場として利用する、輪王宮の別邸「御隠殿」があったと云われてる。 輪王寺宮一品法親王は、天台座主に就き、東叡山・日光山・比叡山の、各山主を兼帯したので「三山管領主」とも呼ばれ、第3世から幕末の第15世まで、親王あるいは天皇の猶子(養子)を迎え継承されてきた。 つまりは、天台宗のトップの別邸があった処。、、、、今の世なら、上野の歓楽街、鶯谷のラブホテル街にも近く、絶好の場所だ!

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● 薬師寺から日暮里駅まで歩き、電車で帰宅、、、、、家に着いたら、『うがい・手洗い』忘れずに!

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2021年2月22日 (月)

ちかんに注意の町

暖かい日射しに気も緩み、隣りの千葉県に侵入した。 北総線の北国分駅から、曽谷の住宅地を通り、総武線の本八幡駅まで、1万3千歩の散歩です。、、、、丁度、一年前(20/2/19)に北国分駅から本八幡駅まで歩いた。 その時は、庚申塔、馬頭観音などが残る旧道沿いに歩いた。 今日は新興の住宅地の中を歩いてみた。 




● 浅草橋(我が家)から北総線の印旛日本医大行に乗り、高砂を過ぎ江戸川を越えて2駅目「北国分」(所要30分)で下車。 北国分駅は30年前に農地の中に開業し、駅周辺には今だ商店街などはない。

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● 北国分は、右から読んでも左から読んでも同じ千葉県「市川市」の北端に位置する。 約9km離れた南端の「行徳」周辺とは、町の雰囲気、生活スタイル等々、大きく異なり、北国分は農村の匂いが残る新興住宅街。 駅からチョイト歩けば畑が見える。 春の陽気で、こっちでは菜の花に鼻がピクピク、あっちでは堆肥の臭いで鼻がムズムズ!
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・・・・・・・・・・・【ここで問題】千葉県内にある右から読んでも左から読んでも同じ、もう一つの“市”の名は?



● 用水路のような「国分川」を越えると「市川市稲越」の町、裏道を歩くと“ちかんに注意”の立札・看板が目立つ!

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・・・・・・・・・・・・すれ違う女学生も、なぜか私を避け、走り去る

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● 稲越の南側は「市川市曽谷」の町、、、、「曽谷貝塚」で有名な町。 今日は貝塚に寄らず、住宅地を歩く。

・・・・・・・・・・・・住宅の裏を覗くと、お世辞にも“綺麗な町”とは言いにくい! あちらにも、こちらにも、ビニール袋やビニールシート、ポリの手袋も!

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・・・・・・・・・・・・表通りは綺麗だ。 蕾も膨らみ花見が近くなった桜並木

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・・・・・・・・・・・・「まちのペンキ屋さん」、玄関前にズラリと並ぶ人形。 全て人形は、太陽光を受けて、一日中首や手を振っている。 よくぞ集めた!

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・・・・・・・・・・・・住宅の先に、本八幡駅前のタワマンのシルエットが見える!

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● 江戸川から別れ東京湾に注ぐ真間川を、弁天橋(平成7年竣工)で越える。 真間川の水質も良くなった、綺麗だ!、、、、本八幡駅まで、あと2km!

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・・・・・・・・・・・・弁天橋の両側には、昭和15年(1940)創立の昭和学院の幼稚園から小・中・高校、そして短大の校舎が並んでいる。 80年の歴史を持つ、地元市川の総合学院、、、、キャンパスの一画に、何やら民家風の木造家屋がある。 学院の創立者の自宅として千葉市内に建てられ、その後、昭和女子商業学校(現:昭和学院)の創立にともない、現在地に移築された。 現在は「創立記念館」として活用されている。 昭和6年(1931)の建築で、入母屋造、2階建て。 国の登録文化財。

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● 京成八幡駅の踏切りを越え、JR総武線の本八幡駅に到着。、、、、疲れた!

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2021年2月20日 (土)

“3密”を避けて

今日も早朝の空いた電車に乗り、JR京浜東北線の東十条駅で下車した。 東十条駅から、ほぼ東に歩き、豊島五丁目団地、豊島橋、江北橋を通り、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、“3密”を避けて、1万3千歩の散歩です。




● 京浜東北線の36駅中、上中里駅、新子安駅と共に、一日平均乗車人員数の“ワースト3”(約24,000人)を誇る「東十条駅」は、ホームに立っても人影は少なく静かである。 改札口は約200mのホームの両端橋上駅舎に北口・南口があるが、トイレは北口のみ。 車中で尿意を感じ、東十条駅で飛び降り改札口近くのトイレを探すとも、ここは南口、『せっかくのお越し残念ですが、ホームの反対側:北口に行ってください!』と云われ、真っ青、冷や汗ドビュー、我慢は限界に達し、パンツを濡らすことがなきように注意・注意!、、、、東十条駅は2つの島式ホームで中線1本を挟む2面3線の地上駅。 中線である2番線と3番線の線路は上下線共用となっている。、、、、昭和6年(1931)8月1日、赤羽駅まで京浜線(京浜東北線の前身)が延長された際に下十条駅として開業。 昭和32年(1952)4月1日、町名変更により東十条駅に改称。、、、、今日は南口から出た!

