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2021年9月

2021年9月28日 (火)

役者寺

都営新宿線の篠崎駅から、首都高7号線沿いに歩き瑞江(みずえ)の町に入り、明和橋通りを歩き、大雲寺、瑞江葬儀所に寄る。 新中川を明和橋で越える。 川の先は新宿線の一之江駅。 1万2千歩の散歩です。




● 都営新宿線「篠崎駅」は、昭和61年(1986)9月14日に開業した。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 ホームは駅ビルの地下にあり、駅ビルにはスーパーの「ライフ」、ベーカリー、クリーニング店、公共施設の図書館やカフェ等がある便利そうな駅だ!、、、、浅草橋の我が家からここ篠崎駅までは、乗換案内で調べると、①浅草橋→(浅草線)→馬喰横山→(新宿線)→篠崎のルートで、所要31分、料金272円 ②浅草橋→(総武線)→本八幡→(新宿線)→篠崎のルートで、31分、398円 どちらのルートでも所要時間は同じ、料金は都営線のみの方がお得。 私は、年間乗り放題の都営敬老パスを持っているので、無条件に都営線のみのルートを利用、これで272円の儲け(?)。

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・・・・・・・・・・・・【ここで問題】 東京都内で、東西南北で各最端部の駅は何処? 4駅当てたらニューヨークへ自腹でご招待、、、、答えは、最東端は都営新宿線の篠崎駅(江戸川区) 最西端はJR青梅線の奥多摩駅(奥多摩町) 最南端は東急田園都市線の南町田グランベリーパーク駅(町田市、旧南町田駅が昨年駅名改称)  最北端はJR青梅線の古里駅(奥多摩町、青梅線は多摩の北部を運行している)

・・・・・・・・・・・・【追加の問題】 では、23区内で、東西南北で各最端部の駅は何処?、、、、最東端は篠崎駅。 最西端は西武新宿線の武蔵関駅(練馬区) 最南端は京急線の六郷土手駅(大田区) 最北端は日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅(足立区) 




● 篠崎駅の南側を走る首都高7号小松川線沿いに南西に向かう。、、、、都心では普段あまり見ることのない車もあるね!

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・・・・・・・・・・・・首都高沿い(裏通りも含めて)に、『都立 篠崎公園〇〇号地』と記した雑草ボウボウの公園用地が点在する。 最大48号用地まで確認できたが、いったい何号まであるのか?????、、、、平成24年(2012)の篠崎公園整備計画答申に基づく公園用地を確保しているそうだ。 いつまで続く、用地確保!

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・・・・・・・・・・・・瑞江3丁目と春江3丁目の町境で、首都高と別れ、「明和橋通り」を歩き一之江駅方面に向かう。

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● 都営新宿線瑞江駅から西へ500m程に、浄土宗寺院の「大雲寺」がある。 長行山専称院と号し、本尊に阿弥陀如来を祀る。、、、、大雲寺は、天蓮社梵誉上人が元和6年(1620)浅草森田町に創建、寛文8年(1668)に本所押上(現業平公園東隣)へ、昭和6年(1931)現在地へ移転した。、、、、山門に新しい恵比寿様と大黒様の石像が収まっている、めずらしい寺。

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・・・・・・・・・・・・大雲寺が押上にあったことから歌舞伎役者の墓所が多数安置されており、「役者寺」と呼ばれている。、、、、本堂裏の墓地には、歌舞伎役者の墓碑が並んでいる。 市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓初代尾上菊五郎供養碑寺島家門弟一同建立碑寺島家門弟代々墓瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)、松本幸四郎累代墓(四代より六代合葬)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓福地家墓坂東彦三郎墓(初代より二代合装)など。 数日前には、お彼岸で坂東家の墓参りがあったらしい(墓地を整備している方の話)

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● 大雲寺の正面には、都内唯一の公営(都営)火葬場である「瑞江葬儀所」がある。 名は“瑞江”葬儀所だが、住所は江戸川区“春江町”。 お寺の前に火葬場とは、なんとなく都合良さそうだ!、、、、ここは葬儀用の式場はなく、火葬設備のみとなっている。 昭和13年(1938)2月1日より使用が開始された。 火葬炉 20基を備え、火葬受付件数:一日25件。、、、、コロナ禍が影響していると思うのだが、ここ1・2年の間に葬儀の様式も変わり家族葬が多く、お別れの機会も減ってきたようだ。 ナントも切ない感じ!!

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● 再び明和橋通りを歩き、「明和橋」を渡る。 明和橋(めいわばし)は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸(左岸)の江戸川区西瑞江三丁目と西岸(右岸)の一之江三丁目を結ぶ。、、、、初代の橋は昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋され、昭和45年(1970)には歩道が増設された。 しかし、橋の老朽化、幅員が狭く取り付け道路が両岸で急カーブしており、事故などがあったため、新中川橋梁整備計画の第一弾として平成4年(1992)に架け替えられ、現在の川に斜めに架かる橋となった。、、、、現橋の形式は、3径間連続下路式ブレースドレスアーチ橋、橋長は137.0m、幅員16.0m。、、、、特徴的なデザインのアーチ橋で面白い!

