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2021年6月

2021年6月30日 (水)

柿の木坂は駅まで何里?

時おり雨粒が落ちてくるが、傘を必要とするほどでもない、チョイトいやな空模様である。 一昨日の散歩の終点、都立大学駅から歩きはじめ、最初は西へ、途中から北へ、たどり着いたは東急田園都市線の三軒茶屋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 朝7時半、通勤・通学客が行きかう「都立大学駅」で下車、、、、東急東横線は、電車通学する小中高の子女が多いようだ。 沿線には有名私立が多く、資産家・セレブも多く、わかる・判る・なんとなく判るね! 女学生が可愛く見えるね!

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● 駅から東西南北どっちへ歩こうか? とりあえず、駅から西へ目黒通りを横断し、以前参拝したことがある「八雲氷川神社」(目黒区八雲2)に寄ってみた。、、、、チョイト長い参道を歩き、緑多い境内の八雲氷川神社に参る。 神社は古くより創建され、旧衾(ふすま)村(八雲周辺)の鎮守である。 祭神は素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴命の三柱。 創建の年代は詳らかではないが、内陣に文化14年(1817)奉納の記載があり、また社殿の改築が安政2年(1855)に行われているところからみて、かなり古いと推察できる。、、、、この神社は、古くから「癪封じの神」として広く知られ、下総や相模からも参詣人が詰めかけたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・【地名の八雲?】明治22年頃、この辺りは碑衾(ひぶすま)村大字衾(ふすま)であった。 昭和7年には、目黒区衾町・宮前町。 昭和39年の新住居表示により衾町・宮前町の全部に大原町・芳窪町・中根町の各一部をあわせた町域を現行の「八雲」とした。、、、、何処から「八雲」の名を持ってきたか? 新住居表示の時、当然のこととして「衾町」としたかったし誰にも異論はなかったが、「衾」が当用漢字にないので却下された。 さらに、“衾”を「ふすま」と読むことが時の日本人に難しいということで、「それでは別の名前」というんで思いついたのが〝八雲〟だった。 由来は、明治4年太子堂郷学校(現世田谷区立若林小学校)の分校として創立した衾村分校が、明治7年に独立するとき、村の鎮守の氷川神社に伝わる奉納舞「剣の舞」、素盞雄尊が奇稲田姫を救うために八岐大蛇を退治してその尾から天叢雲剣を得て、奇稲田姫と新居を持つときに詠んだ歌。『八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその八重垣を』から校名を拝借して「八雲学校」(現八雲小学校、目黒区最古の学校)とした。 地名はこの八雲を採用した。 小学校の校名でパクリ、地名でパクリ!



・・・・・・・・・・・・八雲氷川神社の西隣に真言宗智山派の寺院「金蔵院」がある。 金蔵院は、氷川山虚空蔵寺と号す。 慶長5年(1600)頃に頼栄上人が創建、明治7年に一旦廃寺となったものの明治14年(1881)には再興された。 氷川神社の別当寺。、、、、檀家のない寺で、無住となった時(明治4年)、八雲小学校が創立して、この寺を教室としたという。

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● 氷川神社で近くに吉良家の菩提寺があると聞いた。 “吉良”と聞いて、私の頭は“上野介” 忠臣蔵の話が好きな私にはとっては、行かねばならない菩提寺だ! その名は「東光寺」、来た道を戻る方角にある。 金蔵院から再び氷川神社の境内を横切り、足は東へ、、、、曹洞宗寺院の東光寺は、泰陽山霊徳院と号します。東光寺は、世田谷城主吉良冶部大輔冶家が、その嫡子祖朝の追福のために臨済宗東岡寺として貞治4年(1365)に創建したといいます。その後東光寺と改め、天文19年(1550)には寺領30石の御朱印状を拝領、後曹洞宗に宗旨を改めています。、、、、東光寺が祀る“吉良家”は、忠臣蔵よりはるか昔、南北朝時代の世田谷城主:吉良治家と子の祖朝の時代のことであった。 ちなみに、忠臣蔵の上野介の墓は中野の万昌院功運寺にある。

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● 東光寺の東隣にもう一寺あった、、、、日蓮宗寺院の「小杉山常円寺」である。 常円寺は、江戸谷中の感応寺(現谷中天王寺)の住僧日長上人の師でもあった日信上人が営んでいた庵室をはじめとし、日信上人の没後の天正18年に、世田谷城主の近臣:小杉甚七が開基となり、常円寺と号した。

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● 常円寺は「柿の木坂通り」に面してる。 ここまで来たら、柿の木坂通りを歩いてみることにした、、、、、柿の木坂通りは、都立大学駅付近から北にのびて環七通りの目黒区と世田谷区の境「野沢交差点」までである。 道路の愛称となった「柿の木坂」があるのは、環七通りと目黒通りの交差点“柿の木坂陸橋”付近から,東横線のガードをくぐって南西側までの目黒通り上の350m程。 つまり、“柿の木坂通り”には“柿の木坂”はない! なぜだ? 実は、目黒通りと柿の木坂通りと環七通りで囲まれる三角形の地域の地名が「目黒区柿の木坂」で、“柿の木坂通り”はその町の一辺となる、、、、整理すると、昔からあったのは目黒通りの坂で「柿の木坂」、その柿の木坂の北側の町が「目黒区柿の木坂」(昭和7年命名)、その柿の木坂の町を囲う道路の一本を「柿の木坂通り」とした。、、、、ついでに、都立大学駅は昭和2年(1927)に開業し、開業後4年間の駅名は「柿の木坂」であった。、、、、さらに、話はややっこしく、青木光一のヒット曲『柿の木坂の家』の柿の木坂はモデルが広島県で目黒区柿の木坂とは無関係!