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● 東十条駅南口前に架かる「十条跨線橋」は、以前、東北本線の荒川橋梁として架けられていた橋の一部を昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したものである。 現在、跨線橋は車道専用となり、挟むように左右に跨線人道橋が架かっている。 古さを強調するように、塗装のひび割れから赤さびが浮き出て痛々しい姿の橋。、、、、橋は 明治28年(1895)にイギリスのCOCHRANE社で製作された、ポニーワーレントラス橋と呼ぶ形式である。 平成21年(2009)の北区の長寿命化修繕計画における調査では、強度不足などの問題点があり、架け替え対象となった。 また、日本の鉄道遺産としては貴重な橋で、国宝級(私が勝手に推奨)と思われる。 早く、適切な保存策を講じて欲しいものだ!

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● 東十条駅から東に向かい歩く・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・駅から400m程歩くと、かつてJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に出る。 駅跡は、18階建て(864戸)の大きなマンションに変わってしまった。 このマンションはJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に建てられたものだ。、、、、北王子駅は日本製紙の紙の輸送を行う専用駅であったが、平成26年(2014)7月1日に廃止となった。 かつては、日通の機関車が入れ替え作業をしていた。 その作業をフェンス越しにジーッと見ていたのを思い出す。(2枚の写真は平成23年撮影)

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・・・・・・・・・・・・さらに東へ歩き、北本通りの「東京消防庁 王子消防署」の前に出る。、、、、地元のランドマークとして、昭和レトロな雰囲気をデザインしたような建物。 バブルの時代の建物である。、、、、古いようで新しい建物も、築20年程経過したようだ!

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・・・・・・・・・・・・消防署の裏(東側)の道を歩くと、意外にも大きな建物・施設が地続きで並んでいる。「都営 王子三丁目アパート」、「都立飛鳥高等学校」、「王子郵便局」など。 この他にも、駿台学園・中高等学校、北区立明桜中学校、北区立豊川小学校などがある。

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・・・・・・・・・・・・「豊島中央通り商店街」に出てきた。 アーケードのある大きな商店街だが、時刻は午前9時、まだ営業前で、大半はシャッターが下りている。 この時刻なら、“3密”は心配なさそうだ!、、、、サンバパレード、七夕まつり、年末の大売り出しなど、季節に合わせ行事が計画されている、賑やかそうな商店街だ!

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● 商店街の先には豊島五丁目団地」がある。 団地の先の隅田川は、「豊島橋」で渡り、さらにその先には、荒川を越える「江北橋」がある。 この辺りは、私の散歩ではおなじみの処。
・・・・・・・・・・・・団地を囲み、隅田川が大きく曲がる処にある豊島五丁目団地。 昭和47年(1972)より建設整備された、総戸数5000戸程の大規模団地である。、、、、天気が良いので、いっせいに布団干し!

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・・・・・・・・・・・・団地の端から「豊島橋」を渡り、足立区に入る。 

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・・・・・・・・・・・・豊島橋から300m程歩くと、江北橋で荒川を渡る。、、、、風は爽やか、春の陽気、桜の開花も早そうだ!

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● 江北橋から日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」までは約800m、近い!、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2021年2月17日 (水)

江戸川区に城?

今日からコロナのワクチン接種が始まったが、高齢者に属する私が接種できるまでには、1ヵ月半以上待たねばならないらしい。 まだまだ、感染予防に気を緩めることはできない。、、、、マスクして、空いた電車で、人混み避けて、無言で歩く男が一人。 早朝の浦安駅に姿を現した! 寒波襲来の日本列島、時おり強風が吹き、飛ばされそうな帽子を押さえ、浦安橋を渡り東葛西の町へ向かう。 江戸川区に在った城跡を訪ね、行ってビックリ、見てビックリ、あきれてヒャックリ、ドッと疲れてギックリ腰、これで死んだらポックリだ! ありました「長島高城跡」と称す寺が。 その後は、東葛西の寺社を巡り、葛西駅から帰宅。 1万歩




● 東京メトロ東西線の「浦安駅」は、昭和44年(1969)3月29日に開業。 それまで陸の孤島と呼ばれた東葛飾郡浦安町は、以後一気にベッドタウン化をし、昭和56年(1981)には“浦安町”が“浦安市”に昇格。 さらに、昭和58年(1983)には東京ディズニーランドが開園。 令和元年のデータでは、一日平均乗降客数が8万人を超える駅となった。 私が住む、浅草橋駅の一日平均乗降客数は、JRが約11万人、都営地下鉄が6万人程。 JRは勝った(?)、地下鉄は負けた(?)、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅。 駅前は浅草橋より賑やかそうだ!

