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2021年5月

2021年5月31日 (月)

都内最東端の駅

緊急事態宣言下の東京、道行く人の気も大いに緩み、昨日の繁華街の人出は直前4週間の土日平均と比べ、20%増、40%増、60%増とどこもかしこも大幅増! 渋谷スクランブル交差点では86%増!!、、、、高齢者の私も気は緩む、しかし、多少コロナの怖さもある。 今日の散歩は人混みを避け、都営新宿線の篠崎駅(江戸川区)から西に向かい、新中川に架かる鹿骨新橋を渡った江戸川区松本まで歩いた。 9千歩




● 浅草橋駅から都営浅草線に乗り、隣の「東日本橋駅」にて都営新宿線(=駅名は馬喰横山駅)に乗り換える。 多くの通勤通学客の流に逆らって地下道を歩き、電車はすいている本八幡行きに乗る。、、、、「馬喰横山駅」(ばくろよこやまえき)は、中央区日本橋横山町にある、都営地下鉄新宿線の駅である。 連絡通路を経由して、都営浅草線(東日本橋駅)、総武快速線(馬喰町駅)に乗り換えができる。 昭和53年(1978)12月21日に開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 改札口は地下1階(都営の東日本橋駅に連絡)と地下3階(JRの馬喰町駅に連絡)、ホームは地下2階にある。 3線の地下道が三角形を形どるように地下で連絡している。、、、、昔、娘が幼いとき、冬の寒い日は浅草橋交差点から地下道に入り、JR馬喰町駅、新宿線馬喰横山駅、浅草線東日本橋駅と地下道で巡り、再び浅草橋交差点まで戻り、子供を遊ばせた記憶が残っている。

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篠崎駅で降りる、、、、、馬喰横山から一駅ごとに客は降り、 ガラガラ・スキスキの電車は『コロナ感染、心配ご無用!

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・・・・・・・・・・・・何処といって行く宛のない散歩、終点の本八幡駅の一駅手前「篠崎駅」で下車することにした。、、、、篠崎駅は駅ビルの地下に造られた島式ホーム1面2線の地下駅。 昭和61年(1986)9月14日、船堀~当駅間の延伸に伴い開業。、、、、朝の通勤時間帯、降りる人は少なく、乗る人は多い。、、、、東隣の本八幡駅は千葉県市川市にある、ここ篠崎駅は都内最東端の駅だ!

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● 駅から西へブラブラ歩きはじめる、、、、チョイト古そうだが、こんな標語を見つけた。 『つくろうよ きれいな町と 明るい家庭

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・・・・・・・・・・・・町は汚れているのか? 暗い家庭が多いのか?、、、、きれいな町です、十分です! かつてのドブ川は親水公園に変わり、コイも泳いで恋してる!、、、、家庭の中は判らないが、暗いイメージはなさそうだ。 どこの家にも電灯がある(???)

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・・・・・・・・・・・・駅の西側から北側にかけて、都立の篠崎公園が広がっている。 西側部分は今後も公園として拡張・整備が予定されているようで、住宅地の間に取得用地がある。 これから、公園はもっと大きく成長し、町も美しくなるであろう。 

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● 篠崎公園・柴又街道を横切ると、江戸川区鹿骨(ししぼね)の町。 “鹿骨”は鹿骨1丁目から鹿骨5丁目までと鹿骨町の6地区で、江戸川区の中央から北寄りに位置する。 園芸農家が多く、花と緑の町。

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・・・・・・・・・・・・地名“鹿骨”の由来となった「鹿見塚神社」が鹿骨3丁目にある。、、、、奈良時代(8世紀)、藤原氏によって奈良の春日大社の創建に際し、常陸の鹿島神宮から分霊されたが、その際に多くの神鹿を引き連れておよそ1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられており、その途中、鹿が死んだため鹿見塚神社の地に葬った。 これが「鹿骨」の地名の由来とされる。

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新中川に架かる「鹿骨新橋」を渡る、、、、鹿骨新橋は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸の江戸川区鹿骨と西岸の江戸川区松本を結ぶ。 平成7年(1995)に道路の築造と共に新設架橋された。 橋長 119.3m、幅員 18.0mの3径間連続非合成箱桁橋。 16億4千万円の工事費にて完成した、橋の上には子供の像があるモダンな橋。

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● 鹿骨新橋を渡ると環七通りに出る、その手前の「鹿本橋バス停」には行列ができていた。 ちょうどバスが来た新小岩駅行きだ、ラッキー!