さて、「柿の木坂通り」を歩いてビックリ、見てビックリ、なんと小さな店が並ぶシャレた通りで、高級住宅地を歩いてる感じだ! 道の途中にはコンサートホールもあり、文化の薫りも漂うね!

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● 野沢交差点で環七通りを横断し、世田谷区に入ると野沢3丁目に臨済宗妙心寺派寺院の「大沢山龍雲寺」がある。、、、、龍雲寺は、節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が廃寺となっていた下馬引沢村(下馬)の智見寺を引き継ぐ形で野沢に元禄12年(1699)創建した。、、、、現本堂は昭和38年(1963)に起工。 同40年(1965)に鉄筋コンクリート平屋造りの本堂をはじめ、山門、鐘楼、庫裡の諸堂を落慶した。、、、、広い境内に、美しい樹木が良く手入れされている。 落ち着いた静かな寺。

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● 龍雲寺の山門前を北東に歩くと下馬4丁目に、天台宗系単立寺院の「世田谷山観音寺」がある、、、、古い由緒ある寺かと思ったら、観音寺は、事業家であった大僧正睦賢和尚(パン屋「静養堂」の主人:太田陸賢)が昭和25年に創建した寺(?) 本尊は聖観世音菩薩、他に不動明王・阿弥陀如来・仁王尊・特攻観音をまつる御堂があります。  パン屋の主人は金を持っていたらしく、保有する文化財は関東一といっても過言ではないそうだ。 仏教オタクのパン屋が創った、私設仏教博物館といったところ。、、、、広い大きな境内には、三重塔のほか数々の建物があります。 また、特攻隊の慰霊碑もあり、都会の中の静かなお寺で平和を祈るとともに、英霊の安らかな眠りを祈るほかない場所でないかと思います。、、、、百聞は一見に如かず!

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● 観音寺から裏通りを抜けて、東急田園都市線の「三軒茶屋駅から帰宅、、、、改札から出てくるのは、若い娘バッカシ、なんだ!コリャ! しばし、改札前で“
茫然自失”、顔は“喜色満面”、そして“顔厚忸怩”  何はともあれ、嬉し楽しい駅だ!

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2021年6月28日 (月)

標高35mの絶景!

『今日は何処へ散歩に行こうか?』考えるのも面倒だ! 安直に『昨日の続き』と、いうことで、荏原中延駅から足の向くまま気の向くままに歩きはじめた。 足跡をたどると、荏原中延駅~荏原警察署~摩耶寺・小山八幡神社~洗足会館~環七通り~目黒区平町~都立大学駅。 1万2千歩の散歩。 アップ・ダウンもあり疲れた!




● 今朝、「荏原中延駅」に降り立つ、、、、荏原中延駅は、昭和2年(1927)8月28日、蒲田側から伸びてきた池上電気鉄道が雪が谷駅(雪が谷大塚駅)~桐ヶ谷駅(現在廃駅、大崎広小路駅近く)間を開業させたときに同時開業した駅。 平成元年(1989)に地下化された相対式ホーム2面2線の地下駅。

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・・・・・・・・・・・・『さて、どっちへ行こうか?』駅前で思案。 とりあえず、昨日きた方向は避けて、西へ向かって歩き出す。

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● 荏原中延駅のある品川区東中延から隣の西中延に入る。 特別に私を引き付けるような物は見当たらない町だ! 足早に町を抜ける。

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・・・・・・・・・・・・西中延から中原街道(=都道2号)に出ると、正面に「荏原警察署」がある。 なにやら、警察署の前に私服・制服の警官が20名程待機している。 『チョイト、ヤバイかな!』と思ったとき、私を待っていたのではなく、護送車のお出迎えであった。 男か女か、どんな凶悪犯か知ることもなく、署の中に消えた!、、、、【余談】荏原警察署は、昭和3年(1928)9月1日に大崎警察署より分離し開設された。 現庁舎は昭和60年(1985)に完成。

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・・・・・・・・・・・・荏原警察署の裏側に、ヨーロピアンテイストのマンションがある。 この地は、旧法務大臣公邸跡地という歴史ある土地で、前には警察署があり、防犯にはいいようだ。 鴻池組の施工で、平成16年(2004)に建てられた、全131戸の大規模レジデンスです。、、、、参考に、1LDK(54㎡)の賃料は185,000円/月

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● 荏原警察署から西へ荏原7丁目に、日蓮宗寺院の「佛母山摩耶寺」がある。、、、、創建年代は不詳だが、寛文7年(1667)の創建と伝えられている。 震災・戦災には免れたそうだが、本堂は昭和53年(1978)に完成した。 天保年間(1830~1843)に造られた摩耶堂には、摩耶夫人(釈迦の生母)像が祀られている。 また、寺には荏原七福神の一つ、寿老人も祀っている。、、、、静かな落ち着いた雰囲気の寺。

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・・・・・・・・・・・・【蛇足】「お寺は佛母山、更年期には実母散」 い~い薬です!、、、、1袋/1回 440円 お試しあれ!




● 摩耶寺が別当寺であった、「小山八幡神社」が寺の隣にある。、、、、神社の由緒は不明だが、長元3年(1030)頃に源頼信がこの地に誉田別尊を氏神として奉ったのが始まりであると言われている。 境内は小高い丘(古墳跡といわれている)の上に位置しているため、『小山(こやま)』と呼ばれそれが現在の近辺の『小山』の地名の由来になっている。 標高35mの境内からの眺めは“絶景かな、絶景かな” 

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● 東急目黒線の洗足駅周辺は、実業家:渋沢栄一が大田区の田園調布の開発以前に手掛けた高級住宅街である。 小山八幡神社から西に向かうと、現在でも静かな高級住宅街の雰囲気が漂う街である。

