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2021年6月30日 (水)

柿の木坂は駅まで何里?

時おり雨粒が落ちてくるが、傘を必要とするほどでもない、チョイトいやな空模様である。 一昨日の散歩の終点、都立大学駅から歩きはじめ、最初は西へ、途中から北へ、たどり着いたは東急田園都市線の三軒茶屋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 朝7時半、通勤・通学客が行きかう「都立大学駅」で下車、、、、東急東横線は、電車通学する小中高の子女が多いようだ。 沿線には有名私立が多く、資産家・セレブも多く、わかる・判る・なんとなく判るね! 女学生が可愛く見えるね!

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● 駅から東西南北どっちへ歩こうか? とりあえず、駅から西へ目黒通りを横断し、以前参拝したことがある「八雲氷川神社」(目黒区八雲2)に寄ってみた。、、、、チョイト長い参道を歩き、緑多い境内の八雲氷川神社に参る。 神社は古くより創建され、旧衾(ふすま)村(八雲周辺)の鎮守である。 祭神は素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴命の三柱。 創建の年代は詳らかではないが、内陣に文化14年(1817)奉納の記載があり、また社殿の改築が安政2年(1855)に行われているところからみて、かなり古いと推察できる。、、、、この神社は、古くから「癪封じの神」として広く知られ、下総や相模からも参詣人が詰めかけたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・【地名の八雲?】明治22年頃、この辺りは碑衾(ひぶすま)村大字衾(ふすま)であった。 昭和7年には、目黒区衾町・宮前町。 昭和39年の新住居表示により衾町・宮前町の全部に大原町・芳窪町・中根町の各一部をあわせた町域を現行の「八雲」とした。、、、、何処から「八雲」の名を持ってきたか? 新住居表示の時、当然のこととして「衾町」としたかったし誰にも異論はなかったが、「衾」が当用漢字にないので却下された。 さらに、“衾”を「ふすま」と読むことが時の日本人に難しいということで、「それでは別の名前」というんで思いついたのが〝八雲〟だった。 由来は、明治4年太子堂郷学校(現世田谷区立若林小学校)の分校として創立した衾村分校が、明治7年に独立するとき、村の鎮守の氷川神社に伝わる奉納舞「剣の舞」、素盞雄尊が奇稲田姫を救うために八岐大蛇を退治してその尾から天叢雲剣を得て、奇稲田姫と新居を持つときに詠んだ歌。『八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその八重垣を』から校名を拝借して「八雲学校」(現八雲小学校、目黒区最古の学校)とした。 地名はこの八雲を採用した。 小学校の校名でパクリ、地名でパクリ!



・・・・・・・・・・・・八雲氷川神社の西隣に真言宗智山派の寺院「金蔵院」がある。 金蔵院は、氷川山虚空蔵寺と号す。 慶長5年(1600)頃に頼栄上人が創建、明治7年に一旦廃寺となったものの明治14年(1881)には再興された。 氷川神社の別当寺。、、、、檀家のない寺で、無住となった時(明治4年)、八雲小学校が創立して、この寺を教室としたという。

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● 氷川神社で近くに吉良家の菩提寺があると聞いた。 “吉良”と聞いて、私の頭は“上野介” 忠臣蔵の話が好きな私にはとっては、行かねばならない菩提寺だ! その名は「東光寺」、来た道を戻る方角にある。 金蔵院から再び氷川神社の境内を横切り、足は東へ、、、、曹洞宗寺院の東光寺は、泰陽山霊徳院と号します。東光寺は、世田谷城主吉良冶部大輔冶家が、その嫡子祖朝の追福のために臨済宗東岡寺として貞治4年(1365)に創建したといいます。その後東光寺と改め、天文19年(1550)には寺領30石の御朱印状を拝領、後曹洞宗に宗旨を改めています。、、、、東光寺が祀る“吉良家”は、忠臣蔵よりはるか昔、南北朝時代の世田谷城主:吉良治家と子の祖朝の時代のことであった。 ちなみに、忠臣蔵の上野介の墓は中野の万昌院功運寺にある。