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2021年5月29日 (土)

23区内最小の客数

予約しました 待つ日が長い 早く刺してよ 長い針、、、、まだワクチン接種していないので、不要不急の外出避けて、チョイト内緒で散歩する。

土曜の今日は電車もすいてるので、都営浅草線宝町駅から八丁堀、中央大橋(隅田川)、佃島、相生橋(隅田川)、東京海洋大学をとおり、JR京葉線越中島駅まで歩いてきた。 1万1千歩




● 前は東銀座、後ろは日本橋、中に挟まる「宝町駅」。 オフィス街の駅だが、今日は土曜日で、さらに在宅勤務もあり、乗降する人は少ない。、、、、改札から地上に出るまで、100段くらいありそうな真直ぐな階段を上る、息はゼイゼイ、辛い!!

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鍛冶橋通りを八丁堀へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・頭上にも足下にも首都高、首都高に上下を挟まれた「弾正橋(だんじょう ばし)」。、、、、橋名の由来は、ここに江戸町奉行:島田弾正の屋敷があったことによる。、、、、明治時代まで、弾正橋は木橋であった。 明治11年(1878)、弾正橋は鉄橋に架け替えられることになった。 それが、我が国初の国産鉄骨橋梁で、当時の工部省赤羽製作所が製作した、全長 15.2m、全幅 3.0m の小さなトラス鉄橋であった。 しかし、これが日本の近代工業化の始まりを告げる橋となった。 その鉄橋は、深川富岡八幡宮の東側の遊歩道に、八幡橋と名を変え現存する。、、、、現在の弾正橋は、大正15年(1926)に鍛冶橋通りの拡幅開通に伴って架設された。

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・・・・・・・・・・・・中央区八丁堀の桜橋交差点角に立つビル(現在は小諸そば店)。 昭和5年(1930)の建築。 さりげなく静かに残っているという感じのシンプルなビル。 戦前は「櫻橋ビル」、戦後は「石井電気店」であった。

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・・・・・・・・・・・・こちらは、八丁堀3丁目に残る関東大震災の復興小学校である「旧東京市京華尋常小学校」。(ちなみに、雅万歩が卒業した「京華中学・高等学校」(文京区)とは無縁)、、、、曲面構造が印象的な建物で、昭和4年(1929)完成、設計は東京市、施工は銭高組。 現在は、「京華スクエア」として、早稲田大学の社会人学校になっている。、、、、捕物帖に登場する八丁堀の与力・同心が住んでいたのはこのあたりである。

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● 地名となった「八丁堀」は何処にある?、、、、残念ながら、昭和の時代(60年頃)に八丁堀と称していた桜川が全て埋め立てられ、その堀跡の一部は「桜川公園」となった。 公園に立つと、若干、周囲の道路面より低く、『ここに堀があったのだ!』と偲ばれる。

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・・・・・・・・・・・・桜川公園の片隅に「入一観音菩薩・入一地蔵菩薩」がある、、、、“入一”とは、現地名の“入船一丁目”の略であろう。 三体の内のどれかは不明だが、この内の一体は、ここにあった桜川を埋め立てた際に、廃仏毀釈で川に投げ込まれたものらしい。 その川底から出土した石仏だ。 現在管理は町内会で行っているそうだ。

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● 「南高橋」で亀島川を越え、西へ向かうと「中央大橋」を渡り、隅田川を越えて佃島に入る。

・・・・・・・・・・・・南高橋、、、、明治37年(1904)に架けられた旧両国橋の中央径間を転用した橋。 土木学会選奨の土木遺産。

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・・・・・・・・・・・・中央大橋は、平成5年(1993)8月26日(レインボーブリッジと同じ日)に竣工した、橋長 210.7m、幅員 25.0mの二径間連続鋼斜張橋。 設計はフランスの会社で、デザインには日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されている。 橋桁製作は石川島播磨重工業横浜工場。、、、、白い主塔のデザイン、シンプルで良いね!

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佃島では、島の東側に並ぶタワーマンションの下を歩き、「相生橋」で隅田川を渡り、越中島に向かう。

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・・・・・・・・・・・・相生橋、、、、、中央区佃と江東区越中島を結ぶ相生橋(あいおいばし)は、明治36年(1903)に架けられた。 大正8年、大正12年、大正15年と連続的に改修された。 しかし、その後の老朽化により、平成10年(1998)に現在の橋長 149.1m、幅員 22.0m、3径間鋼トラス桁橋の相生橋に架け替えられた。、、、、武骨なトラスで、一見して頑丈そうな橋である。

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・・・・・・・・・・・・相生橋を渡り、「東京海洋大学 越中島キャンパス」(旧東京商船大学)の前に出るが、コロナ禍によりよそ者の構内立入禁止! 残念だが、正門前を素通り。

