青い目のお不動さん
年とったせいか目覚めが早く、今朝も4時半に目が覚める。 外を見るとめずらしく雨が降っていない。 『コリャ、久しぶりに散歩ができそうだ』と、あらためて天気予報で確認。 鹿児島は大雨警報が発せられたが、東京は熱中症警戒情報が出ている。 新型コロナに熱中症、『まあ、何とかなるだろう!』と、散歩に出る! 行先は?、、、、『三軒茶屋、続きだ!』
東急田園都市線の三軒茶屋駅から、北に向かって、小田急線の下北沢駅まで、1万歩の散歩。
● 『十日間のご無沙汰でした。 忘れないでね、雅万歩でございます』、、、、雨で散歩を休んでいたら、その間、脚は弱り足がつり、体重は減り腹はへっこみ、腰は痛み整形外科に、今日の散歩は、お供に腰の湿布とコルセット、、、、二回のワクチン接種も終わり、チョイト混んだ電車も強気で安心。
・・・・・・・・・・・・土曜日の早朝のせいか、若い女性も少なく、楽しくない電車に乗って、三軒茶屋で下車する。
・・・・・・・・・・・・玉川通り(国道3号)から世田谷通りが分岐する二股の角にある三軒茶屋駅出口から外に出る。 この出口の脇に、不動明王が乗った「追分道標」がある。 この道標は寛延2年(1749)に建立され、文化9年(1812)に再建されたもの。 正面に【左相州通大山道】、左側に【此方二子通】、右側に【右富士、登戸、世田谷通】 と刻まれてる。 道標のある場所は「三軒茶屋」と呼ばれ賑わった場所で、この付近に石橋楼・角屋・田中屋の三軒の茶屋が実在したそうだ。
● “三軒茶屋と言えば目青不動”、これ、昔の江戸っ子の常識(?)、、、、ここ三軒茶屋に来たら、「目青不動」に参ることにした。 東急世田谷線三軒茶屋駅西口(踏切側)に山門がある。
・・・・・・・・・・・・こちらの三軒茶屋駅西口の斜め前に、「最勝寺教学院不動堂」の山門がある。
・・・・・・・・・・・・天台宗寺院の教学院は、竹園山最勝寺と号します。教学院は、慶長9年(1604)江戸城内紅葉山に創建、後に赤坂三分坂、継いで青山南町4丁目へ移転、当地へは明治41年に移転した。 貞享4年(1687)には相州小田原城主大久保加賀守の菩提寺となる。 明治15年(1882)、廃寺となった観行寺の本尊であった江戸五色不動の「目青不動」を移したことから、青山のお閻魔さまとも称されたといいます。、、、、本堂は樹木の陰で存在感が薄い。
・・・・・・・・・・・・江戸五色不動の「目青不動」を閻王殿に祀っている。、、、、観行寺の本尊であった不動明王像は、円仁(慈覚大師)の作と言われている。江戸五色不動の1つの目青不動は、秘仏とされ公開されていない。前立ちの青銅製不動明王像は寛永19年(1642)の作である。、、、、目青不動の隣りに閻魔像が祀られている。 内部は薄暗く、仏壇前の金網が邪魔し像が見ずらい! 秘仏の青い目をした異人のお不動さまを見たいものだ!
● 目青不動の教学院をあとに、三軒茶屋と下北沢を結ぶ「茶沢通り」をしばらく歩く。
・・・・・・・・・・・・茶沢通りから東に入り真言宗豊山派の「円泉寺」(世田谷区太子堂3)に寄っていくことにした。、、、、円泉寺は、聖王山法明院と号し、賢恵僧都が大和国久米寺から聖徳太子像と十一面観世音を背負って関東に下向し、文禄4年(1595)当地に円泉寺を創建した。 太子堂(中は覗けず、残念)に安置されている聖徳太子像は弘法大師の作と云われ、当地名「太子堂」の由来である。
・・・・・・・・・・・・円泉寺の西側、境内脇の路地の奥に「林芙美子旧居」がある。、、、、案内板には、『林芙美子旧居 (太子堂三丁目29) 此の路地奥の二軒長屋は、林芙美子の不遇時代の寓居です。その一軒には壷井繁治・栄夫妻が住み、若い頃の平林たい子も度々訪れました。芙美子の処女作「放浪記」には、この頃の太子堂での生活の一こまが描かれています。壷井栄の「はたちの芙美子」にも当時の生活が記されています。芙美子のすぐれた文学性が磨かれた場所として文学史上、記念されるべき場所と言っていいでしょう。 昭和47年3月 世田谷教育委員会』と記されてる。、、、、近所の御老人によると、この建物、実は三軒長屋で造られ、その後二軒に改築されたそうだ。、、、、写真1枚目:中央茶色の建物が林芙美子旧居、写真2枚目:手前白い建物と奥の茶色の建物は棟続きの長屋。
● 再び茶沢通りに戻り、淡島通りと交差する代沢交差点から200m程北に歩くと、茶沢通りに面して小堂がある。 堂の中には、舟形浮彫りの地蔵で、像右に「光明真言 女中講」、像左に「天明元年辛丑年十月吉日」と刻まれた「女中講地蔵尊」が祀られている。 願主は「治左衛門母」とある。、、、、“光明真言”とは、真言宗で最も大切なお経のこと。 “女中講”とは、江戸時代の地蔵信仰は小さな村単位で講を作り、そのグループ内の女子で寄り合って結成した信仰集団。 現在のママ友集団と思えばよい。、、、、この地蔵さまは、ママ友集団により、天明元年(1781)に造立され、その代表は治左衛門のママだったのか?
● 代沢3丁目の浄土宗寺院「森巖寺(しんがんじ)」にもお立ち寄り、、、、森巖寺は八幡山浄光院と号す。森巖寺は、家康の二男:結城中納言秀康が帰依した越前国一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼、万世和尚の弟子孫公和尚が結城中納言秀康卿の位牌所として、慶長13年(1608)当地に創建した。、、、、下北沢に近いとは思えない静かな雰囲気の森巖寺。 寺は質素であるが、歴史を感じる雰囲気だ!
・・・・・・・・・・・・森厳寺の墓地には、昭和30年代に八波むと志・南利明と「脱線トリオ」を結成し、その後、多くの映画・TVにも出演した、喜劇俳優の由利徹(本名:奥田清治、日本喜劇人協会会長)が眠っている。、、、、名実共に(?)好色家の喜劇役者で私を楽しませてくれた、チョイト、手を合わせてきた。
・・・・・・・・・・・・森厳寺の東側には、かつて森厳寺が別当であった「北澤八幡神社」がある。 こちらにも、チョイトご挨拶を!
● 森厳寺と北澤八幡神社の間の通りを下北沢の方に歩いていくと、昭和11年(1936)創立のプロテスタント教会「富士見丘教会」の前に出た。、、、、教会の建物は昭和12年(1937)に建てられた木造2階建て。 設計は加藤俊一、施工は加藤建築株式会社。 白い壁と緑の屋根がただいまさな教会。 国の登録有形文化財、、、、只今、コロナにより教会は閉じられ立入禁止、礼拝もできない、残念!
● 来るたびに騒々しくなっていくように感ずる駅周辺。 年寄りにはチョイト不向きかも? そんな街の中に下北沢駅があるように感じる、、、、散歩はここまで!
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