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2021年4月

2021年4月15日 (木)

七曲がり

“まん延防止等重点措置”が適用され、ますます散歩に出づらくなってきた。 高齢者はワクチン接種するまで家に引っ込んでいればいいのかも、でもそんな巷の風潮に流されず、今日も散歩を決行! 浅草橋から押上経由で東武伊勢崎線に乗り、車中で『どこで降りようか?』の思案橋! 県を跨ぐ移動はひかえ、埼玉県の手前、足立区の北の端「竹ノ塚駅」で下車した。 駅からは気ままに歩いて、西新井大師に到着。 1万歩の散歩です。、、、、竹ノ塚駅、実相院、若宮八幡宮はコチラを見て!




● 押上で東武伊勢崎線の急行に乗り、西新井で普通に乗り換え竹ノ塚駅で下車。 自分が乗ってきた下り電車は空き空き、ホーム向かい側の上り電車は混み混み、詰め込み。

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・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅は明治33年(1900)3月21日に開業した。 開業後、100年超経過し、現在は“開かずの踏切”解消に向け、高架化工事の真最中。 地上の仮設ホームに立つと、まだ完成していないが、隣りに高架のホームが見える。

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・・・・・・・・・・・・仮の地上ホームから地下に降りると改札がある。 地下から、地上に出ると高架橋の前。

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● 駅の南側には「赤山街道」と呼ばれるバス通りがある。 この通りを北西へ歩くと足立区舎人方面に向かうことになる。 『ヨシ、今日はこの道を歩いてみよう!』と決めた。 開かずの踏切から赤山街道を300m程歩くと「尾竹橋通り」との交差点。
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・・・・・・・・・・・・「尾竹橋通り」との交差点から20m程先に「七曲がり」と表示された裏道があった。 道幅の広い赤山街道よりも、裏道の七曲がりの方が面白そうだ、歩く道を急遽変更、七曲がりを歩くことにした。(後に調べたところ、「七曲がり」は足立区伊興4-1から足立区栗原3-10までの、細く曲がりくねった道路で、このように命名されたそうだ。)、、、、しばらく歩いたが、期待した七ヵ所の“曲がり”らしき“曲がり”がなく、ゴク普通の道で期待ハズレ!

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・・・・・・・・・・・・途中の伊興3に「六万部経塚」がある。、、、、 六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来となっている。 この塚の南東にある寿福山長勝寺の和尚が宝永2年(1705)に平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたと云われている。 写真右側の古い小さな石柱が宝永2年の経塚碑。

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・・・・・・・・・・・・七曲がりは、真言宗豊山派寺院の実相院(足立区伊興4)の前に出た!、、、、2年ほど前に来た寺だ! 山門前の仁王の石像が印象的で、忘れられない!

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・・・・・・・・・・・・実相院山門横の電柱には七曲がりの表示を見ることができたが、この先は見つけることができず、七曲がりの踏破はアキラメタ! ここまで!!

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● 七曲がりを見失い、細い裏道、名もなき道を西新井方向に歩く。 

・・・・・・・・・・・・こんな処に! 細い道を入った奥に、全戸数50戸程の小さな「都営伊興二丁目アパート」があった。 昭和60年代の建物らしい。

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・・・・・・・・・・・・道なりに歩いて行くと、『ここ、以前に来た、若宮八幡宮』 広い境内と、松、イチョウなどの大木が特徴的だ!

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・・・・・・・・・・・・さらに道なりに歩くと、真言宗豊山派寺院の「源正寺」があった。 源正寺の創建年代は不詳だが、かつて『延徳三年(1491)辛亥六月三日相阿弥陀佛』と刻した古碑があったそうで、鎌倉時代に時宗玄性寺として創建されたらしい。

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・・・・・・・・・・・・源正寺の先にはURの「フレール西新井中央公園」団地がある。 URは公団住宅をドンドン建替え、団地名もマンション風に命名され、懐かしい『戦後の団地』が消えていく。 戦後70年超、時代は変わって行く。

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・・・・・・・・・・・・行く手の先に、大きな瓦葺きの屋根が見えた。 『あれは、お大師、総持寺さまだ!』 なんと、西新井大師の裏手に出てきた。

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・・・・・・・・・・・・後の調べで判ったことだが、「七曲がり」は実相院の前から直角に折れて、西新井大師の東側に伸びていた。 私は、実相院から七曲がりの西側150m程を並行して歩いていた。、、、、今度は下調べしてから、改めて「七曲がり」を踏破するぞ! 


