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2021年8月

2021年8月31日 (火)

荒川で足慣らし

アリャリャ、いつの間にか8月も末となり夏休みも終わりだ! 今月は四回目の緊急事態宣言が発せられ、しばらく我が家で“おとなしく自粛生活”。 前回の散歩から約20日が過ぎ、足の衰えが気になり、今日はチョックラ足慣らしの散歩をしてきた。

コロナを避け、京成四ツ木駅から荒川土手を歩き、総武線新小岩駅まで、1万歩の散歩です。




● 早朝の浅草橋に秋風が吹き、久々の地下鉄乗車は心浮き浮き。 青砥行きの空き空き電車で四ツ木に向かう。

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四ツ木駅到着、時刻は7時半。 駅前商店街を、これから出勤の人が来る。 駅前でチラシを配る某党の人。 アレ、都議会選挙は終わったばかりだが、今度は?・・・・自民党の総裁選挙か?

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● 四ツ木駅は都心の方から来ると、荒川を越え、平行して流れる綾瀬川を越えるとすぐにホームがある。 荒川と綾瀬川の間には、両川を隔てる土手がある。 四ツ木駅からこの土手に上がると、この景色を一望できる。、、、、写真中央が、右側(東側)の綾瀬川と左側(西側)の荒川を隔てる土手。 京成押上線は荒川をトラス橋(写真左側)で越え、引き続き綾瀬川を越えると首都高速中央環状線(写真右端)の下に四ツ木駅がある。

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・・・・・・・・・・・・京成押上線の荒川橋梁から約190m下流側に木根川橋(きねかわばし)が架かっている。 昭和42年(1967)に着工し、昭和44年(1969)2月に完成した、長さ466mの美しいトラス橋。 墨田区八広と葛飾区東四つ木を結んでいる。、、、、さだまさし作詞・作曲の『木根川橋』の舞台である。 私には、戦後、高度成長期の下町(倍賞千恵子の『下町の太陽』)を思い出させる橋だ! 

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・・・・・・・・・・・・葛飾区四つ木の町で洪水が発生したとき、荒川の土手上に避難できるように綾瀬川に架けられた「東四つ木避難橋」、、、、真正面にスカイツリーが見える、絵になる橋。

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・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、コロナ感染を避け、歩く人の少ない、この荒川左岸の土手上をのんびり歩く。 新小岩に向かい、右手には荒川とスカイツリーが見つめてる! 左手は綾瀬川に首都高速!

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・・・・・・・・・・・・向かう先には、首都高速の「かつしかハープ橋」と「上平井水門が待っている。

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・・・・・・・・・・・・上平井水門の上流側に中川と綾瀬川の交流地点がある、そこに建設された水門。 水門は、台風などの大雨で高潮や津波が発生して河川の水位が上昇した際に、遡上により水害が発生するのを防ぐ役割があります。 上平井水門は昭和45年(1970)に、当時の金額で約23億円、期間約3年9ヶ月をかけて完成。 中川と綾瀬川は、荒川と江戸川とに挟まれた葛飾区と江戸川区の低湿地帯を流れる排水河川です。 上平井周辺は特に地盤が低く、約7.5km離れた東京湾で生じた高潮により水害が発生するため、水門が建設されました。、、、、写真は、かつしかハープ橋の直下にある手前の綾瀬川と奥から流れ「上平井橋」の下を流れ交流する中川。(綾瀬川はココまで、これより下流側は中川)

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・・・・・・・・・・・・上平井水門から約160m下流側に、荒川と中川をつなぐ「中川水門」がある。、、、、荒川の水が中川に逆流して水害が起きることを防ぐために造られた水門。 旧中川水門は大正13年(1924)に竣工し、平常時は対岸の木下川水門とともに新旧中川の舟運に利用されていた。、、、、現水門は昭和57年(1982)の完成(施工:大林組)

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・・・・・・・・・・・・かつしかハープ橋からは、首都高速は荒川と中川の間の土手上を走る。

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・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りがとおる「平井大橋で、土手歩きは終了し、新小岩駅へ向かう。、、、、その平井大橋を中川岸の高層住宅から眺める。 絶景かな絶景かな!

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新小岩駅到着。 久しぶりの散歩で、やっぱり足が疲れた、衰えた!、、、、早く、緊急事態宣言解除になってほしいね!

