中山競馬場前駅
春の陽気に、ついついコロナはさておいて、散歩に出た! 京成本線の鬼越駅で下車し、中山法華経寺をグルリと大きくまわるように、北方・若宮・東中山の町を巡り、東中山駅までの1万歩の歩きです。
昨年2月に、鬼越駅~神明社~子之神社~法華経寺~京成中山駅のルートで散歩した。 今日は、鬼越駅~神明社~八幡神社~子之神社~奥之院(法華経寺奥之院)~若宮八幡神社~東中山駅と、歩いてきた。
● 京成八幡駅の東隣の駅:「鬼越駅(おにごええき)」で下車。 鬼越駅は、昭和10年(1935)8月3日、中山鬼越駅として開業し、昭和18年(1943)に現在の鬼越駅に改称した。、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は京成八幡寄りの踏切脇にあり、駅舎と島式ホームの間には構内踏切がある。 一日当たりの平均乗降客は5,696人(2018年度実績)で、京成線内69駅中第50位である。 下から数えると堂々の19位。 当駅には、全ての普通列車が停まるが、特急、快速などの全ての優等列車は通過する。 かつては田圃の中にあったと思われる雰囲気が残る駅だ。、、、、地名の「鬼越」は、かつて、このあたりに恐しい鬼が住んでいたといわれ「鬼子居(おにごい)」と呼ばれていたが、その後、鬼子居が「鬼越」となったそうだ。 明治2年(1869)の地名は、葛飾県葛飾郡鬼越村であった。





● 駅の北側に鎮座する鬼越の鎮守様である「神明社」、、、、由緒書きによると、元和2年(1616)伊勢の皇大神宮より遷宮され、祭神は天照大神である。 現在の社殿は明治年間の造営で、一昨年(2019)台風の被害にあい、昨年修復された。 境内には耳の道祖神(耳の神様)、大神様(学問の神様)、お諏訪様(商売の神様)、与力様(力の神)、浅間神社(富士信仰)などが祭られている。 また、境内には松・楠などの大樹も多い。、、、、尋常小学唱歌「村祭」を思い出させる雰囲気の境内、ドンドンヒャララ ・ドンヒャララ




● 神明社の北側に「市川市北方」の住宅地が広がる。 北方は静かな住宅地で、俳人、小説家などが好んで住んだ地である。 チョイト坂が多く、道が狭いのが、玉に瑕!


・・・・・・・・・・・・北方の町にある「八幡神社」(北方3)は小高い処にある、地域のお社らしい。 急な階段を上るとスグにコンクリート造の社殿があるのみ。


・・・・・・・・・・・・八幡神社の北にもう一社、「子之神社(ねのじんじゃ)」(北方3)がある。 こちらも小高い丘の上にあるが、急な階段を上ると市川市の北部を一望するような、素晴らしい眺望に出会う。




● 中山法華経寺の北側の住宅地(中山2)を歩くと、法華経寺が所有する重要文化財64点を保管するために昭和6年(1931)に建てられた「法華経寺聖教殿」の頂部が木立の陰に見える。


● 法華経寺の東側:若宮2丁目に入ると、法華経寺の奥之院の立て看板が見えた! 『チョイト、寄ってみよう!』、、、、奥之院は、日蓮聖人が文応元年(1260)富木常忍(中山法華経寺初世日常聖人)の館に逃れてきて、当地に建立した法華堂の地と云われてる。 法華堂は後に法華寺と改称、さらに中山の本妙寺と合寺して法華経寺となり、当地は奥之院と称されるようになった。、、、、当寺の弁財天は市川七福神の一つ。



● 奥之院から南東へ150m程に「若宮 八幡神社」(若宮2)がある。 若宮八幡神社は、富木常忍(1216~1299)の館の鎮守社として創建され、中山法華経寺文書嘉暦4年(1329)の條にも記載されているそうだ。 日蓮聖人も八幡神社に参ったか?、、、、今は、盆踊りができそうな公園の片隅に鉄筋コンクリート造の社があるのみ。


● 奥之院から南へ歩き、京成本線の「東中山駅」についた。 東中山駅は昭和10年(1935)10月4日、中山競馬場前駅という臨時駅として設置され、昭和28年(1953)に常設の東中山駅として開業した。 昭和53年(1978)に国鉄武蔵野線船橋法典駅が開業するまでは中山競馬場への最寄駅であった。 その頃は、特急(スカイライナーは除く)、快速など、全ての列車が停車する駅であった。 現在は、重賞レースが開催される日以外は、普通列車だけが停車する寂しい駅。、、、、島式ホーム2面4線の地上駅で、駅舎は只今リニューアル工事中の橋上駅舎。 チョッピリ、モダンな駅となる。




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