● ここまで来たら、西新井大師にチョイト手を合わせて帰ることにした。
・・・・・・・・・・・・・・本堂の裏側から境内に入ると、「奥之院」と呼ばれる小堂がある。、、、、堂は、文化2年(1805)弘法大師が高野山奥の院をこの地に招いた、関東の高野と称され高野山の代拝所として江戸時代より現在まで参拝者が多い。 コロナの影響か(?)今日は参拝者どこにいる!
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・・・・・・・・・・・・そして、本堂
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・・・・・・・・・・・・境内には、見ごろとなった藤の花

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・・・・・・・・・・・・総檜2層銅板葺き入母屋造りの仁王門は、江戸時代初期の建物。、、、、仁王門前で草団子を買って我が家へ帰る!

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2021年4月11日 (日)

祐天寺の祐天寺

ヤン坊・マー坊は気象予報士、小池さんは千葉坊・神奈坊・玉坊とも別れ、明日から一人で“まん防”に取り組み、都民はじばらく辛抱するのだ!、、、、まん防がはじまると、またまた勝手気ままな散歩がしずらくなる。 “まん防”前日の今日は、チョイト武蔵小山から祐天寺まで歩いてきた。 1万1千歩




● 東急電鉄目黒線の「武蔵小山駅」は、今から98年と1ヵ月前の大正12年(1923)3月11日、小山駅として開業。 現在は、島式ホーム2面4線の近代的な地下駅である。、、、、駅前にタワーマンションも建ち、何だか名も似てる、武蔵小杉駅に似てきたな?

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・・・・・・・・・・・・駅の西側、都立小山台高校のグランド沿いに店舗が並ぶ「西口通り」を抜けると、品川区から目黒区に変わる。

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● 西口通りを抜け、「林試の森公園」の西側を迂回するように、目黒本町3丁目を北西に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・私が好きになりそうな路地、子供が飛び出してくるような路地が、目黒本町3丁目(入間湯の脇)にあった。 四角のブロックを並べた長い路地は行き止まりになることもなく、抜けられた!、、、、この辺りは、かって「月光町」という町名だったそうで、町会名に残っている。 きっと、月がよく見える夜空の綺麗な町だったのか? また、近くには「月光原小学校」もある。 (ベートーベンとは無関係だ!)

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・・・・・・・・・・・・林試の森公園の西隣、大木に囲まれた国家公務員用の小山台住宅(約3hr)があるが、現在は空き家である。 今年取り壊されるようだ、跡地は林試の森公園の拡張と、荏原消防署小山出張所の新設、品川区の福祉施設の新設などに充てられるそうだ。 前面の道路が品川区(公務員住宅側)と目黒区(一般住宅)の境。

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● 目黒本町3丁目から北へ下目黒6丁目の住宅地に、三角の国旗がはためく駐日ネパール大使館があった。 ネパールと云えば、ヒマラヤ登山の国として知るのみ(知識不足で申し訳ない)、、、、かつては王制であったが、平成20年(2008)に共和制移行した。 退位した元のギャネンドラ国王は富豪としてネパールで過ごしているらしい。

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・・・・・・・・・・・・同じ下目黒6丁目、こちらは目黒通りに面する6階建てと思われるビル。 タイ王国大使館駐在武官事務所である。 タイ国の陸・海・空三軍の軍人詰所なり。 大使館そのものは、品川区大崎にある。、、、、ネパールとは国力が違うようだ!