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2021年8月17日 (火)

自粛中です

連日多くの感染者を出している新型コロナ。 非常事態宣言下の東京に住む、めっぽう暇な高齢者の一人として、不要不急の外出は避け我が家で自粛生活中。 しばらく、散歩に出られそうにないね!

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若い頃なら、この機会、“少子化対策”の五つ子作り、頑張るぞ!、、、、今は、アイス舐め舐め、二人でごろ寝!

2021年8月12日 (木)

新神谷橋にリベンジ

今朝6時の天気予報で東京の“最高気温”は29℃と表示。 アレ、“現在の気温”の間違いでは? 早速、外に出てみると、なんと爽やかな風が吹いている。 コリャ、秋風か? 再び、TVで他チャンネルに切り替えて天気予報を確認すると、間違いなく東京の最高気温は29℃と表示されていた。 空模様は、午前中は曇り、午後は雨。、、、、ヨシ、これは散歩のチャンスだ! 今日は熱中症の心配なし、コロナだけ心配すればヨシ、妻に一言『これから散歩してくる!』

今日の散歩は、前々回のリベンジで、東十条駅からおおむね環七通りに沿って北東に向かい、新神谷橋を渡り足立区に入り、引き続き鹿浜橋を渡り荒川を越えて、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅まで、1万2千歩の歩き。




● 朝7時半、JR東十条駅で下車し、まずは、環七通りに出て新神谷橋を目指す。

・・・・・・・・・・・・東十条駅北口から歩き始める。、、、、駅を出ると、一応心配なので、空を仰ぎ『雨よ降るなよ!』 

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・・・・・・・・・・・・駅から「環七通り」(=都道318号)までは300m程。、、、、「環七通り」は浅草橋の我が家を中心に(?)、半径10㎞の円を描くように、東京都大田区平和島を基点に、目黒区、世田谷区、杉並区、練馬区、北区、足立区、葛飾区と巡り、江戸川区臨海町に至る都道。 冗談でなく本当に、我が家を中心にして環七のいずれの地点も10㎞程、散歩には調度良い距離にあり、このブログ「雅万歩」には度々登場する道路である。 今日も、この道路沿いに歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・東十条駅から10分程歩くと、環七通りに面し「飯田産婦人科医院」の建物がある。 昭和レトロ感たっぷりの木造2階建ての建物。 今の時代、出産はシャレたクリニックか病院が大半だろうと思うが、昭和の時代までは、家に産婆を呼んで出産か、町の産婦人科で分娩したものだ。 その、昭和の雰囲気を残す産婦人科医院の一つがここ「飯田産婦人科医院」 私はこの医院に世話になることはないが、聞いた話では、内部も昭和の雰囲気を残しているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・前々回(8/7)の散歩では、あまりの暑さで熱中症が怖く、ここより先へ歩くことを断念した、宮堀交差点の「神谷陸橋」に来た。 今日はこの先:新神谷橋、鹿浜橋を目指し歩く。

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● 神谷陸橋の先には「新神谷橋」が続く。 新神谷橋は隅田川に架かり、北区神谷と足立区新田を結ぶ。 岩淵水門の管理橋を別とすれば、隅田川最上流の橋である。、、、、もともと「宮堀の渡し」があった処である。 現在の位置より100mほど下流側の神谷堀に昭和2年(1927)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があり、のち昭和25年(1950)に鋼桁橋として改架された。 新しく隅田川に架けることとなった当橋はこの名称にちなむ。 昭和52年(1977)に神谷堀が埋め立てられ廃橋となったことから、現在は神谷橋は現存しない。、、、、  昭和40年(1965)2月12日の創架当初は仮開通状態で、片側1車線の幅員10.5mであったが、昭和42年(1967)2月にはすぐに追加の拡幅工事が行われ、現在の幅員となった。、、、、現橋は、橋長 153.1m、幅員 20.0m、プレートガーダー橋。、、、、橋の両側とも、歩行者が渡るためには急な階段を上る必要があり、年寄りにはキツイ! もう少し歩行者に優しい橋にしてもらいたいね。

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● 新神谷橋を渡り足立区側に入ると、橋の下におりる階段がある。 下りると北側に小さな寺「妙喜庵」(日蓮宗、天明年間(1781~1789)の創建)がある。 寺の入り口脇に「新田小学校発祥の地」と彫られた黒御影石の碑が建っている。  明治16年(1927) ここ妙喜庵に鹿浜小学校の分校が開設された。 鹿浜と新田は荒川を挟み対岸の町であるが、同じ足立区内の町である。 明治時代にはまだ荒川はなく地続きの町であった。 (荒川放水路〔=現在の荒川〕が完成したのは昭和5年)  鹿浜小学校の分校は、昭和23年(1948)に独立し「新田小学校」となった。、、、、なんといっても、小さな寺(平屋の住宅風)で、ここが発祥地とは驚き、桃の木、山椒の木!

