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2021年2月10日 (水)

前立腺ガン心配なし!

上野の総合病院にて、3カ月ごとに泌尿器科の定期検診を受けている。 今日はその検診日、朝一番の予約。 先生から、前立腺ガンの検査結果は『PSA値が1.57だ、心配はいらないよ!』の一言。(血液検査のPSA値が4.0以下なら陰性で“心配なし”、4.0以上な陽性で“疑いあり”)、、、、最後に、いつものように、お土産に前立腺肥大を抑える薬、尿を出しやすくする薬を3種類3ヵ月分、処方してしてもらう。

【おさらい】「前立腺肥大」と「前立腺ガン」は、排尿障害など似ている症状があるが、発症メカニズム、発症部位はいずれも異なり、全くの別ものであるらしい。、、、、前立腺ガンになると、治療後の後遺症として“排尿障害”や“勃起障害(ED)”があるそうだ。 70歳を超えた私は、“勃起障害”は我慢できても、“排尿障害”は辛そうだ。 症状が出ないことを祈るばかり!、、、、詳しくは自分で調べて!


今年も、前立腺ガンの心配なし、安心して病院を出た! チョイト、東本願寺にでも寄って、我が家まで歩いて帰ろう! 



● 上野の病院から仏具屋が並ぶ「浅草通り」を歩き、西浅草1丁目の東本願寺に参る。、、、、慶安4年(1651)に神田で、京都東本願寺の別院として開創。 明暦の大火により焼失し、現在の浅草に移転し、浅草本願寺となる。 昭和56年(1981)には、「お東さん騒動」として有名なお家争いの末、真宗大谷派から独立し、「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」となる。、、、、境内は広く本堂の他に、4階建ての門信徒会館、宗祖親鸞聖人七百回御遠忌を記念して建立された会館、幼稚園、浄土真宗を教える学校、墓地などが点在する。 しかし、空襲で焼失したのか(?)樹木は少なく緑の無い境内は、どうも私は落ち着かない!、、、、木造の旧本堂は関東大震災で焼失し、昭和14年(1939)に、皇室関係の建物を多く手掛けた木子幸三郎(きごこうざぶろう、1874年~1941年)により設計された鉄筋コンクリート造の現本堂が再建された。 しかし、再建された本堂は昭和の空襲で被災したため、戦後になって焼失した内部は改修され、現在の荘厳華麗な造りとなった。

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● 東本願寺に参拝し、寺から南に歩くと、元浅草三丁目に小さな境内の「孫三稲荷神社
(まごぞういなりじんじゃ)」がある。、、、、孫三稲荷神社は、天正年間(1573~1592)徳川家康が、「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川を渡ったが、後にその孫三を探したところ該当者はなく、安倍川の川辺に「孫三」の名を持つ祠があったことから、この稲荷の化身であったという霊験により、天正18年(1590)関東入国の際、家康の命により稲荷の神体ごと川村某の手により江戸の神田三河町に遷座、慶安年中当地(安倍川町)に鎮座したと云われている。 現社殿は昭和26年(1951)の再建。、、、、ここの稲荷のお供えは、“油揚げ”ではなく“安倍川餅”かも?

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● 孫三稲荷の西、元浅草4丁目に浄土宗寺院の「誓教寺」がある。、、、、本堂はモダンな形の建物。 起立は不詳だが、開山した善蓮社貞誉上人浄求閑悦和尚が慶安元年(1648)に亡くなっていることから、寛永17年(1640)頃には現在地に創建されたと推定される。

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・・・・・・・・・・・・誓教寺の境内には東京都指定旧跡の葛飾北斎の墓がある。 葛飾北斎は宝暦10年(1760)に江戸本所割下水(現:墨田区亀沢)で生まれ、「富岳三十六景」をはじめ多くの傑作を描き、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えた。 葛飾北斎は、生涯に住居を93回も引っ越し、嘉永2年江戸浅草聖天町の長屋で三女の阿栄(おえい)、に看取られて没した。 北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていましたが、現在の墓は、後に他家の養子となっていた次男の崎十郎が建てた説と、崎十郎の娘 白井多知が建てたという説がある。 誓教寺墓地の中央付近に、多くの一般の墓と共に北斎の墓がある。 墓石には「画狂老人卍墓」とあり、右側面には『ひと魂の行く気散じや夏の原』の句が刻まれている。、、、、また、本堂前には平成2年(1990)に、生誕230年を記念して関口昌孝作の胸像が建てられた。 何となく、若々しく見える北斎の像

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誓教寺の正面(元浅草2)には、真言宗智山派の吉祥院がある。 吉祥院は摩尼山隆全寺と号す。 創建年代は不詳。 慶長16年(1611)に中野に寺領を得て、寛永21年(1644)には現在地へ移転した。、、、、、こちらの寺は、街中の小さな寺であるが、何時も境内は手入れが行き届き、綺麗に刈られた植栽と、掃き清められた庭が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。 いい雰囲気の私好みの寺だ!

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● この他、台東区元浅草、寿の寺を歩きながら、浅草橋の我が家に帰宅。

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