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● 東京海洋大学越中島キャンパスを真中で二分割するように「越中島通り」があり、その地下にJR京葉線の「越中島駅」がある。、、、、ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。 改札口は1ヶ所のみで地下1階にある。 3ヶ所の出口はいずれも、大学キャンパスの前であり、なんとなく大学専用の駅という雰囲気だ!、、、、駅周辺には大学以外は目立った施設もなく、さらに近くには便利な門前仲町駅・月島駅・豊洲駅があるため、東京海洋大学専用駅で『お客様の大半は学生』と思える。 令和元年(2019)度の1日平均乗車人員は5,910人である。 東京23区のJR駅の中では最も利用客数が少ない駅である。 もちろん、駅には売店なし!(自販機はあった!) 

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2021年5月26日 (水)

最短ルート

“密”を避け川風に触れ隅田川テラスを歩いて浅草まで、そこから東武伊勢崎線沿いに北十間川を押上(スカイツリー)まであるいてきた。 昨年6月に整備された、浅草とスカイツリーを結ぶ最短ルートである。 1万1千歩 5km




JR浅草橋駅から隅田川(東方)に向かい高架橋沿いに歩くと、突き当りの護岸に「隅田川テラス入口」の案内が見える。 隅田川右岸を上流に向かうにはここから入る。(下流に向かう場合は、柳橋を渡り、両国橋西詰の際からテラスに出ることができる)、、、、高架橋脇の「石塚稲荷神社」は、かつての花街:柳橋の中心地にある。 玉垣には「柳橋藝妓組合」「柳橋料亭組合」、そして「亀清」「栁光亭」「深川亭」といった料亭の屋号を見ることができる。 この辺りまでは、私の小学生時代の同級生の家も多く、花街の華やかなりし頃を思い出させる神社である。 一度は芸者遊びをしてみたかった!

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● 「隅田川テラス」を、JR総武線隅田川橋梁から上流に向かって歩く。 天気は良く、川風は爽やか、人は少なく、コロナの心配無用なり! 車は走らず、信号はなし、立ち止まることなく安全歩行! 

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● 吾妻橋を過ぎると、「東武伊勢崎線隅田川鉄橋」がある。 この鉄橋に「すみだリバーウォーク」と称する歩行者専用通路が、昨年6月に増設された。 この通路は、浅草とスカイツリーを最短ルートで結ぶ観光コースの一つとして造られたそうだ。、、、、東武伊勢崎線隅田川鉄橋の下流側に、延長323m、通路幅2.5mの通路が設置された。 もちろん、車は通行できず、朝7時から夜10時まで通行可、通行料は無料。、、、、東武電車の下を覗くように歩くのだが、電車の下は見えない、覗きはダメだ!

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● すみだリバーウォークを通り対岸の墨田区に入ると、引き続き高架下に「東京ミズマチ」と称する、商業施設と宿泊施設が一体となった高架下複合施設が、こちらも昨年6月にオープンした。 東京ミズマチも浅草とスカイツリーを結ぶ最短ルートの一部である。 隅田公園北十間川の親水テラスに囲まれた場所で、浅草とスカイツリーの間で、ショップやカフェを楽しめる店舗が並んでいる。、、、、今日はオープン前の時間で、店内には入れず、店の前を空しく通過! いつか、可愛い娘と歩くと、ロマンスが期待できるかも?

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● 東京ミズマチを通り抜けると、スカイツリーの「東京ソラマチ」。 東京ソラマチの北側には東武伊勢崎線の「とうきようスカイツリー駅」、東端には都営浅草線・京成押上線と、東京メトロ半蔵門線の「押上駅」がある。、、、、私は押上駅から、“蜜”になる前に帰宅する。

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2021年5月23日 (日)

銀行発祥の地

私の住む台東区では、17日から高齢者向けワクチン接種の予約が始まった。 我が家は、母と私達夫婦の三人の高齢者世帯である。 母のワクチン接種はかかりつけ医が第一回目を今週実施してくれることとなった。 一安心である。 さて私達夫婦の分は、先週二日がかりで電話をかけて、ヤットコサットコ、来月中旬に第一回目の接種予約ができた。 たかがワクチン されどワクチン 予約するまで一苦労!、、、、また連休明けの五月は、母のクリニック通いの付き添い以外に、私自身の診察が多く、泌尿器科の病院、心臓血管外科の病院、循環器内科のクリニック、眼科の病院、整形外科のクリニックと“休む暇なし”。 医者通いで疲れて倒れたら、医者に診てもらえるか心配だ!