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・・・・・・・・・・・・明和橋の上流に架かる「涼風橋(すずかぜばし)」、、、、東岸の江戸川区春江町三丁目と西岸の一之江三丁目を結ぶ橋。 平成18年(2006)に道路の築造とともに新たに架橋された。、、、、橋名の“涼風橋”は、江戸川の名物:風鈴を思い出させるいい名だ!

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● 明和橋を渡れば「一之江駅」、、、、一之江駅は、昭和61年(1986)9月14日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、駅前のロータリーから発着するバスは、駅の規模化に比べると多い。 都営バス5系統、京成バス6系統もあり、成田・羽田への空港バスもある。 便利そうだ!

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2021年9月25日 (土)

東小岩の三寺

今日の散歩は、小岩駅から江戸川沿い(東小岩)の三寺を訪ね、浅間神社に寄って篠崎駅まで、1万3千歩。




● コロナ感染者も減り、気分は自粛解除(ゴメン・ゴメン!)、土曜の早朝であり、電車も駅も人は少ない。 「小岩駅」で下車する。

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・・・・・・・・・・・・自動券売機前にある、ご当地の出身横綱:栃錦の土俵入りを見ながら小岩駅を出る。 栃錦の像は彫刻家:古川武治により平成2年(1990)の制作。

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・・・・・・・・・・・・現在の小岩駅は、高架島式1面2線構造。 改札は地上1階にあるが、道路面から1階までは数段の階段があり、短いエスカレーターも設置されている。 また、高架下にはショッピングモール「PoPo小岩」もある。

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・・・・・・・・・・・・南口のロータリーから3本の商店街が放射状に伸びている。 そのうちの1本:「昭和通り商店街」をまっすぐ歩き、国道14号(=千葉街道)を越える。、、、、商店街の長さは約1.2㎞ある。 長い商店街だが、チョイト昔と比べると、シャッターを下ろした店も増え疲れてきたようだ! 

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● 千葉街道を越えて東小岩の町に入る。 昭和7年(1932)に創設された、459床の地域密着型の総合病院「江戸川病院」前から、江戸川土手に上がり対岸の市川市を望む。 河川敷のグランドでは早朝から元気に少年野球が行われてる。、、、、一雨降りそうな空模様、『降るなよ』と天に言う!

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● 江戸川病院の隣りに今日の散歩の目的地、真言宗豊山派の星住山地蔵院と号す「善養寺」がある。 足利時代の大永7年(1527)に山城(京都)醍醐山の頼澄法印が霊夢のお告げによって、小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのがこの寺の開基と伝えられているそうだ。 しかし、永正6年(1509)の書に当寺の記述があることから、開基は寺伝よりもさかのぼるらしい。 慶安元年(1648)徳川家から寺領十石の御朱印を受けた名刹で古くから「小岩不動尊」とも呼ばれている。

・・・・・・・・・・・・境内南側には、数本の松の大木が並ぶ参道とその正面に仁王門がある

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・・・・・・・・・・・・境内西側には不動門がある

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・・・・・・・・・・・・境内中央に、樹齢600年の黒松「影向(ようごう)の松」が迎えてくれる。 東西30m、南北28m、茂っている広さが約900㎡(272坪)におよぶ。根元の幹まわり4.5m、高さ平均3m、一番高いところで8m、幹を支えるための支柱82本。 巨大な松は繁茂面積では日本1,2を競うと言われている。

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・・・・・・・・・・・・松の奥に本堂があり、本尊は地蔵菩薩。 本堂前には、撫で仏の「おびんずるさま」が置かれている。、、、、最近、頻尿になり夜起きるのが辛い、今日はチンチンの位置を撫でてきた。 さすが仏さま、撫で撫でしても大きくならず!

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・・・・・・・・・・・・松にかくれて、堂の全体が撮影しにくい不動堂。 安置されていると思われる「小岩不動尊」お姿を拝めず、残念!