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● 中町(なかちょう)1丁目に、「日本基督教団 新栄教会」がある。、、、、新栄教会は明治3年(1873)に創立された東京最初の教会である。 (創立時の場所は現在地とは異なる)、、、、現在の教会は可愛らしい建物。

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● 中町1丁目と目黒4丁目の町境に「油面(あぶらめん)地蔵通り」という商店街がある。 目黒通りの「油面交差点」から祐天寺方面へ約600m延びている商店街。 この通りの中程に「油面子育地蔵尊」が鎮座している。 元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。 そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。 それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。、、、、この地蔵さまは、子育て・眼病にも霊験あらたからしい、私も(今さら子育てはしたくないが、眼は美人が美人に見えるように)手を合わせてきた。、、、、【油面の由来】 油面(あぶらめん)は目黒区中町から中央町2丁目に及ぶ目黒村の旧字名。 江戸時代中ごろ菜種の栽培が盛んになり、採取された菜種油は芝増上寺などに奉納され、そのため租税が免除されていたので「油免」の名が生まれ「油面」に転化したという説と、韓国では「面」は村を意味し、油面は菜種油の採れる村の意だとする説がある。

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● 油面地蔵通りから、北に向かうと、谷戸前地域安全センターがある。 さらに、道なりに北へ歩くと駒沢通りに面し、浄土宗寺院の「祐天寺(ゆうてんじ)」がある。、、、、祐天寺は、中目黒5丁目にある寺院で山号は明顕山。 本尊は、阿弥陀如来で阿弥陀堂に安置される。 本堂には、開山祐天上人坐像が安置されている。 広い境内と墓地を持ち、東急東横線の駅名になるほどの寺だ!、、、、祐天寺は目黒区一の大地主でらしい!(噂)

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・・・・・・・・・・・・表門(山門)は祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建てられ、格式高い門構えであることから国の登録有形文化財となっている。 只今、大林組にて改修工事中。

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・・・・・・・・・・・・仁王門は仁王像とともに、享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。
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・・・・・・・・・・・・鐘楼梵鐘は6代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進された。 現在でも、朝6時と正午前には撞かれているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・阿弥陀堂は享保9年(1724)に、こちらも竹姫から寄進された。 江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物。 堂内には阿弥陀如来座像が安置されている。

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂は天明8年(1788)の建立。 寛政12年(1800)に増築して現在の姿となった。 堂内には本尊の地蔵菩薩像が安置されている。 延命と火消しのご利益があるとして信仰を集めた。

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・・・・・・・・・・・・創建時の本堂は明治27年(1894)の火災で焼失し、明治31年(1898)に現:本堂が再建された。 本堂の大きな賽銭箱には江戸・町火消しのまといの図柄が描かれている。、、、、賽銭箱の大きさから推測すると、数十億円は入りそうだ!

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● 東横線祐天寺駅から帰宅!、、、、祐天寺駅は昭和2年(1927)8月28日に開設した。 その後駅舎の改修、高架化工事などがあり、平成30年(2018)には現駅ビルが完成した。、、、、現在は、相対式ホーム2面3線の高架駅で、各駅停車の電車以外は全て通過するチョイト悲しい駅。 一日当たり約32,000人が乗り降りする駅。 

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2021年4月 8日 (木)

珍しい庚申五層塔

コロナ感染者数が大阪より少なくなった東京、このまま黙っていることはない、首都の面目をかけ(?)、東京は感染者数トップの座に帰り着くと思われる。 東京に住み、ワクチン接種を待っている高齢者の一人としては、外出を避け、おとなしく家に籠っているのが一番安全であろう。 でも、マスクを着用し、“密”な場を避け、チョットの時間なら、『外出もOK』と勝ってに決めつけ、今日も人知れず散歩に行ってきた。、、、、通勤・通学とは逆の方向に向かう空いてる電車で、JR武蔵野線の船橋法典駅で下車し、隣りの市川大野駅まで、郊外の散歩。 1万1千歩




● 西船橋で武蔵野線に乗り換えて、隣りの「船橋法典駅」で下車。、、、、昭和53年(1978)10月2日、国鉄の駅として開業した。 駅は台地に位置しており、ホームは掘割に1面2線の島式で造られ、その上の地上面に駅舎がある。、、、、駅名の“船橋法典”は、“ふなばしほうてん”と読む。 地名としての読みは、この地域の前身が千葉県東葛飾郡法典村(ほうでんむら)であり、“ほうでん”が正しい。 地名“法典”の由来は諸説(私は知らん!)あるそうだが、その昔、この地域を日蓮上人が通った時に法を伝えたことから、法伝が法典となったという説もある。 この付近、中山法華経寺を拠点とし、日蓮宗の勢力圏内だ!

