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2021年7月21日 (水)

猛暑は散歩に不向き!

『猛暑は散歩に不向き』、、、、今日の散歩はこの一言であった。

西武池袋線江古田駅から歩きはじめ、直線距離で東へ1.5㎞程先の東京メトロ有楽町線の千川駅まで、1万歩の散歩です。




● 出がけの天気予報では、東京は朝6時に27℃、今日の最高気温は34℃。 35℃以上の「猛暑日」にはならないと信じ、出かけることにした。、、、、口の周囲が蒸れ息苦しいが、マスクをして電車に乗って、江古田駅に降りた。 ホームに立つと強烈な日差しでまぶしい!(車中に、まぶしい美人がいたが、日差しのまぶしさはそれ以上!)、、、、学生は休みになったのか、ホームには人影は少ない。 武蔵野音大側の北口に出るが、歩く人も少ない。 

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● 江古田駅北口正面に「茅原浅間神社(江古田浅間神社)」はある、、、、茅原浅間神社の創建年代は不詳だが、社伝によれば承平元年(931)からと言われている。 社名は、かつてこの辺りは茅原だったことにより、その名がある。、、、、昔、小竹町(神社の北側)と江古田町(神社の南側)の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。 これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。 なお、このあと訪れる、別当寺である能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

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・・・・・・・・・・・・江戸時代の中頃になると、富士講の盛んな上板橋・中新井・下練馬の人々の信仰も集めるようになった。天保10年(1839)には小竹丸祓講の人々により「江古田の富士塚」が築かれた。 高さ8m、直径約30m。 富士塚の頂にある石祠はこの時の建立。 昭和54年(1979)江古田の富士塚は台東区下谷の下谷坂本富士、豊島区高松の長崎富士、川口市東内野の木曽呂富士とともに国の重要有形民俗文化財に指定された。、、、、本殿の後ろに隠れるように富士塚がある。 本日は、登山禁止!

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・・・・・・・・・・・・境内にある、高さ27m、幹の太さ3.1mのケヤキは、“練馬大根”ならぬ“練馬の巨木

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● 「江古田」と云えば“大学の街”、駅の東には「日本大学 芸術学部」、北には「武蔵野音楽大学」、西には「武蔵大学」がある。、、、、チョイト「日本大学 芸術学部」に寄ってみる。 守衛さんが入口で検温中、大学関係者以外は入校できず。 そ~だ!コロナ禍の今、どこの大学も関係者以外構内立入禁止。 今日もあきらめ、キャンパスの外を回る。、、、、日本大学芸術学部は、写真学科・映画学科・美術学科・音楽学科・文芸学科・演劇学科・放送学科・デザイン学科の8学科からなる芸術総合学部。 大正10年(1921年) 、東京神田三崎町に日本大学法文学部内に美学科(芸術学部の前身)が誕生し、昭和14年、板橋区江古田(現在の江古田校舎)に移転した。

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの外周に沿って歩き出したが、気温が上がり大変なことを忘れてた! 『アッ!コンビニで飲料水を買ってない』 駅を出て目の前の神社に気を取られ、大学構内には入れず、水なしで線路沿いを歩く。 どこかで“水分補給”しないと、ヤバイ! 大学東側の住宅地を歩けどもコンビニはなく、自販機でお茶を買う。 命をつないだ気分になり、一安心!

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●  日大の東側(練馬区旭丘2)に真言宗の寺院「能満寺」があった。 駅前の茅原浅間神社の別当寺である。、、、、能満寺は、「元和の頃(1615~1623)、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした。 のち数代を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)再建し、あわせて大日堂を造営した」との記録がある。、、、、寺はあったが、山門手前のゲートが閉じられている。 目の前に山門が見えるが入れない。 『今日は、暑いので寺も休みか? 残念だが、あきらめよう!』

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・・・・・・・・・・・・能満寺に来たのは午前9時、気温は上がり30℃は超えていると思われる。 私の頭の天辺は暑い、汗も出ている、水分摂取より体を濡らしたい! いつもなら、公園か、コンビニか、どこかで、濡れた手ぬぐいで汗を拭くのだが、今日は公園もコンビニもなく手ぬぐいは乾いたままだ! 頭の中を熱中症の恐怖が襲う、どこかに“水道”はないものか? “水分補給”用に買ったペットボトルのお茶で手ぬぐいを濡らし体温を下げる。 これで、再び一安心! 猛暑の中の散歩は、水分補給に体温調節が必須、面倒だ!




● 汗とお茶のミックスで濡れた体の雅万歩、歩みは元気で、豊島区に入り都立千早高校の前に出てきた。 日陰になった学校側の歩道を歩く。 学校のフェンスの脇に「千早庚申塔」がある。、、、、しっかりとした台座の上に4基ある石造物の内、左側の大きな三基が庚申塔。掲げられた由緒によると、この庚申塔はかつて千川上水にかかる橋(庚申橋)の脇に祀られていた。 併し昭和40年から50年代前半にかけて、千川通り周辺で道路の拡張や建物の建て替えなどの工事が行われているうちに、いつのまにか行方不明になってしまった。 その後、豊島区外(練馬区北大泉)の山林に放棄されていたのが発見され、現在地に戻されたが、元々橋際にあった5基の内1基(庚申塔)はみつからなかった。、、、、よく見つかったと思うね。

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● 太陽はギラギラ、身体は汗でビショビショ・グシャグシャだ! チョイト、万歩計を見ると、1万歩クリヤー! 熱中症が怖いので、「千川駅」から帰ることにした。、、、、東京メトロ千川駅は昭和58年(1983)6月24日、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通により同時開業。 平成20年(2008)には副都心線の駅も開業。、、、、千川駅は上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 要町通りの直下にある。 現在の副都心線ホームは有楽町線建設時に既に構築済みであったが、副都心線開業までは未供用(通過)とされた。このため、有楽町線ホームから副都心線ホームへの階段用スペースは蓋で覆われていた。、、、、駅の近くには、飲食店も多く、スーパーや商店街もあり、池袋へは2駅、生活するには良さそうだ。

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