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● 善養寺不動門から西へ100m程、真言宗豊山派寺院の「東養寺」がある。 山号は薬王山光明院。 東養寺は、国府台合戦(1563・1564)で里見家滅亡の際に家老の持仏であった木造薬師如来立像(通称「入谷の薬師様」)を本尊として、覚裔和尚が創建したと言われている。 東養寺は、もと善養寺末。

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・・・・・・・・・・・・本堂前の延命地蔵尊はもと小岩駅前の通称地蔵通りにあったが、昭和38年(1963)ここに移された。

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● 東養寺から南へ250m程、真言宗豊山派で五社山明寿院と号し、天文5年(1536)宥唯上人が開山した「萬福寺」がある。 本尊は鎌倉時代に作られた木造阿弥陀如来立像で、寺宝として文政12年(1829)に政寛和尚が伝法灌頂を行った時の両界曼荼羅を所蔵している。、、、、
内の手入れは行き届いており、清々しい寺だ。

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・・・・・・・・・・・・境内には、近隣から集めたのか(?)、庚申塔・野仏など
多くの石仏が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・萬福寺は、明治15年(1882)に区内で2番目の公立小学校「明物小学校」(現在の小岩小学校)が本堂を借りて開校したので区登録史跡となっています。 また、何といっても、小岩生まれで近代相撲の開祖といわれる第44代横綱:栃錦(春日野清隆)の菩提寺でもある。

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● 東小岩の三寺を参り、その後、さらに南下し、観正院墓地の石仏・庚申塔篠崎公園を抜け、浅間神社に寄って、都営新宿線の篠崎駅まで歩く。 2年前(19/8/7)に、このルートを逆の順に歩いて小岩駅まで。

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2021年9月23日 (木)

栃錦の像

京成線青砥駅から、青砥橋、細田橋を渡り東へ歩き、京成小岩駅付近からは柴又街道を南下し総武線小岩駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 今日は秋分の日、成田空港行きの電車はキャリーバッグを持った人で混んでるかと思ったが、期待に反して空いている。 青砥駅もホームに人影は少なく、皆さん自粛中か?、、、、今日の散歩はここ「青砥駅」から、出発進行!

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● 青砥駅から東へ300m程歩くと中川に架かる「青砥橋(あおとばし)」がある。、、、、青砥橋は環七通りの一部で、工事は1979年(昭和54年(1979)10月に着工し、昭和60年(1985)1月に橋梁が完成した。 橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 mの鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。

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・・・・・・・・・・・・三層の高架駅:青砥駅ホームから青砥橋が見える、もちろん、逆に青砥橋から青砥駅も見える。

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・・・・・・・・・・・・青砥橋から上流側を眺める。 写真左端が中川上流で、ここには斜張橋の高砂橋がある。 写真右端の樹木が茂る処は新中川通水記念公園である。 この公園は中川新中川が分岐する、お股の“急所”に位置する。、、、、「新中川」は昭和13年(1938)の東京東部で発生した浸水を教訓に、計画・工事が行われた中川放水路である。 工事は昭和38年(1963)に完成した、私が高校生の頃。 何だか判らず、細長い掘削工事現場が連なる現場を見に行った記憶がある。

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・・・・・・・・・・・・「新中川通水記念公園 」には、東京都が建てた記念碑がある。、、、、記念碑の裏側にはチョイト長い文章で次のように彫られている。 『中川放水路のあらまし   この地方は昔から高潮や洪水による水害をしばしばうけてきましたので、東京府は昭和十三年に中川 綾瀬川および芝川の三角川総合政?計画をたて 二千四百十九万円の事業費をもって着工しました とくに中川改修事業は足立 葛飾および江戸川の各区と埼玉県の一部にわたる地域の洪水をふせぎ かつその排水と舟運のため着工しましたが 第二次世界大戦のため昭和一九年には工事が中止されて一部の用地買収と一部の護岸工事ができただけでした。しかしこの地方が昭和二十二年九月のカスリーン台風による洪水のため利根川の堤防がこわれて大きな被害をうけましたので ふたたび中川改修工事を再開する声がたかまり 東京都はさきの計画に再検討を加え財政上の理由から 九億九千五百万円の事業費を?つて中川放水路の…を実施する事になり昭和二四年から工事を再開しました この工事中に物価の値上り 用地の買収などといろいろ困難な問題がおきて工事はしだいにおくれ たまたま昭和三十四年の伊勢湾台風による高潮の水位が意外にたかかったことから この事業の一部を変更し事業費…額されて?ましたが ついに昭和三十八年三月十六日第一期工事を完成し通水に成功しました。この放水路は着工以来長い歳月と多額の事業費と多くの人員が投入されて完成… また祖先伝来の土地を提供された地元民の協力と 工事?当の建設業者の尽力とこの事業関係の都職員の努力によってできあがったもので この地方をながく水害から守る事ができるようになりました この放水路の概要は左記の通りですが第二期工事の完成によってその流量はさらにふえることになります。  記  一 位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から   (吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで   一 延長 八○八九メートル   一 計画流量 毎秒一二○トン(第一期計画)   一 巾員 河川敷一四八メートル   一 堤防 高さAPプラス五・二メートル   天端巾 六・○メートル   一 主要建造物 道路橋 一六橋   鉄道橋 二橋   排水所 四箇所   伏越 三箇所   水門 一箇所   一 総工費 五十三億八千百万円   昭和三十八年九月一日建立 』

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● 新中川通水記念公園から新中川の右岸を歩き、高砂諏訪橋細田橋を歩く。、、、、どちらの橋も、戦後、高度成長期に合わせ架けられた“昭和レトロ”の橋だ!