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・・・・・・・・・・・・・小山八幡神社裏の通りを西に向かい、東急目黒線にぶつかった処に「洗足会館」がある。、、、、この会館の地は、かつて、渋沢栄一が計画した町づくりを実施した「田園都市株式会社」と小山の住民で結成された「洗足会」の拠点であった。 会では自主的に美しい街並みを守るための活動が行われていた。、、、、現在の自治会活動の場であったと思われる。 当時の木造の建物は老朽化と地盤沈下の為に建て替えを余儀なくされ、平成23年(2011)に現在の新しい建物が竣工した。

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・・・・・・・・・・・・洗足会館前の掘割を走る東急目黒線

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● 洗足会館の前で目黒線を越え、品川区小山から目黒区洗足・南・平町の町を歩く。 この辺りは住宅地であるが、特に面白そうなものは無し! 途中で環七通りを横断する。

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● 環七通りを横断したあたりから足に疲れが出てきた。 どうやら、コロナによる運動不足かも?、、、、疲れた足で、東急東横線の「都立大学駅」に到着。、、、、都立大学駅は、昭和2年(1927)8月28日、東京横浜電鉄丸子多摩川(多摩川)駅→渋谷駅延伸の時「柿ノ木坂駅」として開業した。 昭和4年に目黒区碑衾町に府立東京高等学校開校し、昭和6年「府立高等前駅」に改称。 昭和7年には、「府立高等駅」に改称。 さらに、昭和18年、都制施行により府立東京高等学校を都立東京高等学校に改称し、同年12月「都立高校駅」に改称。 昭和24年学制改革により都立東京高等学校は東京都立大学として発足する。 昭和27年「都立大学駅」に改称。 平成3年、都立大学は八王子市に移転。 平成17年には、統合により「首都大学東京」となり、東京都立大学の名称は消滅した。 主をなくして15年以上、東急は名称変更をやる気なし。 そうこうしていると、首都大学東京を「東京都立大学」に戻すことになり。 駅名もこのままかもね?!、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅。

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2021年6月27日 (日)

馬込の縦走路

西馬込駅から、北に向かい東海道新幹線を跨ぎ、上池台と中馬込の町の境を北へ向かい、環七通りを横切り、旗の台を抜け、東急池上線の荏原中延駅まで、9千歩の散歩です。




● 日曜の朝8時前、コロナの心配は無用なガラ空きの電車が終点「西馬込」に到着。 今日の散歩はここから歩いてみよう!、、、、駅前の通りは国道1号線(=第二京浜国道)、交通量は案外少ない!

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● 特に行く宛のない散歩なので、国道1号線の西側に向かう裏道に入る。 道はさっそく上り坂となる。 坂を上り馬込西公園の辺りで道は平らになった。 公園は斜面に造られており、自分がいるのは斜面の上部。 ここから、公園の先の住宅の裏側に「馬込給水塔」の丸い屋根が2個見える。

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● 給水塔の屋根を左手に見ながら、公園上部の道を行くと、小さな十字路がある。 右へ向かうと下り坂、左へ向かうと下り坂、『そうか! この道は西馬込の尾根だ!』 この道(写真中央)を境に、右は西馬込1丁目、左は西馬込2丁目。 左右どちらに曲がっても、下り坂だが、せっかく上った坂なので下りたくない、道なりに真直ぐ歩くことにした。、、、、この時点で、今日の散歩は『この尾根を、道なりに歩く』ことにした。 “馬込の縦走路”(勝手に命名!)

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● “馬込の縦走路”は、東海道新幹線・横須賀線を跨ぐ「大谷橋」に出た。 この橋を渡ると中馬込3丁目に入る。、、、、この辺りは、マンション、戸建て住宅が並ぶ住宅地。(お金持ちも住んでいるかも?)

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● 中馬込3丁目に入り、“馬込の縦走路”はまだまだ続く! 大谷橋から700m程北まで尾根歩きは続く、この辺りでは“馬込の縦走路”は、西側の上池台5丁目と、東側の中馬込1丁目の町境となっている。

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● 上池台4丁目と5丁目の境は通称「学研通り」(かつて学習研究社の本社があった)と呼ばれる道路で、その北の端には坂道「貝塚坂」がある。 私が歩いてきた“馬込の縦走路”はこの貝塚坂にて、学研通りと合体する。 坂名の「貝塚坂」は、坂周辺に貝塚を伴う集落遺跡があったことによる。(大田区内の鵜の木、池上、山王と連なる台地には縄文時代から古墳時代にかけて遺跡が多いそうだ)、、、、今日の散歩は“馬込の縦走路”を道なりに歩いてきたので、ここより先も引き続き学研通りを道なりに歩く!!

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● 貝塚坂のチョイト北側から、今度は「夫婦坂(めおとざか)」がある。 貝塚坂上部から下り、環七通りと「夫婦坂交差点」で交差し、上り坂となって馬込1丁目に伸びる。 つまり、環七通りが最も低く、南と北の両側に向かって上る坂だある。 二つの坂が向かい合っていることから「夫婦坂」と名付けられたそうだ。

・・・・・・・・・・・・貝塚坂側から夫婦坂を見る、、、、“下り坂”が判るかな?

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・・・・・・・・・・・・環七通りと交差する「夫婦坂交差点」

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・・・・・・・・・・・・北へ向かって上る夫婦坂

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・・・・・・・・・・・・夫婦坂の北の端、、、、私は道なりに、坂の正面、材木屋の横の細い道を進む(道なりに直進する!)