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● 浦安駅の西側を流れ下る旧江戸川。 旧江戸川は東京都江戸川区と千葉県浦安市の境でもある。 そこには南北700m、東西200m程の細長い中洲状の「妙見島」(江戸川区東葛西)という島がある。 この島の南端部分を跨ぐように「浦安橋」が架かっている。、、、、妙見島は周囲をカミソリ護岸(=コンクリート護岸)で囲まれているが、23区内唯一の自然の島である。 島には浦安橋から降りられるようになっている。 島の中には、10社以上の工場、数軒の船宿、1軒のラブホテルと妙見神社などがある。、、、、浦安橋は、江戸川区と浦安市を結び、都道・千葉県道10号東京浦安線を通す。 初代の橋は昭和15年(1940)に架けられた。 その後、橋の老朽化と交通量の増大により、現在の浦安橋が昭和53年(1978)に建設された。 橋中央部には妙見島への進入路が設けられている。 橋長は211.5mの下路単純トラス橋、ちなみに下部工は銭高組の施工である。
・・・・・・・・・・・・・・妙見島南端側と浦安橋

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・・・・・・・・・・・・・・妙見島は高いコンクリート護岸に囲まれている(写真左側)


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・・・・・・・・・・・・・・浦安橋橋上と妙見島への降りる歩道・自転車道(車の降り口は反対側にある)

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● 妙見島の西側(江戸川区東葛西3)に、浄土宗寺院の清光寺がある。 清光寺は、一向山無量院と号し、徳誉法印が文亀2年(1502)に開山したといわれてる。、、、、清光寺のある地には、小田原衆所領役帳に記載されている「長島高城(ながしまたかじょう)」があったと推定され、中世には豪族:長島氏の館があったと考えられる。 しかし、現在では遺構など当時のものは一切ない。、、、、今日、寺の前に立ち、『アレ? この寺、去年来たぞ!』 僧です、遭難です、沈没です! 歳で、ボケが始まったようだ。 私は、ほぼ一年前にこの清光寺に来てた。 当時は城跡の話を知らず、この付近に多く点在する寺社を単に巡り歩いただけだった。 その時、城跡のことを知っておれば、今日の散歩はちがう処を歩いていたかも。 、、、、江戸川区にも“城”があったとは、“お釈迦様でも気がつくめえ”

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● 清光寺に参拝し、その後は昨年と同じ寺社を巡り、葛西駅に向かう。



● 環七通りと東西線は直交し、道路上に葛西駅のホームがある。 昭和44年(1969)3月29日に開業した東西線葛西駅。 高架線の中央にある2線は通過線となっており、その外側に各駅停車用の相対式ホームの2線がある。、、、、現在は“葛西”と称する町はなく、町名は東葛西、西葛西、南葛西、北葛西、中葛西として、“東西南北中”を冠している。 “白”と“発”を冠したら、麻雀なら“四喜和”から“大三元”狙い。 “白葛西(シロカサイ)”、“発葛西(アオカサイ)”という名の町ができたら、
“字一色”で役満、ウケルこと間違いなし!

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2021年2月14日 (日)

トマトケチャップの公園?

昨夜、既に眠りに入り、これから竜宮城の夢でもみようかという時であった。 長時間、大きな揺れの地震を体感し、東日本大震災の恐怖を思い出させるものであった。 全国的には、大火・津波の発生はなく、死者も出ていないようだ。、、、、都心の我が家では、私のベッドの横、細長い箱に入ったE231系総武線のプラレールが棚から落下、電車前面が破損した。 孫のおもちゃに重大事故発生である。

夜中地震情報を見続けチョイト眠いが、朝から散歩に出た。 乗降客の少なそうな東武伊勢崎線の梅島駅から、つくばエキスプレスの六町駅まで裏道を歩いてきた。 1万歩




● 北千住駅から3駅目、「梅島駅」で下車する。、、、、梅島駅は大正13年(1924)10月1日に小菅・五反野両駅と同時に追加開業した、、、、ホームは高架島式1面2線構造だが、やや特殊な形態のホームである。 幅の狭い細長い島式ホームで、中央に改札階と結ぶエレベーター/階段などがあり、そこを境にして、北千住側には上り、西新井側には下りが停車する。 停車するのは全て普通列車、優等列車は複々線の外側を走り去る。 改札口は高架下に1ヵ所のみで、駅前は旧日光街道である。、、、、駅名の「梅島」は、明治22年(1889)に“梅”田村・“島”根村などが合併した時に、誕生した“梅島”村に因む。

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● 駅前の旧日光街道を北へ50m程行くと、「梅島天満宮 入口」と看板が出て居る。 細い道だが、“天満宮”の文字につられ、チョッピリ期待して進むと、線路の高架下脇に小さな社が見えた。 薄暗い場所、小さな社、期待を裏切られ寂しくなる。、、、、梅島天満宮は、足立区梅島にある神社で、昭和23年(1948)筑紫太宰府天満宮より分霊遷宮して、梅島町会の鎮守神として梅島公園(梅島小学校地)に創建、昭和41年(1966)当地に移転した。、、、、小さいながらもオラが町の鎮守様、アリガタヤ! 何だか騙された感じ!