今日は天気も良く、早朝から、浅草橋~人形町~兜町~銀座~大門まで歩いてきた。 一週間ぶりの散歩で、足がつった! 1万5千歩




● 雨も上がり青空が見える7時15分、浅草橋の我が家を出る。 江戸通り(=国道6号)は人も車も少ない! コロナの心配は不要かな?

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薬研堀不動院(東日本橋)、笠間稲荷神社(日本橋浜町)、大観音寺(日本橋人形町)と一社二寺に立ち寄って行く。、、、、お不動さまに、お稲荷さんに、観音さま、朝から良いことありそうだ! 御利益期待!!

・・・・・・・・・・・・七味唐辛子の“薬研堀”に川崎大師からお不動さまが単身赴任。

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・・・・・・・・・・・・久松署の前で、笠間の狐が化かし合い。

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・・・・・・・・・・・・大観音寺の本尊:観音さまは、北条政子が京都をまねて、鎌倉の地に「新清水寺」を創建し、その本尊として奉祀したもの。 それが、なぜ?人形町に現れた?

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● 人形町から兜町へ、久しぶりに建物拝見!

・・・・・・・・・・・・昭和レトロな建物が並ぶ人形町2丁目。 木造モルタルの旧神谷商店、和風造りの旧多和田歯科、出桁造りの加島酒店

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・・・・・・・・・・・・チョイト、雨上りの路地(人形町1)へ、店の前には金魚鉢、いいね!

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・・・・・・・・・・・・路地の一軒「よし梅 芳町亭」 建物は国の登録有形文化財。、、、、緊急事態宣言で、今は『お酒は提供できません』

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・・・・・・・・・・・・人形町の隣り、日本橋小網町では、、、、「三田商店 東京支店」は、東京駅を設計した辰野金吾と建築事務所を運営したことで有名な、葛西萬司の建築作品として貴重である。 昭和5年(1930)に竣工。 タイル貼りの外壁、中央塔屋の丸窓などが個性的な外観である。 建物の裏には、かつて東堀留川が流れており、河畔の利を生かした地下1階地上一部3階の鉄筋コンクリート造で、松クイを地下一帯に打ち込み、RC柱を太く、玄関など開口部はすべてスチールシャッターで防火対策を施して建てられたそうだ。 川は空襲のガレキで埋められてしまった。

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・・・・・・・・・・・・「日清製粉 小網町ビル 本館」はチョイト見には、現代のビルに見えるが、大正12年(1923)に日清製粉本社として建造された。 建物の一部は昭和12年(1937)に増築され、5階部分は同26年(1951)に増築された。

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・・・・・・・・・・・・日本橋小網町に残る銅板建築の長屋。 2階の窓の上部に半円形のデザインが施され印象的。

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・・・・・・・・・・・・こちらは洋館風の洋食屋「桃乳舎」 創業は明治22年(1889) 金融の街:茅場町に近く、シャレた店である。 建物は昭和8年(1933)に建てられた。 2階の窓の上には“桃”のレリーフがある。

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・・・・・・・・・・・・日本橋小網町のビルの裏に残る「うなぎ 喜代川」 明治7年創業の老舗。 昭和2年(1927)建築の風情ある木造家屋は国の登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・・・日本橋小網町から日本橋川に架かる鎧橋(よろいばし)を渡ると、証券取引所のある日本橋兜町。、、、、

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・・・・・・・・・・・・東京証券取引所の南側に、スパニッシュ風の「山二証券ビル」がある。 建物は西村好時の設計、清水組の施工、昭和11年(1936)竣工、鉄筋コンクリート造3階建て。、、、、平日の営業中に来て、株取引の熱気を感じてみたい!

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・・・・・・・・・・・・山二証券の隣りには、こちらも西村好時が設計した「旧成瀬証券」(現:フィリップ証券)のビルがある。 こちらは昭和10年(1935)の竣工。

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・・・・・・・・・・・・フィリップ証券の南隣のビルは「みずほ銀行 兜町支店」である。、、、、前を通っただけでは、どこの町にも有りそうな普通の銀行建物。、、、、実は、ここは明治6年(1873)渋澤栄一が我が国初の近代銀行である「第一国立銀行」を開業した地である。「国立」という名称だが、これは「国立銀行法」に基づく銀行ということで、完全な民間銀行である。 この当時は開業する全ての銀行に順次番号が付けられ、「第〇〇国立銀行」と命名された。 現在でもこの当時の行名を残している銀行がある。 初代の「第一国立銀行」の建物は、銀行開業前年の明治5年に建てられた「三井組ハウス」であった。 この建物は 清水組(現:清水建設) が建てた和洋折衷のモダンな建物で、錦絵にも描かれている。、、、、「みずほ銀行 兜町支店」の建物の一角には「銀行発祥の地」 のプレートが嵌め込まれている。