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● 材木屋の横を入り、坂を下る。 東急大井町線の荏原町駅と旗の台駅の中間でガードを抜ける。 道は徐々に東に向けカーブする。 

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・・・・・・・・・・・・最後は品川区西中延3丁目、「健康ランド八幡温泉」(旧八幡湯)の脇に出た。 ここで、道はT字にぶつかり、これ以上直進できず。 これにて終了!、、、、なお、八幡温泉は温泉銭湯である。 湯量は豊富で、色は褐色透明。黒湯というほどは濃くなく、ちょうど紅茶のような色合いらしい。 

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● “馬込の縦走路”を歩き、最後は温泉につかることもなく、チョイト疲れた足で、さらに東急池上線の「荏原中延駅まで歩く。、、、、地下化された池上線の線路跡は所どころ公園化されている。、、、、道幅の狭い商店街の中に荏原中延駅がある。 初めて訪れる人には、見つけにくい駅だ! 交番で聞こうと思っても、その交番は駅にある、アリャリャ!、、、、3両編成の池上線はホームも短くコンパクトな造り。

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2021年6月24日 (木)

平和島から西馬込

昨日の続きで、平和島から品川方面に歩こうと思い下車したが、駅を出たら気が変わり西馬込へ向かって歩いた。 1万歩の散歩。 




● 京浜急行本線の平和島駅で下車し駅前に出ると、商店街を駅に向かう通勤客とすれ違う。 何となく人の流れに逆らいたくなり、商店街を歩くことにした(もちろん朝なので店は開いてない) 

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・・・・・・・・・・・・商店街の先は、いつの間にか何処にでもある裏道に変わり、人通りも少ない。 興味を引くものもなく、単調な歩み。

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・・・・・・・・・・・・環七通り補助27号線(=東邦医大通り沢田通り)が交差する「沢田交差点」に出た。 これより環七通りを西に歩く。

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● 環七通りがJR東海道線を跨ぐ「春日橋」を渡る。、、、、環七通りは戦後整備されたが、大田区内の沢田交差点からJRを越えて国道1号馬込交差点までは、昭和12年(1937)に完成している。 東海道線と立体交差する「春日橋」は昭和16年(1941)の完成である。 戦前から、踏切にせず立体交差にしたのは、それだけ交通の要所だったと思われる! 

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・・・・・・・・・・・・環七通りは、春日橋に続き、池上通りとの交差点に「春日橋陸橋」がある(紛らわしいね!)

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● 春日橋陸橋のある春日橋交差点から西へ150m程、「新井宿春日神社」(大田区中央1)がある。 おそらく“春日橋”の名のルーツであろう。、、、、春日神社の祭神は、天児屋根神〔あめのこやねのかみ〕、建御賀豆智神〔たけみかづちのかみ〕、伊波比主神〔いわいぬしのかみ〕の三神。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代の創建と伝えられている。 奈良の春日神社から勧請した。 住宅と商店が混在する旧街道沿いに鎮座する由緒ある神社。 神社前の旧街道は、かつて「奥州街道」、「相州鎌倉街道」、「平間街道」、「池上往還」と呼ばれていた古道である。、、、、現在の本殿は、昭和13年(1938)の建設で、木造春日造りの堂々たるものである。 また、旧本殿という神楽殿は風格がある。

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● 春日神社から住宅地の裏道を歩き、西へ向かう・・・・・この辺りは、作家・画家の多くが住んでいた馬込文士村。 私の住む“下町の浅草橋”とは、だいぶ雰囲気が異なるね!

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・・・・・・・・・・・・「大田区立龍子記念館」の前に出た。 日本画の巨匠として知られる川端龍子(1885~1966)が、昭和38(1963)に自身の喜寿の記念に、自らの発意と設計によって建てた記念館である。 当初は法人により運営されていたが、平成2年(1990)に記念館と所蔵作品などが大田区に寄贈され公開されている。、、、、私が立ち寄るのは、今日で3回目となる。 何回来ても“良いものは良い!” 内緒だけれど、年寄りは入館料無料、これもいいね! チョイト、拝見していくことにした。

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● 龍子記念館をあとにして、坂を上り池上本門寺裏(北側)を歩き、都営浅草線の車両基地を見ていくことにした。

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・・・・・・・・・・・・「馬込総合車両基地」に到着。 基地の中央を横切る歩道橋の上から電車を眺めて、ニコニコ・ニヤニヤ楽しそう!

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● 車両基地の先には浅草線の「西馬込駅」がある。 我が家の浅草橋駅までは、乗り換えなしの一本! 寝て帰ろ~~

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2021年6月23日 (水)

京急蒲田から平和島

京急蒲田駅で下車し、京急本線の西側を気の向くままブラブラ歩いて平和島駅まで、1万歩の散歩です。




● 平成22年(2010)~平成24年(2012)にかけ、高架化された「京急蒲田駅 駅舎は高さ24mの三層構造で、一層部(実質は2階で、高架下は駐車場や駐輪場が整備されている)は駅事務所・改札があり、出入口はペデストリアンデッキにてJR蒲田駅方面に向かう駅前商店街などと結ばれている。 二層部は、1面2線の島式市ホームで、上り本線と空港線が使用。 三層部は1面2線の島式ホームで、下り本線と空港線が使用。 389mの長いホームには、12両編成電車と6両編成電車が同時に直列停車することが可能だ。 私の大雑把な見方では、長さ約400m、幅約20m、高さ24mの巨大な細長い駅である。、、、、工事は市街地の中の難工事で、担当した京急建設+鹿島建設には、ご苦労様!