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● 旧日光街道から東へ向かうと、トマトケチャップの会社が寄贈したと間違えるような「ベルモント公園」がある。、、、、足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして、平成5年(1993)に開園した洋風の区立公園。 美しい花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントのほか、ユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などが植えられている。、、、、トマトケチャップの会社は「デルモンテ」で公園とは無関係だが、似たような名前だ!

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● トマトの公園を抜けると、日光街道(=国道4号)があり、街道に面して地上14階/地下3階、延べ床面積61,968㎡の足立区庁舎が堂々と構えている。、、、、庁舎は平成8年(1996)に足立区南端の千住から区の中央に位置する足立区中央本町へ移転した。、、、、庁舎のある「中央本町」の町名は昭和41年(1966)の住居表示にて、4町の寄合い所帯として命名された。 寄合い所帯の命名では、意見も喧々諤々、まとまらず、区の中央に位置する町として、チョイトダサいが『中央』と『本町』を合成した名で手打ちとなったそうだ。

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● 足立区中央本町の裏道を歩き、「都営中央本町五丁目アパート」の中を抜け、環七通りを横断する。、、、、戦後の下町だ!

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● 六町2丁目に来ると、何らや広大な区画が更地になっている。 更地の前のバス停名は「都営住宅」。 更地の隣りも更地、さらに隣りも更地。 只今は、区画整理事業と云う名目らしい。 いずれ、大型商業施設とか、タワーマンションができるのか?

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● つくばエキスプレスの六町駅(ろくちょうえき)から帰ることにした。、、、、駅は平成17年(2005)8月24日に開業した。 六町は、秋葉原を起点として7番目の駅に位置し、東京都内最北の地下駅である。 駅部は三層構造で、ホームは島式1面2線構造で、地下3階にある。ホームと改札を結ぶエレベーター・エスカレーターも完備。 改札口は1ヶ所のみで地下1階にある。

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2021年2月12日 (金)

梅は咲いたか!

今日は、チョイト上野へ行く用事ができたので、夫婦で湯島天神に寄ってきた。




● 蔵前橋通りを歩き、新妻恋坂の途中から「清水坂」を行く。、、、、湯島2丁目と湯島3丁目の境にある坂。 文京区教育委員会の案内板には次のように記されている。 『清水坂  江戸時代、この辺りに、名僧で名高い大超和尚の開いた霊山寺があった。明暦三年(1657)江戸の町の大半を焼きつくす大火がおこり、この名刹も焼失し、浅草へ移転した。この霊山寺の敷地は、妻恋坂から神田神社(神田明神)にかかる広大なものであった。嘉永六年(1853)の「江戸切絵図」を見ると、その敷地跡のうち、西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。明治になってその敷地は清水精機会社の所有となった。大正時代に入って、湯島天満宮とお茶の水の間の往き来が不便であったため、清水精機会社が一部土地を町に提供し、坂道を整備した。そこで、町の人が、清水家の徳をたたえて「清水坂」と名づけ、坂下に清水坂の石柱を建てた。』 坂の途中には、大正13年(1924)に建てられた石柱が現存する。、、、、土地の一部として“坂”を寄附するとは、スゴイ! 私もマネしてみたいが、土地を寄附したら明日からホームレスになってしまう!

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● 清水坂から湯島天神に向かう途中、湯島3丁目20と21の間に、急な階段坂がある。 その名は「実盛坂(さねもりさか)」、、、、こちらも、文京区教育委員会の案内板では、『実盛坂  「江戸志」によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とある。また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗いの井戸があったという伝説めいた話が「江戸砂子」や「改撰江戸志」にのっている。この実盛のいわれから、坂の名がついた。  実盛とは長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方した。寿永2年(1183)、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原(現・石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、手塚太郎光盛に討たれた。  斎藤別当実盛は出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたという。この話は「平家物語」や「源平盛衰記」に詳しく記されている。  湯島の「実盛塚」や「首洗いの井戸」の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われる。』と、記されている。、、、、上から見ると意外と怖い、下から見ると意外とキツイそう。

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● 実盛坂を下って、北隣にある「中坂」を上ると、清水坂から湯島天神に向かう道に戻る。、、、、中坂(なかさか)の名の由来は、江戸時代、妻恋坂と天神石坂(別名:男坂)の間に造られた坂であることに因む。 中間の坂。、、、、この付近は、江戸時代から、湯島天神の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋・待合などが多かった。 昭和の頃は、料理屋、料亭、旅館、ラブホテルなどが多かったが、平成になると徐々にマンション、高齢者施設に変わっていった、現在もラブホテルが数軒残っている。 


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● ウメが咲いた湯島天神、、、、コロナに負けずウメが咲き、ウメを愛でに我も来た

・・・・・・・・・・・・まずは、天神さまにご挨拶。 子供も成長し「合格祈願」の対象が無くなったので、夫婦揃って「健康祈願」、私はもう一つ「宝くじ当選」もヨロシク!