・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋(たかさごすわばし)は、新中川の最上流部に架かる長さ135mの橋で、東岸(左岸)の葛飾区高砂2丁目と西岸(右岸)の高砂1丁目を結ぶ。 昭和36年(1961)に新中川掘削工事に伴い架橋される。 幅員が4.5mしかなく、歩道のない一車線の橋。 危ないのでその後、下流側に高砂諏訪橋人道橋が設置され人車分離された。

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・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋から350m程下流に、同時期に架けられた橋長119.0mの細田橋がある。 東岸(左岸)の葛飾区細田3丁目と西岸(右岸)の細田2丁目を結ぶ。新中川掘削工事に伴い架橋。 昭和54年(1979)下流側に細田橋人道橋を設置。

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● 細田橋人道橋を渡り、葛飾区細田の町に入る。 まずは、細田橋の東詰に、新金貨物線細田踏切がある。、、、、平日、数本の貨物列車が走る踏切。、、、、新金貨物線の線路敷きは複線分の用地が確保さてれおり、旅客化の話は昔からあるが、いつまでたっても具体化しない! ここに電車が走る日はまだまだ先のようだ!

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● 線路沿いに南へ少し歩くと、細田村が開村した元禄8年(1695)頃に細田村の鎮守社として稲荷を勧請した細田神社」がある。、、、、現在の社殿は昭和4年(1929)に修復された。

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● 細田からは、道路拡張工事が行われ歩きやすくなった都市計画道路補助264号線(長ったらしく覚えにくい道路名!)を歩き京成小岩駅を目指す。

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・・・・・・・・・・・・京成小岩駅近くに愛国学園がある。 「愛国学園」は、大学、短期大学、高等学校、中学校、保育専門学校などを設置する学校法人。 京成小岩駅近く(江戸川区西小岩)には、大学を除く各校舎がある。、、、、伝統ある女学校。

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● 京成小岩駅から帰るつもりで歩いてきたが、愛国学園の先で柴又街道に出たので、街道を歩き総武線小岩駅からJRで帰ることにした。

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・・・・・・・・・・・・JR小岩駅北口に到着。 広いコンコースには、当地出身のかつての名横綱栃錦の像がある。 待ち合わせ場所として最適!、、、、尻かげで 遅い友待ち 尻撫でる(尻滅裂)

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・・・・・・・・・・・・小岩駅は明治32年(1899)5月24日、総武鉄道の駅として開業。 明治40年1907)に国有化される。 現在は総武線緩行列車しか停車しない、開業後100年超経過した古い駅。 1面2線の島式ホームの高架駅。

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2021年9月22日 (水)

地蔵さん

そろそろ緊急事態宣言解除も近づいてきたか・・・・・どこもかしこも人が出はじめた

我が夫婦は彼岸に入り、恒例の墓参り、昨日は東に今日は西

 

墓参途中の路傍には・・・・・今日も立っていました地蔵さん

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♪ ♪・・・・

あれから三年 もう三月

変らず今も あのままで

空見て立って いるのやら

さようなら

耳をすませば さようなら

おさげと 花と 地蔵さんと

・・・・♪ ♪

(三橋美智也「おさげと花と地蔵さんと」の歌詞より)

2021年9月19日 (日)

ここは旧水戸街道?

連日、コロナ感染者数減少の報道が続き、気持ちは緩みっぱなし。 早くの緊急事態宣言解除を願いつつ、『今日は、多少歩いてもいいだろう!』と、自分で自分を納得させ散歩に出た。

JR常磐線金町駅から、水戸街道沿いに都心方向に歩き、京成本線青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 今日は西日暮里で東京メトロ千代田線に乗り換えて、JR金町駅に到着。 金町駅は盛土上に1面2線の島式ホームがあり、改札は盛土下を南北に貫く穴に直結し、出入口は南北にある。 南口の駅前ロータリーは広くバス・タクシーが発着する、また京成金町駅も目の前だ!、、、、金町駅は明治30年(1897)12月27日に日本鉄道の駅として開業した。 創業124年余りの歴史を有する老舗駅。、、、、金町駅は埼玉(三郷)と千葉(松戸)に隣接している県境の駅。

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・・・・・・・・・・・・“
駅前の駅”は京成金町線の京成金町駅、、、、単式ホーム1面1線の地上駅。 ホーム長さは4両編成分しかない、小さな駅である。 しかし金町駅は、金町線の前身である帝釈人車軌道が明治32年(1899)に開業した、こちらも老舗駅。

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● 今日は、金町線とはまったく関係ないが、この京成金町駅の西側の町:葛飾区金町5丁目、4丁目、葛飾区新宿4丁目、2丁目の裏通りを中川大橋に向かって歩いてみた!

