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2021年8月11日 (水)

あゝ上野駅

メダル58個の輝かしい成果で終わったオリンピックの後は、新型コロナとの戦いが残っている。 私も高齢者の一人として不要不急の外出を避け自粛中。 コロナ感染と熱中症が怖いのと、これからは秋雨前線が停滞し長雨となりそうで、しばらくの間、散歩の機会が少なくなるかも?

今日は3ヵ月毎の泌尿器科の定期検診日、上野の病院で受診後、30℃超えの猛暑の中で、不忍池で蓮の花を見てきた。




● 病院は昭和通りを挟み「上野駅」と反対側。 昭和通りに架かる歩道橋を渡ればスグに駅である。、、、、上野駅は日本初の私鉄である日本鉄道が、上野~熊谷(現:東北本線)の開業に伴い明治16年(1883)に開設した駅。 その後、明治39年(1906)には国有化された。 現在の駅舎は、昭和7年(1932)に完成した、鉄道省時代の建物である。 鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て、上野の山の斜面を利用し、山下に造られた駅舎で、シンプルな正面玄関(浅草口)は昭和通りに面している。 当時、東京駅に次ぐ規模を誇った上野駅は鹿島組(現:鹿島建設)の施工で、総工費207万円で竣工した。  昭和初期の207万円、現在の価値に換算すると150億円ぐらいかも、正確なことは判らん!?

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・・・・・・・・・・・・広小路口を出ると歩道脇に「あゝ上野駅」の歌碑がある。、、、、平成15年(2003)に原田政彦(=ファイティング原田)を会長とする有志が建てた歌碑である。 「あゝ上野駅」とは高度成長期真っ只中の 昭和39年(1964)に大ヒットした井沢八郎が歌った歌謡曲。 歌碑のレリーフに描かれているように、当時は東北地方などから『金の卵』と呼ばれた集団就職者が夜汽車に揺られ東京を目指して期待と不安を胸に抱きこの上野駅に降り立ち、引率者に連れられるままそれぞれの就職先へと散って行ったのである。 その集団就職者達の心情を歌った曲が「あゝ上野駅」だ。、、、、当時、高校三年の私には集団就職の経験はないが、この歌は昭和時代を語るに、かかせない一曲である。 高度成長期、皆んな一生懸命生き抜いた時代の歌で、今は、当時を懐かしみ、思い出に涙ぐむ歌となった。、、、、♪♪ どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった ♪♪ 

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不忍池では、蓮の花が咲いている、、、、丈が1m以上に伸び、広い池の水面を一面覆い隠している。

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