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・・・・・・・・・・・・受験シーズン、「合格祈願」の絵馬に願いを託す受験生

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・・・・・・・・・・・・境内のウメにレンズを向ける人

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・・・・・・・・・・・・今月下旬が、一番の見頃かも? 

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2021年2月11日 (木)

コロナ禍のお不動さん

今日は「建国記念の日」。 通勤ラッシュもないので、新型コロナに感染するリスクも低いと勝手に思い込み、チョイト気を緩めて、目黒不動に行ってきた。、、、、東急目黒線不動前駅で下車し、蛸薬師、目黒不動に参拝し、武蔵小山駅まで歩いてきた。 9千歩




不動前駅(ふどうまええき)は、品川区西五反田にある東急目黒線の駅である、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業したが、同年10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)、目黒駅~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い、駅は高架駅となった。 現在は高架相対式ホーム2面2線の構造。、、、、駅名の由来となっている「目黒不動」は駅の北西約500mのところにあり、不動前とはいっても参道があるわけでもなく、道も複雑で不動尊に繋がっている訳ではない、けして“近い駅”とは思えない。、、、、早朝8時、ガラガラ・空き空きの電車を降り、一ヵ所しかない高架下の改札から出ると、駅前商店街が左右に伸びている。 

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の周辺案内図を見て、蛸薬師、五百羅漢寺、目黒不動尊のコースを歩くことにした!

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● 不動前駅から商店街を抜け、「かむろ坂通り」を横断し、「五百羅漢寺」の案内に従って歩く。

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● 五百羅漢寺の手前に「蛸薬師(たこやくし)」の成就院があった。 まずは、御挨拶をして行かねばなるまい。、、、、天台宗寺院の成就院は、天安2年(858)慈覚大師が開山した。 本尊が3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像であることから、蛸薬師とも呼ばれている。、、、、俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々に崇められている。 慈覚大師が唐の国から帰る時、暴風に遭い、守本尊の小像を海に投じて風波を静めた。 その後この小像が蛸の頭上に乗って海岸に漂着したので、その形を採って薬師像を作り、胎内に小像を納めたと伝わる。 本堂側面の看板に『ありがたや福を吸い寄せる蛸薬師』と大書している。、、、、看板の下には、徳川2代将軍秀忠の側室お静の方の発願で奉納された7体の石仏「お静地蔵尊」が並んでいる。、、、、時刻は8時30分、寺はまだ営業時間前で本堂の扉も閉まってる。 タコを拝むことも出来ず去る。

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・・・・・・・・・・・【蛇足】大正時代から、おできの膿を吸い出す薬として「たこの吸い出し」
(町田製薬)という軟膏があるのを知っているかな? お尻におできができたら、お医者に行くには恥ずかしい、こんな時には、家庭の常備薬として、一家に一つあるといいかも?、、、、蛸薬師の看板を見て思い出した!



● 蛸薬師前から北に伸びる道を入ると正面に「五百羅漢寺」がある。、、、、天恩山五百羅漢寺は、元禄8年(1695)鉄眼禅師を開山として江戸本所(現:江東区大島)に創建された黄檗宗の寺院。 当時、境内には「さざい堂(三匝堂)」という建物があり、内部が螺旋階段になっていて、一堂に諸仏像を拝見できる構造になっていた。 明治41年(1908)ここ下目黒の地へ移り、現在は浄土宗系単立の寺となっている。、、、、現在は昭和56年(1981)に完成した新しい本堂および回廊に、305体の木造釈迦三尊及び五百羅漢像が安置されているそうだ。 内部の拝観は9時の開門以降で、拝観料500円。 『せっかく来たが、開門まで待つのは嫌だ! 拝観料払うのも嫌だ!』と云うことでパスした。 『またのおこしをお待ちしてます!』と羅漢さまの声が聞こえたようだ!

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● 五百羅漢寺をあとにして、隣りの瀧泉寺(りゅうせんじ)」(目黒不動に参拝する。、、、、瀧泉寺は天台宗の寺院で、山号は泰叡山。 不動明王を本尊とし、一般には「目黒不動」の通称で呼ばれる。 江戸五色不動の一つ。、、、、本堂は入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981)再建の鉄筋コンクリート造建築。、、、、コロナ禍の今は、「水かけ不動」に水かけはダメ、本堂内部へは立ち入りできず、諸堂の参拝も10cm程開いている扉の隙間から合掌、何やら物足りず早々と参拝を済ます。

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・・・・・・・・・・・・コロナで仏は拝めなくとも、ウメは身近に観賞できた!

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● 地下化された東急目黒線の線路敷跡に整備された不動前緑道公園を抜けて、武蔵小山駅に向かう。、、、、駅前のタワマン(41階建て)が見える(私の住む浅草橋には、こんな高いビルはない!)

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● 不動前駅の隣りが「武蔵小山駅」である。、、、、大正12年(1923)3月11日「小山駅」として開業したが、駅名が東北本線の小山(おやま)駅と類似しているため、翌大正13年に“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」に改称した。、、、、平成18年(2006)には地下化され、その後駅ビルも開業。

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2021年2月10日 (水)

前立腺ガン心配なし!