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● 日本橋1丁目と日本橋兜町から日本橋1丁目に向かうと、首都高の下に、かつて楓川(紅葉川)に架かっていた千代田橋がある。 楓川は昭和37年に埋立てられ、同39年オリンピックに合わせて開業させる首都高が建設された。 首都高は橋の頭上を通り、川は埋め立てられたままである。、、、、現在の橋は大正15年(1926)に着工し、昭和2年(1927)に竣工した。 橋の橋台は半分ほど埋まっているが、側面からみると橋台桁が現存していることを確認できる。 橋は改修工事が行われているが、石造の親柱、袖柱、袖高欄は竣工当時のままで残っている。、、、、橋脚の半分までが埋め立てられたままの、チョイト可哀そうな橋だ!

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● 開店前のウインドウを覗きながら、銀座1丁目から8丁目まで歩く。、、、、時刻は9時半、まだ人も車も少ない。 コロナの心配は無さそうだ!、、、、“銀座9丁目は水の上 今宵は船で過ごしましょう ~~”は神戸一郎が唄う昭和33年の歌。 9丁目は実在しない!

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● 新橋を過ぎたあたりから足がつり、イテテ! 帰ろう!、、、、大門駅から都営浅草線で帰宅

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2021年5月15日 (土)

蔵前橋通りを東へ

“コロナ自粛”で散歩の機会は減り、足は退化、腹は肥大、脳は劣化、家でゴロゴロ、身体に良いわきゃナイヨ!、、、、今日は、我が家から「蔵前橋通り」を東へ、ひたすら歩いてみた。 しかし、新小岩で足が痛み、散歩はココまで! (1万5千歩、8km)

・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは文京区の湯島から、千代田区、台東区、墨田区、江東区、葛飾区を経由し、江戸川区の市川橋手前の国道14号(千葉街道)との交差点までの都道315号の通称。 JR総武線の北側に並行して通っている。




● 我が家(浅草橋)から徒歩2分程で、「蔵前橋通り」に面して鎮座する鳥越神社に出る。 ここから今日の散歩が始まる。、、、、何か良いめぐり逢いでもあるように祈願し、散歩に出発!

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・・・・・・・・・・・・神社の境内一隅に、こんな石碑がある。 正面に「土地区画整理測量基本標」と刻まれた、オベリスク型形の石塔。 側面には、この地点の緯度・経度「東經 百三十九度四十一分十九秒九一 北緯 三十五度四十一分三十六秒〇二」が刻まれていた。 また、反対側の側面には、大正12年に発生した関東大震災の後の土地区画整理のために置かれた旨が刻まれていた。 この石碑を起点に、土地区画整理事業が進められたようだ。 ちなみに、蔵前橋通りは関東大震災後に整備された幹線道路である。

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● 蔵前警察署前を通過し、蔵前橋を渡り、墨田区に入ると、東京都慰霊堂(震災記念堂)のある横網町公園。、、、、元気よく、スタコラサッサと通り過ぎていく!

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● 今は暗渠化され親水公園となった大横川に架かる「法恩寺橋」(大正14年(1925)架橋)を渡る。、、、、橋の先には、橋名となった法恩寺への参道がある。 スカイツリーを背にして参道正面に本堂が見える。、、、、四ツ目通りとの交差点には、オリナスという超高層ビルがある。 オフィスとレジデンス、商業施設からなる複合施設で、元々ここには、時計のセイコー(精工舎)の工場が明治26年(1893)から平成9年(1997)まで、100年以上あった。 最盛期には従業員約3,000人が働いていたそうだ。

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横十間川天神橋で渡り、墨田区から江東区に入る。、、、、亀戸天神の参道を横に見ながら通過。、、、、明治通りとの交差点も通過。 チョイト暑くなったきた。 上着を脱ぎたい、邪魔だ!、、、、東武亀戸線を越える。

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旧中川に架かる「江東新橋」を渡り、江東区から江戸川区に入る。、、、、蔵前橋通りは、JR総武線平井駅前を抜けて、平井大橋に向かう。、、、、この辺で、コロナで体力が落ちた私の足が痛みだす。 『散歩を平井で止めるか、もう少し歩くか、それが問題だ!』自問自答しながら、前を歩く可愛い娘につられ平井駅を通り過ぎる!