・・・・・・・・・・・・緊急車両が通り難い細い道が折れて続く“私好みの道”、ここは金町5丁目!

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・・・・・・・・・・・・緊急事態宣言下、酒場は涙を呑んで休業中。 いつまで続くこの休み。 貼り紙に貼り紙だ! 狸も退屈そうだ!、、、、店主は大変そうだ、頑張って!

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・・・・・・・・・・・・京成金町駅近くをとおり、南西に向かうと“お江戸日本橋”に着く国道6号(=水戸街道)。 その国道から北側に一本入ると旧水戸街道がある。、、、、旧東海道は街道巡りの旅人で賑わっているが、旧水戸街道は『ココが旧街道』である案内すらなく、チョイトもの足りない道である。(Googleマップには旧街道の表示あり)

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・・・・・・・・・・・・その旧水戸街道が新金貨物線(新小岩~金町間のJR貨物線)と交差する「浜街道踏切」、、、、踏切名の「浜街道」とは、現在の国道6号(=水戸街道)の旧道である「陸前浜街道」のことを指す。

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・・・・・・・・・・・・浜街道踏切から100m程都心によると、旧水戸街道の拡幅の際にここに移された「地蔵菩薩石仏群」がある。 享保、宝永といった江戸でも古い年号が彫られている13基の石仏群と帝釋道標と八大龍神碑である。 

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・・・・・・・・・・・・新宿2丁目の浄土宗寺院「浄心寺」は林光山称名院と号す。 慶長19年(1619)廓蓮社然誉潮呑和尚が開山、明呑が開基となり創建、江戸時代には両国回向院(墨田区)および小塚原回向院(荒川区)住持の隠居寺であった。 古い本堂は明治20年(1887)焼失、同22年再建されたが、昭和46年(1971)に現本堂を新築した。、、、、境内の墓地には、2・26事件で殉職し、岡田啓介元首相が建てた清水与四郎巡査の墓がある。

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・・・・・・・・・・・・旧水戸街道は中川の手前:新宿4丁目にて、国道6号(=水戸街道)とは離れ、中川橋にて中川を越え、亀有駅の南側を抜け、小菅、北千住を通り、千住大橋で国道4号(=日光街道)に合流する。




● 国道6号(=水戸街道)は、中川橋の下流に架かる「中川大橋」を渡り、四ツ木橋、言問橋をとおり、日本橋へ向かう。、、、、中川大橋は葛飾区青戸8丁目と葛飾区新宿2丁目を結び、昭和10年(1935)にカンチレバー式プレートガーダー橋として開通した。 現在の橋は昭和60年(1985)に架替え工事が開始された2代目の橋。 平成元年(1989)に竣工。

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・・・・・・・・・・・・中川を望む

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● 中川を越え、葛飾区青戸の町に入る。、、、、葛西城跡に寄り、青砥駅まで歩く

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2021年9月13日 (月)

飯塚富士は登山禁止

緊急事態宣言は、本日から延長期間に入り、9月30日までとなった。 何だかんだと いつまで続く “緊急事態” 聞き飽きた(今日も、コッソリ散歩する)

東京メトロ千代田線「北綾瀬駅」から、東に向かい、飯塚橋で中川を越え葛飾区にはいる。 東京理科大の金町キャンパスを抜けて、常磐線「金町駅」まで、1万3千歩の散歩です。




綾瀬駅は千代田線それとも常磐線(?)どちらでもいいけど、北綾瀬に行くには、綾瀬駅で北綾瀬行きの電車に乗り換える。 綾瀬駅1番・2番線ホームの東端に綾瀬行きの0番線ホームがある。 ここから3両編成の北綾瀬行きワンマン運転の電車でGoー!、、、、『つぎは終点北綾瀬』、一駅間の短い千代田線支線に乗り換える。

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● 「北綾瀬駅」(昭和54年(1979)開業)は、環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線の高架駅。 ホームは西側の線路に取り付けて設置されている。 平成31年(2019)からは、これまでの区間運転用の3両編成の列車以外に、代々木上原方面直通の10両編成の列車も停車できるようにホームが延長された。、、、、1面1線のホーム構造を持つ駅は、都区内ではここの他に大師前駅京成金町駅の三駅だけで、珍しい駅の一つ。

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・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅は「環七通り」に面している。、、、、今日の散歩では、この環七通りを東に向かい歩き始める!

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● 環七通りを東へ歩くと「大谷田橋交差点」がある。 大谷田橋交差点は、足立区東和・大谷田にある交差点で、主要道路は、環状7号線と都道307号線などで、7本の道路が集中する、“七差路”、“七辻”となっている。 環七がオーバーパスになっており、道路幅も広いので、この場所を通った人でも、ここが“七差路”であることに気づきにくい。、、、、疑い深い人は地図で調べて、現地に行って!

