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2021年11月 6日 (土)

寄生虫はまだ寝てる

JR目黒駅で降り、『さて、どっちへ歩こうか?』 考えた後の結論は、『久しぶりに、大鳥神社の先にある目黒寄生虫館に行ってみよう!』 目黒駅から、行人坂を下り、大鳥神社に参り、目黒寄生虫館へ、その後、目黒不動尊へ参り、東急目黒線武蔵小山駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 土曜の朝、サラリーマンの多くは休み、目黒駅は近くの私立中学・高等学校に通う生徒でいっぱい。ただいま通学時間だ! 聞こえる会話は勉強の話ではなく、何かのゲームの話。 後ろから一人仲間に入らずついていく生徒もいる。 いろいろな生徒がいるが、みんな楽しそうに学校へ向かう。

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● 目黒駅から西の目黒雅叙園に向かって下る坂道がある。 その名は「行人坂(ぎょうにんざか)」、長さ210m程の急坂(平均斜度7度)だ。 坂上は品川区、坂下は目黒区になる。、、、、名前の謂れは、『行人坂  寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。 次第に多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。』と、目黒区教育委員会名で案内板がある。

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・・・・・・・・・・・・行人坂の中程、大円寺の門の東脇の小堂に「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」がある、、、、案内板によると『小堂の中にある石造物は3段の台石を含め総高190㎝で、一番上は蓮華座の上で合掌し、右膝を立てて座る勢至菩薩像です。 小堂の前を通る行人坂を下りた先には目黒川がありますが、江戸時代中期の目黒川の架橋について台座石の前面と両側面に銘文が刻まれています。 銘文は宝永元年(1704)のもので、西蓮という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、往復の途中で人々から受けた寄進により、川の両岸に石壁を築き、雁歯橋を架けたということが書かれています。 目黒川架橋の歴史を示す、貴重な文化財です。 平成31年3月  目黒区教育委員会』、、、、可愛らしい顔の勢至菩薩である。

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● 行人坂の途中には、勢至菩薩の小堂に続き天台宗寺院「松林山 大圓寺」がある。、、、、大圓寺は、寛永年間(1624~1644)湯殿山修験道の行者大海が創建したと伝えられる。 明和9年(1772)2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元となった寺であることから、江戸幕府から再建の許可が得られなかった。 江戸時代後期の嘉永元年(1848)になって薩摩藩主島津斉興の帰依を得て、その菩提寺としてようやく再建された。 明治に入り隣接した明王院がこの寺に統合されている。、、、、大円寺の三面大黒天像は、山手七福神の大黒天となっている。

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・・・・・・・・・・・・山門をくぐり左手に、石像がズラリと並ぶ「大円寺石仏群」は圧巻!、、、、明和9年(1772)の大火で、火元と見られたのが大円寺であった。大円寺では焼死した人々を供養するために、天明頃(1781~1789)境内に五百羅漢像等を建立したと記録が残されている。 

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・・・・・・・・・・・・大圓寺は、八百屋お七の恋人・吉三(出家後は西運と改名)ゆかりのお寺でもあり、境内にはお七地蔵吉三のお墓もある。、、、、大圓寺隣の目黒雅叙園の入口には「お七の井戸」がある。 八百屋お七は、恋こがれた寺小姓吉三に会いたくて自宅に放火し、鈴ヶ森刑場所で火炙りの刑に処された。 吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げ、この井戸で水垢離を行ったと云われている。

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● 行人坂を下りると、南側(左に)は目黒雅叙園で、北側(右に)にレトロな感じの建物がある。 「東電下目黒変電所」だ、おそらく戦前の建物と思われるが、詳細は不明。

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● 行人坂を下り、目黒川を越えて、酉の市でも知られる「大鳥神社」(下目黒3)に来た、、、、言い伝えによると景行天皇の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に、当社に立ち寄って祈願したと言われている。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806)に社殿が完成したという。この年を大鳥神社では創建の年とした。 これは目黒区最古となっている。、、、、現在の社殿は昭和37年(1962)の竣工。、、、、3日後の11月9日は一の酉、境内では熊手を扱う店が軒を連ね準備中。 ブルーシートで隠しているが、すでに大きな熊手も搬入済みのようだ。

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● 大鳥神社から、目黒通りを西へ150m程歩くと「目黒寄生虫館」がある、、、、着いてビックリ、来てガッカリ、只今時刻は8時50分、開館は10時。 『まだ寝てます、開館まで、1時間お待ちください』 

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・・・・・・・・・・・・『1時間も待っておれるか、気が短いのだ!』入館は諦めた。 




● 寄生虫がダメなら、薩摩芋にしよう!、、、、寄生虫館から南東に約500m、目黒不動尊(瀧泉寺)の本堂裏手の道を歩き、瀧泉寺の墓地を目指す。 ここに江戸時代中期の、幕臣御家人で書物奉行で儒学者で蘭学者で、サツマイモ(甘藷)の普及を図り、甘藷先生と呼ばれた、青木昆陽の墓がある。、、、、青木昆陽は大鳥神社の近くに別邸を持っていた(これホントの話)そうだ、ここに妾を住まわせた(これ私の推測)かも?

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● ココまで来たら、目黒のお不動様にも寄って行かねばなるまい!、、、、ということで、目黒不動尊「瀧泉寺」でお参りを済ませ、武蔵小山駅まで歩く。

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