我慢は辛い!
感染力が強い「N501Y」が東京を襲いはじめ、先週から外出をひかえ、自宅軟禁状態が続く。 TVでは、ゴールデンウイークと重なり、観光地・繁華街の人出の増加情報が連日放送され、何となく“外出OK”の雰囲気だ。 しかしニュースは引き続き、今日の感染者数・重症者数が“過去最高”であったことなど報道し、不要不急の“外出自粛”を再認識させられる。 ところがさらに、ニュースの後に医療崩壊の特集番組が続き、医療の危機的状況を知ると、気持ちは決定的に“外出不可”となる。、、、、そんな毎日、散歩はできず、我慢は限界!
・・・・・・・と、思いながら、今朝7時に浅草橋の我が家から神田明神まで早朝の散歩。 往復で1万1千歩
● JR総武線の高架橋に沿って、浅草橋から隣りの秋葉原に向かって歩く。
・・・・・・・・・・・・朝7時、通勤通学客のいない浅草橋駅。 駅高架下の店は休み、どこも開いていない。 歩く人もなく、静かだ!
・・・・・・・・・・・・JR総武線の両国~御茶ノ水間は昭和7年(1932)7月1日の開通。 また、浅草橋駅および浅草橋~秋葉原間の高架橋・架道橋は、同時期に完成した。、、、、秋葉原側の高架橋は、三階建ての建物が内部に造れる巨大なアーチ形状の構造となっていいる。
・・・・・・・・・・・・高架橋の南側に区立の佐久間公園(千代田区神田佐久間町)がある。、、、、この公園の周辺には、江戸時代、町人地と武家の屋敷地とが混在していた。 「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされている。、、、、佐久間公園はラジオ体操会発祥の地としても知られ、「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和5年(1930)に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めたそうだ。、、、、【蛇足】 ラジオ体操の発祥地は、ここ佐久間公園の他、文京区の大塚公園、足立区の千住本氷川神社にも、それらしき謂れを標した記念碑がある。(どこが本当の発祥地か? 知る人ぞ知る!)
● 秋葉原駅前に到着。、、、、秋葉原駅は明治23年(1890)11月1日に日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。 明治39年(1906)に国有化され、大正14年(1925)11月1日に東北本線上野~東京間の高架線が開業し旅客営業が開始された。 昭和7年(1932)に総武本線、御茶ノ水~両国間が開業し、総武本線のホーム(3階)が山手線・京浜東北線のホーム(2階)の上にでき、立体交差する二重高架構造の駅となっている。、、、、昭和40年(1965)に設置された総武線ホーム(3階)と昭和通り口(1階)を結ぶ日本最長のエスカレータは有名で、知る人も多い。 また昭和60年頃(?、私の記憶で不確か)までは、総武線ホームと電気街口を結ぶエレベータもあった、こちらは知る人ぞ知る。
・・・・・・・・・・・・時刻は8時、駅前の電気街には、まだ人影は少ない!
・・・・・・・・・・・・メイド喫茶の多い電気街の中(千代田区外神田1)に、「講武稲荷神社」がある。、、、、講武稲荷神社は、安政4年(1857)の鎮座で、運慶作と伝えられる神体を祀っている。 この地は、住居表示改正以前は旅籠町(はたごちょう)と称していた。、、、、戦後、昭和40年頃(?)までは、神社の近くに「旅籠町交番」(昌平橋際、現存せず)があった。 この交番は、私(雅万歩)が4歳ぐらいの頃迷子になり、保護された思い出の交番である。 メイド喫茶に行って、ミルクでも飲むつもりだったのかも(?)
● 秋葉原から昌平坂を上り、神田明神へ、、、、神田明神は、千代田区外神田に鎮座する神社で、正式名称は「神田神社」 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。、、、、江戸時代の社殿は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失。 その後、3年の歳月をかけて昭和9年(1934)に権現造で、日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造・総朱漆塗で現在の社殿(国の登録有形文化財)が完成した。、、、、ここでも、早朝の神社は人影はまばら。 境内では、禰宜・巫女さんが、掃除や開店準備で忙しそうだ!、、、、拝殿では早速、お賽銭を奮発し新型コロナ感染症鎮静を祈願して、二礼二拍手一礼。
● コロナに感染しないよう、早々と来た道を戻る。、、、、我が家にもどれば、再び自粛生活、我慢・我慢はチョイト辛い!