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2021年11月 2日 (火)

閻魔耳に懺悔

都営浅草線大門駅から増上寺を抜け、赤羽橋、中之橋、神明坂、日向坂、麻布通りを歩いて都営三田線白金高輪駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 前回の散歩の続きで、我が家から都営浅草線に乗って15分程で大門駅に到着。、、、、「大門」を“だいもん”と読めば極楽浄土の増上寺、“おおもん”と読むと一夜の極楽吉原へ、、、、『ここは“だいもん”、まずは増上寺に参るか!』

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● 増上寺三解脱門前、日比谷通りを挟み正面の芝公園の松原内に「ペルリ提督の像」がある。、、、、嘉永6年(1853)と嘉永7年(1854)の2回、米国使節として艦隊を率いて日本へ来航し、開国を迫った東インド艦隊司令長官ペルリ(私のように古い人はペリーと教わった)の像。 昭和28年(1953)東京都が日本開国百年記念祭を開催した際、ペルリ提督の出身地であるロードアイランド州ニューポート市に石灯籠を贈り、その返礼として贈られた彫刻(フェリックス・ド・ウェルドン作、像の顔立ちは色男だ!)、、、、しかし、なぜこの場所に?、、、、どうやら、ペルリ提督が開国を迫った幕府(徳川家)の菩提寺である増上寺に向かい合うように建てたらしい。(嘘か真かは不明)

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・・・・・・・・・・・・ペルリ提督の像と向かい合うように「遣米使節記念碑」もある、、、、こちらは、万延元年(1860)、新見豊前守正興を正使とした使節団が、アメリカの軍艦ポーハタン号で太平洋を横断し、アメリカに渡って日米修好通商条約批准書を交換した。 この時、護衛の名目で咸臨丸が日本の軍艦として初めて太平洋を横断したことはよく知られている。 この碑は、それから100年を経過した昭和35年(1960)に、遣米使節を記念するため、日米修好通商百年記念行事運営会によって建てられた。、、、、こちらも、ここに建つ理由は不明。

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三解脱門をくぐり、増上寺本堂、、、、今日は本堂で手を合わせ、通り抜ける

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● 増上寺境内の南西の端、道路を挟んで浄土宗寺院「三縁山宝珠院」がある、、、、宝珠院は、増上寺第三十世貫主生譽靈玄大僧正が、閻魔王と共に白蓮池の辨才天女を勧請、別当寺として貞享2年(1685)に創建した。、、、、本堂は令和元年(2019)に改築され、現代的な設計で寺院というより、清楚な住宅かモダンなカフェという感じ。 “弁財天”の旗がなければ、寺と思わず素通りしているかも?

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・・・・・・・・・・・・宝珠院には貞享2年(1685)の作といわれる、高さ1.25mの木造「閻魔大王座像」がある。、、、、閻魔堂の側面の壁には「閻魔耳」というものがあり、懺悔できるようになっている。(浄財の投入口があるのが気に掛かる?)

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● 宝珠院から南へ200m程、赤羽橋の北詰に増上寺の「妙定院」がある、、、、妙定院は、徳川家重の導師を勤めた増上寺四十六世妙誉定月大僧正が、家重菩提のため宝暦13年(1763)に創建したと言われている。 スッキリ整った山門は美しい!

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・・・・・・・・・・・・また妙定院には、十代将軍家治公の尊牌も納められるなどその後の幕府の帰依も厚く、多くの什宝物が寄進された。『法然上人伝絵詞』など現在文化財に指定されているものも多く、「熊野堂」/「上土蔵」の二建造物は、国の登録有形文化財となっている。

・・・・・・・・・・・・「熊野堂」は寛政8年(1796)妙定院第3世定観上人により建立。 熊野三社権現を祀る鎮守。 平成18年(2006)に境内南奥より解体修理移築。

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・・・・・・・・・・・・「浄土蔵」は文化8年(1811)妙定院第4世宝観上人により建立。 妙定院の収蔵品を長く伝えてきた。 平成18年(2006)に境内南奥より解体修理移築。

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● 古川に架かる二橋について、、、、古川は新宿御苑の湧水を水源として、渋谷川として渋谷区内を流れ、天現寺橋から古川と名を変え港区内を流れ、新浜橋の下流で東京湾に注ぐ。

・・・・・・・・・・・・まずは芝公園の南西の端に位置する「赤羽橋」、、、、東麻布、三田、芝、芝公園の各町が接するところで、古川に架かる橋。 橋からは北側に東京タワーがよく見える。、、、、橋名の「赤羽」は赤埴(あかはに)で、赤い粘土質の土のこと。土器を作るのに最適な土だ。そのためこの辺りでは土器作りが盛んで、飯倉の交差点はかつては土器町(かわらけまち)といったものだ。、、、、現在の橋は昭和49年(1974)に造られたもの。 南詰には、明治、大正期のものと思われる重厚な親柱が残されている。

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・・・・・・・・・・・・つぎは、赤羽橋の上流に架かる「中之橋」、、、、橋の竣工は大正15年(1926)7月(ただし、上部は昭和60年(1985)3月に架替えられた) 橋の名は、当時、赤羽橋と一之橋の間にあったので中之橋と命名した(判りやすい名付け)、、、、橋の両端にある親柱は、付近の久留米藩有馬屋敷にあった、高さ三丈(約9m)の火の見櫓を模したものである。この火の見櫓は江戸名物の一つで、“日本一の火の見櫓”と言われたそうだ。

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● 中之橋から神明坂を上り、オーストラリア大使館前に出ると、大使館前に浄土宗寺院「永昌山龍原寺」がある、、、、寺は明暦の大火後の再建ということで、弘化3年(1847)に建てられた本堂は土蔵造り。 土壁の上に、腰壁までを洗い出し、上を漆喰で塗り込める仕上げとなっている。 その結果、独特の味わいが出ています。 向拝の龍の天井画は大変珍しい作品であるが、下から見上げただけでは画法・構図が判然としないね。

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● オーストラリア大使館前から日向坂を下ると、麻布通り(=都道415号)「二の橋交差点」にでる。、、、、広い通りは両側にビルばかり、見るべきものも少なく、楽しくない! 歩行リズムは単調に変わる。

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● 都営三田線(東京メトロ南北線)の「白金高輪駅」に到着。 今日はここまで、帰ることにした。

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