上野の総合病院にて、3カ月ごとに泌尿器科の定期検診を受けている。 今日はその検診日、朝一番の予約。 先生から、前立腺ガンの検査結果は『PSA値が1.57だ、心配はいらないよ!』の一言。(血液検査のPSA値が4.0以下なら陰性で“心配なし”、4.0以上な陽性で“疑いあり”)、、、、最後に、いつものように、お土産に前立腺肥大を抑える薬、尿を出しやすくする薬を3種類3ヵ月分、処方してしてもらう。

【おさらい】「前立腺肥大」と「前立腺ガン」は、排尿障害など似ている症状があるが、発症メカニズム、発症部位はいずれも異なり、全くの別ものであるらしい。、、、、前立腺ガンになると、治療後の後遺症として“排尿障害”や“勃起障害(ED)”があるそうだ。 70歳を超えた私は、“勃起障害”は我慢できても、“排尿障害”は辛そうだ。 症状が出ないことを祈るばかり!、、、、詳しくは自分で調べて!


今年も、前立腺ガンの心配なし、安心して病院を出た! チョイト、東本願寺にでも寄って、我が家まで歩いて帰ろう! 



● 上野の病院から仏具屋が並ぶ「浅草通り」を歩き、西浅草1丁目の東本願寺に参る。、、、、慶安4年(1651)に神田で、京都東本願寺の別院として開創。 明暦の大火により焼失し、現在の浅草に移転し、浅草本願寺となる。 昭和56年(1981)には、「お東さん騒動」として有名なお家争いの末、真宗大谷派から独立し、「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」となる。、、、、境内は広く本堂の他に、4階建ての門信徒会館、宗祖親鸞聖人七百回御遠忌を記念して建立された会館、幼稚園、浄土真宗を教える学校、墓地などが点在する。 しかし、空襲で焼失したのか(?)樹木は少なく緑の無い境内は、どうも私は落ち着かない!、、、、木造の旧本堂は関東大震災で焼失し、昭和14年(1939)に、皇室関係の建物を多く手掛けた木子幸三郎(きごこうざぶろう、1874年~1941年)により設計された鉄筋コンクリート造の現本堂が再建された。 しかし、再建された本堂は昭和の空襲で被災したため、戦後になって焼失した内部は改修され、現在の荘厳華麗な造りとなった。

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● 東本願寺に参拝し、寺から南に歩くと、元浅草三丁目に小さな境内の「孫三稲荷神社
(まごぞういなりじんじゃ)」がある。、、、、孫三稲荷神社は、天正年間(1573~1592)徳川家康が、「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川を渡ったが、後にその孫三を探したところ該当者はなく、安倍川の川辺に「孫三」の名を持つ祠があったことから、この稲荷の化身であったという霊験により、天正18年(1590)関東入国の際、家康の命により稲荷の神体ごと川村某の手により江戸の神田三河町に遷座、慶安年中当地(安倍川町)に鎮座したと云われている。 現社殿は昭和26年(1951)の再建。、、、、ここの稲荷のお供えは、“油揚げ”ではなく“安倍川餅”かも?

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● 孫三稲荷の西、元浅草4丁目に浄土宗寺院の「誓教寺」がある。、、、、本堂はモダンな形の建物。 起立は不詳だが、開山した善蓮社貞誉上人浄求閑悦和尚が慶安元年(1648)に亡くなっていることから、寛永17年(1640)頃には現在地に創建されたと推定される。

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・・・・・・・・・・・・誓教寺の境内には東京都指定旧跡の葛飾北斎の墓がある。 葛飾北斎は宝暦10年(1760)に江戸本所割下水(現:墨田区亀沢)で生まれ、「富岳三十六景」をはじめ多くの傑作を描き、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えた。 葛飾北斎は、生涯に住居を93回も引っ越し、嘉永2年江戸浅草聖天町の長屋で三女の阿栄(おえい)、に看取られて没した。 北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていましたが、現在の墓は、後に他家の養子となっていた次男の崎十郎が建てた説と、崎十郎の娘 白井多知が建てたという説がある。 誓教寺墓地の中央付近に、多くの一般の墓と共に北斎の墓がある。 墓石には「画狂老人卍墓」とあり、右側面には『ひと魂の行く気散じや夏の原』の句が刻まれている。、、、、また、本堂前には平成2年(1990)に、生誕230年を記念して関口昌孝作の胸像が建てられた。 何となく、若々しく見える北斎の像

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誓教寺の正面(元浅草2)には、真言宗智山派の吉祥院がある。 吉祥院は摩尼山隆全寺と号す。 創建年代は不詳。 慶長16年(1611)に中野に寺領を得て、寛永21年(1644)には現在地へ移転した。、、、、、こちらの寺は、街中の小さな寺であるが、何時も境内は手入れが行き届き、綺麗に刈られた植栽と、掃き清められた庭が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。 いい雰囲気の私好みの寺だ!