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・・・・・・・・・・・・この大谷田交差点の一角に、高さ26mの「銀河の塔」がある。 葛西用水親水水路完成を祈念して、平成8年(1996)に建てられたシンボルタワーであり、交差点を挟み東和4丁目と大谷田1丁目を結ぶ歩行者・自転車用の地下道の出入口を兼ねている。 塔の中程まで階段で登ることができるが、登る人を見ることはなかった!

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● 大谷田交差点で環七通りからはずれ都道を東に歩く。 中川に架かる「飯塚橋」を渡る。 飯塚橋は東岸の葛飾区南水元2と、西岸の足立区大谷田1・中川5を結び架けられた。(両区を結び人・車が通れる唯一の橋である)、、、、橋長:303.0m 幅員:20.2m 形式:鋼箱桁、鋼鈑桁 開通:平成4年(1992)、、、、江戸時代よりここには、両岸を結ぶ渡し舟「飯塚の渡し」があった。 近隣地域では中川両岸を結ぶ唯一の連絡交通手段として重宝されたが、夜間は運行されず、時に急患を対岸の病院へ搬送するために特別に出されることもあった。 昭和30年(1955)に旧飯塚橋が架橋されたため廃止された。(現橋は二代目)

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・・・・・・・・・・・・橋の先(葛飾区)には葛飾清掃工場の煙突が見える

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・・・・・・・・・・・・橋から上流側を眺める。 右に葛飾区、左に足立区、目ぼしい建物は何もない!

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● 葛飾区に入り、中川の土手沿いに南下し、金町駅方面に向かうと、比較的新しい神社がある。 これぞ、葛飾区南水元の「富士神社」(飯塚富士)である。 神社は、木花咲耶姫命を祭神として、正慶元年壬申(1332)6月創建といわれ、江戸時代には旧飯塚村(現在の、水元、南水元、西水元、水元公園あたり)の鎮守だった。 2010年代(平成)に整備工事が行われ、社殿や富士塚は一新された。 、、、、高さ約20m、東西径約22mの富士塚は拝殿の裏にある浅間山の上に、さ らに盛土をして築かれ、まるで古墳である。 立派だ!

・・・・・・・・・・・・中川の土手上から見る富士神社

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・・・・・・・・・・・・広々とした境内に富士神社はある、、、、飯塚富士は登山禁止!

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● 中川沿いに歩き常磐線線路の手前(旧三菱製紙工場跡地)に「東京理科大学 葛飾キャンパス」がある。 理科大の神楽坂キャンパスが手狭になってきたため葛飾キャンパスが計画され、平成25年(2013)竣工した。 キャンパスは周囲を「葛飾にいじゅくみらい公園」に囲まれ、公園とキャンパスの敷地境界には何もなく、まさに公園と一体となって、地域に開かれたキャンパスとなっている。、、、、今日は、公園の芝生を歩かず、キャンパス内を歩き抜けた!

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● 理科大から徒歩10分、JR金町駅北口に到着。、、、、広い駅前ロータリー、その奥には高度成長期の公団住宅、高架下には南北通り抜け通路、通路に沿って券売機が並び改札がある、なんだか見るもの全てに“昭和”の香り。、、、、私の住む浅草橋と同様で、駅ビル・駅ナカのない駅。 今時の都心の駅とは思えない!

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2021年9月11日 (土)

環七北通り

都内の新型コロナ感染者数は確実に減少してきた。 いよいよパンデミックの終息かと、安易に考え、気も緩み、今日も内緒でチョックラ散歩。

今日は4日前(9/7)の続きで、つくばエキスプレスの六町駅から、直線距離で1.5km程の東京メトロ千代田線北綾瀬駅まで、1万歩の散歩。




● まずは、つくばエキスプレス「六町駅」で下車。、、、、浅草橋の我が家から隣駅の秋葉原までは徒歩15分、つくばエキスレスの普通で秋葉原~六町は16分、約30分強で六町駅前に立つことができる。 速い!

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● 六町駅から南東へ約250m、足立区六町1丁目、住宅地の一角に、平成21年(2009)に区画整理事業で新築されたきれいな「六町神社」(創建年代不詳)がある。、、、、六町はもと東京府南足立郡淵江村大字六月および、竹ノ塚神社の飛地であったため、住民は遠く本村の氏神である八幡神社および、竹ノ塚神社の二社に参拝していた。 また六町には在来より足立区六町の清水家の邸内社である三峰神社を崇拝してきた。 昭和8年(1933)、初期都市計画により、六町として町が独立し、これを機会に六月町の八幡神社、竹ノ塚町の竹塚神社の御分霊を清水家の三峰神社に合祀し六町神社とした。 祭神は、天照皇大御神、誉田別命、伊邪那岐命、伊邪那美。、、、、平成の区画整理では、神社も700m程移動し新しくなるため、地元では大事な場所、遷座して規模が縮小しないようにと土地を寄付し合い、境内は以前の倍以上の174坪になったそうだ。 草木は社殿後ろに雑草しかなく、チョイト趣に欠ける!

