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2021年3月30日 (火)

ありゃ、こりゃ、庚申塔

東京では10年ぶりに黄砂が観測され、視界の悪い曇り空のような日となった。 今日は夫婦で、北総の「百庚申」を見ながら、北総線の千葉ニュータウン中央駅から隣りの小室駅まで歩いてきた。 1万3千歩、約7kmの散歩です。



【チョイト予備知識】・・・・・・・庚申信仰は、中国の道教「三尸(サンシ)説」に由来するもので人の体内に棲む三尸という虫が庚申の夜に人が熟睡している間に抜け出し、天帝にその人がした悪事などを告げて寿命を縮めてしまうので、その夜は村人が集まり飲食をしながら眠らずに夜を明かし、人々の無病息災や長寿などを祈願するもの。 室町時代ごろから庚申講が行われるようになり、その供養の証として庚申塔を建てるようになった。 この風習は江戸時代に各地に定着した。 千葉県北部の下総地区では、江戸時代前期から三猿、地蔵像、観音像、如来像などを彫った石塔が造られる。 中期に入ると、青面金剛像の石塔が主流となり、江戸時代後期に入ると「青面金剛」銘、「庚申塔」銘など文字塔が主流となる。 千葉県の北総では、青面金剛像の石塔が10基、その各石塔の間にそれぞれ9基づつ「庚申塔」銘の石塔を計90基配し、全部で100基の庚申塔を一度に造り並べる「百庚申」が江戸時代後期から明治時代まで流行したそうだ。 「百庚申」は、より多くの庚申塔を建てることにより、より多くの功徳を得たいという人々の気持ちの表れである。、、、、印西市、柏市、鎌ケ谷市などの北総では、現在でも各所に「百庚申」が残っている。 しかし、石塔は風化・破損したもの、地震などで倒壊し埋もれたものなどがあり、100基揃っているものは少ない。

 

 

 

● 北総線千葉ニュータウン駅で下車し、駅の南西側、東京電機大学千葉ニュータウンキャンパス(印西市武西1183-2)の前の武西学園台南街区公園内にある「武西の百庚申」を見に行く。 武西の百庚申は文久3年(1863)の造立で、刻像塔10基、文字塔90基から成り、当時の形態を最も良く残しています。、、、、ちなみに我が妻が100基あるか疑い、数えてみたら、間違いなく100基あった! 景観、壮観、奇観で、スバラシイ~~! 

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・・・・・・・・・・・・千葉ニュータウン駅の北側、印西市小倉鳥見神社にも数は少ないが庚申塔が並んでいる。 100基揃っているのは、鎌ケ谷大仏前の鎌ケ谷八幡神社こちらもパーフェクト!



● 駅前の住宅街を外れると、一気に田畑が広がる田舎の匂いがしてきた。 サクラはそろそろ散りはじめた。

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道(ししばふなおかいどう)」と称する道に出た処。 「武西観世音堂」という建物と小さな大師堂、月待塔・供養塔・庚申塔・出羽三山参拝記念碑などの数基の石塔が並んでいる。、、、、おそらく、昔から村の祠があった処であろう。

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・・・・・・・・・・・・観世音堂の前に広がる畑。 何を育てるのか、ジャガイモ? 落花生? ネギ? 

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・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」を、観世音堂から北東方向に300m程歩くと、8基の地蔵像が路傍に並んでいる(印西市武西954付近) 交通事故の地蔵か? 水子地蔵か? それとも餓死・水死・病死か? いずれにしても、南無阿弥陀仏。、、、、チョイト横に3基の石塔が、右端は庚申塔、中央は不明、左にナント!猫が彫られている、そして「明治二十四年」と刻まれている。 どうみても、猫だ、コリャ何だ!(私には判らない)