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荒川に架かる「平井大橋」、手前は江戸川区平井、対岸は葛飾区西新小岩。、、、、江戸川区側の河川敷にはポピーが真っ赤な花を咲かせてる。 痛い足で河川敷に降り、花を見ながらしばし休憩!

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・・・・・・・・・・・・平井大橋を渡ると、新小岩駅に近い「新小岩陸橋」がある。、、、、足が痛い、今日はココまで! 駅に向かう。

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新小岩駅に到着!、、、、駅前は賑やかだ! “密”を避けて電車に乗ろう!

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2021年5月12日 (水)

上野池之端

今日は泌尿器科の診察日。 浅草橋の我が家から上野の病院へ、診察後は不忍池の西側歩き地下鉄千代田線の根津駅まで歩いてきた。 1万歩




● 9時の診察開始、一番に診てもらおうと、タップリ余裕をもって7時過ぎに我が家を出る。 病院までは徒歩40分程。

・・・・・・・・・・・・我が家から徒歩1分、廃校となった旧柳北小学校(大正15年竣工)、、、、校舎前の柳北公園と小学校跡地をまとめると、かなり広い敷地(共に区の管理地)である。 廃校となって20年が経過したが、なかなか恒久的な跡地利用が決まらない! 大規模商業施設でもできると嬉しいのだが、無理か!

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・・・・・・・・・・・・病院までの途中(台東区台東)に、「佐竹商店街」がある。 出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)跡地に、明治31年(1898)結成・誕生した、日本で2番に古い商店街である。 ちなみに、一番古い商店街は金沢の「片町商店街」(明治27年結成)、、、、商店街の賑わいは薄れ、店じまいした店舗、マンションに変わった店舗が目立つ。

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・・・・・・・・・・・・佐竹商店街の中程、チョイト奥まって小さな「佐竹秋葉神社」が鎮座する。 佐竹秋葉神社は、秋田佐竹藩上屋敷跡地に明治22年秋葉神社の分霊を勧請して創建した。 火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)を祭神とする秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市)を本社とする火防・火伏せの社である。 町の鎮守さま!

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・・・・・・・・・・・・8時前、東上野の永寿総合病院に到着、『早すぎた!』 コロナの予防で、8時30分頃までは院内に入れず、外で開くのを待つことになった。 病院裏の公園に行ってみると、ワクチン接種用のプレハブの会場が建てられていた。、、、、台東区は何故か接種時期が遅く、高齢者の接種予約は来週からである。 我が家には高齢者が3人居るが、97歳の我が母はかかりつけ医で接種してくれることになっており、電話連絡待ちの状態。 我が夫婦(高齢者)は、来週以降予約を取ってココの病院へ来ることになる。 自粛も疲れた、一刻も早く注射してもらい、自由に歩きまわりたいけど、予約を取るのが難しそうだ! おそらく一回目の接種は6月になるだろう、まだまだ続く自粛生活!

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● 不忍池の西側、東大池之端門の方向に歩く。

・・・・・・・・・・・・睡蓮の花が咲くのを楽しみに待つ不忍池。 

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・・・・・・・・・・・・岩崎邸庭園入口前に、真宗大谷派寺院の高承山教証寺がある。 教証寺(きょうしょうじ)は、徳川忠長に嫁いだ教証院殿(長姫)が、その子息久遠寿院殿(後の東叡山寛永寺二世)に従って、上野下の当地に教証院と号して起立、教証院殿の二十五回忌の寛文7年(1667)教証寺と改めた。、、、、土蔵造りの本堂には、欄間に龍図と天女図の漆喰彫刻が施されてる。 今の御時世、土蔵造りの本堂を維持するのは、職人の手配、維持費の確保とも、大変らしい。

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・・・・・・・・・・・・岩崎邸庭園の煉瓦塀が続く無縁坂。 無縁坂(むえんざか)は、台東区池之端から文京区湯島へ登る坂。 森鴎外の小説『雁』の舞台となった坂である。

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・・・・・・・・・・・・東大池之端門の脇に、境稲荷神社がある。、、、、境稲荷神社(さかいいなりじんじゃ)は、文明年間(1469~1487)足利九代将軍義尚公により創祀されたと伝えられている。 忍が岡(上野台地)と向が岡(本郷台地)の境に鎮座していることから境稲荷と称された。、、、、境内本殿裏の井戸は、かなり昔からの湧水であることが知られ江戸の地誌にも「弁慶鏡ヶ井」と在り名水らしい。(私は飲んだことないので?)