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● 東光寺の東隣にもう一寺あった、、、、日蓮宗寺院の「小杉山常円寺」である。 常円寺は、江戸谷中の感応寺(現谷中天王寺)の住僧日長上人の師でもあった日信上人が営んでいた庵室をはじめとし、日信上人の没後の天正18年に、世田谷城主の近臣:小杉甚七が開基となり、常円寺と号した。

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● 常円寺は「柿の木坂通り」に面してる。 ここまで来たら、柿の木坂通りを歩いてみることにした、、、、、柿の木坂通りは、都立大学駅付近から北にのびて環七通りの目黒区と世田谷区の境「野沢交差点」までである。 道路の愛称となった「柿の木坂」があるのは、環七通りと目黒通りの交差点“柿の木坂陸橋”付近から,東横線のガードをくぐって南西側までの目黒通り上の350m程。 つまり、“柿の木坂通り”には“柿の木坂”はない! なぜだ? 実は、目黒通りと柿の木坂通りと環七通りで囲まれる三角形の地域の地名が「目黒区柿の木坂」で、“柿の木坂通り”はその町の一辺となる、、、、整理すると、昔からあったのは目黒通りの坂で「柿の木坂」、その柿の木坂の北側の町が「目黒区柿の木坂」(昭和7年命名)、その柿の木坂の町を囲う道路の一本を「柿の木坂通り」とした。、、、、ついでに、都立大学駅は昭和2年(1927)に開業し、開業後4年間の駅名は「柿の木坂」であった。、、、、さらに、話はややっこしく、青木光一のヒット曲『柿の木坂の家』の柿の木坂はモデルが広島県で目黒区柿の木坂とは無関係!

さて、「柿の木坂通り」を歩いてビックリ、見てビックリ、なんと小さな店が並ぶシャレた通りで、高級住宅地を歩いてる感じだ! 道の途中にはコンサートホールもあり、文化の薫りも漂うね!

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● 野沢交差点で環七通りを横断し、世田谷区に入ると野沢3丁目に臨済宗妙心寺派寺院の「大沢山龍雲寺」がある。、、、、龍雲寺は、節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が廃寺となっていた下馬引沢村(下馬)の智見寺を引き継ぐ形で野沢に元禄12年(1699)創建した。、、、、現本堂は昭和38年(1963)に起工。 同40年(1965)に鉄筋コンクリート平屋造りの本堂をはじめ、山門、鐘楼、庫裡の諸堂を落慶した。、、、、広い境内に、美しい樹木が良く手入れされている。 落ち着いた静かな寺。

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● 龍雲寺の山門前を北東に歩くと下馬4丁目に、天台宗系単立寺院の「世田谷山観音寺」がある、、、、古い由緒ある寺かと思ったら、観音寺は、事業家であった大僧正睦賢和尚(パン屋「静養堂」の主人:太田陸賢)が昭和25年に創建した寺(?) 本尊は聖観世音菩薩、他に不動明王・阿弥陀如来・仁王尊・特攻観音をまつる御堂があります。  パン屋の主人は金を持っていたらしく、保有する文化財は関東一といっても過言ではないそうだ。 仏教オタクのパン屋が創った、私設仏教博物館といったところ。、、、、広い大きな境内には、三重塔のほか数々の建物があります。 また、特攻隊の慰霊碑もあり、都会の中の静かなお寺で平和を祈るとともに、英霊の安らかな眠りを祈るほかない場所でないかと思います。、、、、百聞は一見に如かず!

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● 観音寺から裏通りを抜けて、東急田園都市線の「三軒茶屋駅から帰宅、、、、改札から出てくるのは、若い娘バッカシ、なんだ!コリャ! しばし、改札前で“
茫然自失”、顔は“喜色満面”、そして“顔厚忸怩”  何はともあれ、嬉し楽しい駅だ!

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