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・・・・・・・・・・・・・・新松戸方面府中本町行きは『多少空席あり』、西船橋方面南船橋行きは『満員御礼』

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● 船橋法典駅から市川大野駅に向かい、武蔵野線の東側を歩きはじめる・・・・・・

・・・・・・・・・・・・この付近では、古い農家の建物は見あたらず、広い敷地を囲むチョイト侵入しにくい塀と門。 温泉旅館のような建物に、外車ならぬ、三菱トラクタ!

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・・・・・・・・・・・・住宅展示場のように、新しいモダンな住宅が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・こちらはモダンな低層マンション。 現代版の長屋かも?

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・・・・・・・・・・・・畑の先には、新しそうな住宅と大きなマンションがみえる。

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● 船橋法典駅から、市川市柏井1丁目の住宅地を歩き、しばらく歩くと『史跡 姥山貝塚・姥山会館』の道標があった。 住宅地の坂道を上ると、森の中に「八幡神社」がある。 鳥居奥の拝殿と思われる処が「姥山会館」で、集会所となっているようだ。 八幡神社は姥山会館の裏に本殿らしき姿で祀られている。、、、、何だか、怪しげであり、神秘的であり、素朴であり、お粗末な神社! 神社の由緒などは、もちろん不明!

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● 八幡神社の裏に広大な草地がある。 ここが「史跡 姥山貝塚」(国指定史跡)だ。、、、、姥山貝塚は、千葉県市川市柏井町にある縄文時代中期~後期(今から約5000年~3000年前)に形成された貝塚で、大柏川左岸の標高約24mの台地上に広がった東西130m・南北120mの南に開口した馬蹄形である。 現在は、姥山貝塚公園として整備されている。、、、、貝塚からは、ハマグリを主体としてアサリ、シオフキなど30種以上の貝が出土し、比較的早い時期からその存在が知られ、明治26年(1893)以後何度か調査が行われていたが、本格的な調査は昭和元年(1926)の東京人類遠足会及び東京帝国大学人類学教室による発掘調査である。 その結果、縄文時代の竪穴式住居跡が完全な形で発掘されたばかりではなく、計5名の人骨なども発掘され、当時の生活を推測する手掛かりとなった。 発掘品は東京大学・南山大学・明治大学などに保管されているほか、同じ市川市内の堀之内貝塚に隣接して建設された市川考古博物館にも展示されている。、、、、大事な発掘品は博物館、住居跡は土の中。 史跡に立って見えるのは、下に埋まっているものを説明する案内板だけ。 見るものもなく、つまらないね!

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● 姥山貝塚から北へ約1km、樹木に囲まれて「子安神社」(市川市柏井3)がある。 県道9号(船橋松戸線)に面し石の鳥居が建ち、奥へ進むと参道中程に朱塗りの木の鳥居、さらに奥に進むと拝殿・本殿が見えた。、、、、拝殿横の木陰に、「庚申五層塔」という珍しい庚申塔がある、元禄3年(1690)の銘あり。、、、、この神社も神秘的で、安産の御利益ありそうだ。(高齢の爺には、安産の御利益いらないよ!)

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県道船橋松戸線を歩き、大柏川(おおかしわがわ)に近づくと視界が開けた。、、、、歩く左手には武蔵野線の高架橋が見える。、、、、大柏川を越えれば市川大野駅は近い!

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● 万葉植物園前の跨線橋を渡り、市川大野駅へ到着。、、、、市川大野駅から私の住む浅草橋駅までは、西船橋経由で約40分。 意外と近いね!

