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2021年9月23日 (木)

栃錦の像

京成線青砥駅から、青砥橋、細田橋を渡り東へ歩き、京成小岩駅付近からは柴又街道を南下し総武線小岩駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 今日は秋分の日、成田空港行きの電車はキャリーバッグを持った人で混んでるかと思ったが、期待に反して空いている。 青砥駅もホームに人影は少なく、皆さん自粛中か?、、、、今日の散歩はここ「青砥駅」から、出発進行!

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● 青砥駅から東へ300m程歩くと中川に架かる「青砥橋(あおとばし)」がある。、、、、青砥橋は環七通りの一部で、工事は1979年(昭和54年(1979)10月に着工し、昭和60年(1985)1月に橋梁が完成した。 橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 mの鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。

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・・・・・・・・・・・・三層の高架駅:青砥駅ホームから青砥橋が見える、もちろん、逆に青砥橋から青砥駅も見える。

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・・・・・・・・・・・・青砥橋から上流側を眺める。 写真左端が中川上流で、ここには斜張橋の高砂橋がある。 写真右端の樹木が茂る処は新中川通水記念公園である。 この公園は中川新中川が分岐する、お股の“急所”に位置する。、、、、「新中川」は昭和13年(1938)の東京東部で発生した浸水を教訓に、計画・工事が行われた中川放水路である。 工事は昭和38年(1963)に完成した、私が高校生の頃。 何だか判らず、細長い掘削工事現場が連なる現場を見に行った記憶がある。

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・・・・・・・・・・・・「新中川通水記念公園 」には、東京都が建てた記念碑がある。、、、、記念碑の裏側にはチョイト長い文章で次のように彫られている。 『中川放水路のあらまし   この地方は昔から高潮や洪水による水害をしばしばうけてきましたので、東京府は昭和十三年に中川 綾瀬川および芝川の三角川総合政?計画をたて 二千四百十九万円の事業費をもって着工しました とくに中川改修事業は足立 葛飾および江戸川の各区と埼玉県の一部にわたる地域の洪水をふせぎ かつその排水と舟運のため着工しましたが 第二次世界大戦のため昭和一九年には工事が中止されて一部の用地買収と一部の護岸工事ができただけでした。しかしこの地方が昭和二十二年九月のカスリーン台風による洪水のため利根川の堤防がこわれて大きな被害をうけましたので ふたたび中川改修工事を再開する声がたかまり 東京都はさきの計画に再検討を加え財政上の理由から 九億九千五百万円の事業費を?つて中川放水路の…を実施する事になり昭和二四年から工事を再開しました この工事中に物価の値上り 用地の買収などといろいろ困難な問題がおきて工事はしだいにおくれ たまたま昭和三十四年の伊勢湾台風による高潮の水位が意外にたかかったことから この事業の一部を変更し事業費…額されて?ましたが ついに昭和三十八年三月十六日第一期工事を完成し通水に成功しました。この放水路は着工以来長い歳月と多額の事業費と多くの人員が投入されて完成… また祖先伝来の土地を提供された地元民の協力と 工事?当の建設業者の尽力とこの事業関係の都職員の努力によってできあがったもので この地方をながく水害から守る事ができるようになりました この放水路の概要は左記の通りですが第二期工事の完成によってその流量はさらにふえることになります。  記  一 位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から   (吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで   一 延長 八○八九メートル   一 計画流量 毎秒一二○トン(第一期計画)   一 巾員 河川敷一四八メートル   一 堤防 高さAPプラス五・二メートル   天端巾 六・○メートル   一 主要建造物 道路橋 一六橋   鉄道橋 二橋   排水所 四箇所   伏越 三箇所   水門 一箇所   一 総工費 五十三億八千百万円   昭和三十八年九月一日建立 』

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● 新中川通水記念公園から新中川の右岸を歩き、高砂諏訪橋細田橋を歩く。、、、、どちらの橋も、戦後、高度成長期に合わせ架けられた“昭和レトロ”の橋だ!

・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋(たかさごすわばし)は、新中川の最上流部に架かる長さ135mの橋で、東岸(左岸)の葛飾区高砂2丁目と西岸(右岸)の高砂1丁目を結ぶ。 昭和36年(1961)に新中川掘削工事に伴い架橋される。 幅員が4.5mしかなく、歩道のない一車線の橋。 危ないのでその後、下流側に高砂諏訪橋人道橋が設置され人車分離された。

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・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋から350m程下流に、同時期に架けられた橋長119.0mの細田橋がある。 東岸(左岸)の葛飾区細田3丁目と西岸(右岸)の細田2丁目を結ぶ。新中川掘削工事に伴い架橋。 昭和54年(1979)下流側に細田橋人道橋を設置。

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● 細田橋人道橋を渡り、葛飾区細田の町に入る。 まずは、細田橋の東詰に、新金貨物線細田踏切がある。、、、、平日、数本の貨物列車が走る踏切。、、、、新金貨物線の線路敷きは複線分の用地が確保さてれおり、旅客化の話は昔からあるが、いつまでたっても具体化しない! ここに電車が走る日はまだまだ先のようだ!

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● 線路沿いに南へ少し歩くと、細田村が開村した元禄8年(1695)頃に細田村の鎮守社として稲荷を勧請した細田神社」がある。、、、、現在の社殿は昭和4年(1929)に修復された。

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● 細田からは、道路拡張工事が行われ歩きやすくなった都市計画道路補助264号線(長ったらしく覚えにくい道路名!)を歩き京成小岩駅を目指す。

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・・・・・・・・・・・・京成小岩駅近くに愛国学園がある。 「愛国学園」は、大学、短期大学、高等学校、中学校、保育専門学校などを設置する学校法人。 京成小岩駅近く(江戸川区西小岩)には、大学を除く各校舎がある。、、、、伝統ある女学校。

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● 京成小岩駅から帰るつもりで歩いてきたが、愛国学園の先で柴又街道に出たので、街道を歩き総武線小岩駅からJRで帰ることにした。

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・・・・・・・・・・・・JR小岩駅北口に到着。 広いコンコースには、当地出身のかつての名横綱栃錦の像がある。 待ち合わせ場所として最適!、、、、尻かげで 遅い友待ち 尻撫でる(尻滅裂)

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・・・・・・・・・・・・小岩駅は明治32年(1899)5月24日、総武鉄道の駅として開業。 明治40年1907)に国有化される。 現在は総武線緩行列車しか停車しない、開業後100年超経過した古い駅。 1面2線の島式ホームの高架駅。

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