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● この他、台東区元浅草、寿の寺を歩きながら、浅草橋の我が家に帰宅。

2021年2月 7日 (日)

国道131号の裏通り

日曜で乗客も少ない浅草線に乗り、京急空港線の大鳥居駅で下車、駅前から北に伸びる国道131号(=産業道路)に沿って裏道を歩き京浜急行大森町駅まで、1万歩の散歩です。、、、、電車は往復空き空き状態、散歩中はすれ違う人も少なく、コロナ感染の心配無用!




● 浅草橋にて羽田空港行に乗り、乗降客の少なそうな大鳥居駅で下車した。、、、、大鳥居駅は明治35年(1902)6月28日、蒲田~稲荷橋間開通と同時に開業。 駅名は、当時、穴守稲荷の大きな鳥居が現在の大鳥居駅付近にあったことに由来する。 平成9年(1997)に駅は環八通りと産業道路が交差する大鳥居交差点の地下に移設された。

・・・・・・・・・・・・空いてる電車で、のんびりと散歩に向かう

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・・・・・・・・・・・・大鳥居駅は地下ホーム

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・・・・・・・・・・・・駅前の大鳥居交差点、この真下にホームがある。

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● 大鳥居駅から国道131号(=産業道路)の西側の裏道を北上すると、西糀谷3丁目に濱竹天祖神社がある。、、、、濱竹天祖神社は、村民長左衛門が西暦1687年頃に創建したらしい(濱竹は部落名:糀谷村濱竹厨子から命名) 社殿は昭和13年(1938)に建てられた。、、、、樹木の少ない境内は、町内の盆踊りに丁度良い広さがある。

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西糀谷の町を北に向かう、、、、町工場は休み、人影も少ない。

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● 呑川(のみかわ)に架かる「八幡橋」を渡る、、、、現在の八幡橋は平成25年(2013)に架け替えられた。 以前の八幡橋は昭和15年(1960)に竣工した。 橋の北側には橋名となった「子安八幡神社」がある。、、、、浄化され年々綺麗になる呑川に、朱塗りの八幡橋が姿を映している!

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● 八幡橋の向かいに「子安八幡神社」がある、、、、子安八幡神社は北糀谷1にある。 応永年間(1394~1428)に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し創建したと伝えられる。 六郷用水を開拓した小泉次太夫吉次がその功績により慶長2年(1597)に当地を賜ると、幕末(江戸時代末)まで代々領主を勤めることとなった。 安永3年(1774)には時の領主である小泉藤三郎包教の武運長久を願って氏子らが石鳥居を当社に奉納しており、現在でも境内に文化財として残っている。、、、、正面の鳥居は平成24年(2012)に白木で新造された。

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● 子安八幡神社から北へ約500m、旧呑川の跡が緑地公園として残されている。 旧呑川に架かっていた昭和橋(昭和45年架橋)も残されてる。

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● 旧呑川緑地公園の昭和橋から道なりに北へ向かうと、真言宗智山派寺院の密乗院(大森中2)の前に出る。、、、、密乗院は、海光山大森寺と号し、真栄が約800年前の承久年間(1219~1222)に創建したと云われている。 江戸時代に寺領20石の御朱印状を拝領、大森の諸神社の別当時であった。 本尊は不動明王。、、、、立派な山門も備わった、清浄で美しい寺!


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● 国道131号(=産業道路)が国道15号(=第一京浜)にぶつかる大森警察署前に近づいた。 私は、西に折れ国道15号を横断し京浜急行本線の大森町駅から電車に乗る!
・・・・・・・・・・・・警察署近くの国道131号(=産業道路)

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・・・・・・・・・・・・警察署前の国道15号(=第一京浜)

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・・・・・・・・・・・・国道を横断すれば大森町駅(おおもりまちえき)、、、、明治34年(1901)2月1日、六郷橋~官設大森駅間開通時に開業。 創業100年超の駅の老舗!

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2021年2月 5日 (金)

閻魔さまに祈願

“緊急事態宣言”が延長され自粛生活がさらに続くこととなった。 家に籠る毎日に飽き、立春も過ぎ暖かくもなり、歩きたい! 今日は、チョイト禁を破り、我が家から錦糸町までナイショで不要不急の散歩をしてきた。

我が家(浅草橋)から、江戸通りを厩橋まで、厩橋からは春日通りを東へ向かい横川一丁目交差点まで、その後南へ折れて錦糸町駅から電車で帰宅。 1万3千歩




● まずは、毎度おなじみの江戸通りを厩橋交差点に向かう。

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・・・・・・・・・・・・厩橋交差点にある「東京厚生信用組合浅草支店」、、、、この建物は昭和4年(1929)に、安藤組(現:安藤ハザマ)の設計・施工で建てられた。 外観はほぼ竣工時の姿を残している、レトロな建物である。、、、、シャッターが下りているのは、まだ営業時間前(am7:45)のため。