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・・・・・・・・・・・・三層部のホームから見える駅周辺。 高層建物が少なく、見晴らしがよい。

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● 京急蒲田駅前に一社一寺が隣り合う・・・・・

・・・・・・・・・・・・永禄年間(1558~1569)の当地の地頭:行方修理亮義安が戦死の後、その室円光院妙安尼が、兄斉藤政賢の屋敷内に庵室を結んだのが、この地(京急蒲田駅前一等地で先見の明あり?)である。 尼は法華宗を信奉して、池上本門寺第12世仏寿院日現に帰依していたが、天正17年(1589)尼が没した後、庵室を寺とし、開山を日現として開創した。 開基は円光院妙安尼、行方の家号を以って山号とし、尼の法号を寺号としている「行方山妙安寺」。 堂は戦災で被災し、戦後の再建。 お隣の蒲田八幡神社の元別当寺。、、、、山門から緑豊かな参道を通り本堂正面に出るが、駅前とは思えない静かな境内である。

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・・・・・・・・・・・・妙安寺の隣りに、「蒲田八幡神社」がある。 蒲田八幡神社は、北蒲田村より新宿村として分村した慶長年間に、薭田神社(後述)を勧請して新宿村鎮守として創建された。 明治期に村社に列格。、、、、こちらも駅前の一等地、チョイト広い境内に改修し綺麗になった社殿がたつ。 こちらも、戦災に遭遇し旧社殿は被災し、現社殿は昭和33年(1958)の造営。
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● 京急蒲田駅前商店街を横切り、柳通りを抜け、呑川を越え、蒲田八幡神社から北へ向かう・・・・・

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・・・・・・・・・・・・蒲田八幡神社から500mほど行くと「薭田神社(ひえだじんじゃ)」がある。 蒲田八幡神社が勧請した神社である。、、、、薭田神社の隣りは「栄林寺」、鳥居の先100m程には「円頓寺」があるが、山門は閉じられ境内には入れない、コリャマタ残念!
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● 梅屋敷駅前の「ぶらもーる梅屋敷」、大森町駅前の「大森町共栄会」と、二つの商店街を横切り「大森西」の町を北へ歩く・・・・・

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● 町中に高層の「都営大森西三丁目アパート」がある。 昭和44年(1969)建設、11階建て、総戸数282戸の都営住宅。、、、、築後52年、建物は劣化したね。 昭和44年は雅万歩が大学を卒業した年である。 私の身体も劣化したが、まだボケてないぞ!

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・・・・・・・・・・・・チョイト、上層階におじゃまして、大田区の町を拝見!、、、、都心(大崎方面)を眺めるが、遠い!、、、、手前は「区立大森第八中学校

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● 裏通りを歩き、「大森諏訪神社」(大森西2)に出てきた。 祭神は建御名方命。 大森諏訪神社の創建年代は不詳であるが、江戸時代には大森村山谷の鎮守社であったそうだ。、、、、神社の由来を見ると、その昔、大森海岸袖ヶ浦へ着岸された御神体を、村民が尊崇して、一祠を建立したといわれてる(類似の謂れが多い、よく聞く話だ!)、、、、漁村であった頃の江戸時代からの古い、鳥居、狛犬、灯篭、手水屋、玉垣、記念碑等が多数残されている。  

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● 「平和島駅」に到着、今日の散歩はここまで!、、、、のんびりと、空いている普通電車で帰ることにした。

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2021年6月21日 (月)

開門前の散歩

北総線東松戸駅から同線の北国分駅まで、線路沿いに歩いて、1万1千歩の散歩です。




● 押上で成田空港行きのアクセス特急に乗り換えて、3駅目(途中、青砥・高砂の2駅に停車)の北総線「東松戸駅」で、朝7時40分、下車する。 この駅はJR武蔵野線との乗り換え駅で、乗降する通勤通学客が多い。(北総線からJR武蔵野線に乗り換える人が多いようだ!)

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・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーに出ると、人は少ない。、、、、駅構内の人の多くは乗換客だった!

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・・・・・・・・・・・・東松戸駅から、北総線の北側を線路に沿って、東京方面に向かって歩くことにした。 新しい戸建て住宅とマンションの町。 賑やかさはナイ・ナイ・つまらない!

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● 駅から5分、東松戸3丁目の日蓮宗寺院の妙見山廣龍寺に立ち寄る。 廣龍寺は室町時代(1338~1573)に創建された。 境内にある妙見堂には、千葉氏の守護神として知られる妙見菩薩像が安置されているそうだ。 時刻は8時チョウド、まだ住職は朝食中か? 開門しておらず、境内には入れず、残念!、、、、門の外から本堂を撮影

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・・・・・・・・・・・・山門前には数基の石塔が並んでいる。 その中に、嘉永5年(1852)銘で、高さは191.5㎝の庚申塔がある。 庚申塔は青面金剛を主尊にもちいたものが多いが、この庚申塔は珍しく帝釈天を刻んでいる。 

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● 廣龍寺の北西150m程の小高い処(松戸市紙敷)に「紙敷春日神社」がある。 紙敷春日神社の創建年代等は不詳。、、、、住宅街の一角、緑豊かな境内にある神社で、由緒は不明。 盆踊りが開かれそうな神社。

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● 畑を見ながら、北総線の脇を歩く。、、、、この付近、アチラ・コチラの畑の下から縄文時代の遺跡が発掘されるらしい。 「掘って 調べて 埋め戻し 遺跡は野菜の下 消えてゆく」

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・・・・・・・・・・・・しばらく歩くと、住宅地の中に細長い空き地が続く。 この地下に、北総線のトンネルがある。

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・・・・・・・・・・・・北総線「秋山駅に着いた。 半地下式の駅で、ホームは地下にある。

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・・・・・・・・・・・・秋山駅前を過ぎると、北総線が地下駅から地上に出て、この先は高架橋が続く。

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・・・・・・・・・・・・チョロチョロ流れる用水路? ナント、一級河川の国分川。 北総線は国分川を越え北国分駅へ向かう。

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● 北国分駅の北に広がる松戸市大橋地区、その中心に鎮守さまの「大橋胡籙神社」がある。 大橋胡籙神社の創建年代等は不詳。大橋地区の鎮守として祀られ、明治41年(1908)に字南台無格社道祖神・無格社天満神社・字稲荷山無格社稲荷神社、字北台無格社淡洲神社、字白幡無格社白幡神社を合祀した。、、、、大橋胡籙神社で行われる獅子舞は、市の無形文化財に指定されているそうだ。 一見してみたいね!