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● 環七通りを鹿浜橋に向かい歩く。 鹿浜橋を渡るため、荒川土手に上る手前に、「都営新田一丁目アパート」がある。 この団地は昭和44年(1969)に建てられ半世紀が過ぎた。 12号棟(約590戸)あったうちの5棟は解体済で、跡地には14階建てと9階建ての2棟の住宅(約420戸)が建てられるそうだ。、、、、ところで、この建て替え工事は荒川堤防を高規格堤防にする事業の一つで、現在アパートが建つ敷地をかさ上げし現堤防と一体化し、補強・強化した後、その上に建てるそうだ。 荒川堤防の高規格化は、荒川の氾濫による東京下町の浸水を防ぐ目的で、練馬区あたりから江戸川区まで荒川の両側の堤防について改良・強化がすすめられている。、、、、今日は、まだ取り壊されず残っている棟を見てきた。、、、、住んでいるのは、お年寄りばかりか? すれ違う人は全て老人、停まっている車はデイサービスの送迎車数台と車いすの老人を乗せるタクシー。 公園には人影はなし!

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● 「鹿浜橋」は荒川に架かり、環七通りを通す橋。 南岸の足立区新田と北岸の足立区鹿浜を結ぶ。 昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.3m。、、、、橋から見る上流側には、川口の町が一望でき、眺めは良い!

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● 日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅を目指し、環七通り(都道318号)をひたすら東へ歩く。

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● 西新井大師西駅に近づいてきた、チョイト北側に入ると、都営 上沼田第3アパート」、「UR 江北六丁目団地」、「西新井大師西駅」と連続する。 団地内を失礼して駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・昭和40年代後半に建てられた「都営 上沼田第3アパート」(604戸)は、50年以上経過したため、都は段階的に建て替えることとなり、現在は建て替え工事が進められている。、、、、団地の案内板は赤錆て見えない! 店舗は全てシャッターが下りてる、廃業か?空き店舗か?

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・・・・・・・・・・・・「UR 江北六丁目団地」は昭和46年(1971)に完成した、総戸数 860戸の旧住宅公団の団地。 現在は日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅の真ん前に位置し、便利この上なし!

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・・・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナー「西新井大師駅」、、、、その名のごとく西新井大師(総持寺)の最寄り駅と思いきや、駅から寺までは約1㎞、徒歩15分は要する。 参拝時に、失敗しないように、要注意!

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2021年8月11日 (水)

あゝ上野駅

メダル58個の輝かしい成果で終わったオリンピックの後は、新型コロナとの戦いが残っている。 私も高齢者の一人として不要不急の外出を避け自粛中。 コロナ感染と熱中症が怖いのと、これからは秋雨前線が停滞し長雨となりそうで、しばらくの間、散歩の機会が少なくなるかも?

今日は3ヵ月毎の泌尿器科の定期検診日、上野の病院で受診後、30℃超えの猛暑の中で、不忍池で蓮の花を見てきた。




● 病院は昭和通りを挟み「上野駅」と反対側。 昭和通りに架かる歩道橋を渡ればスグに駅である。、、、、上野駅は日本初の私鉄である日本鉄道が、上野~熊谷(現:東北本線)の開業に伴い明治16年(1883)に開設した駅。 その後、明治39年(1906)には国有化された。 現在の駅舎は、昭和7年(1932)に完成した、鉄道省時代の建物である。 鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て、上野の山の斜面を利用し、山下に造られた駅舎で、シンプルな正面玄関(浅草口)は昭和通りに面している。 当時、東京駅に次ぐ規模を誇った上野駅は鹿島組(現:鹿島建設)の施工で、総工費207万円で竣工した。  昭和初期の207万円、現在の価値に換算すると150億円ぐらいかも、正確なことは判らん!?