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2021年4月 7日 (水)

高野から梅島へ

コロナは“第4波に突入”したと思われる。 密を避けながら、不要不急の外出は人目を誤魔化し、今日もコッソリ散歩に行ってきた。、、、、日暮里舎人ライナーの高野駅で下車し、東に向かい東武伊勢崎線梅島駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーは、荒川を越えて二駅目に高野(こうや)駅がある。 高野駅は平成20年(2008)3月30日に日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 ホームは島式1面2線構造で地上3階にある。、、、、駅名の“高野”(駅の現所在地は足立区扇2)の由来を探ってみると、現在は“高野”の地名は存在しないが、江戸時代には足立郡高野村があった。 村域は現在の江北と西新井、扇、西新井本町の各一部でおおむね現在の尾久橋通り沿いに南北に広がっていた。 明治22年(1889)に江北村大字高野となり、昭和7年(1932)の足立区成立で高野町となり、昭和51年(1976)まで町名は存在した。 今では、幻の地名となった!

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・・・・・・・・・・・・駅周辺には、「生産緑地地区」と称し、畑や空地が点在する。 日暮里からライナーで12分は通勤・通学に便利、マンション用地に最適、この辺りには億万長者の地主もいるようだ!

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● 高野駅は、足立区の南側(都心寄り)に位置するが、まだ農村の面影が残る・・・・・

・・・・・・・・・・・・尾久橋通りの裏には「成田山高野講」の祠が、畑の一画にある。 不動明王が睨みをきかす!

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・・・・・・・・・・・・付近には“レンコン畑”と思われる池のある農家が点在している。

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・・・・・・・・・・・・住宅の角には庚申塔がある。 右側は寛文10年(1670)、中央は正徳4年(1714)に造立された庚申塔。 今でも地元の人が守り祀っているのであろう。

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・・・・・・・・・・・・私の好きな裏道も、昔の畦道をそのまま舗装してしまったらしい。 曲がりくねった線形、行き止まりの道、方向感覚は狂う、私は迷路を歩いているようで楽しいのだが、よそ者には歩きづらいかも! 途中で地元の人に会うと、『この先は行き止まりだよ』と親切に教えてくれる!

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● 行きつ戻りつ、右へ左へ、しばらく歩くと興野神社(足立区興野2)の前に出た!、、、、神社は創建年代不詳。 元は八幡社として創建、その後氷川社を合祀し氷川神社になり、そして昭和15年に興野神社と改称。、、、、広い境内中央、一対の御神木の銀杏は荘厳で圧巻される。

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● 栗原3丁目で尾竹橋通りを横切り、関原通り商店街の「ひらさわ呉服店」の前に出た。 ひらさわ呉服店のペンキ塗りのトタン看板は、形がライオンのたてがみに似ていることから別名をライオン看板と言い戦後復興の証し。 今や東京都内で唯一最大級のものである。、、、、戦後の東京には、こんな看板の店がアッチコッチにあったが、いつの間にか無くなった。 ネオン管のピカピカする看板も無くなったね!

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● お帰りは、梅島駅から電車に乗って・・・・・

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2021年4月 3日 (土)

閻魔と顔なじみに!

週末で電車も空き『コロナには感染しない』と自分に言い聞かせ、新宿・明大前経由、井の頭線の西永福で下車し、大宮八幡宮、和田堀公園を歩き、華養院の閻魔大王を拝んできた。 1万1千歩




井の頭線の西永福駅は、私にはまったく縁のない駅で、散歩で数回来たことがあるだけだ。 今日は降りてみることにした。、、、、昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 現在は島式ホーム1面2線の地上駅であるが、平成20年(2008)にモダンなデザインの橋上駅舎となった。

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● 駅の北側に
法華宗陣門流の法真山理性寺がある。、、、、理性寺は、承応3年(1654)、大久保越中守忠辰・甚兵衛尉忠陰兄弟が両親の父荒之助忠富(法眞院日堯)、母久世氏(理性院日然)のため、久世氏より土地を譲り受けて内藤新宿に創建した。 大正3年(1914)に現在地へ移転した。、、、、浜田山の地名の起源となった新宿の米問屋浜田屋弥兵衛の墓、杵屋三五郎の三味線塚、初代杵屋三五郎夫妻の墓、芝居作者伊庭可笑の墓、徳川家康の側室で紀伊頼宣・水戸頼房を生んだお万の方(養珠院)の墓がある。、、、、朱塗りの山門に、散る桜の花びらが風情を添える。