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・・・・・・・・・・・・東大病院に近い東大池之端門。 東大の“裏口”、“勝手口”と言うような門。

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・・・・・・・・・・・・池之端門から200m程歩くと、臨済宗妙心寺派の寺院「東淵寺」と言う、キリスト教会のようなモダンな造りの寺がある。 そこから北に向かう道は、途中に「台東区立忍岡小学校」があることより「忍小通り(しのぶしょうとおり)」と呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・忍小通りの中程に「七倉稲荷神社」がある。、、、、当神社は古く江戸幕府の米蔵のあった浅草蔵前に鎮座し、7つの倉の守護神として崇められこれが社号の由来となっている。 その頃の社伝によれば阿部豊後守が当社に祈願、その加護により隅田川馬上渡河の功を奏したと伝えられ霊験新たかな神社として江戸町民の振興篤かった。 明治維新後蔵前より池之端七軒町に遷り更に明治9年(1876)に現在地に遷座。 現社殿は平成元年(1989)の造営。

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● 忍小通りの北端は、地下鉄千代田線の根津駅の脇。、、、、根津駅は、昭和44年(1969)12月20日に開業した。 単式ホーム1面1線が上下2層になった地下駅で、1番線ホーム(大手町方面行き)の下に2番線ホーム(北千住方面行き)が設置されている。 改札口は1番線ホームのある地下1階の湯島寄り「不忍池方面改札」と、千駄木寄り「根津交差点方面改札」の2か所である。、、、、湯島寄りの出入口は肉屋さんの隣りで、大小三匹の豚が出迎えてくれる。

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2021年5月 9日 (日)

コロナ太り?

これまでは、ライザップのお世話になることもなく美しい体型であったが、コロナ禍、長期の自粛によりチョッピリ下腹が出てきたようだ、大変だ醜い体型に変化してきた。 『今なら間に合う 早めの対応』、、、、今日は7時に浅草橋の我が家を出て、国道6号(=水戸街道、浅草言問橋までは“江戸通り”)を葛飾区青戸まで歩いてきた。 約10km、1万8千歩



● 7時05分・・・・・・・・・・浅草橋駅前を出発。 朝食がまだ消化していないのか、それともコロナ太りか、チョッピリ胃がダブつき歩きづらい気がする???、、、、国道6号(江戸通り)は空き空き!

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● 7時15分・・・・・・・・・・“蔵前一丁目交差点通過”と言いたいが、交差点で『ラッキー』叫びたくなった。 財布を拾った、中には一万円と少々、キャシュカードもある、運転免許証もある。 免許証から落とし主は30歳前後の女性。 アレアレ・コリャ、落とし主は困るだろうと、警察にお届けに参上。 婦人警官もいるので、ここは男っぷりを見せ、報労金(謝礼)・所有権などを放棄して、落とし主に財布が戻ることを願い警察をあとにする。、、、、チョッピリ良いことをしたので、足取りも軽くなった!

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● 7時40分・・・・・・・・・・駒形堂を過ぎ、東武伊勢崎線「浅草駅」前通過。、、、、駒形堂の扉は開いてる!、、、、まだ駅前の人通りは少ないね!

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● 7時55分・・・・・・・・・・「言問橋西詰交差点」通過。 「江戸通り」の愛称はココまで、言問橋を渡り墨田区に入ると、単に国道6号(水戸街道)となる。、、、、言問橋で隅田川を越えると、向島の町。 すれ違う女性は向島美人、私もチョイト振り返る!

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● 8時30分・・・・・・・・・・8時を過ぎ青空が見えるようになってきた。 明治通りと交差する「東向島交差点」通過すると、引き続き東武伊勢崎線のガードを抜ける。、、、、久しぶりの散歩、チョイト足に疲れが出てきた。 ガンバレ、雅万歩!

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● 8時55分・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り荒川を越える。 川向こうは葛飾区四つ木。、、、、大正11年(1922)、荒川放水路開削に伴い木製の四ツ木橋(旧橋)が架橋された。 現在の四つ木橋は、昭和27年(1952)に永久橋が開通した。 橋長:507.4mである。、、、、四つ木橋の下流側に、曳舟川通りを延長する形で新四ツ木橋が架かっている。 コチラは昭和48年(1973)の竣工。

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● 9時10分・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り、葛飾区に入ると「四つ木駅 600m」の案内板が見えた。 足の疲れに自問自答し、『まだ歩ける、死ぬことはない!』と、先を目指す!

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● 9時20分・・・・・・・・・・「新田広小路交差点」通過

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● 9時40分・・・・・・・・・・京成本線:お花茶屋~青砥間のガードを通過。 ガードの先に「白鳥二丁目交差点」がある、ここで国道6号から外れ、京成線青砥駅へ向かうことにした。 足の退化を実感し、疲れた! 

