二寺の閻魔さま
緊急事態宣言が解除され、緩んだ気持ちがより緩み、『もうどうでもいいや!』の異常事態となった。 緩みっぱなしの気持ちで、今日は、中板橋に閻魔さまが居ると聞いたので、見に行くことにした。 東武東上線中板橋駅で下車し、専称院の閻魔さま、大山のおふく地蔵を見て、帰りは中山道仲宿の文殊院の閻魔さまにも挨拶し、都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万1千歩の散歩です。
● 池袋駅から東武東上線で4駅目が「中板橋駅」である。 島式ホーム2面4線の地上駅には、「普通」しか停車しない。 「特急」、「急行」、「快速」、そして「準急」のいずれも、堂々と疾走し通過して行く。、、、、駅の由来は、付近に“中板橋村”があった訳じゃない。 昭和初期、この付近の子供は東上線の鉄橋を利用して石神井川に飛び込んで遊んでいた。 そこで、危険を感じた東武鉄道では、地元に鉄橋で遊ぶことは危ないので、他の遊び場を作るように申し入れ、地元では夏場の遊び場として「遊泉園」と云うプールをオープンさせた。 プールには遠方からも利用者が訪れるようになり、遊泉園では近くに駅の設置を申し入れ、昭和8年(1933)に新駅が開業することとなった。 この時、東武鉄道は駅名を何とするか地元に尋ね、地元では上板橋駅と下板橋駅の中間にあることから、単純に「中板橋」と回答した。 これが中板橋駅の生い立ちである! 判りやすい命名である!!




● 中板橋駅から南へ300m程、今日の散歩の目的地:浄土宗寺院の「専称院(せんしょういん)」(板橋区仲町)がある。 専称院は、亀嶋山地蔵寺と号し、御本尊は阿弥陀如来。 寺はもと豊島の地(王子)に地蔵堂として創建された。 宝永年間(1704~1711)に祐天上人によって中興され現寺号に改称した。 昭和7年(1932)都市道路計画により王子の地を離れ、当地にあった乗蓮寺塔頭香林庵を合併して移転してきた。 香林庵は明治7年(1874)に区域で初めて公立の小学校が設置された場所である。 小さいながら厳かな雰囲気のお寺だ!

・・・・・・・・・・・・専称院が豊島の地にあった頃、文化10年(1814)に境内に閻魔堂を合祀し、子育地蔵と共に世人に親しまれ信仰を集めた。 今は、本堂の右手前に閻魔堂を建て、渋みのある怖そうな閻魔大王が睨みをきかせている!

・・・・・・・・・・・・豊島の地は、荒川沿いにあったため、寛政12年(1800)水害の溺死者の供養塔が建てられるなど、水難者の供養寺としても有名だったそうだ。

● 東武東上線の中板橋駅と大山駅の間にある“板橋区仲町”周辺の小さな神社、石仏などをチョッピリ紹介・・・・・・
・・・・・・・・・・・・専称院の南100mに、倭建命を祀る「轡神社(くつわじんじゃ)」がある。 もと轡権現社と呼ばれていた。 名称の由来は、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれている。 江戸時代から「百日ぜき」に霊験がある神として広く信仰を集めていたそうだ。、、、、現在は、ツムラの漢方薬「麦門冬湯」などが効くらしい。 お試しあれ!

・・・・・・・・・・・・轡神社から南東へ300m程、川越街道に出る手前(大山町)に、お地蔵さまを奉った祠「大山福地蔵尊」がある。、、、、今より150年前安政年間に鎌倉街道(日大交差点附近)では、いずれからかおふくさんという行者が来て街道筋の難病苦業を癒し大山宿の住民からは大変に慕われていた。 その後、大山に住み余生を衆生につくしたので、後に地元大山の人々からは、おふく地蔵としてまつられ現在に至っているそうだ。


・・・・・・・・・・・・おふく地蔵の前の道「福地蔵尊通り」を北へ500m程歩き、「豊島病院通り」に入ると、東上線のガード(仲町)がある。 その東上線線路脇に庚申塔が祀られている。、、、、光背上部を欠いているが、読めるのは庚寅年十一月十四日だけで、造立年は確定できない。、、、、道路を挟んで向かいのお婆さんが、花・水を供え、掃き清めているらしい。

● 中板橋駅と大山駅の中間を西に伸びる「豊島病院通り」を歩き、中山道に出る手前に「氷川神社」がある。 この氷川町の氷川神社は、現在、板橋宿の19の町を氏子区域とする。、、、、元久3年(1206)頃に、現在の所在地周辺を領有していた豊島氏の豊島左衛門尉経泰が、現在の埼玉県大宮市の氷川神社より、素盞男命、稲田姫命の分霊を奉じて社を建てたのが起源とされる。 石神井川畔の景勝の地ということで選ばれた。 豊島氏が没落した後も、地元民が板橋宿の鎮守として信仰してきた。 しかし、明治22年(1889)の火災で社は焼失し、起源を裏付ける史料も失われている。 火災の翌年に再建されたが、昭和20年(1945)の空襲で再び全焼した。 現在の社殿は、昭和33年(1958)9月に竣工した、鉄筋コンクリート、流造。、、、、中山道に沿って細長い参道の先に、石神井川を背にして社殿がある。 ナントナク寂れた感じをうける神社だ! コロナ禍で営業不振なのかも?



● 氷川神社まで来たら、閻魔さまが居る、もう一寺に寄って行くことにした。 氷川神社から中山道を横断し旧中山道の商店街の近くに、真言宗豊山派の寺院「文殊院」がある。 文殊院は幡場山と号し、板橋宿本陣の飯田家の菩提寺として江戸時代初期に創建された。 開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝えられている。


・・・・・・・・・・・・山門脇の閻魔堂には、閻魔大王・奪衣婆・懸衣翁の3像が安置されている。 懸衣翁が留まっている木は衣領樹と称し、奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣をこの枝に懸けて、垂れ具合で生前の罪の重さを計るのである。、、、、亡者が相撲取りだったら、回しを剥ぎ取るとスッポンポン! 猥褻物陳列罪で市中引き回しの後、所払いかも!



● お帰りは、板橋区役所前駅から都営三田線に乗る。 昭和43年(1968)に、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅名のごとく、区役所とは地下通路で結ばれている。、、、、ホーム・通路・改札など、全体的にゆとりが少なく手狭に感じる駅だ! 50年前に、工事費を削ったのか?