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・・・・・・・・・・・・もう一つ、厩橋の西詰(台東区側)、交番の隣りに人​の​顔​を​デ​ザ​イ​ン​し​た​、遊び心のある​公​衆​ト​イ​レがある。 ​顔​の​あ​る​側​に​、​男​、​女​別​れ​て​入​り​口​が​あ​る、チョイト寄ってみたくなるね。 でも、内部は普通のトイレ、隣りにお巡りさんも居るので、安心してゆっくり用を済ませてね。、、、、平成4年(1992)台東区の「まちかど賞」受賞

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● 隅田川に架かり、台東区蔵前・駒形と墨田区本所を結ぶ「厩橋(うまやばし)」、、、、橋名は西岸にあった「御厩河岸(蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があった)」に因む。 もともと元禄年間ごろから続いていた「御厩の渡し」のあった処。、、、、現在の橋は、3径間下路式タイドアーチ橋、橋長 151.4m、幅員 22.0m。 工費114万5千円にて、大正15年(1926)に着工し、昭和4年(1929)に竣工した、震災復興橋の一つ。 橋の所々には、馬を連想させるレリーフなどが施されている。、、、、橋の下の川底には都営大江戸線が走っているが、上下線は厩橋を挟むように、橋台を避けて迂回している。 たぶん、古い橋の橋台に影響を生じないように避けたものと思われる。 

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● 厩橋を渡り、春日通りを東へ歩き、本所1丁目と2丁目の交差点に来ると、大通りの角に小さな「厩橋交番」がある、、、、現在は“交番”ではなく、「厩橋地域安産センター」に変わっている。 小さな三角形の角地に合わせ昭和3年(1928)に建てられた、小さく狭い交番建築である。 石造りを模したコンクリート造の交番は、チョビ髭のお巡りさんが警棒を持って立っているような、懐かしい雰囲気を漂わせている。

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● 本所2丁目の若宮公園の一角に摂社若宮牛嶋神社がある。 その鳥居前の木陰に隠れるように満州事変忠魂碑がある。 おそらく、戦前はもう少し目立つところに堂々と置かれていたと思われるが、今は目立たぬようにか(?)木の陰にひっそりと置かれている。、、、、昭和6年(1931)に始まった満州事変では本所区から700余名が出征した。 その中で戦死した霊を祀り昭和10年(1935)に遺族が碑を建てたものだ、塔頂部は満州らしい七重塔が飾られている。

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華厳寺は本所2丁目にある浄土真宗大谷派の寺。東本願寺の末の名刹で、権大僧正光円法印が慶長8年(1598)に本所中之郷に創建し、延享4年(1774)に本所の現在地へ移転した。、、、、華厳寺のお閻魔様は、延宝7年(1679)から境内に安置され、江戸六十六ヶ所えんま詣り第二十番目にあたり、「厄除けえんま堂」として広く庶民に信仰されてきた。 堂には、室町時代中期の作と思われる老婆の鬼「奪衣婆の像」もまつられている。 “怖い”というより、愛嬌を感じ、親しみの湧く2体の像が閻魔堂に祀られている。、、、、本堂は、只今工事中!、、、、今日は閻魔さまに、日本全国民の代表として小銭38円を賽銭箱に投じ、コロナ退散を祈願してきた。

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● 本所4丁目には、勝海舟の父親の小吉が参拝していた日蓮宗の能勢妙見山別院がある。、、、、“能勢の妙見さん”と聞くと勝海舟を思い出し、昭和49年(1974)のNHK大河ドラマ「勝海舟」を思い出す。 大河ドラマでは、松方弘樹が海舟(勝麟太郎)で、二代目尾上松緑が父親の勝小吉。 松緑の小吉が素晴らしい“江戸っ子”だった。、、、、小吉は麟太郎の病(犬にチン玉を喰われた)の時、ここ本所の妙見さんで水垢離をして祈ったと言われている。、、、、妙見山別院は小ぢんまりとした小綺麗な寺で、境内には四季の野草などが花を咲かせている。 境内の海舟の像が花を楽しんでいるようだ!

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● 現在は暗渠化し、その上に親水公園が整備された大横川に架かる2橋に寄った・・・・・

・・・・・・・・・・・・妙見山別院の東側にある紅葉橋、、、、石原4丁目と横川1丁目を結ぶ橋で、昭和5年(1930)に架設された。 全長35.11m・幅11m。 紅葉橋という名は、このあたりに楓川という細い流れがあったので、それにちなんで付けられた。 アールデコ風の親柱が印象的だ!

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・・・・・・・・・・・・紅葉橋の上流側(北側)に架かる横川橋、、、、橋上は春日通り、本所4丁目と横川1丁目を結ぶ橋で、昭和3年(1928)に架設された。 全長32.65m・幅22.7m。 親柱には外灯・装飾などがあったと思われる台座が残っているが上部は無い!

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● 横川1丁目、日本たばこ産業の正門前で南に折れ、スカイツリーを背にして錦糸町駅に向かう。、、、、散歩中の濃厚接触者はいないと思う。 コロナに感染していないと思うね!

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