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・・・・・・・・・・・・境内には、寛政5年(1793)と刻まれている庚申塔や、綾瀬川の新加平橋上流で発見された地蔵の頭などがある。 道標もある。

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● 六町神社の南側に「環七北通り」がある。、、、、“環七北通り”とは、前回(9/7)の散歩で西新井から六町まで歩いた道だ! この道路は、六町駅の手前で区画整理事業にぶつかり、途切れていたのだ。 環七北通りは、つくばエキスプレスの東側では、六町駅から綾瀬川を越えて中川の手前(足立区大谷田)まで延びている。、、、、綾瀬川に架かる「六町加平橋」を挟む六町1丁目(つくばエクスプレス六町駅付近)から加平2丁目までは、今年の3月22日(月)に開通したそうだ。 まだ、出来立てのほやほや道路。、、、、なお、六町加平橋(長さ50m、幅16m)そのものは 平成24年(2012)に部分開通していた。

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・・・・・・・・・・・・環七北通りを東へ向かうと、東京メトロ綾瀬車両基地(千代田線の車両基地)にぶつかる。 環七北通りは、車両基地手前で地下に潜り、「加平谷中トンネル」で車両基地を横断する。、、、、加平谷中トンネルは、着工後8年経過した平成20年(2008)12月、総工費120億円をかけて開通した。 上層が歩行者と自転車、下層が車道の二層式トンネル。、、、、歩行者・自転車の地下歩道部分は幅が広く、きれいで、チョイト驚いた! これなら、女性の一人歩きも多少安心できるかも?

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● 加平谷中トンネルの上は「東京メトロ 綾瀬車両基地」、私の興味はトンネルから車両基地に移る。、、、、千代田線車両を見ようと基地の周りを歩いてみたが、最近何かと“撮り鉄”が悪さをしているので、ガードが厳しく車両を間近に見ることができない、残念!、、、、遠くからフェンス越しに、民家の庭を通して、警備員の目を盗み、なんとか車両を見たい一心で努力する!(以前は見えたのに!)

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・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅と車両基地を結ぶ線路上に歩行者専用の跨線橋がある、ここから基地を眺めるが、多くの車両は只今営業運転中で出払っている。 チョイト寂しい基地風景!、、、、オゥ~、千代田線に乗り入れてる小田急の車両が見えた!

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● ここまで来たら、「北綾瀬駅」から帰ろう!、、、、北綾瀬駅(昭和54年(1979)12月20日開業)は、環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線の高架駅。 ホームは西側の線路に取り付けて設置されている、以前は3両編成のみ停車できる長さであったが、平成31年(2019)に10両編成の列車が停車できるように改良された。 

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2021年9月 7日 (火)

西新井から1万4千歩

連日雨天であったが、今朝は快晴、秋晴れか(?) また、東京のコロナ感染者数は1000人を割った。 これでは気持ちも緩み『少しぐらい散歩してもいいだろう!』 今日は、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅から、東に向かって、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万4千歩の散歩。



● 日暮里舎人ライナー「西新井大師西駅」で下車する。 『さて、東西南北どちらへ歩くか?』 駅前で地図(iPad)を取り出し作戦タイム。 熟慮の上の結論は、駅から東へ向かって歩き、西新井大師、国土安寧寺に立ち寄って、六町駅を目指すことにした。 約6㎞の行程となりそうだ!

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● 西新井大師西駅から東に裏通りを約20分歩くと厄除け祈願の「西新井大師」がある。、、、、駅名のごとく、西新井大師から“はるか西”に位置する西新井大師西駅。

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・・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の寺院「西新井大師にお立ち寄り。 西新井大師は通称で、正式には、山号を五智山と称し、寺名は詳しくは五智山遍照院總持寺と称する。、、、、空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826年)に寺院を建立したことに始まるとされる。 江戸時代中期に建立された本堂は昭和41年(1966年)火災により焼失した。、、、、今年に入り2回目の参拝で、今日は山門から入り、本堂で手を合わせ、本堂裏から境内を出た!

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● 西新井大師の北側に「環七北通り」(環七通りの北側に平行する通り)がある。 この通りを東に向かって歩くと目指すつくばエキスプレスの六町駅がある。、、、、足立区栗原の町は、町の中央を南北に走る「尾竹橋通り」と、平行して走る東武伊勢崎線により、東西に分断され、交通が遮断されてきた。 足立区では昭和60年(1985)から平成3年(1991)にかけ、総延長380m、トンネル部160m、総工費36億円で尾竹橋通りと東武伊勢崎線の下を抜けるトンネルを造り、東西をつないだ。 これが「栗原立体交差」である。、、、、立体交差と言っても、伊勢崎線は地上を走り、環七北通りがトンネルで尾竹橋通りと伊勢崎線の下を抜ける。 また、自転車と歩行者は伊勢崎線際の斜路・階段で地下道を抜ける。、、、、約30年前に造られた立体交差は交通量も増え、栗原の町の東西一体化に貢献したようだ!

