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2021年10月30日 (土)

お役所巡り

一昨日の続きで、『皇居から歩いてみよう!』と家を出た。


● 東京駅へは、普段はJRを利用して行くのだが、今日は浅草橋駅前から、都バス「東京駅八重洲口行き」のバスで行く。

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・・・・・・・・・・・・バスは八重洲口の大屋根「グランルーフ下のバスターミナルに停まる、チョイト、ペデストリアンデッキの上から駅前を眺めてみる。 駅前再開発が進められており、私の知るビルはなくなり、超高層ビルを建築中!

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・・・・・・・・・・・・北口自由通路を歩き、八重洲口から丸の内口へ向かう。 時刻は7時半、人影も増えてきた!

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・・・・・・・・・・・・東京駅丸の内駅舎の正面から、
皇居前の和田倉門までまっすぐに伸びる全長約200m、幅約74mの大通りが「行幸通り」である。 行幸通りは、明治22年(1889)の中央停車場(現:東京駅)の位置決定に始まり、明治36年(1903)の市区改正の新設計により行幸通りの整備が決定され、これにより明治43年(1910)に行幸通りが整備された。、、、、整然とした綺麗な通りだ! 地下にはギャラリーがある。

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● 今日の散歩の出発地点:皇居前広場に到着。

・・・・・・・・・・・・皇居前広場から桜田門、日比谷公園方向を望む、、、、二重橋は右手奥

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・・・・・・・・・・・・ハ~イ、二重橋にやってきました、、、、手前の「正門石橋」と、奥に「正門鉄橋」(写真では石橋に隠れ見えない)、二つ合わせて「二重橋」、、、、二重橋の写真を見てると、古い田舎の家を思い出すね。 日露戦争に出征したお爺さんとお婆さんの写真の横に、明治天皇、昭和天皇の写真が並び、さらに隣に二重橋の写真もあった! どこの家も同じように飾ってた。

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・・・・・・・・・・・・皇居前広場を警備する懐かしい交番がある!、、、、「警視庁丸の内警察署 祝田町見張所」が正しい名前とおもわれる。 設計者不明。 交番の竣工は、正門石橋が明治21年(1888)ではないかという資料もあるから、それと同時期か後と考えられる。

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● 二重橋を見たら桜田門も、、、、皇居前の警視庁庁舎から来ると、まず簡素な「桜田門高麗門」がある、その奥に重厚な「桜田門櫓門」と続く。 二つの門は鍵の手に配され、二重の門となっている。


・・・・・・・・・・・・安政7年(1860)に、水戸藩浪士による大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きたのは、この桜田門高麗門の外側(警視庁側)である。

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・・・・・・・・・・・・高麗門から入ると右側に桜田門櫓門がある。

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・・・・・・・・・・・・この桜田門櫓門にも、私が探し訪ねる几号水準点がある。、、、、桜田櫓門を入り、左側の門の内側の石垣
にある。(写真赤〇の位置)

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● 桜田門、警視庁前から南の虎ノ門方面に伸びる道路が国道1号だ。 1号線の両側には官庁が並んでいる。 建物を見ながら虎ノ門へ向かう。

・・・・・・・・・・・・「警視庁本部庁舎」の建物を見ると、旧庁舎の空撮を背景にン~ン~ってハミングのテーマソングが流れる、TBSドラマ『七人の刑事』を思い出す。 建物は変わったが角地の尖がった形状は昔と同じ。 堀雄二の係長と、芦田伸介、美川洋一郎、佐藤英夫、城所英夫、菅原謙二、天田俊明の6人の刑事。 渋い役者ばかりのドラマで、忘れられない!、、、、現庁舎は昭和55年(1980)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・警視庁と向かい合わせに建っているは、重要文化財の「法務省旧本館 赤れんが棟」(=旧司法省)、、、、明治19年(1886)、明治政府はドイツの有名な建築家エンデとベックマンを日本に招き、近代国家への体制作りの一環として、ヨーロッパに劣らない官庁街を目指し、この二人の「お雇い外国人」に設計を依頼した。 そして、誕生したのが司法省と大審院(後の最高裁判所)である。、、、、司法省の着工は明治21年(1888)、その後7年をかけて竣工した堂々としたドイツのネオ・バロック様式の旧司法省である。 当時のドイツ国内においても同様式ではこれほど立派な建造物はなかったそうだ。、、、、そして、平成3年(1988)から明治の姿に復元・保存する本格的な工事が始められ、平成6年に竣工。

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・・・・・・・・・・・・国会議事堂から近く、すぐ見えるのが「外務省」で、建物は結構古い。 “口”字型に配された、北庁舎は昭和35年(1960)、中央・南庁舎は昭和45年(1970)、新庁舎は平成7年(1995)に竣工。 

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・・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に着工し、昭和14年(1939)に竣工した「財務省」(旧大蔵省)。 大蔵省営繕管財局の設計によるこの建物は、入り口のアーチを除けば、見事なほど簡素。 しかし、周囲の中央省庁の建物が次々と建て替えられる中、戦前から残る建物として今や貴重な存在となった。

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・・・・・・・・・・・・虎ノ門角に残る「文部科学省・文化庁」(旧文部省)、、、、建物は、昭和7年(1932)竣工の鉄骨鉄筋コンクリート造6階建、スクラッチタイル貼の戦前からの建物で、大蔵省営繕管財部の設計による。 しかし、現存するのは前面部分のみで、実質的には旧建物の背後に建つ高層ビルに内にオフィスがある。

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・・・・・・・・・・・・おまけでもう一軒、昭和40年(1965)に竣工した日本最初の超高層ビル「霞が関ビル」、、、、設計者:三井不動産、山下設計、施工:鹿島・三井建設共同企業体、地上36階(高さ147m)の超高層ビルで、当時は見学者も殺到するビルであった。 最上部には展望室もあった。、、、、いまは、話題になることも少なく、ひっそりと!

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● 虎ノ門交差点を過ぎ、愛宕山の西側崖下に浄土宗寺院の「久遠山栄閑院」がある。 栄閑院は、久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が、天徳寺の塔頭として創建された。 寛永の頃に猿回しに扮した泥棒が、住職に改心させられた。 泥棒は猿を置いて諸国行脚に向かい、猿は寺の人気者になったことから「猿寺」と称されたそうだ。、、、、本堂脇には、蘭学者杉田玄白の墓がある。

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・・・・・・・・・・・・栄閑院の右隣に、浄土宗寺院の「知祖山興紹院」がある。 境内の閻魔堂には、天保9年(1838)刊行の『東都歳時記』に記載されている石造閻魔像が安置されている。 この閻魔は、眼病に霊験あらたかとして信仰され、祈願者の願いが成就した時には、そのお礼として「こんにゃく」を供えるならわしとなっていた。 現在その風習は失われているが、当時の民間信仰を知る貴重な像である。像高はおよそ1m、風化が進んでいるが、筍を持ち上方に開いた方形の冠をつけ、口を開いた忿怒の相であることは、僅かに窺い知ることができる。

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愛宕山のトンネルを抜け、芝公園から大門駅に出て都営浅草線で帰宅。、、、、1万3千歩の散歩

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