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・・・・・・・・・・・・広小路口を出ると歩道脇に「あゝ上野駅」の歌碑がある。、、、、平成15年(2003)に原田政彦(=ファイティング原田)を会長とする有志が建てた歌碑である。 「あゝ上野駅」とは高度成長期真っ只中の 昭和39年(1964)に大ヒットした井沢八郎が歌った歌謡曲。 歌碑のレリーフに描かれているように、当時は東北地方などから『金の卵』と呼ばれた集団就職者が夜汽車に揺られ東京を目指して期待と不安を胸に抱きこの上野駅に降り立ち、引率者に連れられるままそれぞれの就職先へと散って行ったのである。 その集団就職者達の心情を歌った曲が「あゝ上野駅」だ。、、、、当時、高校三年の私には集団就職の経験はないが、この歌は昭和時代を語るに、かかせない一曲である。 高度成長期、皆んな一生懸命生き抜いた時代の歌で、今は、当時を懐かしみ、思い出に涙ぐむ歌となった。、、、、♪♪ どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった ♪♪ 

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不忍池では、蓮の花が咲いている、、、、丈が1m以上に伸び、広い池の水面を一面覆い隠している。

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2021年8月 7日 (土)

熱中症が怖い!

東京の新型コロナ感染者数はここ数日4千人超え。 医療は崩壊に近く、感染しても入院できないかも? また、連日の暑さは熱中症の危険度を高め、救急隊をより一層忙しくする。 救急車呼んでもスグ来てもらえないかも? こんな時期に、年寄りがフラフラ散歩して倒れたら、“人様にご迷惑をかけるだけ”、、、、『しばらく散歩は自粛する』と、毎日、神に誓うのだが、朝起きると『今日は台風の影響で涼しいかも? 雨が降る前に、チョッピリ散歩しようかな?』

赤羽駅から東南へ向かい、新神谷橋で隅田川を渡り、鹿浜橋で荒川を渡り、西新井方面に向かう予定で家を出た・・・・・




● 朝7時半、赤羽駅で降りた。 オリンピック閉会前の土曜日、人出は少ない! 駅前の気温はすでに29℃、日差しがまぶしい! 

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● 駅の東側、飲み屋街を抜け、神谷橋方面に向かうことにした。、、、、昭和40年代のイメージを懐かしみ、街に入ってみたが、キャバレー「ハリウッド」は取り壊され、跡地にはホテルを建設中であった。 この辺りには数件のキャバレーがあった、いつの間にか「ハリウッド」が都内最後のグランドキャバレーとなり、平成30年(2018)12月30日に幕を下ろしたそうだ。 思い出した「オーナーの福富太郎、常連客のみのもんた」、名はスグ思い出したが顔が出てこない、アレアレ私も年とった!、、、、ハリウッドを重要文化財に指定しておけばよかった!

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・・・・・・・・・・・・街を抜けると、「赤羽駅から徒歩約3分」の処に「性病科」の看板が見える。、、、、戦後しばらくの間は、省線電車の窓から「性病科」の看板を目にすることが多かった。 いつの間にか、看板を見る機会も減り、今日は看板に懐かしさを感じた。 大村崑の「オロナミンC」の看板を見た時の感動と同じ!

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● 時刻は8時半、頭のテッペンが熱くなりはじめた。 気温30℃、湿度も高くムシムシする。 熱中症が心配になる。 “水”を求めて「北運動場」(北区神谷2)の水飲み場へ直行、頭から水をかぶり、顔を洗い、首に水でひたした手ぬぐいを巻き、再出発!、、、、運動場前から、鉛筆型の煙突らしきものが見える、行ってみよう!

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● 高さ約120mの煙突は「北清掃工場」のもの、、、、北清掃工場は北区志茂に、平成10年(1998)から本稼働した清掃工場。 この清掃工場は建築家で、早稲田大学理工学部教授:石山修武の設計による。 石山修武は、昭和60年(1985)に南伊豆の松崎町の「伊豆の長八美術館」を設計して吉田五十八賞を受賞、平成8年(1996)には「ヴェネチアビエンナーレ建築展」で金獅子賞を、そして平成11年(1999)には織部賞を受賞。、、、、北清掃工場は敷地面積:約19,000㎡、工場建設費:335億6千5百万円、焼却能力:600トン/日。

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・・・・・・・・・・・・北清掃工場のあるこの場所に、大正6年(1917)から大正10年(1921)の間、あったのが「赤羽飛行機製作所」。ここでは、飛行場やパイロット養成場も有し、エンジンから部品・機材まで一貫して製造する国内初の飛行機工場であった。、、、、飛行機工場が清掃工場に変身!




