平和島から西馬込
昨日の続きで、平和島から品川方面に歩こうと思い下車したが、駅を出たら気が変わり西馬込へ向かって歩いた。 1万歩の散歩。
● 京浜急行本線の平和島駅で下車し駅前に出ると、商店街を駅に向かう通勤客とすれ違う。 何となく人の流れに逆らいたくなり、商店街を歩くことにした(もちろん朝なので店は開いてない)
・・・・・・・・・・・・商店街の先は、いつの間にか何処にでもある裏道に変わり、人通りも少ない。 興味を引くものもなく、単調な歩み。
・・・・・・・・・・・・環七通りと補助27号線(=東邦医大通り、沢田通り)が交差する「沢田交差点」に出た。 これより環七通りを西に歩く。
● 環七通りがJR東海道線を跨ぐ「春日橋」を渡る。、、、、環七通りは戦後整備されたが、大田区内の沢田交差点からJRを越えて国道1号馬込交差点までは、昭和12年(1937)に完成している。 東海道線と立体交差する「春日橋」は昭和16年(1941)の完成である。 戦前から、踏切にせず立体交差にしたのは、それだけ交通の要所だったと思われる!
・・・・・・・・・・・・環七通りは、春日橋に続き、池上通りとの交差点に「春日橋陸橋」がある(紛らわしいね!)
● 春日橋陸橋のある春日橋交差点から西へ150m程、「新井宿春日神社」(大田区中央1)がある。 おそらく“春日橋”の名のルーツであろう。、、、、春日神社の祭神は、天児屋根神〔あめのこやねのかみ〕、建御賀豆智神〔たけみかづちのかみ〕、伊波比主神〔いわいぬしのかみ〕の三神。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代の創建と伝えられている。 奈良の春日神社から勧請した。 住宅と商店が混在する旧街道沿いに鎮座する由緒ある神社。 神社前の旧街道は、かつて「奥州街道」、「相州鎌倉街道」、「平間街道」、「池上往還」と呼ばれていた古道である。、、、、現在の本殿は、昭和13年(1938)の建設で、木造春日造りの堂々たるものである。 また、旧本殿という神楽殿は風格がある。
● 春日神社から住宅地の裏道を歩き、西へ向かう・・・・・この辺りは、作家・画家の多くが住んでいた馬込文士村。 私の住む“下町の浅草橋”とは、だいぶ雰囲気が異なるね!
・・・・・・・・・・・・「大田区立龍子記念館」の前に出た。 日本画の巨匠として知られる川端龍子(1885~1966)が、昭和38(1963)に自身の喜寿の記念に、自らの発意と設計によって建てた記念館である。 当初は法人により運営されていたが、平成2年(1990)に記念館と所蔵作品などが大田区に寄贈され公開されている。、、、、私が立ち寄るのは、今日で3回目となる。 何回来ても“良いものは良い!” 内緒だけれど、年寄りは入館料無料、これもいいね! チョイト、拝見していくことにした。
● 龍子記念館をあとにして、坂を上り池上本門寺裏(北側)を歩き、都営浅草線の車両基地を見ていくことにした。
・・・・・・・・・・・・「馬込総合車両基地」に到着。 基地の中央を横切る歩道橋の上から電車を眺めて、ニコニコ・ニヤニヤ楽しそう!
● 車両基地の先には浅草線の「西馬込駅」がある。 我が家の浅草橋駅までは、乗り換えなしの一本! 寝て帰ろ~~
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