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・・・・・・・・・・・・再び「神々廻・船尾街道」を歩くと、印西市から白井市谷田の町に入る。 ここでも、路傍に20基ほどの庚申塔が基壇の上に並んでいた。、、、、写真3枚目の左端の庚申塔は「谷田の三猿庚申塔」と称し、寛文10年(1670)に造立されたもので、総高191cm、笠付角柱型で下部には三猿を彫出する三猿庚申塔。 白井市内には数多くの庚申塔があるが、この庚申塔は市内でも最古かつ最大のものである。 庚申信仰の歴史を理解する上で重要なものだそうだ。

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・・・・・・・・・・・・さて、ここでクエスチョンです。 歩いてきた「神々廻・船尾街道」の『神々廻』は何と読むのでしょうか? 地元の関係者以外で読める人は変人か、神様か、どちらにしても普通の人ではない!、、、、読みの正解は『ししば』で、北総線小室駅のある小室町(船橋市)の北側に隣接する町。 どうやら元禄14年(1702)には既に「神々廻」という言葉は存在していた。 江戸時代から明治22年(1889)までは「神々廻村」として、その後は複数の村と合併して「白井村」となってからは大字名として残ったそうだ。 また、地名「神々廻」の由来は諸説あり・ありで、本当のところは不明らしい!

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・・・・・・・・・・・・北総線を南から北に越えて、さらに「神々廻・船尾街道」を歩く。


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・・・・・・・・・・・・北総線を越え谷田地区の北側に天台宗の西福寺がある。 寺は無人らしい。、、、、境内に所在する、公孫樹(イチョウ)は子育て観音の「乳房公孫樹」と呼ばれ、『観音にすがり乳柱の一部を削って煎じ、これを愛飲すると忽ち乳が出る』とされ信仰を集め、近郷からも乳飲み子を抱えた母親の参詣で賑わったと云われてる。 特に第二次大戦前は東京からも人々が訪れたそうだ。 幹周り510センチメートルは市内でも最大級のもので、市内を代表する巨樹のひとつです。、、、、境内は苔むし、点在する石碑・石仏にも苔が生え、風情あり・ありの寺。

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・・・・・・・・・・・・西福寺から北西へ約300m、短い階段を上がると、創建が大同年間(806~809)といわれてる薬王寺がある。 天台宗の古刹である。 本尊は阿弥陀如来。、、、、平成13年(2001)に現本堂が新造された。境内には薬師堂もある。、、、、よく吠える犬がいて、静かに参拝できない寺!

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」の歩きもここまで、白井市清戸の宗像神社に参る。 貞観18年(876)の創建と伝わる。慶長8年(1604)と天保2年(1831)に再建された。 印旛沼の北岸台地周辺に多くある宗像神社の総鎮守といわれていて、当地の宗像神社の中で最古の社といわれている。、、、、平成27年(2015)頃に、老朽化した本殿の解体修復を行い、境内の諸施設の整備、参道の拡幅・敷石の敷設替え事業が行われた。 境内には、鳥居右側に江戸時代中期の享保9年(1724)銘のある、両側面に童子像のある青面金剛像や、天明7年(1787)銘の仏像碑などがある。、、、、総鎮守と云う割には、境内も本殿も小さい、しかし本殿の彫刻は圧巻である。

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● 宗像神社本殿の後ろ奥に、「清戸の庚申塚」がある。、、、、並ぶ石塔の前の道路は只今工事中! 柵があり、チョイト離れて見る!

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● 田舎道を歩き北総線小室駅へ向かう。 スカット晴れていれば青空の下で気持ち良いのだが、黄砂の影響か視界不良なり、残念!

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・・・・・・・・・・・・小室駅到着。 北総線の駅では唯一船橋市にある駅であり、市内の駅としては最も北に位置する(JR船橋駅近くの海岸線から約14km離れている、あらためて船橋市の広さを実感できるね!)、、、、昭和54年(1979)3月8日に開業した、島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線の計2面3線の地上駅。 駅舎は橋上で、出入口は北口のみである。、、、、北総線内の駅では、乗客の少なさはワースト2!

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