赤羽北の北赤羽
またまた散歩に出にくくなってきた。 新型コロナの感染者、東京では連日の3000人超! 気は緩みっぱなしだが、世間の風当たりも強くなりそうで、フラフラ出歩いていると天罰が下りそうだ。
今日は、京浜東北線の赤羽駅から「赤羽北1丁目」の町を歩き埼京線の北赤羽駅まで、駅間の直線距離1.5㎞程。 あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、暑さでまったり、汗でべったり、午前中とは言えども気温は30℃超え、熱中症が心配になり早々と散歩を切り上げた。 1万歩
● 『赤羽駅で降りたら、「赤羽北」の町を歩いてみよう』と、行きの電車の中で計画。、、、、「赤羽北」は北区の北西に位置し、町の北側には新河岸川(下流は隅田川に繋がる)と荒川が流れ、南側には赤羽台と桐ヶ丘の台地があり赤羽北の町はその崖下である。 赤羽北は1丁目から3丁目まであり、JR東北本線側に1丁目、JR埼京線北赤羽駅付近が2丁目、都営桐ヶ丘アパートの西側が3丁目である。、、、、計画では1丁目から3丁目まで歩くつもりだったが、暑さと、短足で、1丁目と2丁目の一部しか歩けなかった。
● 土曜の空いた電車で、赤羽駅は東口に出る、、、、駅の混雑度は、平日の半分の半分以下だ!
● 東口から飲み屋が並ぶ「1番街」を抜けると、東北本線の高架橋脇に、真言宗智山派の「宝幢院」がある。 宝幢院は医王山東光寺と号す。 本尊は薬師如来像。 寛正2年(1461)に開山され、約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興しました。 慶安2年(1649)に三代将軍家光から赤羽根村内に10石余の年貢・課役免除の朱印を付された。 寺伝や浮間の古老の言い伝えによれば、かつてこの寺は、浮間村西野(現:浮間4)にあったが、荒川の氾濫を避けて赤羽に移転した。、、、、“盆”の準備か、本堂前に塔婆を並べ乾かしていた。
・・・・・・・・・・・・境内には、区内最古の寛永16年(1639)霜月18日銘の阿弥陀如来線刻庚申塔があります。 板碑型の石塔本体正面には、阿弥陀如来立像と2猿が線刻され、「山王廿一社」の文字を見ることができる。、、、、他にも、馬持講中(当時馬を飼っていた資力のある村民)の人名を刻んだ馬頭観音塔や、出羽三山供養塔などがあり、この地の歴史を知る貴重な石仏がある。
・・・・・・・・・・・・日光御成道・岩槻街道は赤羽駅の方から北上し宝幢院にぶつかって直角に右に曲って荒川に下りていく。 「宝幢院門前の道標」は、正面に『南 江戸道』、右側面に『東 川口善光寺道 日光岩付道』、左側面に『西 西国富士道 板橋道』と彫られており、ここから板橋道が分かれていたことが判る。、、、、道標の覆いが邪魔して彫りがチョイト読みにくい!
● 東北本線高架橋と宝幢院の間を行き、小さなガードを抜けると、赤羽台のカトリック系女学校「星美学園」の崖下に出る。 この崖下が「北区赤羽北1丁目」である。、、、、星美学園キャンパスの地下には新幹線・埼京線の「赤羽台トンネル」がある。
・・・・・・・・・・・・崖下の道を北へ向かって歩くと、赤羽北の町を東西に貫く「環八通り」に出る。 その角(赤羽北1-4)には、真言宗智山派の寺「満蔵院」がある。 満蔵院は、佛護山光照寺と号す。 満蔵院の創建年代は不詳であるが、天正5年(1577)頃、中興した。、、、、町中の寺で、境内も狭く、本堂は近年の建築、本堂隣の住職の住宅の方が立派に見えた、これ以上コメントなし!
・・・・・・・・・・・・満蔵院の南側に赤羽北保育園があり、その向かい側に大きくはないが、郷蔵跡と言われている「稲荷社」がある。、、、、稲荷社の一角に庚申堂があり、4基の石物がある。 右から、弘法大師供養塔、元禄15年(1702)銘の阿弥陀三尊種子庚申待供養塔、寛文8年(1668)銘の阿弥陀三尊種子千日念仏供養塔、宝永元年(1704)銘の庚申待供養青面金剛立像。 400年程昔の貴重な石物。
・・・・・・・・・・・・稲荷社の前には、星美学園の北側を赤羽台へ上る「稲荷の坂」がある。 案内によると『この坂道は、赤羽北1丁目3・4番先から赤羽台四丁目公園付近まで続きます。道筋としては赤羽根付村と岩淵宿の境付近で日光御成道(岩槻街道)と別れ、袋村を経て小豆沢村へと向かう鎌倉道でもありました。昔は坂を登りきると正面に富士山を望むことができたそうです。坂の名称は特にありませんでしたが、坂の途中にある稲荷社にちなんで稲荷の坂とよばれるようになりました』、、、、坂の上からは、眼下に赤羽北の町を、また遠く荒川の対岸には川口のタワーマンションを望む。
・・・・・・・・・・・・稲荷の坂を上り「赤羽台四丁目公園」の前からは、再び赤羽北へ下る坂がある。(坂の名は?)、、、、坂の先に高架橋を走る新幹線が見える、、、、坂を下り、高架橋を見上げると、「赤羽台トンネル」の坑口がある。
・・・・・・・・・・・・環八通りを横断し、新河岸川に行く。 ここに架かる「中の橋」は、普段、人道橋として柵がしてあり車両は通行できないようだ。、、、、新河岸川は川越市を流れ下り岩淵水門で隅田川に合流する。 この付近では、川の右岸は北区赤羽北1丁目、左岸は荒川と隔てる土手。
・・・・・・・・・・・・土手に上がり川口方面を望む。 JR東北本線の鉄橋が見える、河川敷の木立にかくれ荒川の川面が見えず。
● 赤羽北2丁目に入る、、、、新河岸川の川岸近くは、マンション、都営住宅が建ち並ぶ。 ビルの陰も少なく、頭の天辺はアッチッチ! まだ意識のあるうちに、北赤羽の駅前に到着。
● 住所は「赤羽北」にあって、駅名は「北赤羽」とは、なんともおかしな命名だ!(他人事だ、どうでもいいか)、、、、熱中症が怖いので、北赤羽駅から帰る。