● 北清掃工場の南側に都営神谷三丁目第二アパートがある。 昭和43年(1968)から順次建てられた、総戸数437戸の都営住宅。、、、、チョイト、11階から夏空の下の赤羽・川口方面を展望する。 眼下の町は「北区志茂」。

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● 北区神谷3丁目、真言宗智山派の寺院「神屋山専福寺」に立ち寄る。 創建年代は不詳だが、古い墓石が多く残っており、江戸時代初期のものもある。 本尊は不動明王。、、、、遠い昔は尼寺だったらしい。 

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● 新神谷橋を目指し橋の西側「宮堀交差点」の手前に来ると、真言宗智山派寺院「自性院」がある。 自性院は常住山と号す。 自性院の創建年代は不詳であるが、江戸時代末期には創建されていた。 境内には、数多くの石仏や庚申塔がある。 

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● 時刻は9時、「宮堀交差点」に来たが気温は30℃超え暑い。 何となく、救急車のお世話になりそうな予感! ここで、熱中症になって世間の笑い者になるのはイヤだ! この交差点を越えれば新神谷橋なのだが、ここで先に進むのはあきらめ東十条駅に向かうことにした。 

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● 熱中症を避けて、「北本通り」から「東十条商店街」(東十条銀座)に入る。、、、、東十条駅に近づくにつれ、商店街も賑やかになる。 通りには、万国旗が掲げられ昭和レトロを感じる。

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・・・・・・・・・・・・商店街の中程に、演歌専門の有名なレコードショップがある。 店頭では、かなりの頻度で演歌歌手による「唄とサイン会開催」が開かれている。 今日は誰が来るのかな(?)と思いつつ、店頭のポスターを眺める。

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● 「東十条駅」に無事到着、熱中症にならず良かった!、、、、今日の散歩は、熱中症に脅かされ、途中でルートも変わり、9千歩となった。

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2021年8月 2日 (月)

北赤羽から赤羽北へ

一昨日中途半端に終わった「赤羽北」の町歩き、今日はその続き、、、、ということで、北赤羽駅からスタートし、赤羽北二丁目の残りと、赤羽北三丁目を歩き、赤羽駅まで1万3千歩の散歩。 




● 今日からは、一都三県ともに「緊急事態宣言」下に入った。 しかし、私の気持ちは緩み、“ワクチン打ったしマスクしてるから大丈夫だ~~!”、、、、朝7時半、埼京線「北赤羽駅」に降り立つ。

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● 『まずは赤羽北二丁目の町を制覇するぞ!』と、駅の南側「環八通り」沿いを往復する。


・・・・・・・・・・・・駅から、対岸(北区浮間)にマンションや団地が並ぶ、新河岸川堤防沿いに歩いてみる。 私が歩く赤羽北二丁目にも、URの「赤羽北二丁目ハイツ」(戸数245戸)が3棟並んでる。

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・・・・・・・・・・・・赤羽北二丁目の南端、新河岸川の岸に浮間中央病院がある。 その病院の隣りに「袋村の水神宮」がある。 ここは新河岸川で袋河岸の跡。 昔、船主が水難事故から守って貰うために祀ったのだが、水害除けの水神宮へ変わったそうだ。、、、、“袋村(ふくろむら)”とは、現在の赤羽北一帯の旧村名。 “袋”の名は、地形が袋状にいり込んで窪になっていることに由来するそうだが、はて?何処が袋なのか? 現在、“袋”の名は、小学校、公園など、公共施設に残るのみ。

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・・・・・・・・・・・・赤羽北二丁目の中央を東西に貫く環八通りを横断し、環八通りの南側を戻るように歩く。

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・・・・・・・・・・・・“袋村”の名が残る北区立「袋小学校」、、、、全生徒数 約400名、、、、今日はプールの日か? 何人か登校してきた。

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・・・・・・・・・・・・袋小学校を囲むようにたつ、総戸数521戸、URの「赤羽北二丁目団地

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・・・・・・・・・・・・諏訪神社のある崖下の道路傍(赤羽北2-11)、小さな墓地の囲塀の前に「旧秋田院薬師堂跡地」の標柱が建ててある。 標柱には真頂院(北区赤羽3-16-3)持とある。 後ろの墓地は、田舎ではよく見られる屋敷墓地、都内では珍しい。 崖の上の諏訪神社も別当は真頂院。、、、、、ここいら一帯を仕切っていた寺が真頂院かも? ところで、旧秋田院薬師堂とは何か? 調べてみたが、サッパリ判らん! 謎の名所旧跡?

