祐天寺の祐天寺
ヤン坊・マー坊は気象予報士、小池さんは千葉坊・神奈坊・玉坊とも別れ、明日から一人で“まん防”に取り組み、都民はじばらく辛抱するのだ!、、、、まん防がはじまると、またまた勝手気ままな散歩がしずらくなる。 “まん防”前日の今日は、チョイト武蔵小山から祐天寺まで歩いてきた。 1万1千歩
● 東急電鉄目黒線の「武蔵小山駅」は、今から98年と1ヵ月前の大正12年(1923)3月11日、小山駅として開業。 現在は、島式ホーム2面4線の近代的な地下駅である。、、、、駅前にタワーマンションも建ち、何だか名も似てる、武蔵小杉駅に似てきたな?



・・・・・・・・・・・・駅の西側、都立小山台高校のグランド沿いに店舗が並ぶ「西口通り」を抜けると、品川区から目黒区に変わる。

● 西口通りを抜け、「林試の森公園」の西側を迂回するように、目黒本町3丁目を北西に向かって歩く。
・・・・・・・・・・・・私が好きになりそうな路地、子供が飛び出してくるような路地が、目黒本町3丁目(入間湯の脇)にあった。 四角のブロックを並べた長い路地は行き止まりになることもなく、抜けられた!、、、、この辺りは、かって「月光町」という町名だったそうで、町会名に残っている。 きっと、月がよく見える夜空の綺麗な町だったのか? また、近くには「月光原小学校」もある。 (ベートーベンとは無関係だ!)



・・・・・・・・・・・・林試の森公園の西隣、大木に囲まれた国家公務員用の小山台住宅(約3hr)があるが、現在は空き家である。 今年取り壊されるようだ、跡地は林試の森公園の拡張と、荏原消防署小山出張所の新設、品川区の福祉施設の新設などに充てられるそうだ。 前面の道路が品川区(公務員住宅側)と目黒区(一般住宅)の境。

● 目黒本町3丁目から北へ下目黒6丁目の住宅地に、三角の国旗がはためく駐日ネパール大使館があった。 ネパールと云えば、ヒマラヤ登山の国として知るのみ(知識不足で申し訳ない)、、、、かつては王制であったが、平成20年(2008)に共和制移行した。 退位した元のギャネンドラ国王は富豪としてネパールで過ごしているらしい。

・・・・・・・・・・・・同じ下目黒6丁目、こちらは目黒通りに面する6階建てと思われるビル。 タイ王国大使館駐在武官事務所である。 タイ国の陸・海・空三軍の軍人詰所なり。 大使館そのものは、品川区大崎にある。、、、、ネパールとは国力が違うようだ!

● 中町(なかちょう)1丁目に、「日本基督教団 新栄教会」がある。、、、、新栄教会は明治3年(1873)に創立された東京最初の教会である。 (創立時の場所は現在地とは異なる)、、、、現在の教会は可愛らしい建物。

● 中町1丁目と目黒4丁目の町境に「油面(あぶらめん)地蔵通り」という商店街がある。 目黒通りの「油面交差点」から祐天寺方面へ約600m延びている商店街。 この通りの中程に「油面子育地蔵尊」が鎮座している。 元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。 そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。 それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。、、、、この地蔵さまは、子育て・眼病にも霊験あらたからしい、私も(今さら子育てはしたくないが、眼は美人が美人に見えるように)手を合わせてきた。、、、、【油面の由来】 油面(あぶらめん)は目黒区中町から中央町2丁目に及ぶ目黒村の旧字名。 江戸時代中ごろ菜種の栽培が盛んになり、採取された菜種油は芝増上寺などに奉納され、そのため租税が免除されていたので「油免」の名が生まれ「油面」に転化したという説と、韓国では「面」は村を意味し、油面は菜種油の採れる村の意だとする説がある。



● 油面地蔵通りから、北に向かうと、谷戸前地域安全センターがある。 さらに、道なりに北へ歩くと駒沢通りに面し、浄土宗寺院の「祐天寺(ゆうてんじ)」がある。、、、、祐天寺は、中目黒5丁目にある寺院で山号は明顕山。 本尊は、阿弥陀如来で阿弥陀堂に安置される。 本堂には、開山祐天上人坐像が安置されている。 広い境内と墓地を持ち、東急東横線の駅名になるほどの寺だ!、、、、祐天寺は目黒区一の大地主でらしい!(噂)

・・・・・・・・・・・・表門(山門)は祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建てられ、格式高い門構えであることから国の登録有形文化財となっている。 只今、大林組にて改修工事中。

・・・・・・・・・・・・仁王門は仁王像とともに、享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。

・・・・・・・・・・・・鐘楼と梵鐘は6代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進された。 現在でも、朝6時と正午前には撞かれているそうだ。

・・・・・・・・・・・・阿弥陀堂は享保9年(1724)に、こちらも竹姫から寄進された。 江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物。 堂内には阿弥陀如来座像が安置されている。

・・・・・・・・・・・・地蔵堂は天明8年(1788)の建立。 寛政12年(1800)に増築して現在の姿となった。 堂内には本尊の地蔵菩薩像が安置されている。 延命と火消しのご利益があるとして信仰を集めた。

・・・・・・・・・・・・創建時の本堂は明治27年(1894)の火災で焼失し、明治31年(1898)に現:本堂が再建された。 本堂の大きな賽銭箱には江戸・町火消しのまといの図柄が描かれている。、、、、賽銭箱の大きさから推測すると、数十億円は入りそうだ!


● 東横線祐天寺駅から帰宅!、、、、祐天寺駅は昭和2年(1927)8月28日に開設した。 その後駅舎の改修、高架化工事などがあり、平成30年(2018)には現駅ビルが完成した。、、、、現在は、相対式ホーム2面3線の高架駅で、各駅停車の電車以外は全て通過するチョイト悲しい駅。 一日当たり約32,000人が乗り降りする駅。




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