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● 駅前の西永福商店街を抜け、方南通りの北側に大宮八幡宮がある。 23区内では、明治神宮(約21万1750坪)、靖国神社(約2万8000坪)に次いで、3番目に大きい大宮八幡宮境内の総面積は約1万5000坪。、、、、大宮八幡宮は、康平6年(1063)、源頼義凱旋の際、記念の地として、岩清水八幡宮を勧請し創建されたといわれている。 江戸時代には、別当寺であった大宮寺(明治期に廃寺)と併せて30石を拝領していた。 明治5年に郷社、明治18年に府社に昇格、また戦後には別表神社に定められた。、、、、「大宮」の名は埼玉県大宮とは無関係で、この神社の社域が広大であるところから「大宮」と呼ばれ、地名(町名)にもなった。
・・・・・・・・・・・・・・・一の鳥居から参道は樹々に覆われ森に入るのだが、参道両側に駐車する車もありチョイト静寂さに欠ける!

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・・・・・・・・・・・・・・神門をくぐると拝殿が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・何やら、境内は慌ただしく、巫女さんは掃除、神職一同整列し行進、記念撮影もあり、今日は何の日だ? (後にWebで神社を検索し、調べてみたが特別な行事はなさそうだ。 毎朝の日課なのか?)

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿脇に植えられた菩提樹、、、、松平秀康(1574~1607)は、徳川家康の次男として生まれ、初め豊臣秀吉の養子となり結城の姓を授かる。 慶長5年(1600)関ケ原の戦功により越前藩主に封ぜられ松平秀康と名乗る時に清涼院を側室に迎える。 清涼院は当神社を崇敬し、参拝の折に、この菩提樹を植樹したと伝えられているらしい。


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● 大宮八幡宮の北側付近から善福寺川に沿って下流側に広がる公園が「和田堀公園」である。 なお、上流側に広がる公園は「善福寺川緑地」、、、、戦後は氾濫する川、汚い川として有名だった善福寺川も、今は水害対策も整備され、水質改善もなされ、水鳥が遊び、魚が見られる川に変身した。 綺麗だ!

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● 和田堀公園から離れ、松ノ木2丁目の住宅地の一角に庚申塔・馬頭観音などが祀られている。、、、、杉並区の案内では、「民間信仰石塔」として『6基の石塔は、右から元禄4年(1691)銘の聖観音塔、享保8年(1723)銘の地蔵塔、宝永5年(1708)銘の庚申塔、そして大正14年銘・嘉永4年(1851)銘・明治11年銘の馬頭観音塔』である。 この他にも、墓石などもある。、、、、この土地は「ほっけばか(法華墓)」と呼ばれているそうだ!


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● 松ノ木3丁目、五日市街道沿いに天台宗寺院「華徳院(けとくいん)」がある。 華徳院は下野国佐野に創建されました。 天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。 浅草蔵前(現:台東区浅草橋2)では「閻魔堂」と呼ばれていた。 しかし大正12年の関東大震災によりこれら仏像も伽藍とともに焼失してしまい、その跡には日光輪王寺より閻魔王を迎え、境外堂としてお堂が建てられた。 伽藍は大正2年より区画整理のために墓地を現在地に移していたことから、移転先を現在地と定め、昭和3年本堂を再建し、牛込千手院行元寺の閻魔王像を本尊として迎えました。 蔵前のお堂は昭和20年の戦火により焼失しましたが、閻魔王像は焼失を免れ、現:華徳院に安置されています。、、、、今日は本堂に上がらせてもらい、本尊の閻魔王像、蔵前にあった閻魔王像の二閻魔像と御対面、これで閻魔王とますます顔なじみとなり、地獄へ行っても特別待遇で楽させてもらえるだろう!

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● 華徳院の近く、杉並車庫前のバス停からバスに乗り中野駅に出て帰宅。

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