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● これより「赤羽北三丁目」を歩く。 赤羽北三丁目は二丁目の南側崖上に広がるっている。 三丁目の中央を「諏訪通り」が貫き、諏訪神社

から、西の志村坂上(板橋区:中山道)の方に伸びている。


・・・・・・・・・・・・まずは、崖下の赤羽北二丁目と崖上の赤羽北三丁目を結ぶ坂道6本を、一挙大公開! 北側から順に紹介

①大型車両も通れる諏訪神社前の「宮の坂」、、、、謂れは、坂の説明書きより、『坂の名前にある「宮」は、この地域の旧村名である袋村の鎮守、諏訪神社のことを指しており、坂道はこの神社の参道を経て赤羽方面へと抜けていきます』

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②諏訪神社裏の住宅の脇から、赤羽北2-11へ下る階段坂。 名は無い

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③赤羽北3-6の老人ホーム「赤羽北さくら荘」の北側にある段々の坂道で、袋小学校の前に下る「殿山の坂」。 “殿山”は坂上の旧地名。

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④「袋町公園」から下る階段坂。 ゴメン、名は知らない!、、、、公園前から、崖下の赤羽北二丁目を望める。

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⑤「袋町公園」西端から下る坂、その名は「念仏坂」、、、、かつては、細い淋しい坂で、坂の上には真頂院持の墓地があったそうだ、坂の名はその故か。

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⑥赤羽北三丁目と板橋区小豆沢四丁目の境を北東に下る坂。 坂名の「ふか坂」は、うっそうとした樹木におおわれて、谷深い中を蛇行している坂であったことによる。 坂を下って北へ行くと、かつての袋村河岸があった。 この坂は袋村河岸から中山道への通路にあり、馬坂とも呼ばれたそうだ。、、、、赤羽北二丁目側から上ってくると、左側には大型集合住宅「東京メガシティ」が威容を見せる。 5棟863戸が暮らす街。

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● 宮の坂にある「諏訪神社」(赤羽北3-1)、、、、諏訪神社は、真頂院初世秀善和尚が信州諏訪大社を勧請して応永3年(1396)に創建、江戸期には袋村の鎮守社だった。

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・・・・・・・・・・・・宮の坂を挟み、諏訪神社鳥居前に「袋村の庚申待供養塔群」がある。、、、、実は、この庚申塔群のある高台は、諏訪神社の参道の一部である。 庚申塔群のある位置と神社の鳥居を結ぶ位置にかつて参道があった。 しかし、宮の坂が拡張されたとき、参道を切通しで抜けることにより、坂の勾配を緩くしたそうだ。、、、、この参道には、最も右側にある塔を除いた計4基の青面金剛立 像庚申待供養塔がありますが、これらは元禄16年(1703)から天明5年(1785)までの間に造立されたものである。、、、、いずれも彫は深く、状態も良く、見ごたえある庚申塔。

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・・・・・・・・・・・・諏訪神社社殿の脇に、几号水準点もどきがある。、、、、これは、内務省がそれまでに荒川筋に既設した水準点を補完する目的で、昭和5年(1930)に新に荒川筋に設置された15ヶ所の、水準点のひとつである。 諏訪神社境内の水準点標石のそれぞれの面には、「内務省」「昭和5年」「荒川」「不BM1」と刻まれている。 「不」の字に見えるマークは「几(き)号」といって、「不」の字の横棒が標高を表します。「B.M」 とは、水準点を表す英語「ベンチマーク」の頭文字で、その後の1は1号を表し、「荒川1号水準点」という意味になる。 記録によれば、諏訪神社境内の基準点を1号とし、荒川の上流方向に向かって水準点の設置が行われているそうだ。、、、、明治期に設置した几号水準点とは別物らしい?

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● 諏訪神社から志村坂上方面に伸びる「諏訪通り」を歩き、JR赤羽駅へ向かう。

 

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