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● 大橋胡籙神社の南西200m程、「浄念坊」という廃寺跡がある。、、、、旧大橋村の寺院跡で、今は墓地のみが残されて元檀家が管理しているそうだ。 寛文6年(1666)建立の庚申塔をはじめ古い石造仏が集められ、保存されている。 かつて大橋に浄念坊という大日如来を本尊とする真言宗の寺院があった。 当地域の寺院の殆どが真言宗であったが、日蓮宗の進出によって、真言・法華混在となり、やがて浄念坊は廃寺となったそうだ。、、、、墓地は雑草が茂り、寺務所らしき建物は無人で廃墟化しつつある。 寺務所には、檀家向けに8月に墓地の掃除をする旨、出席を願う貼り紙があった。 宗派は違えども、日蓮宗の寺で墓地を管理できないものなのか? 寂しさを感じるね!

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北総線「北国分駅に到着。 半地下式の駅は地上から地下ホームに降りて乗車。、、、、コロナ禍で、ナンダ・カンダと運動不足、今日の散歩はここまで!

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2021年6月19日 (土)

ウイルス感染?

今週(6/13頃から)になって、像が二重に見えるので強度の乱視か?、TV・パソコンがまぶしく見えるのでサングラスか?、目を意識的に細めないとはっきり見えないので視力低下か?、右目の瞼を閉じると開きにくくなるので失明か?、、、、『アレレ・どうもおかしい?』と、急ぎ東京警察病院」(中野)で診てもらう。 診断結果は、20数年前に発症した「ポスナーシュロスマン症候群」(和名:緑内障性毛様体炎発作)が再発したのだ。、、、、この病気、原因ははっきりしないのだが、ストレス、ウイルスなどが考えられるらしい。 片目の眼圧が著しく上昇し、放置すると緑内障になるヤバイ病気だ。(コロナウイルスのワクチン接種はしたが、もちろん効かない、残念!) 治療は、点眼剤、ステロイド剤の服用などで治る。 しかし、不定期で突然再発するためチョイト厄介な病気である。

私が初めて発症したのは20数年前で、朝起きたら視界はカスミ、霧の中で景色を見ているようであった。 近くの眼科医に見てもらうと、『失明するかも、今、大先生宛に紹介状書くからこのままタクシーで病院へ行け!』と言われれた。 この時、行った病院が当時飯田橋駅近くにあった「東京警察病院」である。 病院では、大先生が直々に診てくれて、目に注射され、点滴されて、数時間後、無事視力は回復。 以来、「ポスナーシュロスマン症候群」は私の体に住み着いて、“持病”の一つとなる。 “警察病院”は、目の主治医としてお世話になりっぱなし。

今週は、病院通いが続き、散歩する余裕なし!

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・・・・・・・・・・・・最後に、今回発症した病気は、昨日、ほぼ治っていると診断された (しばらくは、点眼剤を使用)、、、、また、散歩に出ます!

2021年6月12日 (土)

ワクチン接種した!

今日は午後から浅草花川戸(浅草寺の東側)にて、遅まきながら夫婦で、第一回目のワクチン接種をしてもらった。




● 昼過ぎ、浅草の花川戸にある「台東区浅草保険相談センター」に行って、新型コロナのワクチン接種を受けてきた。、、、、テレビで見ていたのと同じで、受付・問診・接種・経過観察をうけ、異常なし、無罪釈放となった。 接種は痛くも痒くもなく、アナフィラキシーも発症せず、終わってみれば『あっけない事であった!』、、、、これで、多少の人混みでも安心して散歩できる身になった!

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・・・・・・・・・・・・「花川戸」(はなかわど)は、台東区にある町名で、浅草寺の東側の町で、現在は花川戸一丁目と花川戸二丁目で構成される町。 花川戸一丁目は東武伊勢崎線の「浅草駅」と「松屋浅草店」が入る建物がある。 浅草を訪れた観光客の多くが乗る「水上バス」の乗船場もある。 花川戸二丁目は一丁目の北側で、町の東端は隅田公園(台東区側)、北には言問通りがある。 花川戸一帯は履物問屋が多く、草履・下駄・靴などを並べた店が目立つ。 最近は、観光客向けの着物のレンタル店も多い。 花川戸の地名は、“花”は“桜”を指し、「桜並木のある川端通り」ということに由来するそうだ。、、、、「花川戸の助六」とは、実在せず虚構上の人物。 江戸時代、花川戸に住む侠客で、吉原三浦屋の遊女揚巻となじみ、揚巻の客と喧嘩した人物と設定されている。、、、花川戸に住んでいた実在の人物としては、江戸時代末期の火消しであり侠客であった「新門辰五郎」は有名。




● ワクチン接種が済んだので、夫婦で浅草寺へ参拝。、、、、『何だこの人出は?』、コロナは忘れ、賑わいが戻りつつある浅草だ!!

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2021年6月11日 (金)

美しさで勝負!

東京は連日の真夏日、夫婦で小岩菖蒲園に行ってきた。 帰りはJR市川駅に出て、私にとっては恐怖の超高層展望台に立ち寄って帰宅。、、、、京成本線江戸川駅から小岩菖蒲園によって市川駅までは、2年前にも歩いている。 




● 特急も、快速もすべて爆走して通過し、6両編でガラガラ・スキスキの普通列車のみ止まる京成本線の「江戸川駅」。 駅は江戸川土手に接し、改札を出ればスグに江戸川右岸の土手に出られる。 土手上から河川敷を見下ろせば、そこには「小岩菖蒲園」がある。、、、、駅周辺には、賑やかさは無い、コロナ感染は心配無用!