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● 伊勢崎線の東側にはURの栗原団地が広がり、その先(足立区栗原2)に、栗原村の鎮守社であった「栗原氷川神社」がある。 栗原氷川神社の創建年代は不詳だが、天正2年(1574)に再建されたそうだ。、、、、広々とした境内に黒松の高木が伸び、海辺に佇む神社に来たようだ!

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● 再び環七北通りに戻り、足立区島根4丁目の日蓮宗寺院「天下長久山国土安穏寺(こくどあんのんじ) 」に寄って行く。 創建は、応永17年(1410)、開基は、千葉太郎満胤(室町時代の武将、千葉氏14代当主)である。 当初は、長久山妙覚寺と称した。 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 これより寺は、葵紋の使用を許された。、、、、現在の諸堂宇は、明和年間(1764~1772)に建てられた鐘楼を除き、昭和以降の造営である。、、、、写真は順に、徳川将軍が入山する際に通る御成門(現在は将軍もいないので、開かずの門) 次は、朱塗りの仁王門と、木々に囲まれた本堂。 本堂前の将軍徳川家光お手植えの松

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● 再度、環七北通りに戻り、東へ歩く。

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・・・・・・・・・・・・環七北通りは旧日光街道を横切る。 電柱に「旧日光街道」と書かれている。、、、、よく見るとその下に、荒川が氾濫したとき、この地点の想定浸水深さは最大3.0mと記されていた。 これじゃ、荒川が氾濫したら足立区全滅かも? 恐ろしや!

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・・・・・・・・・・・・続いて、現在の日光街道(=国道4号)との交差点。

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・・・・・・・・・・・・環七北通りは足立区六町2丁目から東側は工事中、、、この先600m程で六町駅

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● 「六町(ろくちょう)駅」に着いた! 久しぶりに1万4000歩も歩き、足は疲れた! つくばエキスプレスで帰る。、、、、【六町の謂れ】江戸時代には、保木間村・竹塚村・六月村・花畑村の4ヶ村の飛地が入り組んでいた。昭和11年(1936六つの飛地をあわせた町域を1町とし、六月村の字を以て町名とした。 嘘か真か(?)

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● 今日の東京のコロナ感染者は1629人、16日連続で前の週の同じ曜日の日を下回った。 本格的に減少することを期待して、私も
明日から、再び自粛します。 ゴメン!

2021年9月 5日 (日)

ガンバレ! マラソン

いよいよパラリンピックも今日が千秋楽。 早朝、小雨降る中でマラソンが行われた。 あまり興味がなかった私だが、マラソンは浅草橋駅前の江戸通りがコースの一部となっており、我が家から200m程である。 朝食を済ませ、早速応援してきた。



● 朝6時40分、江戸通りはすでにコースが準備され、警察官・ボランティアなどサポートする人がズラリ、『ご苦労様です』 昨夜の雨の中で準備したのだろう! パトカーは大阪府警の車だ!

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● 6時50分頃には、車いすの選手が浅草寺雷門に向かい通過していく、、、、速い、あっという間の通貨

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● 10分ぐらいで雷門を折り返し、再び浅草橋を通過。、、、、速すぎる、選手の名も読めず、ただただ拍手で『ガンバレ!』

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● 道路の反対側に場所を変え、応援のやり直し! 車イスの選手は皆、下を向いて走るので写真撮りにくいね!

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● 時計を積んだ車が通過。 オリンピックスタジアム(千駄ヶ谷)→市ヶ谷→水道橋→神保町→須田町→日本橋→江戸橋→浅草橋→雷門→浅草橋まで、選手は自力で車輪を回し、なんと36分、速い速い! 『恐れ入谷の鬼子母神 』

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● “しんがり”とおぼしき車いすの選手が通過。 沿道は一斉に拍手。 選手の後ろには救急車が続く。

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● 7時30分、続いては、車いすを使わないグループがカメラマンを従えて雷門へ向かう。

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● 雷門を折り返したトップランナーが通過。 反対側の車線には雷門へ向かう女子ランナーが通過。

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● 雷門を折り返した選手がゾクゾクと通過。 日本人選手も、拍手で『ガンバレ!』 伴走者にも、拍手で『ガンバレ!』 みんな、拍手で『ガンバレ!』

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● 朝8時過ぎ、選手も皆、浅草橋を通過した。 小雨降る中、傘もささずチョッピリ湿った私も応援を終了する。、、、、家に帰って『寒い、寒い、風邪ひきそうだ!』



● コロナ感染者数は減少傾向だが、重症者数は増加中、緊急事態宣言も引き続き発令されるそうだ。 まだ、“自粛”は続きそう!

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