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● 10時10分・・・・・・・・・・国道6号から外れ、青戸第一団地内を抜けて青砥駅に到着。、、、、コロナ感染には注意しなければならないが、コロナ太りにも要注意!

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2021年5月 3日 (月)

我慢は辛い!

感染力が強い「N501Y」が東京を襲いはじめ、先週から外出をひかえ、自宅軟禁状態が続く。 TVでは、ゴールデンウイークと重なり、観光地・繁華街の人出の増加情報が連日放送され、何となく“外出OK”の雰囲気だ。 しかしニュースは引き続き、今日の感染者数・重症者数が“過去最高”であったことなど報道し、不要不急の“外出自粛”を再認識させられる。 ところがさらに、ニュースの後に医療崩壊の特集番組が続き、医療の危機的状況を知ると、気持ちは決定的に“外出不可”となる。、、、、そんな毎日、散歩はできず、我慢は限界!

・・・・・・・と、思いながら、今朝7時に浅草橋の我が家から神田明神まで早朝の散歩。 往復で1万1千歩




● JR総武線の高架橋に沿って、浅草橋から隣りの秋葉原に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・朝7時、通勤通学客のいない浅草橋駅。 駅高架下の店は休み、どこも開いていない。 歩く人もなく、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・JR総武線の両国~御茶ノ水間は昭和7年(1932)7月1日の開通。 また、浅草橋駅および浅草橋~秋葉原間の高架橋・架道橋は、同時期に完成した。、、、、秋葉原側の高架橋は、三階建ての建物が内部に造れる巨大なアーチ形状の構造となっていいる。

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・・・・・・・・・・・・高架橋の南側に区立の佐久間公園(千代田区神田佐久間町)がある。、、、、この公園の周辺には、江戸時代、町人地と武家の屋敷地とが混在していた。 「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされている。、、、、佐久間公園はラジオ体操会発祥の地としても知られ、「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和5年(1930)に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めたそうだ。、、、、【蛇足】 ラジオ体操の発祥地は、ここ佐久間公園の他、文京区の大塚公園、足立区の千住本氷川神社にも、それらしき謂れを標した記念碑がある。(どこが本当の発祥地か? 知る人ぞ知る!)

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● 秋葉原駅前に到着。、、、、秋葉原駅は明治23年(1890)11月1日に日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。 明治39年(1906)に国有化され、大正14年(1925)11月1日に東北本線上野~東京間の高架線が開業し旅客営業が開始された。 昭和7年(1932)に総武本線、御茶ノ水~両国間が開業し、総武本線のホーム(3階)が山手線・京浜東北線のホーム(2階)の上にでき、立体交差する二重高架構造の駅となっている。、、、、昭和40年(1965)に設置された総武線ホーム(3階)と昭和通り口(1階)を結ぶ日本最長のエスカレータは有名で、知る人も多い。 また昭和60年頃(?、私の記憶で不確か)までは、総武線ホームと電気街口を結ぶエレベータもあった、こちらは知る人ぞ知る。

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・・・・・・・・・・・・時刻は8時、駅前の電気街には、まだ人影は少ない!

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・・・・・・・・・・・・メイド喫茶の多い電気街の中(千代田区外神田1)に、「講武稲荷神社」がある。、、、、講武稲荷神社は、安政4年(1857)の鎮座で、運慶作と伝えられる神体を祀っている。 この地は、住居表示改正以前は旅籠町(はたごちょう)と称していた。、、、、戦後、昭和40年頃(?)までは、神社の近くに「旅籠町交番」(昌平橋際、現存せず)があった。 この交番は、私(雅万歩)が4歳ぐらいの頃迷子になり、保護された思い出の交番である。 メイド喫茶に行って、ミルクでも飲むつもりだったのかも(?)

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● 秋葉原から昌平坂を上り、神田明神へ、、、、神田明神は、千代田区外神田に鎮座する神社で、正式名称は「神田神社」 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。、、、、江戸時代の社殿は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失。 その後、3年の歳月をかけて昭和9年(1934)に権現造で、日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造・総朱漆塗で現在の社殿(国の登録有形文化財)が完成した。、、、、ここでも、早朝の神社は人影はまばら。 境内では、禰宜・巫女さんが、掃除や開店準備で忙しそうだ!、、、、拝殿では早速、お賽銭を奮発し新型コロナ感染症鎮静を祈願して、二礼二拍手一礼。

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● コロナに感染しないよう、早々と来た道を戻る。、、、、我が家にもどれば、再び自粛生活、我慢・我慢はチョイト辛い!

 

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