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● 江戸川河川敷に広がる「小岩菖蒲」園は、地元から寄贈された花菖蒲をもとに、区が回遊式の庭園にしたもの。 約4,900㎡の菖蒲田には約50,000本の花菖蒲が咲き誇り、葛飾区の堀切菖蒲園水元公園とともに、都内の菖蒲の名所となっている。、、、、今日は、天気も良く、菖蒲の花は一斉に咲き、美しさで勝負! 我が妻も、菖蒲に交ざって、マスクで勝負?

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● 江戸川区北小岩の小岩菖蒲園から、京成本線江戸川橋梁の下を抜け、市川橋(国道14号、千葉街道)を渡り千葉県市川市に入る。

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・・・・・・・・・・・・「アイ・リンクタウン展望施設」(市川市)から見た、左端:JR総武本線江戸川橋梁、中央:市川橋、右端:京成本線江戸川橋梁。、、、、3本のトラス橋が並んで架かる。

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● JR市川駅の南口前にある2本のタワーマンション、その西側の建物の最上階45階に「市川市アイ・リンクタウン展望施設」がある。 入館料は無料、地上150mから360度の展望ができる嬉しい施設である。、、、、が、高所恐怖症の私にとっては最悪の施設。 45階へ向かうシースルーエレベーターが怖いのだ! ガラス張りの箱に入り、空へ向かって見る景色、恐怖の世界である。 エレベーターに乗るやいなや、手摺を握りしめ、景色は見ずに目をつぶる、心の中では南無阿弥陀仏! 妻がいるので、男気・強がり・痩せ我慢・小便チビリそうだ! 【チョイト蛇足】・・・外が見えないスカイツリーのエレベーターは、なぜか恐怖を感じない!

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・・・・・・・・・・・・展望デッキでは、なるべくカラス窓に近づかず、ソーシャルディスタンス! 妻にはニッコリ笑って景色の案内、心の中では南妙法蓮華経・南無阿弥陀仏、アーメン・ソーメン・冷そうめん!

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● 無事に展望施設から降り、ホット一息。 写真撮るのも忘れて、市川駅から電車で帰宅!

2021年6月 9日 (水)

柴又の鎮守さま

ワクチン接種が済んでないので、“蜜”を避けての散歩。 寅さんの柴又駅で下車し、帝釈天とは線路を挟んで反対側の柴又八幡神社に寄り、さらに南下し、北総線新柴又駅に近い宝生院と医王寺に参り、京成小岩駅まで、1万歩の散歩です。




● 我が家(浅草橋)から京成押上線直通の電車に乗り、「高砂駅」で金町線(高砂~柴又~金町)に乗り換える。、、、、朝7時半過ぎ、金町からの電車は通勤通学客で満員だ。 終点の高砂駅ホームは一瞬のあいだ人であふれる。 折り返し金町行きとなった電車は、空席ありの楽々電車。

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柴又駅の駅前は、昨年まで、小さなコーヒスタンド・居酒屋・立ち喰い蕎麦など昭和レトロな店舗が並んでいたが取り壊された。 変わってコーヒーチェーン・コンビニと従来の今川焼/焼きそば・居酒屋・立ち喰い蕎麦は、新しいい建物となった。、、、、駅前広場が狭くなった! 寅さんさくらの像も、通行の妨げになるかもね?

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● 帝釈天参道の手前を西に曲がり、踏切をわたると「柴又八幡神社」がある。 柴又八幡神社の創建年代は不詳。、、、、社殿は寛永11年(1633)以降、数回の改築が行われ、昭和45年(1970)に現在の鉄筋コンクリート造の社殿となった。 柴又八幡神社は境内全体が古墳上に鎮座する社で、江戸時代には柴又村の鎮守社であった。 円墳は直径30m、6世紀~7世紀の築造であることが判明した。 社殿裏の「島俣塚」は、昭和40年(1965)、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、其の上に石畳の塚を築き、前に自然石に「島俣塚」と刻んだ石を建て、柵を巡らしてある。

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● 柴又八幡神社から柴又駅の西側(帝釈天とは線路を挟み反対側)をぬけ、帝釈天の南側の柴又4丁目の町を歩く。、、、、下町の住宅街、朝8時過ぎ、食事中か? まだ寝てる人もいるかも? 静かな町だ! コロナに感染する心配はなさそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・玄関先のアジサイは、今が見ごろ

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● 北総線「新柴又駅」の近くに、「柴又七福神」の大黒天:宝生院と恵比寿天:医王寺がある、チョイト寄ってみる。

・・・・・・・・・・・・北総線の新柴又駅(葛飾区柴又5)は、平成3年(1991)に開業した。 駅の1階にはスーパーマーケット、2階に改札口、3階に相対式ホーム2面2線を有する高架駅。 駅前には柴又街道(金町~小岩~江戸川)が通っている。 一見、チョイト見、生活しやすそうな町だ!

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・・・・・・・・・・・・新柴又駅の北150m程に、真言宗智山派寺院の宝生院がある。 宝生院は大黒山と号す。 寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近に創建。 その後、下谷谷中、池之端茅町へ移転し、関東大震災で罹災した後、昭和2年(1927)現在地へ移転した。、、、、柴又七福神の一つとなっている大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられまている。、、、、行事もない平日の午前中、訪れる人もなく、だだっ広い境内が印象的だ。 本堂の戸は閉まり、大黒天は拝むことができず、残念!

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・・・・・・・・・・・・新柴又駅から北東へ100m程歩くと、真言宗豊山派の医王寺がある。 医王寺は、薬王山瑠璃光院と号す。 応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。 本尊は薬師如来(秘仏)。 当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立された。 建立後間もなく、小田原の北條氏と安房の里見氏が利根川(現在の江戸川)を挟んで対峙し、天文7年(1538)・永禄7年(1564)の2度国府台合戦に、北條方の陣屋として使用されたため什物の大部分が失われた。 その後、中興されたが、しばらくすると、寺は無住となり多くの資料が散逸した。 寛永年間(1624~1644)金蓮院の僧某が再興し医王寺と改めた。、、、、柴又七福神の内、恵比寿天を祀る。 こちらも、本堂は閉じられ恵比寿天との御対面は叶わず!

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● 「京成小岩駅」(江戸川区北小岩2)に到着。、、、、京成小岩駅は昭和7年(1932)に開業した、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、JR総武線の小岩駅は、京成小岩駅の南約500~600mほどのところにある。 両駅間を歩くと20分程をかかり、乗り換える人はいないと思う!

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2021年6月 6日 (日)

躍進した町 瑞江

今週末に第一回のワクチン接種を行う予定なので、それまでの間コロナに感染しないよう用心・用心!、、、、今日もすいた電車で都営新宿線瑞江駅で下車し、用心のため人通りの少ない裏通りを歩き、JR総武線小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ワクチン前の大事な我が身、すいてる電車に乗って、見るべき名所は無さそうで、知名度も低い「瑞江駅(みずええき)」で下車する。、、、、瑞江の由来は『明治にできた「瑞穂村」と「一之江村」が、大正時代に合併し、双方の村名から一字づつ採って拵えたのが「瑞江」の始まり。 それゆえ「瑞江」は川も湿地帯にも縁のない処。 この辺りは、戦後になるまでは、田畑の広がる農村だった。 戦後は農地改良され、さらに、地下鉄が開通し急速に都市化された町。 いまでは、私の住む浅草橋より住みやすそうだ!、、、、駅周辺には歴史的な遺構・神社仏閣など、名所は無い。 また、所々には畑・ビニールハウスが点在する、農村の名残はある!、、、、瑞江駅から直線で北へ約5㎞離れてJRの小岩駅がある。 小岩駅は今日の散歩の終着駅。

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・・・・・・・・・・・・駅前の植え込みに、江戸川区の東部地区住民悲願の地下鉄開業を喜ぶ石碑『躍進』がある。、、、、石碑の裏側には、『地下鉄新宿線瑞江駅が開業して東部地区住民の待望久しかった交通機関が実現した。この鉄道は、昭和48年10月に計画決定されたものの遅々として進まず、剰え建設主体たる東京都の財政事情により計画凍結の状況に逢着した。この時、江戸川区長中里喜一氏は、輿望に応え、かつ区勢百年の発展に寄与せんとして敢然と起ち、優れた指導力と政治力を駆使し住民と共に困難を克服し、ここに駅開業を実現した。東部地区に黎明が訪れ、躍進の道が拓けた。偉業を衷心より讃え、地区全住民の歓喜を刻み、この碑を建立する。  昭和61年9月11日  瑞江駅開業祝賀東部地区実行委員会』と、刻まれている。 住民の悲願達成より、区長を褒め称えているような文章???

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● 瑞江駅からは表通りは避け、裏通りを北へ小岩駅に向かい歩く。、、、、見るべきものなし、ひたすら歩くのみ!、、、、途中、首都高7号小松川線の下を抜ける。、、、、チョイト、降ってきた! 傘に入れてくれる娘はいない。我慢・我慢で、濡れ歩く!、、、、国道14号(=京葉道路・一般道)を横断し、春江の町に入る。 

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● 昭和47年(1972)~昭和48年に建てられた3棟(約400戸)の春江町住宅が改修工事に入った。 窓枠・ガラス交換・外壁改修・屋上防水・鉄部塗装など、工期は今年の1月から9月まで、実質6カ月ぐらいかかりそうだ。 工事期間中は足場が架けられ、養生シートが張られ、住人は薄暗く覆われた中で生活中。、、、、コロナ対策で換気したい、窓を開ければ埃が入る、窓枠交換で窓がない、ついでにガラスも交換だ、暗い部屋でのオリンピック観戦、と、ナンダカンダで蒸し暑い夏となりそうだね!

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● 新堀2丁目の住宅街の真ん中に、チョイト、コンパクトな小学生以下専用球場がある。 その名は「高田公園」、、、、小学生“以下”専用ということだが、幼稚園児・保育園児がグランドを利用しているのかな? 見てみたいね。

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● 鹿骨1丁目と2丁目の境に、平成4年(1992)に開通した、長さ420mの「流堀親水はなのみち」と称する親水緑道がある。、、、、「流堀」は、灌漑用水路として開削された水路であったが、市街化が進むなかで家庭からの雑排水が流れ込む排水路となり、水路に蓋をかけ、歩行者通路として地元で利用されていた。 その後、下水道整備により、その役目は終わり、その跡地を利用し、緑豊かな親水緑道として整備された。 整備にあたっては、鹿骨の花卉園芸、田園風景の小川をイメージし、タンポポやタマスダレそしてハナショウブなどを植栽しました。 また、渓流の流れや木杭等で小川を演出し、四季折々の草花を楽しめる「花のさんぽみち」として整備された。、、、、緑道ができて約30年、地元住人が心をこめ維持管理しているようだ、ゴミは落ちていない、コイが泳ぐ緑道である。

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・・・・・・・・・・・・「流堀親水はなのみち」の北端は、「鹿骨親水緑道」に繋がって北へ伸びていく。

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● 南小岩にて国道14号(=千葉街道)を横断し、「昭和通り商店街」を歩く。 商店街を抜けるとJR総武線の小岩駅。、、、、只今時刻は9時45分。 まだ、半数以上の店は開店準備中なのか、商店街はシャッターが下りたまま。

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・・・・・・・・・・・・小岩駅到着、コロナで運動不足になったようだ、きょうも足が痛い! もう少し鍛えよう!、、、、小岩駅のコンコースには、ご当地出身の昭和の名横綱:栃錦の像がある。 待ち合わせ場所として最適だ!

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